きっと、いつか、また
剪燈新話
薄の穂が揺れる。もうすぐしたら皆で土手や庭に出て中秋節を詣でる頃だろう。
中秋節は、その字に『仲』が当てられたりするように家族皆円満であることを願うものでもある。
一国の主となった今でも、孫堅は細かい気配りを忘れない。
都合が悪いので前倒しに親戚の家に寄ったついでに、十数年ぶりになるかもしれない友人との再会を果たすことにした。
ふらふらとあちこちを放浪しているその友人の名を、という。
まるで根無し草のように各地を点々とするを孫堅は懐かしく思った。
彼は、本当に久しぶりに故郷に帰ってきたのだ。
繁華街のはずれ、割合大きめの商家には居た。
恐らく今年の中秋節は家族と過ごすつもりであったのだろう。
一国の主、という役目をほんの少し降ろすと、孫堅は昔のように鎧も身につけずにその家の戸を叩いた。
「に目通り願いたい」
「どちらさん?」
はいよ、と言って古めかしい樫材の扉を開いたのは、ひょろりと背の高い自分と同じ年頃の男だった。
暫し黙ってしまう。彼は誰だろう。
「…文台?文台なのか?」
「まさか、なのか?」
目を丸くして問い返せば、そのまさかだよと朗らかに笑った。
その笑顔には見覚えがあったから、なんだそうかと安堵した。
お互い年を取ったものだと思う。一瞬では見分けがつかないほどに二人の間で時が流れてしまった。
十数年、恐らく十五年ぶりか。
あっという間に過ぎ去ったので何やら実感をもてなかったが、今となれば納得できるような気がする。
「まあこんなところでも何だしな。上がれよ」
自分が一国の主となったことを知らないわけでもないだろうに、何の気負いも無くは屋敷の中に導いた。
屋敷の中はやけに閑散としている。
奴婢や従僕といったものの姿がまず見られない。
以前は家鴨なども飼っていて大層喧騒な家だったように思う。
ぽつん、と灯る明かりがまた物寂しい。
何があったのだ?
「ちょっと待っててな。酒の準備をしてくるから」
孫堅を座卓に座らせると、はいそいそと灯明を持って台所の方へと向かおうとした。
「久しぶりに会ったんだ。…人にやらせるわけにはいかないのか?」
「ああ知らないんだな」
困ったように言うと、はほんの少しだけ上を向いた。思い出すように。
「俺が出てって三年目に、夜盗が家に来た。親父やお袋はそれでころりさ。俺が帰ってきたときには残っていたものも持ち去られてこんな状態だった」
よくある話だという。灯明の光の後ろで伸びるの影が揺れる。
「俺一人が住む分には困らないからな。今は雇ってない」
「そうか。それは、悪いことを聞いたな」
「いや、知らなかったんだから当然の疑問だろ」
それならば、この男はどうやって生活を工面しているのだろうと思った。
きっと元手が無いから以前のように商家としては生きてはいけないだろう。
ふらふらと外に出るにも資金が必要なはずだし、一体どうやって生きている?
つらつらとそんなことを考えているうちに、が菜と酒器を携えてやってきた。
貧しい状態だろうに、菜は思ったよりも遥かに豪勢だった。
「俺の手作りで悪いけど」
「いや。お前の手作りの上手さは俺が良く知っている」
「そうだっけ?」
「二人でぶらぶら歩いているときによく作ってくれただろう。あれを妻に作ってくれと頼んで閉口された」
「そいつはご愁傷様」
作り方は秘伝なんでね、と冗談めかすとは箸をつけはじめた。
普段は呆れるくらいに粗野なのに、食事を取る様だけは皇帝のように慎ましい。
背筋がピンと伸びているのが昔と全く変らないのでくすりと笑みを零せば、変な奴だと逆に笑われた。
旧交を充分に温め、今までの生活についてを話し合いながらふとまた自分の頭に疑問が浮かんできた。
は何故、自分が何の仕事で日銭を稼いでいるのかを具体的には言わないのだろう?
よくよく考えてみれば、その部分に関しては愕くべき鋭敏さで避け、ぼかしていた。
何か後ろ暗い所でもあるのだろうか。
「しかし、お前が一国の主になるとはね。お前の親父さんの話は当たってたわけだ」
「神と約束をしたという話なら、俺は与太だと思うがな」
孫堅の父親、孫鐘は若い頃非常に貧しく、瓜を植えて暮らしていたという。
あるとき、三人の少年が現れ、瓜を所望した。少年達の容姿は美しく、衣服は皆高貴な人が着るようなものであった。
孫鐘は少年達に瓜と食事を振る舞った。すると、少年達は去り際に返礼代わりに墓地を選んであげようと言った。
自らの子孫が世々代々諸侯になるのと、数代限りでも天子になるのとどちらがよいか。
孫鐘は答えた。数代限りでも天子が良い、と。そこで墓地を教えられ、後に老母が死んだ際にそこに葬った。
以降、その墓からは常に運気が立ち上っているという。
自分の父親が昔から廻りによく語って聞かせたことで、実際にそうなった今となっては本当なのかもしれないと少し思う。
傳国の玉璽を手に入れたときも、そうだった。運命とは不思議なものだ。
「お前も、来るか?俺の国に」
お前が居てくれれば百人力だ、と真面目に言ったのだがはヒラヒラと手を振るばかりでうんとは言わない。
「俺はそういう性を持つ人間じゃないよ」
あばら家で暮らすのがお似合いだ、と自嘲めいた口調で言うと嫌味じゃないぜと付け加えた。
湯を啜ると、一息ついて俺はね、と続ける。
脆く崩れかけた壁に映るの影がぶわっ、とざわめいた。
「運良く生き残っていた妹を可哀想だと言って殺し、執念のままに夜盗一味を一人一人潰していくような業の深い男なんだよ」
「例えそれが本当だとしても、俺は別に気にしないぞ。お前がしたことだ、それは正しかったんだろうし、今は乱世だ。仕方が無いさ」
言いながら背筋をなんともいえないものが駆けるのを感じた。
目の前にいる男は本当に自分の知っているあの友人なのだろうか?
親友とも思っていた、快活な笑顔の、冗談めかした、なのだろうか?
眩暈がする。
「お前は優しいんだな、相変わらず」
屈託の無い笑顔のはずなのに、それをどこか辛そうなものだと思ってしまうのは何故だろう。
意外にも細い、痩せた手がこちらの腕を一瞬掴んで離す。氷のように冷たい手だった。
「冷えたな。もう止すとしようか。…今夜はここに泊まって行くんだろう?安心しろよ、それくらいの準備はある」
立ち上がって什器を片す姿は別段変りの無いように思えるものだった。
そうさせてもらうよ、と答える自分の声が干からびたようなものだったのがおかしかった。
こうして枕を並べて眠るのも久しぶりだ。それは最後にあったときにはとうにやめていた習慣だったのでより懐かしいものだった。
幼い頃はよくこうして枕を並べて寝たものだった。それがそのうち大きくなって、得体の知れない化け物のように奥深い暗闇を抱えるようになってしまった。
因果なものだと思う。
は寝台に入るなり直に寝入ってしまった。まるで息をしていないかのようだったが触れれば仄かな体温を感じることが出来た。
ただ、手足が異様に冷たかった。話しに聞く幽鬼なのかもしれないという考えがチラと頭の片隅を横切る。
父親の話がそうであるように、今度も手の込んだ与太話のようであるような気がしてならない。
薄ひげが生えた頬を撫ぜれば、くぐもった抗議の声をあげる。
「なんだよ。人恋しいのか?」
その年にもなって、とあざ笑うようにがうっすらと目を開いた。
「子供もちゃっかり居るくせに」
「馬鹿いえ。そんなつもりじゃない」
「じゃあなんだよ?」
口の端が上がる。笑っているのだ。
「俺はそれでも良いんだけどな」
あっけにとられた。氷のように冷たい手がまた自分の手を掴む。
「いや、俺は別に」
「嘘だよ。お前があんまり可愛い反応をするからからかってみただけだ」
そのままぐいと寝台に寝転ばせられると、は額に小さく接吻を落しておやすみよ、と呟いた。
どうも完全にあちらの方が一枚上手のようだ。
思えば昔からそうだった。
全ては自分の杞憂だったのか。
あの冷たい手が自分を掴んだ瞬間_____自分は幽鬼に精を喰らい尽くされて死んでしまうのだと思った。
相手は生きているというのに。
「馬鹿だ」
りい、と蟋蟀が鳴いた。
知らぬ間に夜が明けたらしく、まぶしい光に目を射される感触で眼が覚めた。
酒が少し残っているのか頭が少々くらくらする。遠くから孫堅様ぁぁっ、と従者達の声がする。
どうも自分を探しているらしい。おかしなことだ。
ちゃんと昨夜でかけるまえにこう騒がないように言いつけておいたはずなのだが。
「おい、」
声をかけようと横を見たら、とうに起きたのかそこは蛻の殻だった。
仕方無しに服を身につけて部屋の外に出る。日光に照らされたせいか屋敷は昨日よりも酷く崩れているように見えた。
「ー。何処に行ったんだ?」
居間に行ってみたが、がらんとしていて人がいる気配さえも無かった。
代わりにがたがたとうるさい音を立てて扉が開く音がし、けたたましく人々が喚きながらこちらに向かってくるのがわかった。
「親父ぃぃっ!大丈夫か!」
「どうした、策。そんなに急いで」
筆頭で自分の元に駆けつけてきたのは、見れば自分の長男だった。
朝から少々暑苦しい。
「はー。なんでもなかったみてぇだな。ならいいけどよ」
「何でそんなに心配しているんだ?」
「だってさ、親父!親父が出かけた先のことを叔母上に聞いてみたら『へんねぇ、あそこは誰も住んでないけど』って言うんだずぇ!」
「ああ」
確かに、人が住んでいるようには見えない家だ。
第一家主のがふらふらとしているのだから周りに挨拶に行くことも無いだろうし、当然といえば当然だろう。
自分を心配してくれたのは嬉しいが、何も人の家で騒がなくても良いのに。
が聞いたらきっと苦笑するだろう。
そういえば何処に行ったのだろう、と首をかしげていると横から息子の親友である周瑜が口を挟んだ。
「それよりも殿、殿はとうにお亡くなりあそばされたと聞いたのですが」
「…亡くなった?」
「はい」
昨晩お会いになられると仰っていたのはこのお方で間違いありませんね、と周瑜が繰り返す。
亡くなった。
冗談のように聞こえた。
もう一度周瑜を見る。
冗談を言っているような顔ではなかった。
「親父、どうした?顔が青いずぇ」
「いや、なんでもない」
ああやっぱり。
彼は幽鬼だったのだ。
胸を突かれたような悲しみがひたひたと押し寄せてくる。
周瑜が淡々と話す。
夜盗を倒したものの、妹を手にかけたことで司直の手に追われ、三年前はこの家で自害して果てたのだという。
その墓は庭にあるのだ、と周瑜が先立って粗末な墓を見せてくれた。
鬼籍に入った人間なのか。
、と簡素に名が書かれた木の杭が昨晩のやせ細った姿を思わせる。
いつか会おう、と言って別れたはずなのに、結局会わずじまいになってしまたことを気にしていたのだろうか。
ひらひらと白い手が揺れる。少し上に上がった唇が、丸い猫のような目が次々に浮かび上がっては消える。
影が揺れる。火影のように。
「そうか」
亡くなったのだ、と今更のように納得した。
古びた扉を開け、通りに出れば、繁華街は昨晩よりも随分遠くに移動していた。
それも幽鬼のなせる業だったのだろうか。ふと、そろそろ見えなくなる頃合かと思って後ろを振り向く。
開け放しになってしまった扉に寄りかかるようにして細長い人影がひらひらとこちらに手を振っていた。
「…」
「親父?」
思わず呟いてしまった自分を不思議そうに息子が見る。
ぼけたのかと思ったのだろう。もう一度屋敷の方に目をやってみるが、もう人影は掻き消えていた。
「なんでもない」
「そうか?」
前に向き直ると、俺は安心させるように笑って見せた。
そうすると気のせいだったのか、と息子は納得したように静かになった。
氷のように冷たかった手を思い出しながら、来年のことに思いを馳せた。
来年もまた来よう。今度は誰にも騒がれないようにして。
だからまた出てきて欲しい。
いつか、きっと、また。
手を振ってくれたは、きっとそんな風に言ってくれたのだから。
不思議と悲しみはもう消えていた。
[終]
後書き>>
受け付けてから二ヶ月ほど経ってしまいましたが、一周年おめでとう御座います、紅無さん!
堅パパ夢ですが、本当に夢のようになってしまいました。(ありー)
浅茅が宿を下敷きにしつつも、タイトルは原話の中国の原題にしました。
季節外れの幽霊物として楽しんでいただければ幸いです。
紅無さん、一周年おめでとう御座います!