貴方だったらどうするだろう
貴方に何が出来るだろう
貴方のためになりたいのだ
どんなに言葉を尽くしたって、
結局全部、全部、自分の事しか考えてやしないけど。
漁色の夢/2
宮城から差して離れていない場所に、魏の将軍・楽進の邸はある。邸の主人の謙虚さを現したかのようにさして大きすぎではなく、派手ではなく素朴な造りであった。その邸の中の一角、恐らく普段は余り使われていない部屋に、今日は客人――が捕われているのだった。
「ああ、腹立たしい」
だん、と卓子を拳で叩くとは苛立を紛らわすことすらできずに歯噛みした。物音に驚いてか、扉の向こうで人が動く気配がする。護衛、もとい楽進の手下の兵こと見張り役だろう。文字通りとらわれの身になったはつらつらとこれまでのことを思い返した。
まずは昨日だ。話をしていたら流れで楽進に襲われて懇ろになってしまった。あの時に食べた夕飯はなかなか美味しかったというのに、今では記憶を掘り返すと楽進と過ごした濃密なひとときしか蘇ってこない。悲しいものだ。
次に今日、昨日約束を交わした男と粗雑な交わりをしている最中を楽進が邪魔した。そして、そのままどういうわけだか盛られまたもや交わってしまった。残念なことに、昨日と言い今日と言い、楽進の行為は優しく甘く心地良かった。ついでに言うことは残酷な程に甘く、愛しても居ないくせに愛していると囁き続けてくれたのだった。
「馬鹿な奴」
のこと等、蓼のように放っておけば良いのだ。好きなように放埒にしているのだからそれを咎めないで欲しかった。確かに、確かにの行いは虚しいことこの上ないのだけれども、それでもは良いと思っていた。愛し愛されることの辛さだなんて二度と考えたくはなかった。
楽進に男色の気がないことはも気付いていた。そして、自分のことをそういった意味で好いてはいないのだということに気付く程には聡かった。愛しているだなどとはもってのほかだ。
楽進は良い意味でも悪い意味でも、出会った当初から真っ直ぐな人間だった。だから、彼がを更生させようと思っても不思議ではない。ただ、やり方がの度肝を抜いただけだ。病的ですらあるとは思う。好いても居ない、愛しても居ない人間に行為だけ強いるのは理解できないし、毎日でも、という楽進の目は本気だった。は好き者だし、快楽の徒だ。とはいえ、毎日そういった行為に耽溺する程愚かでも若くもない。無理だ、と思う。多分行為の最中に死んでしまうだろう。
「殿、お待たせしました」
「文謙」
かたりと音がして扉が開いた、と思うといつも通りの爽やかな様子の楽進が入り込む。後ろ手できちんと鍵を閉めたことに気付き、は少しだけ顔を引きつらせた。
「思いの外仕事に手間取りましたが、全て取りはからいましたので、ご安心ください。ああ、そうそう、あの男ですが」
「うん」
「流石に殺すのは良くないと思いましたが、生まれて来たことを後悔させました。二度と貴方の側には寄り付かない筈です」
一体何をしたのだろう、とは楽進の様子から答えを導き出そうとしたが、特にこれという証拠は見当たらなかった。殺さなくて良かった、とは思う。流石に痴情の縺れで人死にが出たとなれば曹操の布いた法の名の下、だけでなく楽進も罰せられてうっかりすると死んでしまうかもしれなかった。
すい、と楽進が近寄って来ての手を取る。節を確かめるように触られたが、は弾き飛ばすことはしなかった。多分、今ならばまだ力での抵抗も出来るだろう。だが、は楽進の好きに任せておいた。
「ついでに、殿の休暇願を提出させていただきました。長らくお休みではなかったのですね。半月程、休んでも問題ないそうです」
「……半月とはまた、長いな」
「殿が満足していただけたならば、そう長くはありませんよ」
嫌になるくらいに爽やかな笑みを浮かべると、うやうやしくの手の甲に口付けを落とした。そこまでするのか、とは素直に驚き、そのまま唇に口付けられたことにも驚いた。どちらも羽のように軽やかで、行為の主のように爽やかだった。だから、は尚更この行為の無意味さが際立つように思われた。
「お前は何がしたいんだ、文謙。愛してるとか嘘はいいから、教えてくれ」
「……では、お言葉に甘えて言わせていただきます。私は、貴方に満足していただきたいです、殿。満足して、自信を持って、もう蓼とは誰にも言わせないでください。ふらふらせずにただ一人にその身を捧げてください」
「だから俺にお前を愛せと言いたいんだな」
「はい。私の出来ることならば、何でもしてさしあげたいので」
「お前は馬鹿だな。それは画餅だ」
吐いて捨てるように言うと、は楽進の頭を撫でた。ふわりと柔らかな犬の様な焦げ茶の毛の感触にしばし溺れる。全く犬の様な忠誠心をこの男は自分に捧げようとしているのだ。真っ当ではない。
「お前は正しい、文謙。俺は正しくないし、真っ当じゃない。けどな、満足することはないだろうし、元に戻ることも無い。何より、俺は満足したくないし、元に戻りたくもない」
「そんな、」
「蓼は蓼で居るのがお似合いだ。卑下してるんじゃないぜ、俺は事実を言っているまでだ。それにな、お前は何も好き好んで蓼虫になる必要も無い」
「駄目です」
「おい、」
言うなり楽進はを思い切り抱きしめた。途端、仄かに昨晩の行為や、昼間の行為が蘇っては顔を紅くした。楽進の顎が首筋に当たり、は女であれば良かったのに、とどうでも良いことを思った。自分が女であれば、少しはこの行為を正当化できる様な気がしたのだ。勿論、それは逃げでしかない。
「確かに私は貴方に嘘をつきました。貴方のことは大好きです、ですが愛してはいません。ただ、貴方に全てを捧げて、貴方に満足していただきたいのは本当です。殿」
狂っている、とは思いながら楽進の柔らかな口付けを受けた。この男はまっすぐであるというのに何故こんなにも歪んでしまっているのだろうか。自分が原因だとは思いたくはなかった。もしそうだとすれば随分と悲しいことのように思える。
「貴方が満足したくなる程、愛して差し上げます。郭嘉殿よりも、ずっと」
「やめろ」
その名を聞いただけでの胸に痛みが走った。今でも時折思い返してしまうかの愛しき人が蘇って涙が出そうになる。楽進は少し痛ましそうな顔をすると、の頬に口付けた。
「忘れてください、郭嘉殿のことは。私だけを思ってください」
「やめてくれ」
叫び声は口付けに吸い込まれ、はそれきり先のことは考えたくもなくなった。
なんて強情なのだろう。半ば苛立ちながら楽進はを苛んでいた。肉体的なの抵抗はない。が、先程のやり取りから伺わせるように精神的には全く聞く耳を持たないつもりであるらしかった。の鉄壁の精神は、普段の楽進を尊敬の念にからせるものであったが、今はただ余計な代物だった。
ひょっとすると、と楽進はの乳首を摘みながらその筋の張った首筋を舐めた。汗ばんでいるせいか、塩の味がする。自分のに更生して欲しいと願って奉仕したいという想いは自分勝手なものなのかもしれなかった。は空虚感を埋めるつもりも無いし、埋めたくもないと言う。だがそれでも楽進は埋めたかった。
汚しているのは自分も変わらないにも関わらず、楽進はがこれ以上苛まれる姿を見たくはなかった。あられもない声が次々との唇から漏れ出る。ただの中年男の掠れた声なのだと解っているのだが、不思議と楽進は自分が興奮して来るのを感じていた。上気した表情もたまらない。このような姿を他人も味わったのだ、と思うだけで憤りを感じた。
だが、少なくとも半月の間、は楽進の掌の上に居るのだった。脇腹を撫で、叢に手を這わせればが自然な仕草で足を開く。昨晩の暗がりと違い、全てが明るみに出た上での行為は新鮮だった。男性的なの姿に、楽進は自分が少しも萎えていないことに安堵した。寧ろ興奮は嫌が応にも増している。内股に自分がつけた後が残っているのを確認すると、楽進は痕が消えることを恐れるように再度噛み付いた。
「っ……なあ文謙、お前さ、どういうのが好きなんだ?」
「私がですか」
面白い問いだ、と思いながら楽進は本日二度目の侵入を果たした。適当にしか処理していなかっただけあり、の奥底にはまだ楽進が放った飛沫が残っている。ゆるゆると動かすだけで痼りを刺激するのか、はあられもない嬌声をあげては身を捩らせた。本当に、この人は卑猥だと思う。誰にでも味わわせて来たのか、と楽進は再び舌打ちした。
「そうですね、少しだけ、抵抗していただけると張り合いがあります」
「ふうん。乗られるのは好きか?」
「貴方がそれで満足するなら」
何だって良い、と言うとは面白くも無さそうに鼻を鳴らした。抵抗するのが良いと注文したが、どうやらは抵抗する気はないらしい。あるいは自分に飽きさせようとでも考えているのかもしれなかった。乱暴に揺さぶると、楽進はの顎を捕らえて無理矢理口付けた。舌を絡めると呼吸が苦しくなったが、それでも良かった。の目が蕩けている。直腸が締まる感触がたまらない。
身体は素直に自分に従っているというのに、は少しも折れていない。てっきり空虚感を埋める行為はこれでしかないと思っていたが、そうでもないようだった。愛することとはなんだろうか。郭嘉ならば何をしてやったのだろう。
「私だけを思ってください」
愛さなくても良い、と呟くとの顔が歪んで小さく口が動いた。ばか、と言っているらしい。自分がまだ宮城に入りたての頃のような柔和な笑みが広がっていた。途端、胸に暖かいものが広がり、何の予兆もなしに楽進は果てた。はまだ果てていないというのに、自分だけ先に満足してしまったことを楽進は恥ずかしく思った。
「すみません、貴方の中が気持ちよすぎて、つい」
「お前、本当に恥ずかしいことを言うのな」
汗ばんだ顔を更に上気させるに、楽進は再び自分が興奮するのを覚えた。普段女性に対してでさえも淡白な自分が、一日に三度目に及んでしまうというのは珍しかった。
「あ、や、何」
「……貴方は本当にいやらしい」
否、いやらしいのは自分も同じだ。少し顔が赤くなるものを覚えると、楽進は照れ隠しをするようにを抱きしめた。腕の中のはううともああともつかない音を立てている。こうしている限り、はけして逃げられないのだ、と楽進は安堵した。そうなのだ。たとえが更生せずとも、こうして手元に置いておけば道を外れることはない。いっそ、そうしてしまおうかと楽進は本気で考え込んだ。あるいはこの手で終わらせてしまえば、何も気にもまずとも済む。そんな残酷なことを考えていると、の腕が背中にゆっくりと廻され、抱きしめ返された。
「なーに悩んでるんだ、文謙。ちったあ反省してるかよ」
「いいえ、してません」
するつもりもありません、と言えば何が可笑しいのかはくつくつと笑って楽進の頭を撫でた。こうしての中に身体を埋めているとは思えない程のどかな仕草に、楽進はしばし仕官したばかりのことを思い出していた。入りたての頃は楽進の方が背も低く、何かある毎に褒められてはに優しく撫でられていたものである。今では滅多に触れ合う機会もなく、楽進は久々に嬉しく思った。
「お前さ、愛するってどういうことだか、解ってないだろ」
「解っていますよ」
流石の楽進も人を愛したことはあるし、女性と恋愛を楽しんだこともある。の問いは唐突で、楽進は続きを強請るようにの尖った耳を食んだ。
「解ってないね。愛するっていうのは努力してどうにかするものでもないし、ただの独占欲とも違うと、俺は思う。俺はね、悲しいんだよ文謙。お前は俺を愛してないし、俺もお前を愛してない。互いに好きではあるけれどさ。なのに、何だってこんなことしなくちゃいけないんだ?無意味だろ。気持ち良いのは事実だがな」
「……それでも、私は努力したい」
「わかったよ」
言うと、は面倒くさそうに目を細めた。どうやら行為に疲れて眠くなって来ているらしかった。再度耳を噛むと、楽進は今度は耳の孔の中にじゅるりと舌を滑らせた。昨夜も思ったことだが、は耳が弱いらしい。くすぐったそうに身をよじると、は目を開いて小さな喘ぎ声を漏らした。
「んんぅ……だ、だったら、さ……誰か一人、恋人でも作ってみるよ……ぁ、や、な、それでいいだろ……っ」
駄目だ、と即時に楽進の心が答えたが、すんでのところで口に出すのを止めた。それは矛盾した答えだった。楽進の目的がの更生だとするならば、が誰かを愛し、ただ一人に定めてふらふらとしなければけりがつくのである。多分、何時まで続くのかは解らないがも満足できるだろう。
だが、楽進は納得いかなかった。何より、の中に誰かが身を埋めることになることを想像するだけで嫌になってしまったのだ。この心地良さを知るのは金輪際自分だけで良いとすら思う。そういった意味で、確かに楽進はに対して強い独占欲を抱いていると言えた。身を離してゆるゆると動き始めると、の眠気が完全に飛んで艶やかな声が漏れ出る。この声も聞いていいのは自分だけなのだ、と楽進は強く確信した。
「それが、私だったら良いですよ」
「は、なん……だよ、それぇ」
「決めました。貴方はきっと一人に絞ることはできないでしょうから、私が決めます。殿は、私のものです」
「ちが、」
「私だけのものです」
更生しなくても、愛さなくてもそれで良いのだと楽進はとうとう自分の欲望を解放した。めちゃくちゃだ、とが叫ぶ。もっともな台詞に、楽進はごまかすような動きで封じ込め、の性器を擦り上げた。途端、の中で楽進が弾け、同時にが果てる。反射的にぎゅうと締まるの内壁に、楽進はどういようもなく興奮して来る自分を抑えきれなかった。
「良いんですよ、殿。どうせ貴方はここから出られないんですから」
「……馬鹿言え、俺の家人が探しに来るぜ。そうでなくたって、せいぜい半月だろう?家人だけじゃなくってさ、そのうち誰か不審に思い始めるに決まってる」
「いいえ。貴方が私のものになって、退官すればいいだけのことです」
「本気で言ってるのか?」
「ええ」
「嘘だろ」
信じたくない、とでも言うようには楽進が再び責めさいなむ様を見詰めて来た。多分、二重の意味で信じられないのだろう。楽進自身驚いていた。自分がこんな風に強引に誰かを追いやること等これまでなかったし、執着することもなかった。そして何よりも、こんなにも興奮する相手とであったこともなかった。何故、今までに気にも留めなかったのか、今では不思議な程だ。
ずっと、楽進はのことを尊敬と崇拝と慈愛の目で見て来た。だが今となってはそれも本当なのか疑わしかった。が郭嘉と仲睦まじかった姿を見たあの日、苛立たしくはなかったろうか。と朋輩が笑って仕事をしていた瞬間、自分もそこに入り込みたいと、否割り込みたいと思わなかったろうか。まだ勃ち上がったばかりの自分自身を抜くと、が安堵の声を漏らす。何も気付いていないで、と笑って楽進は丁寧な仕草でを裏返した。の顔は見えないが、この方が相手に負担をかけないのだということは知っていた。自分が放ったもので汚れたの尻を拡げると、再び侵入し、楽進はたまらないとの背中に口付けた。もっと前から知っていれば良かったと心の底から楽進は後悔した。
何かがおかしかった。と見知らぬ男との異様な光景を目にした翌日、李典は楽進の雰囲気が変わったことに気付いた。どこか満足しているようで、腑に落ちなさを感じている様な中途半端な様子だ。普段の彼ならば清廉潔白を絵に描いたかの様な清々しさを周囲に振りまくのだが、どうやら悶々とした悩みでも抱えているらしい。李典はこの朋輩を友人とも思っていたから、悩みを聞くにはやぶさかではなかった。
昼餉を食べがてら外に誘うと、食には人一倍欲望をぶつける――とはいえ、魏が誇る大食漢の許チョには劣るが――楽進とは思えぬ程に店選びすら楽しそうではなかった。本格的に何かが気にかかって仕方がないらしい、と見て取ると、李典はたまにはと南越料理が食べられる店を選んだ。南国を感じさせる店内には、珊瑚や海星、巨大な貝等、ここ許昌では見られぬ海の土産が飾られている。本当は芭蕉も植えたのだが寒さにやられてしまったと言うのは拘りを持つ店主の談だ。
注文した米粉(フォー)は、小麦ではない麺は許昌では珍しい。所謂北麦南稲というもので、北方では良く育つ麦を主食とするから、饅頭、餃子、刀削麺や魚麺など粉ものが主流である。透明な鶏を出汁にした湯(スープ)にまず口をつけると、李典は徐に何かあったのか、と日常会話を切り出した。
「……矢張り、何かあるように見えますか」
「まあねえ。俺が言うのもなんだが、楽進殿は自分で思っているよりも人に解りやすい性格をしているからな。で、何があったんだい」
「笑わないで聞いてください。……私は、人生で今最も破廉恥なことをしているんです」
「はぁ、破廉恥ねぇ。到底そうは見えないが」
言うに事欠いて破廉恥とは何だろうか、と李典は面白く思いながら聞いた。楽進と破廉恥とは全くもって似つかわしくなく、初々しさすら感じさせてしまう。破廉恥というからには閨のことなのだろうと思うが、相手は誰なのか見当もつかなかった。何せ、楽進という男は娼妓にも手を出さない程潔白な男なのである。勿論、素人の女性との恋愛劇を演じたことはあるのだが、破廉恥という言葉はそれとも結びつき難かった。破廉恥という言葉は、多分昨日見てしまったが相応しいだろう。
「破廉恥です。あ、いえ、確かに交合はしてしまったのですが、それ以前に私は愛してもいない人を相手にしてしまいました」
「愛してもいないことのどこが悪いんだ?素人だったのか」
「素人……ううん、玄人でもないのですが、素人とも言えませんね」
曖昧な返事に、遊び人が相手だろうかと李典はくるくると頭を回転させた。思い浮かぶのは妖艶な美女と、何故だかだった。ああいう漁色家の女性に出会えるものならば出会ってみたいと不謹慎にも李典は思う。だが楽進にしてみればそれは一大事であるらしかった。
「それで、相手は今どうしてるんだ」
「私の家に居ます。閉じ込めてきました」
「閉じ込める、って、おい、どういう状況だよ。物騒だな」
「私のものにしたかったので。その必要があるならば仕方ないと思いました」
さも当たり前のように言うと、楽進は薄い卵焼きでくるまれた野菜炒め(バインセオ)を咀嚼した。愛してもいないというのに自分のものにしたいとは、楽進にとって、相手は余程価値があるらしい。なかなか興味がひかれることではあったし、楽進の立場ならばできないことではないのだろうが、李典は素直に相手を気の毒に思った。強者が欲望のままに生きるこの戦乱の世だが、力なき者が虐げられる構造は李典の気に召さなかった。
「楽進殿は相手を愛してないと言ったが、相手はどうなんだ。まさか相手も遊びのつもりなだけだったって訳じゃあないだろう」
「遊びではありませんよ。その、私が無理強いをしただけです。……矢張り、いけないのでしょうね。あの方は私を愛してないし、愛するつもりもないと仰っていましたし」
どうやら相手は楽進よりも身分が高いらしい。と、なると相手は限られて来る上に問題だった。身分ある人間で遊び人等そう聞いたことはない。少し恋愛遊戯に長けた人間が居るくらいだろう。いずれにせよ問題なのは、相手を強姦した上に監禁しているという一事に尽きる。
「いけない、っていうか人として駄目だろう。可哀想だし、露見したら問題だぞ。曹操殿に知られる前に解放してやるのが良いと思うがね」
「駄目です。そんなことをしたら、あの方は二度と私の元には戻っていただけない」
だから手を打たねばならないのだ、と楽進は険しい表情で箸をぶすりと菜に刺した。まるで敵をしとめる時のような殺気に李典は背中を冷たいものが走った。明らかに間違った方向ではあるが、楽進は本気であるらしい。
「多分、あの方に私を愛していただければ心配せずとも良いと思うんです。私も、あの方を愛する努力が必要でしょうが。……李典殿、私はおかしいのでしょうか」
「いや、俺からすればお前は十分相手を愛しているとも思えるがな。何れにしたって、同意もしないで監禁するのは問題だぞ。早いところ出してやれよ。愛する愛さないの前に、相手がお前を嫌う方が早いと思うぜ」
「嫌われる、のですか」
「ああ。俺なら嫌うね」
少しきつい台詞だったろうか、と思いながらも李典は敢えて悠々と構えて返した。
「相手は誰なんだ」
「……殿です」
「殿だと」
聞き間違えだろうかと李典は我が耳を疑った。ついで、今朝方聞いた話を思い出した。何でも、あのが半月も休みをとったのだという。勿論休みをとること自体は悪いことではないのだが、出会いを求めてふらつくがそんなことをするはずもない。余程の相手に巡り会えたのだろうというのが話し手の締めくくりだった。その、出会った相手というのが楽進ということなのか。
「そいつはまた変わった話……と、そういう問題じゃあないな。誰にしたって監禁は駄目だろ。出してやれよ。どうしても離したくない程好きなんだったら、正々堂々真っ向から勝負すれば良い」
「確かに、私は殿が大好きです。離したくも、離れたくもありません。先程から申し上げている通り、あの方は私が解放したならば二度と戻ってこないでしょう。だから駄目です」
見知らぬ男と話しているかの様な心地になりながら、李典は麺を啜った。香菜が効いていて美味しい。李典にしてみれば、等どうでもいい存在はあったが、人として楽進を諌める必要はあった。だが、どうにも楽進は頑として譲らない。こうとなれば、張遼辺りに力添えをしてもらおう、と心に決めると、李典は穏やかに、のどこが好きなのだ、と世間話を続けることにした。
「私が仕官したばかりの頃は、右も左も解らず、背もまだ低かった。そんな私を導いてくださり、他の方から守ってくださったのが殿だったんです。あの頃の殿は、中級の文官を統率するきりりとした格好良い方でした」
「へえ。そいつは初耳だな」
今では人望も地に落ちたも同然だ。本人のことを直接知る訳でもなしに思うと、李典は続きを促した。
「私は、あの頃の殿が一番好きです。ですが、それと同じくらい、今の殿も好きですね。こういうことを言うのは恥ずかしいのですが……あの方は不埒で、その、もの凄く気持ち良いものですから」
「そ、そうかい」
結局は身体なのか、とずり落ちそうになるのを抑えて李典は暫しの痴態を想像した。誘われた時には断ってしまったのだが、今では少し惜しく思われる。そんな李典の気持ちを読み取ったのか、楽進は表情を険しくして、私のものです、と宣言した。
「まだ心までは私のものではありませんが、少なくとも物理的には私のものです」
「合意なしの癖に」
「他の人に盗られるよりは余程ましです――と、言うよりも他の人へ殿が言い寄るよりもましです」
「お前、本当に殿のことを信用してないんだな」
「蓼に這いよる虫は私だけではありませんからね」
「ふうん」
確かにそれは事実だった。ふと、李典は郭嘉のことを思い出した。驚くべきことではあるが、あの二人は付き合っていたことがある。それはそれはが幸せそうで、ただ郭嘉の掌の上で転がされているだけであるのに、と憐憫の情がわいたものだ。当時は確かにまだ、は漁色家として名を馳せては居なかったように記憶している。ひょっとすると、郭嘉との恋に破れた反動かもしれなかったが、李典はとんと興味がなかった。
「わかった。百歩譲って、お前が殿を囲い込むってのは認める。けどな、強姦はやめた方が良いぜ」
わかった、と矢張りこちらも百歩譲ったように楽進が頷く。その言葉を信じるしかなくて、李典は首を振った。今まで気にもとめてこなかったが哀れで仕方なかった。
〆.
後書き>>
そんな貴方はヤンデレ候補。と、言う訳でぷっつん来てとち狂っている楽進を書きました。そして、間違っていることを間違っていると言ってくれる人が居て欲しいと思って李典に頑張ってもらってます。ところで楽進は曹操と張遼と李典以外に触れ合いが無さそうなんだけど、どういう設定なんだろうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!