DREAM NOVEL
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貴方に思いが届く様に、


七里香


 昼日中、宮城の人気の少ない一室の奥から楽しげな男女の声が響く。部屋の前で一瞬足を止めた男は顔を顰めると、うんざりしたような溜息をついて踵を返した。誰が自分の恋人が堂々と浮気をしている様を眺めたいと思うだろう。

 男______はこともあろうに室内で戯れる男女の内、男である馬超と関係を持っていた。否、今となってはそれが何と言う関係なのか当人にすらよく解らぬものとなっている。ことの発端はの一方的な求愛だったのだし、それに対し折れる様に承諾した馬超の浮気は今に至るまで数多である。少し頭が回るのならば考えることは簡単で、恐らく自分のしつこさにとりあえず頷いておき、体の良い厄介払いをしたに過ぎないということなのだった。

 現にはそれとなしに仄めかしたことはあるものの、馬超に面と向かって詰ったことは一度としてなかった。実際、男ならば女に惹かれるのは自然なことだろう。ましてやあの錦馬超なのである。

「莫迦だな」

結末等解っていたにもかかわらず、何故ああも執拗に頼み込んだのか、今となっては自分の滑稽さに笑うとは前方より駆けて来た青年に手を振った。

「ああ、殿!兄上を見かけませんでしたか?全く、兄上と来たらまた執務を放置して出かけてしまって」
「いや、残念だが俺は見かけてないな。東棟の方にでも居るんじゃないのか?」

我ながら白々しい嘘をついたものだと思い乍ら、はにこやかに馬岱に返した。従兄弟デ有る馬超に良く似たこの青年は、見た目以外は何一つ似ておらず酷く真面目である。いっそ自分は彼に恋したのならばどれ程ましだったろう、と考えては顔を顰めた。

 そんなことで理由がついてしまうのならば、それは恋ではなくまた違ったものなのだろう。打算から始まるものもあるが、確かに他の誰かに感じたものとは異なるものであることをは予感していた。

殿。その、さしでがましいようなのですが」
「珍しいな。改まってなんだい」
「______殿と兄上は上手く行っていらっしゃるのですか?その、兄上はあの通りの方ですし」
「ふ」

率直な物言いに笑うと、は成る程他人の目から見ても自分達は関係など無いかの様なのだと得心した。笑ったことが不思議だったのだろう、馬岱が不安気な目を向ける。慌てて笑みを消すと、は面持ちを改めて返答した。

「構わないさ。もう終わるからな」
「それは、どういう_______まさか」
「今度孟起に会ったら伝えておいてくれないか。話したいことがある、と」
「……本気なのですか?」
「お前にも迷惑をかけて悪かったな。ま、そういうことだ」

努めて明るく述べれば、不安に満ちた馬岱の表情が益々曇る。こうした言づてを頼まれるというのは中々重いというものだろう。告白するまでも随分と迷惑をかけた彼に申し訳なく思い乍ら、は自分から足を動かして遠ざかった。まるで余計なものを全て落としてしまったかの様に静かな廊下が心地良かった。




 話というのは存外速く相手の耳に届いた様で、が目当ての人物と会うことが出来たのはその翌日のことだった。互いに休みであったこともあり、久方振りに馬で遠乗りに繰り出す様はさながら仲睦まじいかの様ではさながら幻の様だと心の中で呟いた。

 小高い丘で馬を下りると、澄み切った青に地の緑が映えてこの上ない美しさを呈している。こんな話をするためでなかったらどんなにか楽しめたことだろう。馬の首を優しく撫でると、は意を決した様に馬超の方を向いた。

「話なんだが」
「ああ。からわざわざ岱に言づてさせるとは珍しいな。何かあったのか?」

しれっと答える馬超に、は彼にとって浮気の逢瀬等物の数に入らないのだと苦笑した。そう考えるならば尚更だろう。何かあったのではなく、自分達の間には何もなさすぎたのだ。

「_______お前と別れる。今まで、付き合ってくれて有り難うな」
「急に何の話だ?、自分が何を言っているのか解っているのか?」
「解っているよ。ああ、外聞が悪いだろうからお前が俺を振ったことにしてくれて構わない。その方が周りも納得するだろうしな」

大分混乱しているらしく、馬超の瞳がおよおよと泳いでは、の目とかち合って逃げる。ひょっとしたらばちょっとした自責の念の様なものが芽生えているのかもしれなかった。だがそれが何だと言うのだろう。数多の女に比べ、自分が求められたのは本の僅かな時間に過ぎない。必要とされていなかったのだ、とは自嘲し乍ら言葉を続けた。

「昔のことをとやかく言うつもりは無い。俺もお前に散々迷惑をかけたと思っているからな。_______話は以上だ。承諾してもらえるか」
「随分自分勝手な話だな。俺に惚れてるんじゃないのか?」
「もうそんな気持ちも無くなったよ」

振られるというかつてない一事が嫌なのだろう。自負をひけらかす馬超には素知らぬ体で嘘をついた。愛したことをどうして忘れられるだろう。愛されたことは無かったかもしれないが、それでも自分が焦がれていたものなのだ。

「承諾してくれ、孟起」
「他に好きな奴でもできたのか」
「止せよ」

腕を掴まれ、振り払おうとしたものの逆に強く締め付けられは顔を顰めた。平素と異なり、柔らかな平服の上からなので恐らく痣になってしまうだろう。それ以上に、力の加減が出来ていないのか馬超の指先が白くなっていることが気にかかって、は優しく自分の手を重ねた。

「孟起、止せ。お前の指が駄目になる」
「そうやって逃げるのか?させるか」
「逃げるかよ」

言い返してみれば、何時になく酷く余裕の無い馬超の顔がそこにあった。彼を好きだという女官達が見たらばなんと言うだろうか。考えておかしくなり、はくすりと笑った。

「何がおかしい」
「いや、おかしいのはお前だよ、孟起。何で承諾しないんだ?俺より女の方が好きな癖にさ」

否、本当は自分のこと等欠片も好きではないのだということをは承知していた。実際、馬超が自分に好意を告げたことは一度としてないし、数少ない行為も実に淡白なものだった。別段言葉が欲しいと言う程は女々しくは無かったが、それでも何も無いというのは暗に事実を示されている様な気がして不安に感じられていた。

 さっさとそんな自分と別れて、いくらでも可愛い美人な嫁をもらえば良いのだ。そうすればだって踏ん切りがつくし、馬超は余程幸せというものだろう。五虎将の子孫が出来れば国家とて安泰である。良いこと尽くしの話に割って入ったのが自分だったのだから、この結末も致し方ないとは諦めていた。

「お前だって、俺を責めなかったろう」

ぽつり、と漏らすと馬超はぐいとを抱き締めた。抱き締められるということももう随分久しかったことだったので、咄嗟に反応出来ずには舌打ちした。無意味であるにもかかわらず、こんなことですら幸せを感じてしまう自分が嫌で仕方が無かった。耳元で馬超の少し低めの声が響く。

「確かに言わなかったのは悪かったがな________俺だって付き合う様になってからは一度も聞いてないぞ」
「……普通、浮気は責められなかったからと言って繰り返すものじゃないと思うんだがな」

意外な返答に窮したものの、何とか答えを絞り出しては身を捩った。耳元で囁かれてしまうとどうにも習慣づいてしまったのか、ともすれば腰が砕けそうになるのである。だがそれを馬超が許す筈も無く、益々強く抱き締められて却って傍近くに寄せられることとなった。

「不安だったんだ」

ぺろりとの耳を舐めると、馬超は温もりを確かめる様に首筋に顔を埋めた。それからぽつぽつと語り始めた内容によれば、要するに付き合い始めてから消極的になったに不安を覚えての行為だったのだ、ということであるらしかった。確かにそれはその通りで、何しろはなから拒絶されていた自分が受け入れられた経緯に負い目を持ったはそれきり相手の負担になるような真似は止そうと自重していたのである。

 自分ばかりが溺れるのではないだろうか。そう考えた結果が余計に拍車をかけ、そのままとの中も疎遠になることになったのだ、と言うと馬超は小さく謝罪の言葉を繰り返した。

「すまない。すまなかった、。だから、惚れてないなんて嘘だと言ってくれ」
「孟起、」
「愛してるんだ」

ぽろりと零すと馬超は懇願する様に同じ言葉を繰り返した。付き合い始めてこの方言われたことの無い言葉に戸惑いを隠せず、思わず頬を染めるとは馬超の頭を叩いた。

「あ痛っ」
「人に話させようってんなら、ちょいと離れろよ。まともに答えられなくなるだろ」

立てなくなりそうだ、と暗に言うと漸く気づいた様に馬超が身体を離す。最もまだ逃げるか疑っているらしく、手指を確りとこちらに絡めてきた。それは先程と異なり嫌なものではなかったから、も好きにさせると空いた片手で馬超の柔らかな銀髪を撫でた。

「全く、色男が台無しだぜ。錦馬超なんだろう?しゃんとしろよ」
「しゃんとしなければ嫌なのか?」
「莫迦」

言っては本当に莫迦だと笑った。この貴公子が、なりふり構わず自分のことを愛することを自分が本気で考えたことなどあったろうか。何よりもそれを求めていたにもかかわらず、得られないとハナから諦めて、結局逃げようとした自分がおかしくてたまらなかった。

「さっきのは嘘だよ。好きだ」
「……本当か?」
「本当だよ。まあ、お前が浮気をしなければの話だけどな」
「しない。約束する」

真顔で言うと、馬超はそっと絡めた手指に口付けを落とした。ひどく優しい仕草に、は照れくささを隠す様に明後日の方向を見遣った。天の蒼はどこまでも広がり、目に痛い程であだった。風に乗って流れる香りは沈丁花だろう、七里先まで香ると言うこの香りがは好きだった。

「……だから別れるだなんて、もう言わないでくれ」
「言わない」

約束する、とは言わない自分の狡さに苦笑すると、出来うることならばもう二度と互いの口からその言葉が無ければ良いと思い乍ら、は誤摩化す様に馬超の頬に口づけを落とした。

〆.

後書き>>
 いきなりですが、浮気攻めが好きです。非情になりきれなかったのは私自身がヘタレだからですが、やっぱり馬超がヘタレ、に……!ついでに狡い大人も好きで、そんな普段からの考えを合わせた結果、こんな感じに仕上がりました。これは甘い、のか……?

最後まで読んでくださり、有り難う御座居ました!