DREAM NOVEL
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君は時々僕の知らない誰かになる。


月の裏側


 が帰ってきたという知らせを聞いて凌統は浮き立つ気持ちを抑えきれずにそのままの屋敷へと向かった。
折りしも丁度は宮城での報告を終えて自分の屋敷に帰ってきたところで、侍従達にてきぱきと指示を下していた。

「呂蒙殿への報告書をこれへ。…ああ、登輝、頼む。彩萌は?すまないが、酒をニ斗ほど買ってきて欲しい。十五年物を頼むよ…」
様。凌統様がいらっしゃいました」
「公績が?そうか。南の部屋に通しておいてくれ」

は疲れたように首を振ると、正装のままであるのに気付いて急いで普段着に着替えた。




 いつもの通りに南の木蓮の花が咲く中庭の見える部屋に通され、凌統は出された茶と菓子を摘みながらを待った。
が北西の辺境地域の視察に出かけたということはが出てから三日後に甘寧によって知らされた。

「え?嘘だろ。だっては何処にも管轄区域が無いんじゃなかったか?」

錬兵場で横で汗を拭いている甘寧にそのことを告げられて凌統は最初半信半疑だった。

「いや俺も知らなかったんだけどよ、何でも呂蒙のおっさんが言うには周瑜殿の特命でちょくちょく探りを入れにいってるんだってさ」
「…でもそれって普通、将軍やってる人間がやることじゃないだろ」
「だよなあ。俺はよくわかんないけどよ」

馬鹿だからな、と凌統は影で五十歩百歩のおつむと言われているのも知らずに心の中で突っ込んだ。
いずれにせよが居なければ始まらない。甘寧や陸遜、呂蒙といったほかの面子に不満が在るわけではないがやはりどこか寂しかった。
だからが帰ってきたという知らせはそれこそ一日千秋の思いで待ちわびていたものだったのだ。

「待たせたようだな。悪い、公績」
「良いって良いって!それよか俺の方こそ押しかけてごめんな。任務から帰ってきたばっかで疲れてるだろ?」
「あ?ああ。そうだな」

やはり疲れているのかの反応はどこか物憂げだった。
北西の辺境区域なぞ凌統は行ったことがないので解らないが、恐らくそこで苦労をしたのだろうと結論付けた。

「そんなにひどかったのか?辺境区域って」
「………いや、そうでもなかったよ。灌漑設備も充分だったし、当分問題は無いだろう」

は一瞬だけ、辺境区域と聞いた瞬間何だそれはというように眉を上げた。
凌統はおやと思ったが少しの間を空けて答えられたその答えに納得をするように頷いて見せた。

木蓮の花びらが、はらりと落ちた。




 は頭の隅から離れて消えない馬超の残像を思い浮かべていた。
良い武将だった。良い人間であり、もし自分が敵対などしていなければ迷うことなく友となっていたことだろう。
が、実際には敵であり、戦場で会えば切り結ぶ仲である。ましてやは偵察などをしていたため、馬超から見れば尚更胡散臭い人間となってしまうに違いない。
どこかそれが悲しかった。

待っている

その一言が辛い。
あの眩しい笑顔を思い浮かべれば浮かべるほどに申し訳なさとなんともいえない気持ちがこみ上げてくる。
周瑜にはそのようなことは一切漏らさず、ただ蜀が現在国境付近の警備を厳重にしていることや富国強兵路線であること、近年四川盆地で豊作が続いていることを報告した。
そうか、と周瑜は言った。当方も暫くは内政を重視するつもりなので丁度良かった、と。

つまり当分戦場で馬超に会う機会は無いということだ。
残念に思う反面ほっとする気持ちもあっては複雑だった。

そんなことをぐるぐると考えている。
当然のように凌統の言っていることは半分ほどしか聞こえていない。
大事な親友に対してそれは不実な態度だとはわかっているのだが思考をとめることが出来ないのだった。

!」

ばん、と卓が叩かれてはびくりと凌統を見た。
茶が少しこぼれている。叩かれた拍子に茶が飛び散ったのだろう。

「大丈夫か?本当に、疲れてるんだったら横になって良いんだぜ?俺はこれで帰るから」
「いや、悪い。別に疲れているわけでもないんだがな」
「じゃあどうして上の空なんだよ?」
「……少し、思い出してな」

その瞬間に苦悶とも焦燥ともつかない奇妙な表情がの顔を覆ったことに、凌統は少なからず衝撃を受けていた。
それを何と呼ぶのか何故だかぱっとわかってしまったのだ。

知らない。

こんな表情をするは知らない。
北西の辺境の地で彼の身に何が起こったのだろう?

何を乞うているのだ。
何に焦がれているのだ。

……誰に、恋をしている?

にそれを素直に伝えたのならば、それは違うと即座に返されたことだろう。
馬超に対する思いは全く違うものだ。確かに強い憧憬に裏打ちされたものだろうとは思っているが。
それは恋ではない。密度の濃い友情だ。

しかしそれを恋だと判断した凌統は嫌味が口をついて出るのを止められなかった。

「へぇ。俺と離れているうちに随分面白い思いをしたんだね」
「面白い?…まあ、そうかもしれないな」

素直にそれを受け取ったが頷けばそれが凌統の神経を逆なでするのは言うまでも無くて。

「俺なんかよりよっぽどそいつの方が良いんだ?」
「…何言ってるんだ?公績。それは一体どういう」
「もういい。帰る」
「公績!」

が止めるのも聞かずに凌統はそのまま部屋を飛び出して待たせてあった馬に乗って駈けた。
当然のように事情のわからないは首を傾げるばかりだ。

「なんだありゃ。拗ねたのか?」

確かに自分の態度は悪かったが、とは首を捻ると気を取り直して屋敷の指示を再開した。
爾来、は少々他人の気持ちというものに在る意味で鈍い点が在る。
その上極めつけの楽天家でもあるので数刻もすれば忘れてしまう。
因果な性分だった。




 凌統は往来を駈けて駈けて、自分の屋敷には帰らずに草地を走った。
我知らず叫びだしてしまいそうで恐ろしかった。

『俺だ!俺の方がそいつなんかよりも、よっぽど良いに決まってる!』

そんな子供っぽい主張を叫びたくて仕方が無い事実が凌統を余程傷つけた。
自分は何を考えているのだろう。
はきっと訳がわからなかったに違いない。

長年の付き合いでが嫌味を理解していなかったことは明白だった。
しかしそれを理解していても心のどこかが違う、と異議を唱えていた。

「一体どうしちまったんだよ、俺…」

まるでそれでは自分が恋をしているようではないか。

に。
恋を、
恋をしているようではないか。

凌統は天を見上げると、わあわあと恥ずかしげも無く意味不明な言葉を叫んだ。
意味のある言いたい言葉を言うよりも、それは余程恥ずかしくないことだった。

は親友だ。
周瑜殿の命令で見せる俺の知らない一面があって、
その先で出会った誰かに見せる俺の知らない一面があって、

俺の目の前で上の空で居るような知らない誰かであって。

あれは別人だ、なんかじゃないと言ってしまえれば余程楽だった。
しかしそんなことは無いことは知っている。堂々巡りだ。

ただどうしようもなく、自分はおかしくなっている、と凌統は呟いた。




[続?]

後書き>>
・そろそろ寄せていこうか、というわけで馬超夢の続き辺りを書きました。
まだまだ友人路線めいた方向ではあるのですが一歩前進というわけで。
タイトルは月は何時も地球に一面しか見せないことから。

最後まで読んでくださり、有難う御座いました!