何故、我々は我々であるのか。
月を乞う手
呉の宮城は他国からの使者をもてなすためにこれ以上ないほどあわただしかった。
見苦しく無い様に、しかし美しく宮城を磨き、飾り立てる。菓子や酒、各種の料理が作られる。
仕官する人々全ての服装も改められ、普段だらしのない格好をしていることの多いも命令によって鎧を着込むこととなった。
「重い」
「我慢しろって。お前は普段から軽装過ぎるんだよ」
汗を垂らしながらが同じく着慣れない官服を着込んだ甘寧を見れば、早くも腰の紐が解けかかっている。
人のことを言えた義理ではないだろうと思いながらも黙って結んでやれば、子供のように有難うという。
「お前の方が普段は俺よりも軽装だろう」
「そうか?」
上半身裸の人間にそうか?も何も無いと思いながらはため息をついて長棍の先に頤を乗せた。
「で、何で俺は官服じゃないんだ」
「さあ?服については姫さんが決めたらしいぜ、一説によりゃあ」
「ふうん」
大体それで察しがついた。恐らく全ては上司の一人娘である孫尚香の『この方が面白そう』という基準で選び出されたに違いない。
全くかき回すことが好きなお方だ、とは再びため息を漏らした。
と、二人が着慣れぬ格好で壁に寄りかかっている様を見つけたらしく、一人の女官がいそいそとこちらに小走りに寄ってきた。
何かやらかしただろうかと二人が怪訝な表情をすれば、の馴染みの女官・燕玉その人であった。
「やあ。まだ何もしてないと思うんだが。なあ興覇?」
「だよな、」
「違いますわよ、全く。将軍、周都督がお呼びですわよ」
「周瑜殿が?」
意外な名前を耳にしてはぴん、と片眉を上げた。
「何でまた」
「知りませんわよ。それと、陸遜様が先ほど書簡を持って甘将軍をお探しでしたけど」
「げ、やべっ。そういえば提出書簡があるって言われてたような気が……」
さあっと顔を青くすると、甘寧は一目散にその場を駆け出した。
大方陸遜にお仕置きをされる前にどうにかしようという腹積もりだろう。
燕玉に廊下を走らないようにと注意されたのも耳に入らないようだった。
「まあ、ともかく。教えてくれて有難うな、燕玉」
「いいえ。これも仕事ですから」
優雅に微笑むと燕玉は足音も立てずに廊下を去っていく。
やはり並ではないと思いながらも長棍を携えて周瑜の執務室へと向かった。
馨しい臭いがするのでなんだろうかと思えば周瑜の部屋でさかんに香をたいているせいのようだった。
大勢の女官達がここでもあわただしく作業をしている。大半は周瑜婦人・小喬によって派遣されてきたらしく、揃いの服を着ているのが華麗だった。
が遠慮がちに扉を開けると、筆を運んでいたのを止めて周瑜はそっと人払いを申し付けた。
また偵察か何かの任務なのだろうか、とが訝りながらも勧められるままに椅子に座れば、開口一等、暫く謹慎しろとの仰せだった。
「へ?」
あまりのことに目を点にして問い返せば、正確には、と周瑜がゆっくりと諭すように続ける。
「暫く病気療養ということにしてもらいたい」
「何故です?俺が何かへまでもしましたか?」
「困惑するのは当然だろうと思う。しかし、これを見てみれば殿もわかるだろう」
ぱらりと周瑜が見せたのは、今度の他国からやってくる使者の名を記した絹の巻物だった。
ずらずらと蜀の重鎮達の名が並ぶ。今回の訪問は孫尚香の嫁入りについての打ち合わせのようなものらしいから、それも無理ないだろう。
同時に護衛のためか将軍達の名が並ぶ。
それをずっと目で追っていき、はある一点で納得したという顔になった。
「馬超殿、か」
「そうだ。先日の潜入調査の際、接触を持ったと報告してくれたため、今回は万が一のことを考えて顔を会わせないほうが良いだろう」
「わかりました」
元々は聞き訳が良い。正確には飲み込みが早い。だから一にも二にもなく頷いた。
こんなにも早く出会う機会がめぐって来ようとは思いも寄らなかったけれども、こうなったならば致し方ない。
それに今回は孫尚香の嫁入りを決める重要なものなのだ。相手に不信感を持たせるわけにはいかないだろう。
「それじゃあ一ヶ月ほど、西の辺境地域にでも引っ込んでますよ」
「すまないな」
「いえ。ちょっとした休暇だと思えば大したもんじゃありません」
それに鎧も重いし、と茶化して見せるとは女官が茶を持ってくるのも待たずに部屋を出た。
宮城を出る際に、出入りの商人たちに混じって凌統の姿が見えた。
は手を振ったが、凌統はこちらを見たにも拘らずすぐにそっぽを向いてしまった。
先日夕食に誘ったりもしたのだが、それも皆悉く断られている。どういうわけだか嫌われてしまったようだ。
甘寧などに言わせれば、そういうものではないのではということだが事実は事実だろう。
は苦笑すると、鎧を脱いで軽くなった体に喜びながら風のように自分の屋敷に向けて直走った。
「公覇、公覇」
屋敷に着くなり従兄弟の元昊を呼びつけると、は事のあらましを語った。
は自分の家でも任務については滅多に話さないので、元昊は寝耳に水という表情だった。
「と、いうわけでま、暫く休みってことになった。仕度を頼む」
「ご健康なのに病気療養をせねばならぬとは……ややこしいものですね」
人は難しい、と言うと元昊はため息をついて皆々に指令を下した。
何かと行動の早いのがこの家の特徴でもあるので、恐らく明日には旅立てるだろうとは満足げにそれを眺めた。
凌統は宮城に入って直、が急病に倒れて暫く病気療養のため辺境地域に行くという話を甘寧から聞いた。
そんなわけがない。何故なら先ほど凌統はこの目でしかとが手を振ってくる姿を見たのだから。
あんなにも元気そうなのにも拘らずどうしてそんなことに。理解が出来なかった。
「俺も妙だとは思うんだけどよ……まあ、もしかしたら何か秘密の計略か何かを任されたのかもしれねぇしな」
「計略ねぇ」
それを聞くと、何故か先日の辺境地域へが視察をしに行ったことを思い出した。
物憂げな、自分の話も上の空で、誰かに恋焦がれているような、自分の知らないの姿を。
思い出すたびに、どうしてそれは自分のためにするものではないのだろうかと思う。
最早凌統はへの思いは恋であることを疑っていなかった。
だがしかし、それがために今までのようにに接することは出来なくなってしまった。
誰を思っているのか聞くのが怖い。それに、自分達は男同士であるから、が受け入れてくれることは考えもつかなかった。
傍に居ればきっとその手を取りたいと思ってしまうだろう。
その唇を貪り、あまつさえ全てを自分のものにしたいと願ってしまうだろう。
だから凌統は、あえて距離を取ることにした。
物陰からそっとその姿を見るだけで満足することにしたのは我ながら随分と幼稚なことだとは思ったが。
しかし、がまたどこかへ行ってしまうのだとすれば、それすらも叶わなくなる。
その上、あの恋焦がれている誰かにがまた出会ってしまったらどうするのだろう。
そんなものは最悪の類だった。
「俺、ちょっと用を思い出したわ。甘寧、俺の官服もらっといてくれよな」
「はあ?何でだよ。めんどくさいじゃねぇか」
「良いだろ別に。今度美味い酒でも送るからさ」
「わかった」
酒の一言に即答するのを確認すると、凌統は一目散に宮城を出た。
途中で貸し馬に馬を借りて乗る。はほぼ毎日徒歩で宮城に向かうが、宮城近くに住む凌統ならまだしも、かなり遠くに住んでいるの場合は考えられないことだった。
見覚えのある朱塗りの門構えを見つけると、凌統は馬を外で何やら作業をしていた下男に預けて屋敷に入った。
この屋敷では既に顔なじみとなっているため、誰も凌統が入ってきたことに不信感を覚えない。
皆にこやかに丁寧に礼をする。凌統が手近の女官にの居場所を聞けば、庭との返事が返ってきた。
「!大丈夫か」
「ん?公績か。どうかしたのか?」
病気療養中の癖にピンシャンしたは、庭の東屋で御三時を食べているらしかった。
片手を上げるとここにおいでと自分の向かいの席を示す。
元気なその姿にやはり、と自分の考えが的中したように思って凌統は複雑な表情をして椅子に腰掛けた。
「最近顔を見せないから心配したよ。あ、俺の食べかけで悪いね」
は凌統の様子など気にも止めずに食べていた菓子と茶を差し出した。
金木犀のダンガオ(ケーキ)を食べていたらしく、黄色い生地の中に花びらが混じっている。
ありがたくそれを食べ、喉を潤せば大分気分が落ち着いてきたような気がした。
「それで、何かあったのか?急いで来たみたいだが。路が愕いていたぞ」
路とは誰かと聞けば、自分が馬を預けた下男のことだと言う。
馬を預けたのはついさっき、本の数瞬前のことだというのに何故はそれを知っているのだろう。
凌統は手妻のような早耳に愕きつつも本題に入ることにした。
「何かあったのかはそっちだろ。病気療養中じゃないのか?」
「違う。が、まあそういうことになっている。暫く休みっていうところには変りないしな」
「何か不味いことでもしたのか?」
「さあ」
まさか馬超のことを言うわけにはいかないだろう。
どう答えるべきかとが首をかしげていると、凌統が妙な様子を見せた。
「この前、辺境地域に行ったことと関係があるのか?」
「さあ」
言いながらもその鋭さには舌を巻いていた。
同時に雲行きが怪しくなってくることを察する。
凌統は何やら気に喰わないものでもあるのか、畳み掛けるように続ける。
「そうなんだろ?面白い思いをしてきたんだって言ってたくせにさ」
「そんなことを言ったかな」
本当に覚えていなくてはお茶を濁した。
「言ったよ。そんなことも覚えてないのかよ」
「悪い。俺は最近物覚えが悪くてな」
それも事実で、元昊にここ一ヶ月で二十六回ほど叱られている。
全て書簡の提出を忘れたことや寝間着のまま宮城に行きかけたこと、長棍を持っていくのを忘れたことなど将軍職にある人間としてあるまじき行いばかりだった。
「誰なんだよ」
「え?」
「誰のせいでそんな目に会うんだよ。言ってみろよ」
言いながら、言ってしまったと凌統は自分の粗忽さに呆れる思いだった。
しかし言ってしまったのは仕方がないし、腹が立っているのは事実だ。
このままわからないまま暫く会えないで居るよりも、わかってからの方が良いに決まっている。
一方は凌統が先日の任務について嗅ぎ当てたのかと思い慌てていた。
何処から情報が漏れたのかはわからないが、このことが周瑜の耳に入れば少々危ういだろう。
本当の謹慎処分に当てられてしまうかもしれない。
それならばいっそのこと教えてしまって内緒にしてもらったほうが良いのだろうか。
はすっかり混乱してしまって頭を抱えた。
「!俺には言えないって言うのかよ!」
悲痛な叫び声だった。まるで心から血でも流しているような。
いくら疎いでも何かに気づいた。
「落ち着け、公績」
そっとその手に触れれば、乱暴に払いのけられた。
痛みは感じないが、どう扱って良いのか困りあぐねてはただ凌統の名を呼ぶことしか出来ない。
だがそれは凌統が望むものではないのはわかりきったことで、いらだたしげに凌統は答えを求めた。
「答えろよ」
逆にの襟元を掴むと、凌統はに詰め寄った。
怒りのような、悲しみのようなそれには答えるべきだと悟った。
たとえよくわからないにしても、この年若の友人をこの状態のまま放っておくのはよくない、と判じたのだ。
「馬超殿だ」
「馬超?蜀の将軍の、あの錦馬超か?」
「そうだ」
呆気に取られた凌統の腕を襟元から離すと、は合わせ目を整えなおした。
遠くで心配そうに下男たちが見ている。恥ずかしいものを見られたような気分になりながらそれに大丈夫だと手を振って見せるとは凌統をもう一度座らせた。
「なんで、また」
「ここから話すことはお前を信じて話すことだ。だから他言無用でお願いする」
「……ああ」
「先日、俺が辺境地域へ派遣されたと言う話は嘘だ。俺は蜀に潜入調査に行っていた」
「将軍なのに?普通は違うだろ」
「俺は以前からそういうことをしていたんでね。経験を買われただけだ。そこで、偶然ながら馬超殿に接触した」
そして心ならずも騙しつつ、情報を得るということをしたのだ。
少し眉根を寄せて苦悶の表情を浮かべるとはそういう話だ、と打ち切った。
「今度の他国からの使者というのは蜀からの方々だ。その中に、馬超殿も入っている。今回の婚礼の話を潰したくはない。万が一に供えて俺は控えるってことだよ」
「それで?」
「それで、って。お前が聞きたいことはこれだろう」
「それだけなのか?」
「それだけだが」
やけにしつこい言いようにがおやと思って凌統を見れば、どこか物足りない、と顔に書いてあるのが見えた。
「だから、その……は、そいつのことをどう思っているんだよ」
「俺が馬超殿を?まあ答えても良いがな……良い御仁だ。俺は気に入ったよ。あれは良い将軍だし、良い男だ」
「へえ」
にしてはべた褒めと言える部類に入る言葉に凌統は面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「なんだよ。お前は見れるだろうから、今度来た時によく見ておけよ。絶対俺の言う意味が解るから」
「本当かよ?」
馬鹿にした言い方をする凌統に、いつもの調子に戻ったと感じながらはほっと胸を撫で下ろした。
ついでによしよしとその頭を撫でようとしたがにべもなく跳ね除けられてしまった。
「子ども扱いするなっての」
「前は好きだったくせに」
「違うんだよ。全く、ぜーんぜんわかんないのな」
「何を?」
「いいよ。ま、よく見ておくとしますかってね」
自分の恋敵になりうるその人物を見ておくのは悪いことではないだろう。
不用意に触れてくるに時折理性が危なくなりながらも、凌統はとりあえず気分がすっとするのを感じた。
大丈夫。
多分、まだやっていける。
[NEXT.]
後書き>>
猛将伝が出たので更新です。(遅)放置しすぎで大変申し訳ない。
『月の裏側』で恥ずかしい感じに凌統を放置していたので名誉挽回を。(え)
次は馬超を出せれば良いなあと思いつつ。
最後まで読んでくださり、有難う御座いました!