私は私の中へかえってゆく
37
夜中に怖い夢を見ると、肩を叩く人がやって来て眠りから覚ましてくれるのだ、という都市伝説の様な話を廊下で中嶋が小耳に挟んだのは、屋久島旅行を終え、十二分に手応えを感じた試験結果を確認した時であった。
「えー、でもそれって唯の噂でしょう?本当にそんな、皆が同じ夢を見るだなんてありえないよ」
「そうかなあ。でもその人が格好良かったらどうするよ、昌子。案外美味しいかもよ?」
「って、不審者じゃないの、それー」
どうやら不振に終わったらしい試験結果を噂話で紛らわせる彼女達と擦れ違いながら、中嶋は彼女達が少し前に話していた『夢』の内容を反芻していた。
曰く、その皆が見る怖い夢とは白昼夢の場合もあり、また実際に眠っている時にも起きるそうである。そして一様に世界は緑がかった不気味な色合いを呈し、自分以外の生き物は棺桶になって静かに立っていたのだという。
「そりゃ影時間じゃねぇの?棺桶とかガチだろ」
くるくると廻していたペンを滑らせると、補講課題を解いていた伊織は中嶋から話を聞くなり即答した。気になる、という文字が顔に出ていると思えるほどに興味津々な様子の癖に、補講課題を解いているせいか格好だけでも不動の体制を取っているのがおかしい。
危うく噴出すところを堪えると、中嶋は他の場所で耳にした『肩を叩く人』の話を続けた。あくまでも噂だが、共通しているのは余り若くは無い男であり、だが紳士的で服装も紳士であり、男であっても女であっても安心して目覚めることが出来るらしい。
「……綺麗なお姉様とかならともかく、要はオッサンだろ?なんで良いんだ?と、いうか結局解って無いんだな」
「オッサンとか余り言わないでくれるか、伊織君。胸に刺さって痛いんだが」
苦笑しながら得体の知れない菓子らしいものを摘んでいたが顔を上げた。匂いから察するに林檎のアップサイドダウンケーキの様だが、簡単なこのケーキですらの手にかかれば前衛芸術の域となるらしい。興味のままに摘んでみれば、味は確りと美味しいものに仕上がっていた。
「影時間に出るんだったら、待ち伏せとかすれば会えるかもなぁ。ひょっとしたら仲間になってくれるかもしれないし」
「そうかもな」
何処か気乗りのしない様子で伊織の誘いを受けると、はどの辺りでよく出るのだ、と尋ねてきた。が、流石の中嶋もそこまで聞いて歩いた訳ではない。一応聞くには聞いたのだが、解ったのは自分達の行動範囲と被るらしいということだけであった。
それもそうだろう。多くの人間は記憶にとどめておくことすら難しい時間の話なのである。それが記憶に残り、かつまた噂として流れるというのは意図的に広められたのか、あるいはそもそも事例が多いということが考えられた。
「面白い話だな」
「おい、勝手に摘むなよ!」
「良いじゃないですか。まだたくさんあるんだし」
ひょいと横からのケーキをごっそりと摘むと、念押しするように微笑んで真田が座る。何ら悪意を感じられないにも関わらず、先程自分が摘んだ時とは正反対のの反応はやや奇妙なものであった。同じことを思ったのだろう、伊織が何かあるのかとでも言うような目をこちらに向けている。何も知らないと小さく首を振って返すと、中嶋は真田に乞われるままに先程の話を繰り返した。
「なるほど。面白そうじゃ無いか。どうだ、その”肩を叩く男”を待ち伏せしてみよう」
「エクセレント!確かに、面白そうな話だな。目のつけどころが良いぞ、中嶋」
「桐条サン!」
神妙に頷いた真田の後ろから聞こえた声に目を向ければ、何時から来たのだろうか女性陣がずらりと並んで同じく頷いていた。とりわけ、件の相手が紳士であるとの噂に岳羽は嬉しげである。女性陣が参加することが嬉しいのだろう、俄に伊織が盛り上がるのが如実でおかしかった。
「では、早速これまでの噂を分析するとしよう。山岸、アイギス、協力してくれるか?」
「勿論です!」
「勿論であります」
話はあれよあれよと言う間にまとまり、留まることを知らずに翌日決行することまでが決定された。皆屋久島からの延長で、全員で何かをするということに病み付きになっているのだろう。夏休みが近付いていることが余計に拍車をかけているようである。着々とコミュランクが育っていることに中嶋は満足げに頷くと、まだ皿に残ったのケーキを摘んだ。
「美味しいですね」
「そうか?中嶋君に言われると俺も嬉しいよ」
途端、雲が払拭された空の様にの顔が綻び明るくなる。元より愛嬌の有るだったが、笑うとより幼さが強調されて自分とそう変わらない年の人間か、それ以下の年の様な表情になるのが特徴的だと中嶋は微笑み返した。にも関わらず、何か気がかりがあるのか心配そうに盛り上がる桐条達の話に耳を傾けている風であるのは不可思議で、思わず手を差し伸ばし、問いただしたいという気持ちを人に呼び起こさせていた。真田に対する態度にしても同じことである。だが、生来の聡さからかは苦笑するとカップを傾けた。
「悪い、気を使わせたな、”リーダー”。別に大したことでも無いから気にするなよ。男前が台無しだぞ、少年」
「大丈夫です。これくらいで台無しになる様な程度じゃありませんから」
「言うなぁ」
冗談めかした返事に笑うと、背中に感じた目線に中嶋はゆっくりと自然に振り向いた。
「どうしたんですか?真田先輩。何か新しいことが決まったんですか」
「あ、いや」
ひたりと合わせた目が揺らぎ、僅かに横に逸れる。恐らくはを見ているのだろう。ちらとを観れば、先程同様に複雑な表情のまま固まっている。個人的に興味があるのも事実だが、それ以上にリーダーとしてこの事態は上手く処理するべきだろう。中嶋は正確に事態を把握していた。_______真田は自分に嫉妬していたのである。何故、なのか、そもそも進展したものなのかどうなのかということはこの際どうでも良いことで、中嶋は丁寧に自分に降り掛かりかけた火の粉を払うことに決めた。
「……それに、真田先輩の方が余程男前ですよ。ね、さん」
「いっ!いや、何でそこで俺に聞くかな、中嶋君」
「そうですよね?」
笑顔で念押しをすると、が瞳を泳がせ始める。自分が笑顔で念押しをすれば、大概の者が圧せられることを中嶋は承知していた。あるいはそれもペルソナに関係があることかもしれないが、当人にしてみれば利用出来るものは利用するに限る程度の話である。暫く見詰め続けた末、さしものは諦めた様に口を開き始めた。
「……ああ。男前だな。認めるよ」
「本当ですか」
「嘘をついても仕方ないだろ」
ぱっと顔を明るくさせるなり、真田が嬉しそうにの傍に寄る。ひとまずはこれで良いのだろう。満足げに頷くと、中嶋は今後の計画について尋ねるために席を後にした。
時間の経つのは早いもので、それぞれが為すべきことを為し、あるいは何をするでも無しに過ごしているうちに決行の時刻となった。時刻は当然、影時間の少し前である。場所はアイギスと山岸の分析の結果、人気の絶えない巌戸台駅前が選ばれていた。商店街という性質上、ポートアイランド駅近辺程の騒がしさは無いものの、ちらほらと人が出ている。
『時間だ』
連絡機を通じて桐条の声が響く。同時に、駅から爽やかな空気が払底され、変わって緑色の不可思議な空間が出現した。凍り付いた様に歩き行くサラリーマン風の男も、ベンチに座っていたカップルも棺桶となり、ばらばらに配置された真田、中嶋、、岳羽、伊織を除いては見事にその姿を失っている。もし、この状況で件の男が人間に声をかけると言うならば、間違いなく自分達の_____あるいは偶さか現れた一般人の肩を叩くだろうというのが達の見込みだった。
幸いにして自分達以外に人間は居ないらしく、静かに流れぬ時間が流れている。たこ焼き屋前で座っているは手持ち無沙汰そうに通りの向こうを眺めて溜息をついた。矢張り現れないのだろうか、と今更なことを考えた矢先に山岸の声が飛び込んで来た。
『来ました!例の人物かどうかまでは解りませんが、男性の方です!方角はさんの方向の様ですので、気をつけてください』
「了解」
胡乱気に返答すると、は顔を上げて通りの向こうを見遣った。こつこつという靴音が静かな駅前に響いている。確かに男であるらしい、と推量するとはゆっくりと汗ばんだ掌を開閉させた。靴音が大きくなって行くのに従って、段々と男の姿が露になって行く。仕立ての良いスーツに身を包みんだ長身の姿は優美であり、品の良い顔が綺麗に鎮座していた。何年経っても顔の造りというものは基本的に変化しないらしいとは今朝方見た自分の顔を思い出した。自分はどうだろうか。恐らく彼の記憶の中の自分とはまるきり違った顔になっている筈だ。皮肉気に唇の端を上げると、こちらに向かって男は肩を叩くで無しに、ただ優雅に手を挙げて見せた。
「久しぶりだな、」
「和也」
親し気に返す気力は無くて、はただ棒読みの様な音を和也______広原和也に対して漏らした。チノパンのポケットから山岸の呼びかける声が聞こえる。どうやら別の場所に潜んでいたメンバーを呼び寄せているらしかった。自分にどれくらいの時間が残されているかを冷静に計算し乍ら、はどう切り出そうかと様子を伺った。
「散々探したんだぞ?……だが、またこの街に戻って来たということはお前も解っているということなんだな」
「まあな」
鷹揚に頷くと、は自分の指先と相手の指先とを交互に見比べた。顔立ちはまるきり似通っていなかったものの、こうした手指等の部位は驚く程に瓜二つである。否、違っていること自体が錯覚に過ぎないことをはよく知っていた。自分が他人であることなどけしてないのである。唯それはペルソナの様に人により異なった面を見せるだけであった。
「肩を叩いて回っているのはお前か?俺を捜してたのかよ」
「半分はそうだ。半分はちょっとしたボランティアというものだよ。不快な連中が最近出歩いているからな」
愁眉を深めると広原はの手に自分の手を重ねた。何時の間に透き通った広原の手はの皮膚を突き抜け、溶け込む様にの手の中に入り込む。だがはその手を拒むと驚いた様子の相手を半眼で睨みつけた。
「解っているんじゃなかったのか?往生際が悪いぞ」
「交換条件だ」
「なるほど。どういう条件だ?」
「俺は今、影時間_____この妙な時間を消す取り組みをしている連中に手を貸している。お前も知っているだろう?桐条だ」
「連中に?意外だな。お前が誰かと手を組んでいる様など想像もできないよ」
「茶化すな。ともかく、その時までお前に手を貸して欲しい。お前も出せるんだろう」
「ああ」
何が、とは問い返さずに頷くと広原の背後にぼんやりとペルソナの影が浮かんだ。色は違うものの、のそれと全く同じものである。も背後に浮かばせると、広原は面白いものをみる様に目を細めた。
「終われば、私の言うことを聞くんだな。だが、何の為にだ?」
「何の為でもないさ。ただ居なくなる前にやっても良いかと思ったくらいだ」
「嘘付け」
嘲笑う様に言うと、広原は通りの向こうを指差した。中嶋を筆頭に面々が駆け寄ってくるのが見える。その必死そうな様子には苦笑すると首を振った。確かに、以前の自分ならばこの男に交換条件を突きつけること等無かっただろう。捕まってしまえば終わりであると解っていた上に、そもそもいつかは捕まらねばいけないものだったのだ。つまり、先延ばしにすることに意味は無い。
「さん、大丈夫ですか!」
「大丈夫だよ」
駆け込んで来た真田には天を仰ぐと広原を睨んだ。たったそれだけの遣り取りであったにも関わらず、”自分”には伝わってしまったらしい。意地悪気に唇の端を上げると、広原は恭しく頭を下げてみせた。
「まあ良い。大方絆されでもしたんだろう?条件くらいは飲んでやるさ」
「そいつはどうも」
苦々し気に呟くと、広原が真っ赤な口を開いて笑う。余りの忌々しさに舌打ちすると、はぎゅっと拳を握りしめた。
寮に引き上げ、紳士的な人物を囲み乍ら中嶋達はわき上がっていた。なんでも、噂の肩を叩く人、もとい広原和也は蓋を開けてみればの従兄弟であるという。全く世間とは狭いものだと驚く一同を他所に、当人は至って涼しい顔で仲間になることを承知していた。確かに従兄弟であるらしく、一見似ても似つかぬ二人を見比べると、部分部分が瓜二つである。は終始苦りきった顔で応対していることも何処か付き合いの長さの様なものを伺わせた。
「しかし君がこんなに大きくなるとは思いも拠らなかったな。私のことを覚えているかい?御父上にはよく会うんだが」
「はい、覚えております。小父様も御元気そうで何よりです」
「小父様か……」
「ぶっ」
広原家は桐条家と付き合いが長いそうで、何時になく桐条が畏まった対応をするのも何処か新鮮でおかしくもあった。単なる丁寧語として言ったにも関わらず、存外傷ついた風に広原が苦笑すれば、が横で吹き出す。その様を見乍ら中嶋は、こうまで広原が桐条と親しいにも関わらず、これまで全く知らぬ様子であったのだろうかと首を傾げた。実際、広原の話し振りでは随分と件の現総帥と仲が良い風である。端々に出る、何処か優雅なの所作も広原の身分とほぼ同じであると考えれば納得の行く話であった。
「ひょっとして、さんも桐条先輩のことを知っていたんですか?」
「いや、知らなかったよ。俺がこの街から居なくなったのは、桐条君が生まれるよりも前のことだからな」
「居なくなる?」
岳羽の台詞には顔を顰めると、口を滑らせたとでも言う様に肩を竦めた。どうやらはなりに事情を抱えているらしく、釣られる様に広原の顔も歪む。漂った気まずい空気に、取りなす様に岳羽が口を開いた。
「あ、いや、別にどうしても聞きたいっていう訳じゃありませんから。余り気にしないでください」
「いいよ。大したことでもないさ。俺はね、家出人だったんだよ。放蕩息子ってわけ」
「えええええっ!い、家出ですか?」
「うん」
山岸の驚きに素直に応じると、はちらと広原を振り向いて笑って見せた。恐らくは家に絡んだ事情だったのだろう、笑まれた広原は僅かに目を大きく開くとぱちぱちと瞬かせた。そうした仕草もによく似ていて、一瞬中嶋は二人が兄弟ではないだろうかと首を傾げた程である。否、兄弟であってもここまでは似ないだろう。見た目こそ異相であるものの、これではまるで一人の人間の様だった。
「大学の途中で____ああ、俺は医学部に通っていて、インターンの最中だったんだが____まあ、色々ごたごたに巻き込まれて家出したんだよ。だから去年ここに帰ってくるまで、俺はあっちこっちふらふらしてたんだ」
「あの頃は随分騒がれたものだったよ」
言って、広原は自分も同じ大学の医学部を卒業し、今も医者なのだと明かした。桐条が運営する、皆も知っているあの病院の院長職に当たっているのだという。驚く面々に名ばかりだと笑ってみせると、広原はもう遅いからと言って席を外した。ぱたんと寮の扉が閉まると同時に影時間が解かれ、通常の時間が流れ始める。いくら明日から夏休みとは言え、十二分に遅い時間だった。自然と解散する流れとなった中、去り際アイギスがに近寄って行く。珍しいこともあるものだと足を止めると、中嶋は二人の様子を見守ることにした。
「大丈夫ですよ。さんは、さんです」
「……有難う、アイギス」
困った様に微笑むと、が丁度自分の心臓の辺りを押さえた。具合が悪いのだろうか、汗が光って見える。先程まではひどく元気そうだったにも関わらず、突然の変化に中嶋は違和感を覚えた。不意に、の指先が透き通って向こう側が看過される。ありえもしない出来事に目を見開くと、僅か一瞬の出来事は何事も無かったかの様に収束していた。見間違いだったろうか、と首を傾げると中嶋はの顔色が再び血色を取り戻して行くことに安堵した。恐らく、先程の汗も透き通った指も単なる自分の錯覚だったのだろう。自分も疲れているのだ。
その違和感が、何れ強大化することなど中嶋も、真田も誰しもが未だ思いも拠らないでいた。時計の針がチクタクとせわしない音を刻み、唯一進行する様を報せていた。
〆.
後書き>>
屋久島を終え、漸く前から書いていたものを出すことが出来てほっとしています。主人公の設定が少しずつ出せましたよ……!有る程度、これまでの伏線に納得して頂ければなあ、と思い乍ら書いていました。ついで、偶には余り出さないキタロウ視点です。基本、私の中でキタロウは天然俺様設定です。(え)次はいよいよ夏休み。リアルタイムに負けずに進んで行きたいと思います。タイトルは谷川俊太郎さんの62のソネットより。
最後まで読んでくださり、有り難う御座居ました!