いちまいいちまい、ていねいに。
ばうむくうへん
両手が重たい。一週間分の食料品を買い込んだかのように重たい荷物を両手にぶら下げ、は溜め息をついた。折しも身に付けているのは礼装中の礼装である燕尾服で、荷物を持つにも窮屈でたまらない。こんな服装を強いた挙げ句に厄介物を押し付けて来るなど、嫌がらせに他ならないだろう。否、そもそもとして今日一日は、全てが嫌がらせだった。長い上り坂にさしかかり、はこれから先の道のりを思って足を止めた。後何分かかるだろう。家までの道程をこんなにも遠く感じた日はなかった。駅から10分、許容範囲内の交通の便だと判じて選んだ住処の筈だというのに、忌々しくて仕方がない。
友人が、結婚をした。長い付き合いの友人であり、親友だと思っている。極当たり前のように学生の頃には並んでいたし、友人の度を越したことも致して半ば友人、半ば恋人という便利で気軽で居心地の良い関係を続けていた。相手は男、自分も男、子供のいる家庭を想像した事はないものの、並んで老後を過ごす事は容易に想像できていた。だけが想像していた。自分は体のいい妄想に逃げ込んでいたと知るのは社会人になって物理的に疎遠になり、互いに忙しくなり始めてからである。と友人は少々込み入った仕事をしているーー政府御用達の審神者というもので、得体の知れない連中と日夜戦っているのだーーこともあり、顔を合わせる事も難しかった。それでもこの戦いが終われば帰る場所があると信じたかったのだが、結果は今日の結婚式である。
「君も幸せになれよ」
土産は君の好きなやつにしたから、と笑う友人は学生の頃と少しも変わらなかった。並んで立っていたのは友人の右腕として働いていた女で、正確には付喪神である。大層綺麗だった。だがそれ以上に、横に居る友人の幸せで満ち足りた表情にさせているという事実には打ちのめされた。自分はハナから勝負になりはしない。友人は、を友人だと今も思っている。全てはお遊びだ、それはお互いに解っていた事だろう?秋に入ろうとする風が汗を撫でて冷え、はぶるりと身を震わせた。奇妙な程に手が乾いている。
「お荷物をお渡しください、主。俺が持ちます」
「いや、これは自分で持つ」
眼前に射した影に、はにべもなく答えた。友人に右腕がいたように、にも近侍・へし切長谷部が居る。ひとではないので、いつの間にやらこうして家からの元へと飛んで来たりもする、実に便利で器用な存在だ。へし切長谷部は慇懃な男で毎度控えめなところを特に買っていたのだが、どうやら今日は勝手が違うらしい。小さく舌打ちするなり両手の荷物は奪われ、ずんずんと先に立って上り坂をあがっていってしまう。余りのばかばかしさに何も出来ず、はただ黙ってゆっくりと後を追った。
荷物の重さはそのまま自分の怠惰への罪で罰だと思っていたかったのだ。掌を見れば、くっきりと赤い持ち手の痕がついている。年を取ってからというもの、こうした痕が治るまでに時間を要するようになった。だが、はできればこの痕には消えてもらいたくはなかった。自分の傲慢さを、甘さを、夢見がちなお気楽さを思い返させるには十分な効果があるのではないだろうか?
坂を登り切り、右手の木立に囲まれた道をたどる。ここから先全てがの管轄下にあった。木立の中は夏を拭い去るかのように涼しい。目には緑が優しく、は今日これまでに見た煌びやかな華飾の宴で眩んだ目が現実に返るような気がした。玄関口のあたりでこんのすけと遊んでいた前田藤四郎が立ち上がり、頭を下げて扉を開く。丁寧に礼を述べると、はおやつがあるよとだけ教えてやった。
「長谷部、運んでくれてありがとうな。荷物は……こっちは菓子だから、お前達で好きにわけてくれ。後は自分で処理する」
「承知しました」
友人はの好きな物をいれてくれたのだという。何を好きだと思っていたかだなんて、もう知りたくもなかった。取り返した荷物を手に自室に戻ると、乱暴に礼装を脱ぐ。クリーニングに出しやすいように畳んで袋に入れると、は柔らかい触り心地が好きなTシャツ(ありがちなことに「海人」とプリントされている、思い返せば忌々しい友人の土産だ)に鮮やかな青が眩しいステテコを選んで履いた。趣味が中年じみているのは、段々と物に対する感覚が年齢に追いついて来た証左だろう。洗面所で手と顔を洗ってすっきりさせて部屋に戻ると、は自分の机の上に載った菓子皿を見て顔を顰めた。
「……安直だな。あいつらしい」
「何がですか」
響いた声に目を向ければ、長谷部がいれたての紅茶を手に携えて部屋に入って来ていた。どうやらこの菓子を持ち込んだのは長谷部であるらしい。は苦笑いすると、椅子に座って卓上の菓子を指差した。渦巻く黄色が暖かいバームクーヘン。周囲を取り巻く白はホワイトチョコレートだろう。の記憶通りであれば割合にさっぱりとしており、それこそジャムを塗っても良い代物の筈だ。
「俺の好きな物を土産にしたんだ、って言ってたんだけどさ。これ、俺じゃなくて呉れた奴の方が好きなんだ。解ってるようで解ってない奴だから」
だから、自分との縁はなかったのだ。バウムクーヘンがそれを如実に示している。は手を振って話を打ち切ると、長谷部に座るよう隣の椅子を示した。いつも仕事をする際に長谷部に座らせている場所で、丁度友人と居た頃のように距離が近い。紅茶は二人分あるが、どうやらバウムクーヘンはの分しかないようだった。嫌いではないが、今は余り食べる気分ではない。かといって単純に譲ったところで長谷部は食べないだろう。紅茶を啜って考えると、はフォークで一切れ切り取った。
「長谷部、口開けてみ」
「こうでしょうか」
「うん」
素直に開いた口にバウムクーヘンを入れる。驚いたのはほんの少しで、長谷部はどこか嬉しそうに咀嚼した。面白いことに、端麗な顔立ちをしている人間がものを食べている姿は、仮令無理矢理であっても絵になるらしい。目の前でものが消えて行く様は心地良くもあり不思議でもあり、は実に気に入った。長谷部が一切れ目を飲み込むのを見届けてから唇を開かせる。二切れ目を食べさせ、眺める。三切れ目も、四切れ目も、ただそれを繰り返した。長谷部はただ黙って恍惚としてそれを受け入れている。近侍とはかくも従順なものなのだろうか。それともこのバウムクーヘンはそんなにも美味しいのか。いぶかしむ気持ちから、は五切れ目を食べさせる振りをして自分の口に放り込んだ。
記憶に残る、たまごとバターが小麦粉に解け合った味わいは少したまごがきつい。だがそこに柔らかなホワイトチョコが絡まり、しっとりとした生地をゆっくりと味会わせてくれる。友人はこのバウムクーヘンを子供の頃から食べていたそうで、学生時代ににお裾分けをしてくれたのが食べ初めだった。美味しいだろう、という友人の顔があまりにも嬉しそうだったので美味しいよ、と別の嬉しさを乗せて返事をした。本当は、自分は粉ものよりも寒天類や透明な飴が好きだったというのに、相手を思い過ぎて罪の無い嘘をついた。
「主、」
結婚をするんだ、という報告に、おめでとうという他愛もない嘘をついた。本当は率直に、解っている答えを聞き出したかった。彼は何れ程自分の事を好いただろう。このバウムクーヘンを共に食べた事を思い出す程度には好きだったろうか。
「主、口を開けてください」
「ん」
どうにも解決できずに泣きそうな気持ちになっていると、長谷部がフォークを奪い去る。今度は彼が自分に食べさせてくれるらしい。部下の稚気を愛しく思うと、は素直に口を開けた。が、長谷部は切り取った一口を自分の口の中へと放り込む。
「おい、自分で食べるのか、ぁ、ん、んぅぐ」
非難の声はすぐさま封じられた。何が起きているのか咄嗟に判断できない。長谷部の通った鼻筋がすぐ傍に見える。輝く眼が冷たく光る様を見て、は自分が口移しをされているのだと理解した。口移しをしながら、同時に奪い去られても居る。息継ぎをしたいだけだと言い聞かせて、は奪い合うようにして長谷部と分かち合った。真剣にこちらを見つめる長谷部が後頭部をおさえているのでどうにも自由が利かない。飲み込んで唇を離した後も、長谷部は菓子屑を探すように口の周りを舐めて来るものだから、くすぐったくてたまらない。
「主、あと二切れ、ございます」
「……お前が食べさせてくれるか?」
「主命とあらば」
相手が何を考えているのか、は解らないままに任せた。既にうやむやに始まったものだ。罪滅ぼしに、この程度は安い物だろう。
自分の主には想い人が居る。正確には、居た。すぐ傍で日々生活していたものだから、いつしか長谷部は手に取るようにの状況が解るようになっている。それに、長谷部が率直に尋ねれば、は大概の事は答えてくれてもいた。だから、何と言うことはなしに長谷部はの向こうに仲の良い”友人”が透けて見えたし、同時にひどく嫌な気持ちも抱いている。ものとしての本性故なのかは解らないが、長谷部は主であるに執着もしているし、一番の存在として自分を認めて欲しいとも思っていた。自分こそが、彼にとって必要な物であり、彼に必要な物を与えられる、それが成り立たなければかつてのように手ひどい喪失感を受けるだろう。脳裏には何時だって最初の主から下げ渡された苦い記憶が張り付いていた。一種、名誉である事は解る、だが自分はあの男の傍に居て全うしたかったのだ、と人の姿を得た今は冷静に分析できていた。
できたところで、今叶う術はないので、長谷部は汚いすり替えを行っている。がぐらつくものが情愛にあるならば、そこに付け入る事しか頭になかった。だから、見えない敵が結婚というあっけない形で片付いてしまったことは棚から牡丹餅と言える。ばうむくうへん、には興味がない。だが、放っておいてもの側から寂しさからかきっかけを投げて来たので、喜んで飛びついてやった。いつかはしてやろうと思っていた事を総動員させたので、比較的冷静に振る舞えたように思う。現に、驚いていたのはの方で、菓子が跡形もなくなった今はほうけたようにしている。
「随分と、慣れてらっしゃる」
「慣れているんだ。がっかりしたか?」
からかうような声はいつもの色を取り戻していて、長谷部はひどく嬉しくなった。ぼんやりと過去の思い出に浸られるよりも余程良い。いいえ、と答える代わりに、長谷部はの膝の上へと対面のまま座って抱きついた。主よりも自分の方が重い事は承知していたが、可愛げを取り繕いたかったのである。はひとでなし達の、ふとした時に見せる人間臭い感情の発露を好んで居る節があった。実際、こうして図々しく抱きついても、はこんのすけを可愛がるのと同じ要領で長谷部を柔らかく抱きしめ返すだけである。つくづくこの男は甘い。
「慰めてくれた……んだよな。ちょいと吃驚したが、ありがとう、長谷部」
「いえ。当然のことをしたまでです。貴方の寂しさを」
「ぁ」
するりと胸元から首筋を通って頬までを撫でてやれば、これまた慣れた反応があり、長谷部は舌打ちした。こうして見せる仕草の一つ一つが別の誰かのためにあったのだということを思い起こさせる。だが、これからは自分の物とするのだ。
「埋めるのは、俺の望むところです」
「危ない事を言うなよ。誘惑されたくなる」
「誘惑されればいいじゃないですか。俺なら、貴方にばうむくうへんは贈らない」
自分ならばもっと貴方の好きなものを贈ることができるのだと言い募ると、無言で体を離される。の震える頬が、長谷部に対する怒りをこらえていることを如実に伝えていた。これまでが怒る様を目にした事はない。考え尽くしていた筈だというのに、一体何処で地雷を踏んでしまったのだろう。慢心したのは確かだ。
「お前には解らないだろうが、あれはあれで嬉しかったんだ。俺がバウムクーヘンを贈られたのは当たり前だよ。俺は一度もあいつに言わなかったんだ」
だから、あの菓子は相手なりの最大限の優しさで、思いやりだったのだという。そんな優しい裏切りがある筈はないと、あって良い筈はないと長谷部は眉根を寄せた。確かに、今となってはもうどう足掻いても解決できない話だが、恐らく真実は異なる。だが、代わりに自分は何を差し出すべきか、何を告げるべきか、手頃な物は何一つとして見つからなかった。
「下がってくれ。俺はしばらく一人になりたい」
「主、」
「下がってくれと言ったんだ!」
「……仰せのままに」
気の聞いた、唯一適切な台詞はそれだけだった。
バウムクーヘンには、様々な食べ方がある。輪切りにしてから縦に割るも良し、塊をナイフで削いで行くのも良し、それこそ手頃な大きさにした後で、一枚一枚親の仇のように執拗に剥がして食べても良い。味わい深い食べ物で、何かを添えたって勿論良い。は本来一枚一枚剥く方がお好みだったが、手早く無くすために大きな塊で食べ切ってしまった。半分以上は長谷部の腹の中におさまったように思う。長谷部の唇の柔らかさや、触れてきた掌の艶めいた動きを思い出し、はぶんぶんと首を横に振った。妙な事を考えるべきではない。
長谷部を追い払った後、は友人に持たされた他の土産も検分することにきめた。長谷部に不意をつかれて忘れていたが、全てにけりを付けるのであれば、一息にやり遂げた方が良い。一つ目の紙袋には、重さからは想像できない程に一つ一つは軽い筈の花がわんわんと束になっていた。白赤黄色、どれをとっても目出度くて、披露宴のテーブルの上に飾られたものとは全く別に、特別に用意されたものである。それは友人の優しさであって、に対する謎掛けではない。後で花瓶に生けようと横に置くと、もう一つの紙袋を開いた。紙袋の中にはぴったりの大きな紙箱、開いて出て来たのは一枚のメッセージカードと枕のようなものである。
「『冷え性の君に。これから寒い季節が来る日に、寒い思いをしないで済めば嬉しい』」
その寒さは、謎掛けではないだろうか?枕は電子レンジで温めて使うもので、微かに香るものからハーブが詰まっているらしい。さぞや暖かく、包まれる度に思い出せずにはいられないだろう。冬場の極寒の寮で、並んで寝ていた事を思い出すと頭が痛くなって来る。友人の代わりに抱きしめた所で一層寒くなるだけだ。矢張り友人は友人らしく、の真意に気づいては居ないのだ、と結論付けると、は箱を脇に置いた。後で適当な場所を探してしまっておこう。欲しがる男士が居れば下げ渡しても良い。花を片付けねば、と腰を上げた所で、は開いた扉の向こうを睨んだ。
「何か急ぎの用でもあるのか、長谷部。なければ下がってくれ」
「花を生けるのでしょう?手伝おうと思いまして」
「一人で出来るよ。心配してくれてありがとうな」
苛つきながら、はどうしてこの男は花がある事を知っているのだろうとぞっとした。大方自分よりも鋭敏な鼻で嗅ぎ取っただけだとは思うのだが、自分の全てを監視されているようで居心地が悪い。長谷部は相変わらず言うことを聞く気はないようで、顔色一つ変えずに手にしたガラスの花器に花を生けた。剪定の必要はない程に丁度良い容れ物で、後は水を差してやるだけである。呆気にとられているうちに、水を入れてきますね、と長谷部は用意周到にそのまま部屋を出て行ってしまった。花の残り香を嗅ぎながら、はふと長谷部の香りはどんなものだろうかとどうでも良い事を考え始めた。そうでもなければ異常事態の連続に途方にくれてしまう。
鬱積する嫌な気分に風を入れたくて、は立ち上がって窓を開けた。アルミのサッシが鈍い陽光に跳ねて光る。一瞬目を閉じると、顔に微かに塩を含んだ風が当たった。山の裏手はすぐ海で、要するにここは海も山も楽しめる程よい場所なのである。君、ここは良い場所だな、今度引っ越す時にはこういう場所が良い、と友人は笑って横に居たーー思えば今日は横に居たーー部下と話していたものだ。気づかなかったのはばかり、あの頃友人は既に伴侶を決めていたのだろう。風に紛れてぷうぷうと間抜けな笛の音が聞こえる。多分に豆腐屋か、豆腐屋のせがれが始めたとかいうアイスクリームの屋台だ。アイスクリームは良い。寒天系が一等好きだが、アイスクリームは別枠である。程よく緩んで溶けたアイスクリームの雫を思い浮かべ、うっとりとしながらは窓枠に凭れ掛かった。
「花をお持ちしました」
「うん、ありがとう」
長谷部が花器を置く音がする。彼の事だ、センスが良いに違いないと勝手に決めつけ、や振り返りもしなかった。何せ彼は本質は違うと否定するが、風雅で上品である。ささくれ立った気分はいくらか霧散し、自分でも都合のいい事だとは笑った。非日常は何時だってこうして日常に紛れてしまう。日常の溢れ返る情報にの頭は追いついて行けない。どんどんと覚えた端から棄てなくては行けなくて、きっとそのうち友人のことは丸ごと全部棄てるのだとは心に決めた。できたら死ぬまでにそうしたい。
「主、俺は少し腹が減りました」
「好きに食べたら良い。夕飯に響かないようにしとけよ。おさんどんさんの機嫌は損ねたくない」
「もうお持ちしてあります」
有無を言わさぬ調子で(そう言えばこの男はもう聞き分けの良い、控えめな男ではない。恐らくこちらが本性なのだろう)長谷部はの傍に陣取り、同じようにして窓枠に凭れ掛かった。手にはバニラアイスクリームをいれたガラスの器がきらきらと輝いている。添えているのは銀のスプーンで、当たり前のように一本しかなかった。
「先程、短刀達と相談しまして少々購入致しました。口を開けてください」
「……あー」
やり直しをしたいのか、とは素直に従った。長谷部はバウムクーヘンではない何かを、もっとに相応しいものを与えられると言っていた。バウムクーヘンで駄目ならばアイスクリームであれば良いとはまた安直だが、目の付け所はいくらか良い。自分も気分が乗っている。この感傷に立ち入らせずに気を紛らわせるには丁度いいだろう。そう思いながら待っていると、いつまでたっても銀のスプーンもアイスクリームもやってこず、代わりに再度長谷部が近づいた。
「アイスクリームを差し上げる前に、俺を贈り申し上げます、主」
まるで自分が拒否されるわけはないとハナから信じ込んだ行動に、はただ愛らしさを覚えた。自分にこそ、こんな素直さと率直さと勇気が必要だったのだが、今ではもう何もかもが遅い。長谷部の手からアイスクリームの器を奪うと、は一匙すくって舐めてみた。豆腐屋の倅は腕を上げて来たのか、今日のアイスは一段と出来がいい。芳醇なバニラの香りに異国を思い出しながら、はちらと真剣な面持ちの長谷部を見遣った。
「ふむ」
友人と長谷部を、比較してみればどちらに軍配があがるかは明白だ。とは言え、バウムクーヘンではない。これはまさしく自分に捧げられた自分好みのものでは、ある。匙を口から出すと、はアイスクリームの器ごと、慎重に窓辺に置いた。
「悪くない」
味見をさせてくれよ、と品のない冗談を言うと、長谷部の瞳が歓喜で輝いた。ああこの目を自分は裏切れない。友人よりも余程他人の心に聡い自分は無碍にすることは出来ない。潮風にバニラが混じる。そうして肝心の長谷部はーー季節外れの菫のようだ、とは間抜けな事を思った。
悪戯ばかりを繰り返している。の生活の何処にも不義理な男がちらつくことのないよう、長谷部は慎重に慎重を重ねて自分が置き換えられるように努め続けた。成果は目覚ましく、近頃はおやつを見る際に長谷部を、長谷部との行為を思い出すらしく顔を赤らめている。如才ないのことだから直に慣れてしまうだろうが、暫くは楽しめそうだった。
長谷部の味に満足したは、元より何かに依存しやすい性質だったのか、長谷部なしではいられなくなってしまっている。願ったり叶ったりだ。想い人だった男の持ち物も、思い出も全部一つの箱に収めてしまって、今では倉庫の奥の奥に放置されていた。きっと、心の中でもそうだろう。今こうして目の前でぱちぱちと爆ぜているのは、があの男との間に交わした手紙やら何やらの数々だ。たった二人で火を囲み、無言ながらも濃密な時間を過ごしているという事実は甚く長谷部を喜ばせた。
「長谷部、何ぼーっとしてんだ。もう芋ができるぞ」
「ああ、すみません。貴方の事を考えてました」
「気障な奴だな」
に指摘されて、たき火の中からアルミホイルに包まれた塊を枯れ枝で突き出す。中を開けばほっくりと温まった芋が顔を覗かせた。手持ちの串を刺した感触から、食べごろと知れる。じっくりと焼いた芋の甘さを思い、長谷部の口中に俄に唾が堪り出した。早くこれを、と食べたい。だが、その思いを読み取ったのか、兎毛の耳当てをしたはぎりりとこちらを睨んだ。
「言っておくが、熱い物は嫌だからな。前やったろ、火傷すると後が痛いんだよ。お前と違って俺は耐熱が弱いの。諦めとけ」
「残念です」
「芋なんかなくたって、口付けくらいはいつだって良いよ。俺もしたい時は勝手にするだろ、お前もすればいい。けど、熱い物とはなしだ、良いな?」
「解りました」
願望は口にするのだと決めたらしく、このところの行動は明快で本人も実に明るくなっていた。が楽しいというのは良い。自分を誘惑するように突然口付けて来るは大歓迎だし、勿論長谷部も勝手にする。熱々の芋を二つに割り、一つはまだ燃やしていない紙で包んでに渡す。癖のある字は見覚えのあるもので、中身も読めたが長谷部は無視を決め込んだ。が、気づいているかどうかは解らない。
「なあ長谷部」
「何でしょう、様」
「引き出物、何にしよう?呼んでくれってあいつも急かすからさ、あいつの好きなものを思い出そうとしてるんだが、思い出せなくてな」
あいつ、というのがかつての想い人であることはすぐに知れた。夏が過ぎ、秋が深まり寒くなっても尚、あの男の影は完全に消え去っては居ないのだ、との懐かしむ口調から感じられる。だが、彼の人が贈った冷え性改善の某かのもの、が使用されておらず、長谷部が使われているので問題ないだろう。芋の、僅かに堅い様子に顔を顰めると、長谷部は甘さに感じ入りながら指を一本立てた。
「様、俺に良い案があります」
「うん」
「ばうむくうへんに致しましょう」
「バウムクーヘンか。良い案だな」
どんな気持ちで、が良い案だと受け入れたかは解らない。ただ、長谷部は意地悪な気持ちを抱いていた。自分とはなし崩しのようにして今度、結婚式を開く。見せびらかしの意味でしかない、内輪のごく一部を選んだだけの式は、祝われたいという願望のないものだった。の想い人だった男は、一体どのような気持ちでばうむくうへんを見るのか、食べるのか。の事を思い出してどんな気持ちになろうとも、結果は今から微塵も変わる事はない。
「そういえば、豆腐屋の倅が結婚して、奥方と一緒に焼き始めたそうです。今度取り寄せてみましょうか」
「あそこの家は色々やるんだなあ」
「何でも豆乳入りだそうで。体にも良いと評判です」
「それは良い」
芋が多いから、少し食べてくれとが長谷部に残りを差し出す。恭しく受け取ると、長谷部は芋の向こうにある文字にうっすらと笑いかけた。それは、掠れた字で、何度も何度も書いては消したような字である。だが、結局書かれたものは届かずに、一つのばうむくうへんに巻かれて終わった。その紙を、人は恋文と呼ぶ。芋を食べ終えると、長谷部は笑顔で紙を丸め、炎の中に放り込んだ。
〆.
あとがき>>
完全に季節外れのものを思い出しながら書いていました。現代であり少し前の頃のようでもある、懐かしくも充実したものを食べ物と混ぜて書けたように思います。バウムクーヘンを食べたいという思いつきが何故こんなマニアックな描写になったのかは謎ですが、バウムクーヘンはいいものです。食べ物と刀剣男士、という組み合わせでは余り長谷部が上がって来る事はない(二次創作で)イメージがあるので、敢えて長谷部にしてみました。がつがつ食べていただきたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!