DREAM NOVEL
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やあやあ我こそは、ななしのごんべにつかまつる


なにもなくても


 それは、あたかも道ばたに転がる小さな石つぶてを見つけるようなことで、本来ならばなんら気にすることもない事象がたまさか顕現してしまったようなものだ。昨夜の露が降りたのか、草叢は行軍を邪魔するかのようにぐっしょりとして足に纏わり付く。いつの時代かは解らないが、未開拓の手付かずの平野が好き勝手に植生を広げていた。ただ、もう帰り道であって、割合に暢気なものではある。故に、こうして胡乱な気持ちになっているへし切長谷部以外は口笛を吹きそうな程に表情が柔らかい。

 主に頼まれての遠征で、土産まで手にしての大勝利、主の待つ本丸へと開かれた帰り道、所謂”門”がもう視界の端に見えている。気を抜くつもりはないが、確かに心はほっとした。皆同じ気持ちだったのだろう。誰も他のものに気づかなかった。足下に違和感を抱いた長谷部以外は走り出し始めている。とりわけ短刀共の足は早い。半ズボンから伸びた若々しい子鹿のような足が跳ねている。

「おい、お前達!ここに何か」
「何かは何かだね」
「っ」

思わず後ずさると、足下にぶつかった何かはごろんと寝返りを打って立ち上がった。ひと、に見える。審神者と同じようなひとだ。長谷部と同じく、審神者の手によりこの世に顕現した他の刀剣男士も皆一様にひとを真似している。故にそれがひと、だということと、本質的にはひとではない、こともわかった。妖物の類いだが危険と言うほどでもない。早いところ帰りたいのだが、と門を見遣れば、相手も気づいたらしかった。中年の男性のようにも見える男(少なくともどこぞで観た女人とはまるきり異なる)は、面白いものを観たとでも言うように瞳を輝かせると、長谷部に目もくれずに走り出す。嘘だろう、と長谷部は焦った。余計なものを本丸に持ち込む訳にはいかない。これは胴考えても余計なものだ、と慌てて追いかけた。

「待て、人の話を聞け!」
「いやだね、お兄さん。俺はここから出たいのよ」

おかしな調子をつけて宣うと、男はだっと門からあちら側へと飛んで行った。掴もうにもするりと先へと行ってしまったので引き戻す事は難しい。ましてや門が閉じてしまえば自分がこの時代に取り残されてしまう。瞬時にいくつかの思考を重ねると、長谷部は溜め息をついて門を押した。全てはこの先で決着をつけるより他ない。

「長谷部、お帰り。無事に帰って来たようで何よりだ」
「ご心配いただき、ありがとうございます」

門の先ではいつもの本丸での日常が流れている。主の声に、長谷部は服の泥を払って返礼した。後方で扉がしゅるりと消えた事を感じ取り、長谷部は改めて主に頼まなければ、と口を開きかけーー主に先を越された。

「時に、長谷部。今日は手厚い土産を持ち込んでくれたようだね。面白いものだ」
「お褒めに預かり光栄です」
の世話は、君に任せる。よくしてやっておくれ」
「は?」

主に褒められた喜びもつかの間、長谷部は自分が忘れてしまった種をぶちまけられた。という耳慣れぬ名前に首を傾げれば、君がつれてきたお仲間だよ、と主が鷹揚に返す。指で示された先では、好奇心おう盛な男士の面々に囲まれ、へらへらと笑う先程の男の姿があった。古くさい鞘に納まった脇差を腰に下げている。どうやら彼もまた、刀剣の付喪神らしい、と主は解説した。自分がおろしたものでもなく、名もないものだが、ひとまずは取り入れよう、と。害はないようだと言う台詞は最もだが、長谷部は異質なものがこの本丸に入り込むこと事態が歓迎できかねると感じた。

「しかし、、という名はまるで人のようですね。無名ならば無名でしょうに、あの男が名乗ったのですか?」
「あれはね、”露払い”と言うそうだ」

つゆはらい、それは先陣を切って主の行く先を綺麗に払いのける重要な役割である。そのための刀であるとすれば十二分に力があると言えよう。木偶ではいけない。しかし、はその名に相応しくないからとしてほしい、と願い出たそうだ。自分は露等払った事などない、払ったのは己の主君だけ、その後は大したことのない来歴しかない。主殺しとは剣呑だが、刀を使うのは所詮人であって刀ではない。故に看過してよいことだろう。少なくとも、働き手に事欠くこの本丸では迎合すべき出来事だった。ただ、長谷部の中にだけ、黴のようなぽつりとした不安が産まれたくらいである。




 は覚えている。自分の来歴を、どこにいたのか、何をしていたのか、誰の手にありどんな思惑で使われたのか、そうしてどうしてこうなったのか、全てを覚えている。ものであるならば当然だ。身は錆びようとも心は錦である。否、最初からぼろ切れなのだから気にするよしもない。本丸、という奇妙な神域を訪れて、の生活はまるきり変わってしまった。古道具屋の荷車から滑り落ちて放置されてからというもの、ずっと一人だったは漸く”お仲間”に出会えたのである。付喪神にはこれまでもちょくちょく出会っていたのだが、同じく刀身から、それも名のある刀身から生まれでた刀剣男士など観た事は一度もない。どれもこれもが眉目秀麗、自分のような無名とは天と地程の差がある。だから、尚の事自分はどうでもいいと思っていた。

「おい。どうしてお前はそうだらしないんだ!ジャージの前は締めろ。寝る時はパジャマに着替えるようにと教えただろう」
「ん」

今日も寝過ごし、いっそのこと昼までのんびりとしようと勝手に決めていれば、かっきりと起こしに現れたのはへし切長谷部である。この男、を連れて来てしまってからというもの、実に小煩い。暖かな掛け布団を剥がれ、引き起こされてジャージの前をきゅっと締められる。他の男士にも前を開けているものは居るというのに、何故自分だけ叱られるかは解らない。それに、寝る際に一々着替えるなど面倒ではないか。本当ならば歯磨きも風呂も御免被りたいところだ。そんなことをしなくたって、神様だもの病気にもならないし死にはしない。ましてやは欠陥があるのだ。だというのに長谷部がきちきち迎えに来るものだから、こうして起きなければならない。顔を洗えと急かされて、急いで顔を洗う。洗って顔を拭いている間に長谷部がの髪を整える。十日も経てば慣れたもので、最初からそうであったかのような息の合いようだった。

 こざっぱりとしたところで、長谷部に急かされて朝食の場所へと向かう。人数の多い本丸では、同時に食べることは珍しく、決まった時間帯の中で入れ替わり立ち替わり誰かしらが食べている、そんな様子だった。ちなみにはいつも最終組で、正直な所昼に持ち越したいのだが長谷部が許してくれない。面白いことに長谷部は実に公平で、彼自身は随分早くに起きているくせに、に合わせて朝食をとる。欠陥があるせいか、は柔らかいものしか受け付けないため、今朝も粥を選んでよそった。多少の具を添えればこれで十分だ、と膳を運んだところで長谷部がとん、と横に小皿を並べて行く。卵焼きやらひじきの煮たのだ、そういったおかずの類いで、食べろということだろう。

「毎朝のことだけどさ、長谷部さん。ありがたいんだが、俺はその、消化能力ってやつが弱いのよ。三食おかゆがいいんだ。腹が痛くなる」
「主から、お前が回復に向かっているから少しずつ噛む練習をせよとの仰せだ。それに、偏らずに食べた方が身体にもいい」

ひとでなしなのに、良いも悪いもあるかと思う。の知人の付喪神は、皆好きなようにものを食べ、あるいは何も食べないでいた。あんどんの油ばかりを舐める童は具合が悪いとでもいうのだろうか?笑える話だ。が、長谷部は煩いし、こうしてキリキリすることで長谷部の胃も痛むようで危うい。自分より余程価値のある男を煩わせるつもりはなかったから、は仕方なしにお愛想で食べた。味があるものを食べるのは、ここに来てから初めてのことなので未だに慣れない。自分の身体の中で確かに霧散するのを感じる。それがひどく恐ろしいのだ、とはまだ打ち明けられずに居た。

「食べ終わったら、主がお前を健診されるそうだ。俺は内番があるのでついて行けないが、ちゃんと行くんだぞ」
「うん」

この、へし切長谷部が、かの名刀が自分を世話するのは、主から命じられているからだ、とはちゃんと心得ている。だがもう十日、いい加減ここでの生活も慣れて来た。一宿一飯どころか生活の全てを世話になっている以上、家事の一つや二つは手伝いたいし、長谷部がいなくともやっていけることを、そろそろ審神者に告げようとは決めた。長谷部には、本来なすべきことが山ほどあるはず、なのだ。

「箸が止まっているぞ。……大丈夫か?」
「ああ。心配しなさんな、長谷部さん。俺はなまくらだからさ」
「馬鹿を言え」

捨て置いてくれ、と続けようとしたが、自虐的な台詞は長谷部に文字通り斬って捨てられた。圧倒的な物言いに気圧されて、は黙って粥を啜る。他にすることが解らなかった。

「俺とて、露払いが名誉ある職務であるくらいは解る。その名を冠するお前がなまくらだった筈はない。それにお前は、綺麗だ」
「はあ」

こけおどしの名前だということを詳らかに説明したいのだが、は結局押し黙ってしまった。長谷部の説得力のない、だが実に自信に満ちあふれた物言いについて行く事が出来ない。綺麗だ、という台詞は恥ずかしくて仕方がなかった。どこをどうとれば綺麗だと言えるのだろう。ちらと自分を見遣ったが、取り立てて良い場所は見当たらない。勘違いだよと教えてやりたいが、今はまだ無理だ。頬が熱くなるのを覚えながら、はありもしない血が滾る音を聞く。今はこの熱を冷ましたかった。

 食事が終わり、話した通りに長谷部が去る。も言われた通りに審神者の部屋へと向かった。この本丸は迷路のようで、歩き難くていけない。おまけにあちらこちらに不可思議なからくりが施されている。覚えるのには随分と苦労したが、敵に襲われた際に備えているのだと言われれば納得せざるを得なかった。長谷部に教えてもらった暗号を壁に打ち込んで、するりと開いた扉の中へと潜る。子供が喜びそうな明るい部屋が眼前に浮かび上がり、は膝を折って頭を垂れた。

、参りました」
「うん。おはよう

ゆらん、と人にしては不可思議な動きをして審神者がこちらに向かう。いつだって面体なのでよくは解らないが、男のように思う。声も変換されているので甲高いきいきいとしたものなのだ。今日は若い女を模した能面で、薄い、小さな目が恐ろしい。ぶるりと震えると、はいつものようにジャージの前を寛げ、裸の腹を晒した。面倒なので、長谷部が着ろと煩いTシャツは着ていない。下腹部から下に向かって、ぽつぽつと黒い点が浮かんでいる。もう大分薄くなったが、これはの病気のようなものだ。錆だ。かつてはこれに抗うことが難しいとされていたが、現代の技術とやらでは時間がかかりはするものの、解決できないものではないらしい。審神者はいつものように観察し、何事かを機械に打ち込むと、そうっとの腹に触れた。

「ぁ、」
「相変わらず敏感だね。傷口というものはそうなのかな。でも、大分薄くなって良かったよ」
「……でしょう?だからそろそろ、一人でも動けるようにしてくれませんか。長谷部さんは過保護でいけない」
「だからお前の世話役に選んだんだ。お前はずぼらだろう?あれくらい生真面目な奴と揃えば釣り合いがとれる」

ひどい話だ。おもしろがる審神者にいらだっていると、そんなに独り立ちしたいのであれば、戦場でも出るかいと揶揄される。駄目だ。それだけはいけない。できないことは審神者も知っている。知っているくせに意地悪なことを言う。はぶんぶんと頭を横に振った。戦場だと!戦いなど思い出すだけで身体が震える。汗が浮いたからだを、審神者はそうっとタオルで拭いた。敏感な肌はそれだけでぞくぞくとしてしまう。きっと、人で言うならば皮膚が薄い、そういうことだろう。これも欠陥だ。無理に研がれたが故にこんなことになる。情けなさがつらい。もういいよ、と言われて漸くはジャージの前をしめた。

「虐めて悪かったね。家事くらいはしてもらおう。それと、これは私からのお駄賃だ。お前が興味を持っていたものだよ」
「ありがとうございます」

むすくれはしたものの、もらった包みには顔をほころばせた。見ようによってはこれもお宝、である。この辱めに耐えるに足りる。家事は明日、他の面々と相談して組むそうだから、今日は暇だということだ。そして、へし切長谷部は内番。鬼の居ぬ間のなんとやら、は小躍りするようにして自室に舞い戻った。




 へし切長谷部は口をへの字に曲げて目の前の雑草を毟った。庭の花壇は長谷部の傑作で、少しの乱れも許されてはならない。世の中はままならないものだが、これは確かに自分を裏切らないと、そう信じている。漸く開いた水仙を、産まれて初めて花の香りを嗅いだがひどく喜んだことを思い出し、不覚にも長谷部は口元を緩めた。当初は黴のように不安を抱いたが、手はかかりはするものの、は扱えなくはない程度の不安である。大分素直に言うことも聞くようになったし、本丸の戦力となるのもそう遠くない日であろう。武器としての本分なのか、長谷部はその日を心密かに楽しみにしていた。

 朝食の場で、つい自分は言い過ぎてしまったように今では感じている。が彼の本名である”露払い”を嫌がっていることは容易に察せられた。理由は知らない。聞こうともしていない。鞘も柄もぼろぼろで、拵えだってぎりぎり存在するかしないか程にひどい有様だった。尾羽打ち枯らすとは正にこのことだろう。主の手により美しく真新しいものに取り替えられて、ぐんと見場はよくなったように思う。

中年男性という、この本丸では珍しい立ち位置の見場をしたは、華麗さやそれと解る美しさはない。が、思わず触れてしまいたくなる程に綺麗な肌をしている。欠陥がある身体だと聞いているが、到底そうとは思えない。朝方、ジャージの前が完全にはだけられて見える裸はぞっとする程長谷部を誘うし、風呂場でも気になってたまらない。顔や手足ではなく、腹だけが異常に長谷部を誘うのだ。幸い、腹部は風呂場であっても皆の目にさらされ難い場所だから、多分長谷部以外のものにはばれていない。秘密を隠すためにも、には着込んでいてもらいたいというのに、本人はからきし気にしていないものだから困る。

 綺麗だと、長谷部を誘って止まないのだから他の男士の目にも毒なのだと、には知ってもらいたい。一方で知った後で彼が何をするのかが解らず、あの腹が守られるのであれば知らなくたって良いとも思う。綺麗だ、だがそれを褒められないとはなんと辛いことだろう。雑草を全て毟り終え、ゴミ袋にまとめると、長谷部は腐葉土の作成機に入れた。役に立たないものも、役に立たせる術があるのだ。も同じである。

日差しの強さに、長谷部は今日は随分と暑いと顔を顰めた。時間さえあれば打ち水をしたいところであるが、もうそろそろ自分は一度休憩をとるべきだろう。ついでにがだらけた格好をしていないか確認をする必要がある。庭具を片付けると、長谷部は泥を落としに洗面所へ向かった。手を洗い、指先も綺麗に擦り合わせ、爪の中の泥も綺麗にこそぎ落とす。顔を洗って、自分に役に立つのかよくは解らないが、主に命じられた通りの化粧水と乳液を塗ってさっぱりとさせた。本当ならば風呂にでも入りたい気分だが、夕方厩の世話もあるので今は我慢すべきだろう。足取りも軽く、そのまま厨房へ向かうと、示し合わせたかのように歌仙兼定が秋田藤四郎と用意したおやつを持たせてくれる。

「はい、の分も用意したよ。彼には寒天で良いんだろうね?」
「ああ。あれは柔らかいものでなければ駄目だそうだ」
「早く元気になられると良いですね。この前も、廊下で踞ってらしたので心配です」
「なんだと」

寝耳に水とはこのことであった。の体調は、主程ではないが把握しているつもりである。調子が上向いて来ているという風に考えていたし、実際そうだと主に伺っていた。だから、そんな風に踞っていたなどというのは、あってはいけないことなのである。長谷部の剣幕に、しまった、と秋田が顔を顰める。どうやら秋田は口封じをされていただけらしい。これ以上(見た目は)若年のものを問いつめた所で仕方がない、と長谷部は溜め息をついた。不安が徐々に広がってゆく。不安というよりも心配だろう。駆け出したいような気持ちを堪えて礼を述べると、長谷部は日常に戻るべく渡り廊下を歩いた。

 渡り廊下を越えてすぐの部屋が江雪左文字、その横は山伏・堀川・山姥切の三兄弟、向かい側は宗三左文字に小夜左文字と兄弟刀たちが連なっている。連帯が強い方が面倒事は少ないだろうという乱暴な配慮の結果だ。長谷部にはこれという兄弟はない。強いて言えば大倶利伽羅は近いが遠い。故に更に端の、そうした縁をこれといって持たない面々が集うあたりに部屋を得ている。管理下におけるよう、の部屋はすぐ隣だ。洋間の不便なことに、鍵がかかっているので入り難い。こんこん、と扉を叩いたが、これという返事はない。内鍵だから中に居る事は明々白々だ。これはまたぞろ昼寝でもしているのか、と長谷部は表情を険しくした。つくづくあの男はだらしなくていけない。

「おい、。お前がいることは解っているんだぞ!具合が悪いのか?おやつ時だ、扉を開けてくれ」
「……おやつはいらないからさ、放っておいてくれよ」

具合もいいんだ、という声は妙に鼻にかかっていた。おまけに低く掠れている。病気にはかからないが、腐食はありうることだし、ましてやには欠陥がある。放っておくことなど到底出来ない。舌打ちすると、長谷部はおやつの載った盆を安全な場所へと置いた。短く息を吸って、吐くと同時に扉を蹴る。頑丈ではあるが、ぎりぎり扉が壊れないように細心の注意を払った攻撃は、見事に鍵を壊してぶちあけた。鍵は修理しなければならないだろうが、それよりもだ。驚いたらしい相手の気配を感じながら、開いた扉を潜って部屋に入り、後ろ手に扉を閉める。そうして、長谷部は絶句した。

「お前、何を」
「放っておいてくれって、言ったろ!」

小声で怒鳴るは、あろうことかベッドの上で裸になって横たわっていた。慌てて散らばっていたタオルを下半身にかけているが、裸であることに変わりはない。足下に置かれた小型の映像再生機からつながったヘッドホンコードが滑らかな皮膚の上に転がっていて、妙にそそる。映像再生機では、裸の男性二人が何事か絡み合っているようだが、一体何を意味するのか長谷部には解らなかった。(何しろ付喪神には不要な行いであるし、手本を見せる人間も何もありはしない)うっすらと上気した肌が、呼吸に合わせてひくひくと動くのを長谷部はただ観ていた。

「……はあ、わかんないんだな。長谷部さん、鍵壊すのは良いんだが、おやつを持って来てくれ。あと、周りの奴が驚いてたら適当に言い繕ってくれよな。何してたのか、知りたいんだろ?」
「わ、わかった」

普段の立場とはまるきり逆で、すっかりの命に従うことになってしまっている。廊下に出ていたのはおしゃべりな鶴丸国永で、相変わらずがだらしなくてつい喧嘩をしてしまったのだ、と言えば存外素直に飲み込んでくれた。いつかは殴り合いにでもなるんじゃないかと思ってたよ、あんまり激しくすると主にばれてことだぜ、という注進つきだ。勿論である。今、この状況は絶対に皆に知られてはならないのだ、と長谷部はどこかでそう感じていた。

 おやつをとって部屋に戻れば、は散らばっていたものを片付け、ベッドの上に座り込んでいた。腰にバスタオルをまとっているくらいで、裸は裸のままだ。眩しいまでに腹部が目に入り、長谷部は恥ずかしくなって目を反らした。肩まで伸びたの髪が揺れている。窓から差し込む陽光に透けて、彼の髪が実は青緑の沈んだような色だということが知れた。にっかり青江に似なくもないが、どんよりとしてもっと汚らしい色使いである。どれだけ手入れをしてやっても、それだけは治らないままだった。

「長谷部さんはさ、男女の閨事って知ってるか?人間がするやつだ。聞いた事くらいはあると信じたいんだが」
「……一応は」
「そりゃあ良かった。俺はね、あんたよりもずっと長い間この姿でいたもんだから人臭いんだよ」

あれは発情したのを散じていたんだ、と端的に述べられ、長谷部は頭が爆発するかと思った。どうやら具体的に何であるのか、を長谷部が理解していないことをは悟ったようで、手元の映像再生機を弄くってこれだ、と男女の交わりを見せつけた。裸の人間が絡み合っている。内臓器官があちらの内臓器官に吸い込まれているが、双方共に苦しそうな心地良さそうな蕩けた様を見せていた。これを現代の言葉ではセックスって言うんだぜ、と珍しくが訳知り顔で言う。気持ちの悪さを覚えると同時に、長谷部はどうにも下半身がむずむずとするものを覚えていた。これが発情なのだろうか?に問えば、目を丸くした後で、そうだ、と短く頷いた。

「セックスは相手がいなくちゃ出来ないからな、一人のときは一人なりにするしかないんだよ。ん、そうだな、この辺りでも観れば良い」
「お前のやり方を教えてくれないのか?」
「俺のは少し特殊でね。人に教えるつもりはない」

ふ、と鼻で笑うと、はそれはお前さんにあげるよ、と映像再生機を渡して来た。違う、こういうものが欲しいんじゃあない。渡された再生機を横に置くと、長谷部はずい、とに寄り添った。触れようか触れまいか、ずっと迷い続けて来た肌がそこにある。晒された腹部を撫でると、びくりと震えてが逃げる。腕を捕えて組み敷けば、鍛錬を積まないはあっという間に虜になった。するすると腹を撫でているだけだというのに、実にまろやかで心地が良い。おまけにも気持ちが良いようだ。ああ、等と何の言葉でもない音を漏らして首を振っている。タオルを解いてはだけると、抵抗は本格化したが無駄な事だった。が、確かにこれは抵抗もするだろうと長谷部はようやっと納得がいった。

「お前が言っていた、”欠陥”はこういうことだったのか」
「……そうだよ。人に見せるものじゃない、ぁ、やめ、んんっ」
「綺麗だよ」

嘘だ。極一般のものの目からすればそうだろう。下腹部には点々と黒い、染みのようなものが飛び散っている。大きさは様々だが、呼吸をすると赤く染まる事から、長谷部はそれが錆であると悟った。刀剣ならではの悩みにして病、治療のお陰で大分薄まったらしいことが解る。そうしてどうやらここはにとって弱点で、染みに指を這わせるだけでぶるぶると震えた。抵抗は最早形無しだ。の肌に触れた先から指が熱く、溶けてしまいそうだと長谷部は嘆息した。下半身のむずむずとした感覚はいや増し、自分の陰茎が盛り上がってしまったことだけはよく解る。どうしてこうなったかは解らない、だが先程ちらりとが解説したセックスに基づくのであれば、自分の陰茎をの中に入れれば納まるだろう。本能的に、一人でやるよりもその方がずっと心地が良いと長谷部は理解していた。染み一つないの陰茎は濡れそぼり、手で握ると一層が乱れる。ぷにぷにとその下で揺れる玉を揉んでやりながら、長谷部はこの先をどうすれば良いんだ、との耳に囁いた。

「俺はセックスがしたいんだ、。どうすればお前とできる?」
「物好きめ」

喘ぎ声の狭間で、は観念したようにぱかりと両脚を開いた。腰を突き出して来たお陰で、尻の孔がよく見えている。否、尻の中には先客があった。プラスチック製のような人工物で、長谷部はこれは元から入っていたものだろうかと首を傾げざるを得ない。何しろ他人の尻の孔を見るのはこれが初めてなので、何が当たり前で何が当たり前でないかが解らないのだ。

「何見てるんだよ。ゆっくり抜いて、それから長谷部さんのを俺の中に入れれば良い。女とは違うが、まあセックスはセックスだよ」
「わ、わかった」

矢張りこれは本来のの付属品ではないらしい。ゆっくり、というのがどの程度かは解らないが極力丁寧に長谷部は得物を引き出した。きゅうきゅうとの肉が食いついて抜き難い上に、孔の淵のあたりで捲れ上がった薄桃色がいやらしくてたまらない。ここに自分のものを入れるのかと思うと、それだけで興奮が高まって行く。抜け切ったあたりで、が甲高い声をあげてびゅるびゅると陰茎から何かを放った。尿か、と思ったが違うらしい。白濁したべっとりするその体液は、精液というのだとは低く嗤う。快楽が極まると出る仕組みらしい。いきものは、ここにいきものの種があるんだあ、俺には何もないけどさあ、と言うを見た瞬間、長谷部は彼に子供をくれてやりたくてたまらなく思った。この男の孤独に触れる度に悲しい。

「入れるぞ」
「うん、早く入れてくれよ」

一度終わってしまったが故の余裕なのか、まるで作業をするかのようなぞんざいな物言いが長谷部の癇に障る。この男は先程まで人工物(大人の玩具と呼ぶのだ、と後で審神者に教わった)で嬲っていた程なのだから、きっと中に心地良く思う場所があるのだろう。それを探し出せれば自分の勝ちだ。勝手な事を思いつくと、長谷部はちらりと、取り出した自分の陰茎と先程抜き出した人工物と比較し、自分のものの方が大きいことに心なし満足した。

 しかし入るのだろうか、と不安になる。の孔はぱくぱくと物欲しそうに開閉しているし、自身も切な気にこちらを見つめていた。見れば、彼の陰茎はまたもやむくむくと膨らみ始めている。見られていることすら心地良いのかもしれない。人間臭いとは面倒な事だった。そわそわする気持ちのままに孔に陰茎の先端を押し当て、ゆっくりと、を心に命じながら突き入れてゆく。ぬちぬちとした肉が自分の内臓器官を食べている、というのは恐怖と同時に類い稀なる安心感があった。まるで湯の中に入ったかのように暖かく、適度な締め付けがある。入り切った頃にはもうを押さえつけることなどすっかり忘れていたが、相手は抵抗せずにただ肩で息をしていた。

「入った、な」
「ふふ、どうだい、初めてのは」
「……確かに気持ちが良いな」

挑戦的な物言いに、長谷部はがこの行為を受け入れることが初めてではない、という事実に気づいた。は手慣れている。中が柔らかいのは道具のためだけではないだろう。この中に他のものも入ったのか、と思うとひどく腹立たしい。だらしのない、だらしのない身体だ。苛立を紛らわせるために、見よう見まねで腰を引いたり叩き付けたりなどすると、その度にがひいひいと喘ぐ。外に聞こえてはいけないと思っているのか、自由になった手は口を塞ぐ事で精一杯だった。もっとだ、自分だけではなく、に溶けて欲しいと長谷部は切に願った。どこだろう、どこをつけば喜ぶのだろう、さぐりさぐり続けていると、不意にの両脚がぎゅっと長谷部の背に回された。

「おい、動き難いだろうが。脚を放せ」
「確かにそうだな。悪い」

はは、と掠れた笑い声を上げると、は早く終わらせよう、と時計を指差した。自由な時間はそう長くない。廚の掃除に行かねばならないのだ。だが同時にに勝ちたいと思う。どうしたら、と焦りながら腰を動かしていると、不意にぎゅうっと中が締まった。ぱん、と頭の中が破裂したような心地の良さが広がり、身体が弛緩する。なるほどこれが絶頂、高揚感に長谷部は今の状況を全てが消し飛びそうだった。絞り上げるようにの腹が動き、ああ、この綺麗なものの中に自分は入ったのだなあ、と長谷部は満足した。子供が出来ればもっと良いのだが、それをあげることはできない。の陰茎に触れれば、まだびくびくと元気に跳ねている。

「……終わったな。後始末は自分でするから、帰ってくれ」
「お前はまだ終わってないだろう」
「俺のことは良いよ」

ちらりとこちらを見る目に宿るものを、長谷部は漸く読み取れた。情欲だ。単語だけは知っていてぴんと来なかったのだが、今は解る。自分は彼に欲情している。そうして、もまた、自分に欲情しているのだ。その発露の一形態としてセックスがあるならば、なるほど適切な対処だろう。彼の腹部に散る染みを弄れば、怪訝な表情を浮かべながらも喘ぐが楽しい。もっと色々と知りたくてたまらない、何故なら解らない事は不安だからだ。原始的な欲求と言えた。ぐい、とに覆い被さると、長谷部はしげしげとの様子を観察した。無精髭がまばらに生えた中年男性の顔だが、同じ形容が出来る日本号のように整っては居ない。瞼が厚ぼったく覆い被さり、陰気に見えるからだろう。眦の皺が年齢を感じさせる。作りからすれば、長谷部よりも余程若い筈なのだが、恐らくは彼の来歴やら付喪神になってからの長さによるのだろう。

 頬は反対に削いでいて、触ればすぐさま骨を掴むようだった。柔らかいものばかり食べているせいではないかと思う程に弱そうな顎で、顎の下をくすぐってやるときゅうと目を閉じる様が面白い。皮膚が薄いのか、皮膚の下にあるのかないのか怪しい血のような液体がところどころで透けて見える。うっすらと赤いのはそのためだと長谷部は知った。そうしてあちこちを検分したが、彼の欠陥はどうやら下腹部くらいらしい。しかも審神者が絶賛治療中なのだから、そのうち消えてなくなるだろう。

「長谷部さん、気は済んだかい。済んだらさっさとどいてくれ」
「まだだ。お前が極まってない」

やり方を教えろ、と長谷部はいつものように命じた。は顔を顰め、溜め息をつく。何かを迷っているようだったが、長谷部はそれが何かは解らない。まだ、長谷部は何も知らないのだ。人の気なぞ。

「教えろ、お前の全てを、俺に」
「わかった」

だから、それが嘘だと解らなかった。




 好奇心は身を滅ぼすものだ。軋む身体を横たえながら、果たして自分はこれで良いのかとは嘆じた。ものの弾みで長谷部に一人遊びを見つかってしまい、からかって誤摩化すつもりが手ひどいしっぺ返しを受けてしまった。とはいえ、本質的な行為を理解しない長谷部を転がすのは簡単で、は本当に自分がそうした相手に望むようなことは何一つとして求めなかったし、教えないままで済ませている。老獪な知恵で、長谷部が気づく事は無いに違いない。

 他人の体温は暖かい。最初の持ち主が自分に触れた時も、随分後でぼろぼろのまま付喪神になった自分に付喪神らしい生き方を教えてくれた古道具の面々も、皆一様に暖かかった。それが身体の造りではなく、心がそう思わせているのだと気づいた頃にはたった一人で道ばたに転がっていたので寂しくてたまらない。運良く長谷部が自分に躓いてくれたからもう一度味わえているのだし、そうした意味では長谷部に頭が上がらない。

「おい、大丈夫か」
「大丈夫じゃないね。腰が痛くてだるいよ」
「すまん。……抑えがきかなかった」
「最初だからね。女の子にする時は優しくした方が良い。嫌われるよ」
「ああ」

長谷部が仕事に出かけた後、はこっそり審神者に事の次第を報告した。多少は読めた展開らしく、驚きもせずに喰えぬ審神者は、そろそろ彼らも知っていい頃だと承知したのである。きっと便利な今の世の中には、ひとならざるものでも楽しめる場所があるだろう。もそこで適当な男を拾うのは悪くない、と勝手に考えていた。ただ乗りは楽で良い。

 夕餉もさぼり、風呂も適当に済ませてしまった。他の面々と鉢合うに耐えられない状態であることくらいはも解る。ベッドに腰掛ける長谷部も風呂まで終わらせたらしく、石鹸の良い香りがしていた。そうでなくともこの伊達男は良い香りがするように思う。見目が良いものは有利だ。見目で落とされたことがあるは妬みではなく羨ましいとただ思った。その男が雰囲気に酔って自分に欲情したというのは、ちょっとした棚から牡丹餅である。だからそれ以上は期待するつもりは特にない。

「もう少し学習しておこう。次の非番はあけておけよ。明日以降はお前も仕事があるからな、そう暇にならないのが残念だ」
「長谷部さん。今俺は、あんたが他所の女とすることを言ってるんだよ。誤解するような台詞はよしてくれ。俺は御免だね」
「最初なんだ、下手でも仕方がないだろう!それに最後はお前も気持ち良さそうだったじゃないか」
「いや、全然違う話をしてるんだよ。それにあんたは素質があるから、きっと上手になれるさ」
「それは良かった」

言うなり長谷部は微笑むと、軽くに口付けた。全く教えもしなかった行為が施され、の頭が真っ白になる。この男は今何をしたのだろうか。どこで学んで来た?ぽかんとしていると、長谷部は何度か可愛らしい音を立てながら繰り返した。矢張り、悪くはない。疲れた腕をどうにか動かして突っぱねると、途端に不満げな表情を浮かべる長谷部がおかしかった。

「どこで覚えて来たんだよ」
「主だ。段階を踏めと言われてな。他にも色々あるそうだが、まずは口付けをせよと」
「あっそ」

主命か、とは心の中で毒づいた。この男はいつだってそればかりだ。多分、自分と次をしたいというのは負けず嫌いからだろう。全てが面倒になってしまって、は思考を放り投げた。ともかく眠い。石鹸の香りが近づく。背中の温もりからさっするに、どうやら長谷部は自分に寄り添って寝る気らしいが、はただそっとしておいた。こんなことは続かない。腹の底からわき上がるようなむずがゆさも、全てが気のせいだ。早く他の男に抱かれたいな、と長谷部が知ったらば罵りそうな願望を抱いて、はぎゅっと目を瞑った。


〆.

あとがき>>
 色々な意味でだらしなくて、何かが欠けているのを堪えるような、そんな人間性の弱さが好きです。現実では苛つく事も多いですが、割れ鍋に綴じ蓋、きっちりとしていて何もかもを欲する貪欲な相手と照らし合わせれば面白いのではないかと思いました。一応続きを想定しています。主人公の来歴なども考えてあるので、次作で盛り込まないと……盛り込まないと終われないので……盛り込みます。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!