選ぶ選ばぬどちらもできぬ、
それが運命、
これぞ運命。
脱獄囚は揺り籠の夢を見るか
現代の審神者にして世界の救世軍の一人、は逃げていた。何からなのか、というよりも只逃げたいという衝動だけである。誰もが寝静まった邸をそろりと抜け出し、葉影に紛れるようにして庭を通り抜ける。風の音に紛れて足音は消えているから、誰にも気付かれる事はないだろう。今夜、酒宴を開いたのは正解だった。お陰でどの刀剣男士もべろんべろんに酔っぱらってしまって近侍がどうのこうの、等としている場合ではない。いつもならば、夜は決まって誰かしらがの傍で眠るというか、貪って来るのだが、今日は久々に一人だった。
問題はこの先だ。漸く広大な庭園をぐるりと囲む土塀に打ち当たり、は睨んだ。この邸に来た当初、何度この壁に挑んだだろう。自由を求めて何度痛い目に遭ったものか。だが、今日のはひと味違う。この日のために結界を破るべく修練を積んだし、セキュリティを破るべくハッキング能力も高めたのだ。その成果として、今セキュリティは完全に切られている。さて、結界を破るか、と深呼吸した瞬間、音もなく後ろから抱き寄せられた。
「っ」
「おや、ぬしさま。どちらに参られまするか」
しっとりとした声には聞き覚えがある。最近ようやっと本丸に迎え入れられた名刀・小狐丸だ。密接すると、じわじわとの身体が熱を持ってしまう。不幸な事に、は気まぐれな政府の手によって身体を改造されてしまっている。と、いうよりも最早呪われているのだ。刀剣男士達と交わる事で、彼らとの絆を深め、霊気を高める事が出来る。快楽が深ければ深い程効力を持つという話でも頭が痛くなって来るというのに、薬が無ければ日夜相手を求めてしまうようなーー女役にされてしまったのである。男役ではないのは、刀剣男士を損ねないため、と聞いているが定かではなかった。
一応薬は飲んで来たものの、流石にこうも密接されてしまうと当てられてしまう。だが、自分は男性だし、そもそもここに来るまでは同性をそういった目で見る事も無かったのだ。そしてここから出て、出てしまって死ぬと言う事も解っているのだが、もうどうでもいい全て終われと、衝動的に思ったのである。
「……まさか私達の元を離れようと、お考えではありませんよね」
「ははは、まさかなあ……見逃してくれ、小狐丸」
「ご冗談を」
恐る恐る振り向くと、夜影に血のような朱色の獣の目が二つ、きらりと光る。こうした時、ふと、は彼らが人間ではない事を思い知らされる。にいと唇の端がつり上げられ、は反射的に身を強張らせた。いくら多少の術が使えるとはいえ、力では自分の方が下だ。おまけに小狐丸の体温で昂って行くようでは最早勝ち目は見えない。
「ぬしさまは私達のもの。この使命が終わっても、永遠に可愛がって差し上げます、と申し上げたでしょうに。逃げ出そうとする等、おいたが過ぎますね」
「嫌だって。大体、教えて来ただろ?世の中には色んな神様が居てさ、俺みたいなむさい奴を相手にする必要は無いんだぜ」
「確かに美醜の問題はありますが」
「んぁっ」
つるりと背筋を撫でられ、は甘い声を漏らした。本当に、こんな声を自分が出せる等とは未だに信じられない。の反応に気を良くしたのか、小狐丸がふふふと笑った。
「私達を高めてくれるのはぬしさま、貴方だけですよ。私はぬしさまだからこそ、可愛がっていただきたいと思うのですよ」
「い や だ!俺だって相手くらい選びたい、ぐぁっ」
「……いくらぬしさまでも、おいたが過ぎればお仕置きせねばなりますまいな」
言外に男士達を相手にするのは不本意だと伝えようとしたところ、無言で腹を殴打され、は思い切り噎せた。こんな目に遭わされるのは初めてだった。いつだって男士達は自分に優しかったし、甘かった。だが彼らは自分よりも余程力が強く、何より神様である。ただ、自分は偏に情けを受けていたに過ぎないのだと自覚し、は深く嫌悪した。ついでに蛇足ながらに付け加えれば、の言霊があれば彼らは容易に跪く。
今も、命じさえすれば小狐丸は拘束を解いて放逐してくれるだろう。だが、凶悪な彼の表情の真意が、どうにも心底寂しがっているようで強制力を発揮する事を躊躇わせた。
「さ、ぬしさまが大好きなお姫様抱っこで連れて行ってさしあげましょう」
「好きじゃない!抱え上げるな!」
「逃しませぬよ」
ひょいとを抱き上げると、小狐丸は冷たい声で囁き、額に口付けた。これからどうなるのかは多少は想像がつく。彼らは神であるが故に、どんな残虐な事をしてもおかしくはない。手足が無くなったりするのだろうか。死んでいる自分だから、とれてしまった後にどうなるのかがどうにも想像できなかった。
小狐丸が意気揚々と本丸へと運んでゆく。ふと、は小狐丸が起きて居るという事は、他の面々も既に覚醒しているのではないかと思い当たった。まさか、全員に拷問でも受けるような嵌めになるのではないか。痛い事は嫌いだ。それならばいっそ本当に死んでしまった方が良い。さあっと顔を青ざめたを見ると、小狐丸が安心してくださいませ、と軽く口付けた。
「お忘れですか?本日の近侍は小狐にございます。主のお世話は私の仕事ですよ」
勿論、仕置きも。艶めいた声に、安堵と怖気の双方を覚えながら、はぎゅうと小狐丸の袖を握った。
軽い。腕の中に大人しく納まっているの体温を感じながら、小狐丸は今更のように嘆息した。なんというか、まるで抜け殻のように軽いのだ。見目は極普通の成人男性(ただし、中年である)であるのだが、腕に感じる重みは短刀に匹敵する。ひょっとすると、と少しずつ辺の気配を読みながら小狐丸は慎重に歩を進めた。ひょっとすると、自分達刀剣男士が彼を貪って来た事がいけないのではないか。
は、食べ物である。自分達刀剣男士を生み出し、率い、育て、高める食べ物だ。刀剣男士皆が揃って大好物で、何よりも食べる事もそうだが、彼との関わり全てが好きだった。どこかいかがわしいようで根が真面目な主は、脇道ばかりを歩む人生だったお陰か、話題が豊富で面白い。
食べ物は、いつかなくなってしまう。先日もたんまり燭台切光忠がこさえてくれた油揚げは、もう無くなってしまった。又作ってあげるよ、と言われたものだが実に寂しい。もいつかはなくなってしまうのだろうか。それは恐ろしい話だった。何しろ、油揚げは畑仕事をして大豆を育てて収穫すれば、いずれ手に入るものである。だが、主は収穫する事すら許されない。彼はただ一人なのだ。
そんな貴重な彼が、自ら外へと出奔しようとした事は、小狐丸の心に暗い影を落としていた。は、自分達が嫌いなのだろうか。あんな風に笑い、目を輝かせ、時には困った様子で触れ合っていたのは全て演技だったのだろうか。春の庭の爽やかな香りも、小狐丸の気を晴らす事は無かった。庭を無事に通り切り、開けた縁側を避けて裏手からの住まう離れを目指す。彼はこの本丸の中で最も堅牢な部屋に住んでいた。一度、敵軍が本丸を襲った際でもびくともしなかった場所である。そして何よりも静かで、どんな物音を立てようとも周囲には聞こえない。結界が万全なので覗き見も心配しないで良い。
小狐丸は、主が好きだ。他のものならばけして許さないが、彼の自慢の髪の毛を弄っていいのはだけである。が笑うと、こちらの心も弾むし、もっとその笑顔を見せて欲しくて戦場で張り切って誉れを取るのだ。正直なところ、使命等どうでもいいのだが、と一緒に居る理由であれば十分為すに足りる。が閨で誘って来る様は勿論好きだし、一転して恥ずかしがる姿等は思い出すだけで滾るものがある。実は手先が器用で、短刀達の間で流行っている拵えものは全てが作っていた。なかなか良い趣味をした代物で、彼は昔それを作る内職で生計を立てていた事があるのだ、と言っていた。
こんなにも、こんなにも好きなのに、どうして彼は自分達を、自分を捨てようとするのだろう。止めてくれ、と懇願する思いで無事に離れに入り込んだ。を抱え込んだままで内側から鍵をかける。これでこの世界には自分と主の二人きりだけになった。の顔を見る事も辛くて、彼を丁寧にベッドに横たえさせると、小狐丸は懐から手ぬぐいを取り出し、ぱん、と開いた。急な音にがびくりと震える。暴力でもふるわれると思っているのだろうか?だとすれば心外だし、何よりも自分をそんな輩だと思われていたのが悲しかった。
「……逃げないのですね。今ならば、言霊の力で私から逃げる事もできますよ」
「諦めた」
こちらを向くと、はすっぱりと言葉を投げた。何も考えてない瞳だった。時折、彼はこうした瞳を見せる。まるでこの世の全てを諦めているような、何も自分には関係ないとでもいうような、空虚さを見せつけて来る。見れば見るほど悲しくなって、小狐丸は手ぬぐいを両手で広げると、に指令を出した。
「口を開けてくだされ」
「あーん」
大人しく開かれた口にぐるりと手ぬぐいで猿ぐつわを噛ませる。少々意外だったようで、目を開かれたが、が暴れる事は無かった。
「……本当は、ぬしさまのお声を聞きたくてたまりませぬが、万が一という事もございまする。また今度、聞かせてくだされ」
口付けようとして、猿ぐつわをしていると出来ない事に気付き、小狐丸は舌打ちした。主との口付けは小狐丸の大好きな行為の一つだ。彼と触れ合い、交わり合って一つになりたいと思う欲求を叶えてくれる場所である。残念で仕方が無いが、言霊を防ぐには他に方法も無い。諦めると、小狐丸は手慣れた様子で自分の衣服を脱ぎ、の服を脱がせた。
の衣服は簡単だ。今は暖かくなって来たので、身動きのしやすいてろりとした柔らかいTシャツの上に作務衣を纏っている。極稀に、政府の役人が来る際はぴしっとした礼服を身に着けるのだが、それ以外はお洒落にも頓着しない。自分達刀剣男士には、気をつけるようにと色々と趣味の良いものを進めて来るから、嫌いではないのだが、恐らく自分自身に興味が無いのだろう。
全て脱ぎさると、筋張った主の身体が現れる。裸になって向き合うのは随分慣れているのか、は平然としていた。何をされても強張る事も無く受け入れるつもりなのだろう。目だけがこちらを伺うように小狐丸の方を見ている。
「これより、お仕置きを始めさせていただきます。と、言っても、余り痛い事ではありませぬゆえ、ご安心ください。ただ、私はぬしさまが嫌がっていた事をします」
「んんんむうう?」
「ええ。様、私がこれからじっくり愛して差し上げますよ」
「むむぐっ」
小狐丸が仕置きの内容を告げた途端、の両の目が開かれ、逃げようと後じさりする。とはいえ、出口の方面は小狐丸が塞いでしまっているから無意味な抵抗だった。腕を掴んで引き寄せ、裸の肌同士をぴとりとすりあわせる。いやだと駄々をこねる頭を撫でると、小狐丸はふうと耳元に息を吹きかけた。感じやすいの身体はそれだけで震えて、もっと触れて欲しいと強請り始める。主の意志に反して、この身体はひどくあさましいのだ。小狐丸にとっては実に都合の良い身体である。
は、愛される事を嫌っている。正確には、それを明示される事を嫌がっているのだ。好意そのものは問題ない。だが、最中に睦言を囁く事は強く禁じられていたし、最後に繋がり合う際はいつだって先手を打って命令口調で言霊を用いて強いられる形となっていた。本当は自分の愛情を全て包み隠さず伝えて、その成果として交わり合いたいというのが刀剣男士達が揃って陰で口にする不満である。
何故なのか、というのは小狐丸は何となく解るような気がした。しっとりと肌が濡れ始める頃に離れると、ちゅうとの右の手を掴んで口付ける。そのまま指の一本一本を指先から根元まで舐め、吸い、食む。くぐもった吐息に合わせてどんどんとの瞳が濡れて蕩け始めた。
絆を深める行為をしながら、本当の意味で絆を繋ごうともしないのは、それが繋がる事を恐れているからに他ならない。以前、事務報告にやってくる政府の役人に聞いた話では、がここに来るまでの半生はろくでもないものであったらしい。両親の離婚と同時に放逐され、仕方が為しに学僧になり、そこそこの成績で伝法灌頂までたどり着いた。だが、派遣された先の寺というのがくせもので、伝統格式のある総本山は親類縁者による独裁と、それをとりまく政治と女・金で腐り切った世界だった。本山の坊主ともなれば、羽振りもよく、建前上禁じては居るものの女遊びが激しいものも少なくはない。は簡単に染まったし、同時にこの世界をひどく憂いたようだ。管守の愛人に目を付けられた事を機に出奔した後は、あれよあれよという間に落ちぶれた。ヒモや愛人は勿論、小さな詐欺まがいの事や無法者の使いっ走りもした。大きな犯罪以外は大概した向きさえある。そうして行き倒れて拾われた、というのが話だった。
要するに、彼は人との繋がりを信じられないのだ。人と人は、何かと何かの交換でのみやり取りできると思いたがっている。確かにその方が解りやすいだろう。人の気持ちというのは目に見えないし、変わりやすい。子供同士の関係が顕著で、子供は昨日約束した友情を翌日には平気で裏切る。悪意が無い分恐ろしい。そして、大人になるにつれて悪意を抱く率は上がるのだ。小狐丸は人間ではないけれども、に生み出されてからというもの、を知りたくて、人を知りたくて様々な情報を吸収して来たから、その程度の事は解らないでも無かった。
可哀想に、と思う。彼を、そしてそんな彼を求めてしまうようになった自分達刀剣男士を、可哀想と思う。だが、互いにこれよりどうにもならないのだ。散々舐めしゃぶった手指から、今度は腕へと舌を伸ばす。責め苦はまだまだ始まったばかりだった。
恐ろしい。じわじわと迫り来る小規模な快感の波に、は頭がおかしくなりそうだった。気持ちの悪い例えをするならば、体中に小さな虫が這い回り、中へと入り込んで行ったかのようなくすぐったさやむずがゆさがある。小狐丸のやり口は実に易しい。体中を隅々まで舐め、食み、吸っては存在を確認して来る。獣じみたやり口だ。だが、彼が冒頭に述べたようにこれは仕置きであり、彼の愛を(あるいは彼ら刀剣男士全員の愛を)知らしめるための行為なのである。合間に降る言葉は、砂糖よりも何もよりも甘かった。
お慕いしております、という言葉は何遍も聞いたから聞き流せる。だが、一緒に花見をした時のこれこれこういう台詞と表情が忘れられない、というのは非常に具体的な上に、一度きりしか聞けない。まるで世間話をするような感想や思い出ばかりなのだが、そこらの映画で耳にするような睦言よりも余程小狐丸が自分に対してどのような想いを抱いているのかを伝えてくれる。やめてくれ、とは目を瞑ろうとするが、次々と繰り出される行為で優しく牽制される。耳には蓋が出来ない、という事を深く悔いたのはこれが初めてだった。
どうせ、この行為が終わればこんな茶番は全て終わる。小狐丸の言葉に嘘はないと解りながらも、は彼の気持ちを信じたくはなかった。あの壁を越えて存在を失ってしまえたならばどんなに良いだろう。あの場で、小狐丸の寂しさを感じ取って残ってしまった自分は馬鹿だ。
刀剣男士達との生活は苦しいものばかりではない。体力的に、精神的にまいってしまうような事も多いけれども、彼らに慕われるのは悪い気はしなかった。短刀達を自分の子供のように甘やかすのも、人生初めての経験だった。彼らは無垢で無邪気だ。多分、計算というものを知らない。だから、彼らを落胆させたり裏切ってはいけない、と思う。だが裏切りたい程に衝動的に辛さが増して、逃げたくてたまらなくなったのだ。勘弁してくれ。容赦してくれ。こんな、こんな想いをする全てを消し去らせてくれ。
だが、神様というものはいつだって残酷だ。には他の道等ないのだと、小狐丸が教えてくれる。彼は全身に愛と優しさを降らせてくれるのに、直接的な快楽は少しも与えようとしない。それでも徐々に自分の身体から霊気とでも言うべきものが漏れだしているのを感じている。小狐丸は、自分自身が気持ち良くなりたいとは思わないのだろうか?他の刀剣男士もそうだ。強制的に局所を押さえれば、一定以上の快楽は得られるというのに、皆丁寧に自分を取り扱う。
いっそ壊すようにしてくれれば諦められた、とは天井を仰いだ。味気のない、クリーム色の壁紙が貼られている。ここにポスターでも貼ったらどうですか、と政府の役人が無駄口を叩いていた。この部屋は牢獄だ、この本丸は監獄だ、何よりも何よりも、この心こそが檻なのだ。どうしようもなく辛くて涙が溢れて止まらない。良い大人が何と言う無様な事かと思う。無様であるのは勿論今に始まった事ではないのだが、例えようもない悲しみが津波のように押し寄せて来ていた。
「ぬしさま、そんなにおいやですか」
手を止めると、小狐丸がひそりと声をかけてきた。おずおずと、まるで親にものを尋ねようとする幼子のような声音である。ぬしさま、そんなにも、と小狐丸が正面からこちらを見た。ついで、ぽたぽたと暖かい雨が落ちて来る。なんだ、そんななりをして泣くのか、とは自分が泣いているのも棚に上げて驚いた。そういえば、損傷した際に痛いと泣いていたような気もする。だが今は一体何が彼を泣かせているのだろう?泣いた狐がすりすりと肩口に顔を埋めてくるものだから、どうしようもなく手持ち無沙汰なは、いつものようにそのふさふさとした毛並みを撫でてやった。
「私は、ぬしさまに愛されたい。私がぬしさまを愛する事をおゆるしいただきたい。そうでなければ、私は、いっそ、」
壊れてしまった方がましだ、等と宣うものだから、は今度こそ心臓が飛び出る思いだった。てっきり、を殺すと言うのかと思っていたのである。故に、この台詞は却って小狐丸の自分に対する想いを切々と訴えており、はしみじみと実感した。馬鹿だな、と思う。同時に、この愚かな神様が、は気に入ってしまっているのだな、と感じ入った。どうでも良い相手に対して、ここまで気を使うような出来た人間ではない。
幸いにして手は自由なものだから(猿ぐつわは、同意の上で行っているというわけだから、ちょっとしたお遊びに過ぎない)、猿ぐつわを片手で外し、小狐丸のつむじに口付けてやった。
「いいよ。そうしよう」
「ぬ、ぬしさま」
「俺はお前達が、お前が好きだよ。可愛くて馬鹿だけど、いいんだ、それでーー”俺を愛する事を許すし、俺はお前達を愛する”」
「あ、」
唐突に放たれた言霊は、小狐丸の全身を震わせた。恐らく、この本丸に居る全ての刀剣男士が感じ取ったに違いない。それほどまでに自分と彼らとの間に流れる絆は強いのだ。そう、繋いでしまっているのである。もうどうにもできない。どれだけ引きちぎろうとしても無理ならば、巻き取るまでだ。
「……さ、俺の小狐は、どうしてくれるんだ?」
「様ぁ」
泣き笑いの様子で顔をくしゃくしゃに歪めると、小狐丸はべたべたと甘え、漸く動き始めた。それは、仕置きでも何でもなく、ただ愛を確認し、示すだけの行為である。許したならば、それはそれで心地が良い。
諦めではなく選択だ、と言い聞かせては優しい神の背に両腕を回した。
「ぬしさま!愛しいぬしさま!髪を整えてくだされ」
「ちょっと新参者の狐はどいてくれない?今日の様を間近で愛する権利は僕にあるんだから」
「……朝からうるさい。少しはゆっくりと休ませろよ」
半分ぼんやりとした頭で、は目を開けた。ほの明るい中に、今日もクリーム色の壁紙を貼った天井が見える。日は変わったが生活は何も変わらない。ただ、どうやら男士達が自分により一層積極的になった、という事らしい。今日の近侍の大和守安定が、隣で寝ていた小狐丸とぎゃいぎゃいと言い争っていた。の静止もまったく聞かずにキャットファイトにもつれ込む二人を放置すると、は傍に控えていた平野藤四郎の頭を撫で、彼の手から温めた濡れタオルを受け取った。この少年はこういった気遣いが本当に抜け目ない。
「あー、生き返るわ。服は?」
「こちらにご用意しております。……お加減は宜しいのですか?」
「うん。心配してくれてありがとうな、平野」
「いえ!お慕いしている様のお顔を朝から見れただけでも、僕は嬉しいです」
「よーし、朝飯行くか」
眩しい程に向くな笑みに、ぎこちなく笑みを返すと、は頷く少年から受け取った服に着替え、部屋を出た。争っている二人はこちらに気付きもしない。何の気なしに、先立つ少年の手を握ると、驚いたように振り向かれた。顔が真っ赤だ。
「な、な、何をなさるんですか!」
「好きな奴の手をつないじゃ悪いか?」
「……恐悦至極にございます!」
ぎゅうとその小さな手で、の手を握り返すと、平野は感極まった様子でぶんぶんと振り回した。この謙譲の美徳を体現したような少年が、このような子供染みた所作を見せるのは初めての事である。ああ、好意を、愛情をかわし合うとはこんなにも魅力的な効果があるのだな、とは初めて感動を覚えた。
朝餉の香りがする。今日は洋食らしい。へし切長谷部が準備しているのだろう、彼のフレンチトーストは最高だ。渡り廊下から庭を眺めると、は色づく花びらに目を細めた。
ここは心地良い監獄だった。
〆.
あとがき>>
前回のろくでなし審神者の続きです。諦めきれない意地汚い読了感が個人的に落ち着かなかったので、回収を図りました。エロと見せかけて殆ど何もしていないという、この驚き。小狐丸が可愛いという気持ち、プライスレス。でも書いていたら意外と平野藤四郎も好きだった……。
最後まで読んでくださり、有り難うございました!