僕の心に幽霊はいる。
枯れ尾花 2
心がざわついてやまない。刀剣男士という付喪神であるにっかり青江により、死んだ筈のは再び物理的な形を得るに至った。それを何と呼ぶのかはよく解らない。ただ、元・幽霊はどういうわけだか元・他人の所有物によって所有物扱いされるに至った。は未だにその状況を受け入れられないでいる。何故って、には心があるものだから、可能であれば好意を持つ相手とは対等でありたいのだ。見た目は二人とも男性で、に至っては完全な中年男性で美しさの欠片もないというのは、最早議論の外である。は死んでから初めて好意を持った、その相手がたまたま青江だった。青江の気持ちはよくわからない。ただ、青江はを玩具扱いしている、このことだけは確かだった。
「それで、貴方は嫌がっているというのにあの男は付き纏ってる、というわけなんですね」
「そういうことになるな」
正座をして縮こまりながら、は目の前にいるこの部屋の主を見た。にっかり青江とはまた違った、柔らかな印象を持つ美青年、宗三左文字である。彼もまた、刀剣男士の一人で、運の悪いことにの隣の部屋の主だった。美人の怒りは恐ろしい、という台詞を聞いた事はあっても実感した事のないは、今なるほどと納得することでその恐怖を打ち払う。昨晩、遠征から帰って来た青江に部屋で好き勝手され、その際の悲鳴が隣室に丸聞こえだった、という最悪の事態だ。が、が悪いのではない。悪いのは青江だ。当の青江は今日はごく普通に審神者に連れられ、戦いに出かけている。良いご身分だ。
「僕は青江が貴方にしたいことはよく解りませんが、無理矢理というのと僕の安眠を邪魔した事は許せませんね」
「つまり?」
「主には僕から話しておきます。対処はそれからですが、不埒な輩は成敗しましょう」
至極真っ当な物言いに、ただは頷いた。青江と不埒な事をするのは良い、が、心持ちは宜しくない。青江がと同じ気持ちでしようというならばともかくだ。ありがとう、と素直に礼を述べると、宗三がようやっと頬を緩める。初めて観た柔らかな表情に、はしばしぼうと見とれた。ちらと小耳に挟んだ所では、宗三左文字は天下人達が求めて止まない名刀であったという。それが反映された姿なのか、その気の無いまでもが当てられそうだ。当人にとっては恐らく迷惑なのだろうな、と部屋を出ようとすれば、このままここにいるようにと命じられる。
「うかつに部屋に戻って青江に捕獲されないとも限りませんからね。ここならば盲点でしょう。僕が良いというまでここにいるように」
「わかった」
あと一時間もすれば、審神者と連れた面々が帰ってくるはずである。確かに昨日のように、帰ったその足で風呂場へと直行されてはたまらない。そういえばあの櫛はどうしたのだろう。土産だと青江が渡してくれた後、気を失ってしまったので行方が知れない。どこにあるか後で探さないと、と思案しているうちに宗三はとうに消えてしまっていた。足の速い男だ。
不思議なことに、同じ人でなしであっても、宗三左文字の方がにっかり青江よりも話が通じるような気がしてくる。が、取り立てて興味は抱かない。よく知らないというのもあるが、それ以前にどうしてもという抗い難い魅力を感じないのだ。青江を前にすると、何故だか従いたくなってしまう。自分の主を青江だとみとめている証拠なのか、それとも青江に注ぎ込まれた神気がそうさせているのか、にはとんと見当がつかなかった。
ただ、嘘偽りなく青江を好ましく思う。相手が応えてくれたならば尚嬉しい。だからこそ良いようにされるのは苛立たしく、寧ろ自分主体で進めたいと思うのだ。例えばこのまま言いなりになって、ある日突然青江が他を向いてしまったら、受身の立場で追いすがることは難しい。獲得したものだけが抗いきれるのだと、獲得して来なかったは思う。言うなれば、は青江が欲しかった。青江はをものだと、所有物だと言ったがも同じ事を考えている。根本的には審神者の所有物である青江だが、ある側面においては自分のものだと主張したい。が、主張するには理由と宣言と認識の一致が必要で、今はどれもが不足している。
審神者はかつて、彼ら刀剣男士は人の見目で人ではなく、まさに心は未熟で人と同じとは思わない方が良いとに教えた。全くもってその通りである。性愛の類いに目覚めたのも恐らくはまだ、青江一人なのだ。片付けられた宗三の部屋を眺めると、は若かりし頃の自分の部屋と比べてあまりにも身ぎれいな事に笑った。この部屋には、欲がない。必要最低限のものしか見当たらない。青江の部屋も最初はそうだったが、徐々にの私物が増えるにつれて変わって行った気がする。青江の私物は何があったのかはもう覚えていない。
「あいつの私物は俺だもんな」
「誰が誰のものなんです」
「っ」
「話はつけてきましたよ。今、青江は主の説教部屋に連れて行かれました。そのうち、主から下知があるそうです。それまでは僕と行動してください」
「ありがとう」
説教部屋の存在をこれまで耳にして来なかったため、はこの屋敷にはまだまだ自分の知らない場所があるのだと恐ろしく思った。悪い方向へと想像を巡らせれば、青江が自分をどこかに引き込んでも、誰もが感知できない場所がありうるということである。平安時代、そのようにして宮中では閨事がさかんに行われたと何かの本で読んだように記憶しているが、は自分がその立場に置かれるとは思っても居なかった。勿論、互いの思いを確認し合い、問題がなければの方から引き込みたいのは山々である。だが、まだ自分の中では肉欲よりも精神的なものが先行しているので、想像だけが膨らんでゆく。
「顔、緩んでますよ。付け入られないようにしゃんとしなさい」
「わかった」
宗三の冷ややかな声に現実に戻ると、はぶんぶんと首を左右に振った。そろそろ食事の時間だ。今晩の献立は藤四郎兄弟の誰かが決めたように思う。男士の中でも料理がいくらかできるようになった者が監督についているので、特段問題はないだろう。気分的にはそろそろすき焼きでも食べたいが、これほど多くの男士に食べさせてやれるような金銭的余裕はこの本丸にはない。以前審神者と話していた、プログラミングによる小遣い稼ぎを本格的に考える頃合いだった。
自由になる金銭があれば、あの青江が自分に贈ろうとした櫛に応えてやれるような贈り物もできるだろう。今のは徒手空拳で頼りない。他にもっと商売道具があれば良いのに、これというもののない自分という存在が歯がゆかった。例えば手先が器用で衣服を作れるだとか、工芸品が作れるだとかいうものも良い。生きていた頃の記憶を掘り起こすが、どちらかといえば不器用だったことを思い出すばかりだ。不満げに鼻をならすと、は食堂の扉を潜り、遥か隅で宗三の横に座った。既に来ていた青江は正反対の場所で、こちらに気づいて移動しようとしたところで審神者に叱咤される。どうやら無事でいられそうだ、と安堵すると、は運ばれて来た膳を楽しむことに集中した。
性愛というものは複雑だ。好き嫌いは食べ物で学んだし、行動様式やら季節の移ろいやらにも感じるようになったが、それと性愛はまるきり異なるのだとにっかり青江は絶賛学習中である。初めての自分だけの所有物、他の誰もが購うことのできない”生き物”・を手中に収め、思いも寄らない使用方法を見いだしたのだが、どうやらそれはいけないことであるらしい。勿論が嫌がっていることは理解していた。しかし、互いに気持ちが良いのだから問題ないだろうと高をくくっていたのである。予想は大外れで、余計なことに勘付いた宗三左文字が審神者に密告し、今は延々と審神者の説教を受けていた。
「まず、お前は気持ちというものを考えなさい。彼とは長く共にいたいのだろう?お前が考えを改めないのであれば、それ相応の対応をせざるを得ない。解るな」
「いたい、けど」
を傍らに置く事は心地が良いし、安心する。お陰で自分の本領発揮と言える戦場に赴く際は心細くてならない。早く帰りたいので必死に任務をこなすため、このところは誉を頂戴する機会も増えていた。あの気持ち良い事を知ってしまった今は、尚更早く帰ってあの行為をしたいと思う。が、この初めて産まれた衝動はよろしくないものとのことで、理解はできないし納得もできないがそういうものだと認識せざるを得なかった。確かに、が気持ち良ければ自分も一層気持ち良くなれるという事実からして、相手であるが嫌がっていれば効用は得られまい。ではどうすれば再度味わえるのか、と問えば、審神者はお前は阿呆だ、と短く吐き捨てた。
「目的がそこにある時点で失格だ。かといって、私が何かいい方法を教えてやれる訳でもない。こういうものでも見て、少し考えるといいかもしれないな」
「これは?」
「恋愛もののドキュメンタリー、小説、その他諸々だ。虚構のものもあるが、真実が描かれているものもある。人間同士はこうした心の通い合いを経て行為をするんだーー商売でない限りはな。は商売をしていないから、それに則らなければ無理だろうよ」
他の相手でも良ければ、それは用意できるのだが、という審神者の提案を青江は断った。あれを他のものとやることは想像しにくいが、例えば蜂須賀虎徹と、などと考えると気持ちが悪くなってしまう。誰でも良い訳ではないらしい。審神者に渡された品々により、その思いは一層強くなった。渡された恋愛作品(もしくは事実を綴ったもの)は、異性同性はたまた異種に及ぶまで、ありとあらゆる領域を網羅しており、青江にとってみれば、実に”参考になる代物”と言える。と自分は、見た目においては同性同士で、実際には異種同士だからだ。この異種同士というのがミソで、異種ということは互いに文化的背景も異なりそもそもの意思疎通にすらただならぬ困難を有する。現在の青江とも齟齬を来しているから丁度当てはまるだろう。
「行為だけしたいのは駄目だって主は言ってたけど、種の繁栄を望むという本能規模での相手というのもいる、ってことは、別に問題ないんじゃないのかな」
「でも、君とではやや子は産まれないよ。そもそも増える類いのものじゃないだろう、我々は」
「石切丸は理屈っぽいな。気持ちのもちようだよ、気持ちの」
どうせならば、と他の刀剣男士達も横並びで性愛とは、云々を学んでいる最中である。横で源氏物語(丁度石切丸にとって慣れ親しんだ世代の話が描かれているらしい)を開く石切丸に舌を出してみせると、青江はううん、と一つ唸った。学べば学ぶ程したくなってきてしまう。先程石切丸が言うように、自分は自分の仲間を増やすことはできない。生きてはいないのだから仕方がない。だが、どうしたって性行為をしたいと思うのだとしたらそれは何の欲に基づくのだろう?いっそもう自分はを”愛している”(未だにこの感情が何を意味するのかを理解していない)ということにすれば上手く目的を達成できないだろうか。悪賢いことを考えると、青江はそうしよう、とあっさり決めた。確かに、今観ている恋愛映画の様子でどぎまぎしない訳ではないが、それをに当てはめられるかはよく解らないのだ。
「……君、また悪いことを考えただろう」
「まさか。僕はいつだって潔白だよ」
が何を好むのかは解らないが、数をこなせばどこかは引っかかるだろう。手当り次第に良さそうだと思えるものを集めると、青江は学習に走った。とりわけ参考になりそうであるのは、自分に自信を持つ相手ではなく、日陰者であるとか斜陽にさしかかっている頃であるとか、そうした輝きのようなものを失った相手に接する類いのものだろう。が誰かに積極的にすり寄って行く様は余り想像できない。あるいは、この本丸に女性がいないからだろうか?いたならば彼はーーと考え、青江は一挙に気持ちが悪くなった。は青江の所有物なのだ。勝手な真似は許されない。
学べば学ぶ程、恋やら愛やらを含んだ人間の営みは、心の機微というものは不可解で理不尽だった。筋道だったものはなく、まるで一時の気の迷いが積み重なった結果である彼のようである。戦略もなければ勿論戦術もない。あるかのように歌っているものは心がない。心とはどうやらそういう不可解で柔らかでもやもやとしたものらしかった。例えば、自分がに対して抱く得体の知れない不安も含まれるのだろう。(そう、不安は理由が確定しなければ気の悩みである)
他の面々は、対象がいないために実に学術的に楽しんでいるようで、三日月宗近と石切丸が時代の変遷とともに移り変わる慕う相手を魅了する方法について盛んに論じている。その向こうでは山姥切国広と山伏国広が、悲運の皇子の話に涙し、愛する者を敵から奪い去った勇ましい神の話に岩融が胸が空いたと快哉をあげていた。要するに、彼らにとっては現実味のない話、娯楽にすぎない。必死に現実にしようとしているのは青江だけなのだった。それで良いと思う。何人も絡んでしまえば事態は複雑極まりない。
「へえ、本当に”お勉強”してるんだな」
寝転がったりなんだりで、すっかり散らかった部屋に茶を運んで来たのか、盆を持ったが現れた。突然の好機到来である。手伝うよ、と傍に寄ると、青江は至って自然に盆を受け取って歌仙に渡した。渡された歌仙は不服の体だがどうでもいい。ようやっとの傍近くに寄れたのだ。
「あのさ、今、いいかな」
「話ならここでしてくれ」
警戒しているらしく、一挙にの眉間に皺が寄る。これはいけない、まずは相手の態度を軟化させるかーー虚をつくしか道はない、と戦いのように青江は冷静に判断した。そう、これは一種の勝負である。目的を達成するためにを籠絡せねばならない。勝利だけが自分に必要なものだった。
「じゃあここで言おう。きちんと言葉で伝えなければならないと知ったんだが、僕は君が好きだ」
「正直に寝たいとだけ言ったらどうなんだ、青江さん。お前が何を考えてるのか、全部顔に書いてあるぜ」
「話が早いね!解っているなら、早くしよう」
「しない。お前は人の気を知らな過ぎる」
第一こんな場所で明け透けに言うような話ではない、と用事をここですませろと言ったくせにも関わらずは愚痴る。お預けというよりもこれでは許可は決して与えられないかのようだ。無理矢理ことに及ぼうにも、無数の監視の目がこちらに注がれているため、思うようにはいかない。できるだけ雰囲気を出そうと、映画で観た人物の目つきや仕草を真似して声を出したというのに、どうして一瞬で化けの皮が剥がれてしまったのか、青江にはよく解らなかった。青江には、心がない。愛するという心がないなら、きっとそれはどうしたっておかしい、ということなのか。
すっ、とが近づき、丁度青江の耳元に口を寄せる。たったそれだけだというのに、ひどく耳朶が熱くなるようで、青江は何が起きているのかよく解らなかった。薄くの息がかかり、小さな声が注がれる。
「……俺はお前が好きだよ、にっかり青江。愛しているから、今のお前の自由にはさせない」
「剣呑だね」
「それくらいじゃなけりゃ、お前には対抗できないよ」
にいっとが笑う。どことなく見覚えのある薄ら寒い笑顔に、青江はただ古い記憶と重ねて顔を顰めた。その顔つきは嫌いだ、全く以て受け入れ難い。一方、の台詞はひどく青江を喜ばせていた。自分には全く理解できない、愛しているなる感情、それがから自分に向けられている、要するに自分に執着していると示される、なんという安心だろう!戦場でもないというのに身体が震えてならない。武者震いだ。の手が青江の髪を一房取ると、触感を確かめるように指先で弄ぶ。自分が愛撫されているのだ、と唐突に悟って青江は赤面した。仕草そのものはけして卑猥でもなく、日常的にも発生しうるものだというのに、何故こうも恥ずかしいのだろう。
「おい、なんでここで勃つんだよ」
「ぼ、僕だってわからないよ!」
呆れたの声に我に返れば、小声で指摘された通り、自分の股間のあたりが膨らみを見せている。これはあの気持ちが良い事をしなければ納まらない状態ではないか。とは言え、今の青江は心が解らない限りは行為を許されない身の上である。自分一人で慰めるのか、と思うと実に切ない。二人のやり取りを、他の男士が何事かと(特に宗三左文字は殺意を込めているように感じられる)見守っているのを感じるが、青江は踏ん切りをつけられなかった。
「仕方ない奴だな、お前は。来いよ」
「え、うん」
の招きに従って部屋を出る。ごくごく自然のうちに青江は骨張った彼の手を握った。これという反応はなかった。ただ、暗い廊下を二人で歩いている。それはこれから先を予想させるようで実にーー実に秘めやかだった。
暗がりは怖いと、誰も見ない場所は怖いと、そう思ったのは誰だったのかとは自嘲した。自分だ。それが物置に相手を誘っているだなんて、どういう風の吹き回しだというのか。物置はほこりくさくてカビ臭い。審神者の趣味で集めた、映画に使われた本物の小道具が並んでいるからで、管理は歌仙兼定が仕切っている。余人は興味も持たず、かくれんぼすらここではしない。棚の上に載ったダース・ベイダーの仮面と目が合わないように部屋の中に青江を入れると、少し待ってくれとは言い聞かせた。幼い子供のように不安を隠しきれない表情で青江が頷く。今、は素直に青江を可愛いと思った。そこまでの気迫はないが、それこそ抱いても良いかもしれない。
部屋を出て、丁度近場にある風呂場から真新しいタオルを二枚見繕うと、は小脇に抱えて舞い戻った。ティッシュでも良いのだが、ややもすると纏わり付く細かい紙の切れ端が不潔に感じられて嫌いなのだ。何に纏わり付くのかは言明しないでおこう。戻ると、は青江に下を脱ぐよう促した。案の定ーー案の定、青江は少しも萎えておらず、勢いの良いままにぶるりと陰茎が顔を覗かせる。まじまじと観るのは初めてだったので、座り込んだままではただ、見つめた。
「恥ずかしいから、余り見ないでくれないか」
「人の裸は見るくせに、自分のものを見せるのは恥ずかしいのか?」
「君が服を着ているからだよ」
「かもな」
服を脱ぐ気は毛頭ない。はただ手助けだけをするつもりなのだ。青江の背後に回ると、はそのまま座るように頼み、覆い被さるような体制をとった。自分が劣勢にあると感じるのだろう、青江が何をするのかと不安を零す。何を?散々人を弄んだというのに、肝心な知識がからきしなせいで、妙なところは子供のままだ。鼻で笑うと、はそうっと青江の陰茎を手で包み、握ってやる。髪色とそっくりの青緑色の陰毛が二次元のようで小憎らしい。軽く引っ張って、ほうけた青江の意識をこちらに引き寄せると、は見るようにと促した。
「これから一人でする時に、どうやるのか覚えておいた方が良いぜ。俺は相手をしないからな」
「いやだ、君が良い。君の方がずっと良いよ」
「俺はお前を甘やかさない」
傷つけたろうか、と僅かに良心が傷む。だがほんの僅かだ。何せ、傷つけられているのはも同じなのである。脈打つ肉塊に意識を集中させると、は凝りをほぐすように、極自然な動きで青江を慰めた。時折、どうした方がより良いのか、自分ならばどうするか、を付け加えながら続けてゆく。頭の中では別のことを考えて、ただ教えることに集中するのがこつだ。誰かに教えた事はないのだが、青江が頷きながらも心地良さそうにしているので間違っては居ないだろう。ぬるついた体液が一時に放たれようとする瞬間、タオルで包んでやると、じわりと暖かなものが滲み出す。これで終わりだ。
「後は自分でやってくれ。タオルは先に下洗いしてから洗濯に出せよ」
「」
「こら」
くるりと身体を反転させると、青江がぎゅうとこちらに抱きついた。額を肩口に擦り付けられると、ほわりと匂い立つような青江の存在に当てられてしまう。胸の奥が熱くなるものを覚えながら、はただ青江の頭を撫でた。こんな風に、性的な意図などなしに触れ合いたいという気持ちは確かにあって、青江からそれが得られるとは望外の喜びである。青江の意図は解らない。ものの本で読んだ交わりをなぞらえているだけのようにも思われた。
「青江さん、風邪引くから早くしまうものをしまった方が良い」
「君の中にというのは?」
「却下だ。人を呼ぶぞ」
「でも僕は、」
僕は君を愛でたいんだ。唐突に響いた台詞に、は全ての思考を停止させた。まるでものに対する言いざま、否、確かに青江にとっては”所有物”なのだが、かつてない圧倒的な熱意を感じ取ってを制してしまう。学んで来たばかりのぎこちない仕草で青江がに口付ける。甘やかさないと宣言したのは誰だったのか、ここに来た時点で自分は相当に甘やかすつもりだったのだ、とは苦笑した。青江の唇は水分を多く含んでいて、まるでグミのようだった。この時代にグミがあったら、お前の唇はこれそっくりだといつか教えてやりたい。
愛でたい、という宣言通りに青江はをただ撫で、服をはだけさせて肌を吸った。これまで自分の欲望だけを優先して来た青江とは大違いで、やり方だけが変わったのだと一層強く思わせる。やり方だけは変わった、中身は少しも変わりはしない。下半身に及ぼうとした時、は漸く青江を突っぱねた。
「だめだ」
「気持ち良くないのかい?色々見たのを真似してみたんだけど」
「問題はそこじゃない。お前、審神者さんにまた説教されたいのか?今度はもう俺に会えないかもしれないぜ」
「それは嫌だ」
本当はもっと単純で、何の用意もないまま行為に及んだならばきっと惨事になるだろうという側の要望に基づく。咄嗟に思いついた脅しは有効だったようで、青江はしゅんとしたまま、自分でやってみるから、と消え入りそうな声でを解放した。目の前で見るつもりもないし、第一見た所でもし自分が反応してしまえば言い訳も出来なくなってしまうものだから、は黙って部屋を出た。
愛でたい。自分が放った台詞を舌の上で転がして、青江は自慰の後始末をした。の温もりが忘れられないでいる。最後までできなかったから未練がましく思うのだろうか。違う、実際自分は愛でたいのだ。所有物であるを、初めて執着する相手を最大限愛でるのは権利であり義務である。またもの扱いをする、と審神者に怒られてしまいそうだ。だが、青江はものだった。だから、ものに対しての接し方しかまだ知らない。一夜漬けで勉強したくらいでは不足していることくらい十分承知している。
ただ、学習の成果はそれなりにあったように思う。いきなり行為に及ぶのではない、その前の段階で自分も、も満たされたような心地になったのだ。ひょっとすると、この暖かなものが”愛”なのだろうか?彼に対して安心感を抱くのはいつも通りなのだが、それ以上に嬉しかった。だから、今一人で全てを片付けるのは実に味気ない。部屋に帰ってももうはいないから、一人で寝るしかない。昨日並んで寝た事をありありと覚えているものだから余計に寂しい。矢張り、自分には必要だ。いっそのこと、この必要性を愛に置き換えてしまえば良い、と青江は思いついた。我ながら賢い。心の中でもやいだ幽霊をかっ切るように爽やかで、青江は眼前の風景全ての明度が上がる瞬間を目にした。
「目出度い」
幽霊の声がする。なんだ、そんなことだったのかと青江は立ち上がった。タオルは下洗いに出すまでもなく捨ててしまおう。使い物にならなくなったそれはただの塵で、自分の残りかすなど見たくもない。熱くざわめき立つ血の音を、ありもしない血がざわつく音を聞きながら、青江は次第に走り出した。廊下を曲がり、延々と走り、走ってたどり着く。他の部屋となんら変わることのない茶色の扉を開けば、そこにはただ宝がある。控えめに扉を叩くと、青江は解ったのだ、と部屋の主に叫んだ。
「何が」
「僕が本当にしたいことさ」
「……言っておくが、お前が解るまで寝るつもりはない」
禅問答のようなの応えに苛ついたが、青江は波立つ気持ちを整えた。裸足の足裏で、冷えた廊下の床板がじわじわと浸食を始めている。そういえば、と秘め事をしようとした時に靴下も脱いだのだった。下衣を取り去った状態で、靴下だけを履くのは奇妙に思えたのである。
「君を愛したい」
「つまり?」
「僕は解らない、だから君に教えて欲しいんだ……だって、君は僕を愛してるんだろう?だったら教えておくれ」
「青江さんは上手だな」
甘やかしてしまう、と小さな声が聞こえる。正解だ、自分は正解を吐いたのだ!扉は自ずと開かれ、青江は獲物にただ笑いかけた。何と言う児戯、何と言う茶番、だが何と心地良い事か!歌うように囁いて、青江は愛でる相手に愛でられることを許した。それが青江の愛でる方法でもあるのだから、問題はない。解らないものばかりだが、こればかりは確かなのだ。
枯れ尾花を掴んだら、持ち帰るのが青江である。幽霊はもう出ない。誰にも触れない、青江だけの幽霊だった。
〆.
あとがき>>
よくあるハッピーエンドのような綺麗なまとまりではありませんが、漸く完結です。間を空けてしまいました。。。狡い青江と、それをも織り込んだ包容力のある主人公という組み合わせも好きです。それ以上にこれはひょっとして精神的にはショタオニになるのかもしれません。
最後まで読んださり、ありがとうございました!