DREAM NOVEL
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私は何を確かめたかったのだろう

kiss


 奇妙な夢を見た。自分が男だというのに誰しもが自分のことを女だと思っている夢だった。自分は何時も通りの無精髭を生やしただらしのない格好で、何処から見ても中年に差し掛かった男性らしい見た目のままである。別段、女物の服を着ているだとか化粧をしているだとか、そんな変わったことも無い。だが何度説明しても周囲は納得してくれず、仕舞いに言い寄って来た男と関係を持つことになった。

「なんだ、これ」

服を脱ぎ、こちらの体を良い様に弄っていた男の手が急に止まる。どうしたのだ、と顔を向ければ男は愕然としてもう一度同じ場所に触れた。途端にずん、と背筋が震える様な感覚が来る。だが相手はちっとも興奮せず、寧ろ顔を青くするばかりだ。

「お前、男なのか」
「そうだよ」

そうだと何度も言ったではないか。信じなかったのはそちらだ。それよりもこの熱をどうするつもりなのだ、と詰るまでもなくああ、男が顔を覆って去って行ってしまう。男だと何度も言ったのに。悪いのは自分なのか?

「俺はお前が男だと知っていたのに」

そう呟いた所では眠りから覚めた。溺れてしまった様な息苦しさが喉の辺りにまだ漂っている。びっしょりと掻いた寝汗が気持ち悪くて仕方が無かった。気持ち悪さを助長する様に薄緑色の不気味な色合いが何処までも広がっている。影時間に入っているのだ。成る程、確かに影時間は何処であっても存在するのだとは今更の様に感心した。

 同時に、はここが屋久島であり日常とは遠く離れた場所に来ているのだということ、そして10年前の事故について詳らかな説明を受け、再び仲間達の間で結束力が高まったということをぼんやりと思い出した。まだ自分は非日常の中にあるのだ、ということが矢鱈と強調されて脳裏に響く。だからこんなにも奇妙な夢を見たのだろうか。

夢が現実ではないこと等、勿論は承知している。だが不思議と先程の悲しい様な、心に虚ろを抱え込んだ状態は継続したままであった。途切れること無しに顔すら思い出せない男が去っていったことへの後悔が渦巻き、成り行きではあったものの確かに自分は彼を愛していたのだと益体も無いことに胸が締め付けられそうになる。

 もう一度寝直そうかとも思ったが、苦しさは増すばかりで少しも瞼を閉じさせてはくれない。仕方なしには溜息を一つつくと寝台からそっと足を降ろした。




 ぬばたまの様な闇の中に、更に粘度を増したコールタールが地に広がる。それがにとっての夜の海だった。夜の海には碌な思い出が無い。だが夜時間の海は緑色の光のせいかほんのりと淡い光を放っていて、普段の不気味さはひっそりと息を潜めていた。

 こうして一人で影時間を彷徨うのは久方ぶりのことだった。思い返せばあれはそう、真田と出会うまでのことである。あるいは、とちらと桐条邸を振り返り見ては自分の滑稽さを笑った。居る筈も無い。

「何を笑っているんですか」
「っ」

不意に飛び込んで来た声に驚いて見れば、先程まで確かに誰も居なかった波打ち際にぽつんとシルエットが立っていた。毒々しいまでの緑色の光が影を穿ち、段々とその姿を露にし_________は小さな悲鳴を喉奥で上げた。

「驚かなくても良いでしょう」
「普通は驚くと思うぜ」

軽口を叩くとは真田らしき人物に首をすくめてみせた。見た目は真田そのものだったが、真田でないことは疾うに承知している。そこには確かに誰も居なかったのだ。では彼は何なのか。じっとりと汗の滲む手を握りしめると、は召喚器が無いことに歯噛みした。そもそも、バカンスには不要と誰もが持って来ていないのである。仕方なしには改めて相手を観察した。

 波打ち際だと思って居たが、良く見たらば膝まですっかり浸かってしまっている。淡い光を放っていると言っても夜は夜なので海は暗く、水面下の足は見えなかった。穏やかに笑みをたたえた瞳も淡く光り、まるで眼球の代りにLEDを埋め込んだかの様だ、とは関係のないことを思った。

「貴方が呼んだから来たのに、そう邪見にすることもないでしょう」
「は、そっちが勝手に来たんだろ。俺は誰も呼んじゃいない」

ふと、自分の足が濡れていることに気が付いては背中につ、と汗を垂らした。何時の間に波打ち際に来ていたのだ。普段よりもずっと大人びた表情の真田がもう手を伸ばせば触れる位置にある。並みが大きくうねり、まるで生き物の様に蠢いた。このままでは飲み込まれてしまう。解ってはいたがは動けないでいた。水位が上がる。自分が動いた覚えは無いというのに、もう太ももまで水面下に飲み込まれていた。

「水が、」
「大丈夫ですよ」

ぐいと引き寄せられると同時に波が目前に迫る。思わず目を瞑り、は飲み込まれるのを確かに感じた。




「うわあぁぁっ!」

がばりと身を起こしては荒く息を吐いた。どうやら一度起きたつもりが再び夢を見ていたらしい。現実であることを確認しようと周囲を見渡すが、これと言って変わった点は無かった。影時間であることもそのままである。

「何だって言うんだ、一体」

眠気はすっかり覚めたものの、もう起き上がる気分にはなれなかった。正直に言えば、怖かったのである。かと言って何をする気にもなれずに、は寝台に倒れ込むと緑色の天井を見上げた。粘ついた血糊の様な赤が所々に広がり、一層気分を盛り下げる。

さん?起きているんですか」

不意に聞こえた声には身を強張らせると、首を振って弛緩させた。これが夢でないという保証は何処にも無い。扉の向こうでは恐らく真田だろう、返事の無いことに戸惑った様子だったが、暫しの迷いの後に扉を開いたらしかった。

「……なんだ、起きているんじゃないですか。返事くらいしてください」
「悪い、起こしたか?」

真田の部屋は隣である。先程の叫び声が聞こえてもおかしくは無かった。上体を起こすと、は真田の目が光っていないことを確かめて安堵した。漣の音は聞こえるが、海は遥か向こうにある。真田が自分を女だと思っている節も無かった。

「ごめんな、こんな時間に起こして」
「良いですよ。どうせ眠れなかったんです」

小さく肩を竦めると、真田はの傍近くまで寄り、顔を覗き込んだ。触れようと思えば触れられる距離に既視感を覚え、はそっと目を逸らした。汗ばんだ額に仄白い手が触れるのを感じる。

「大丈夫ですか?汗だくですよ」
「大丈夫だよ」

悪い夢を見たのだ、とは言わずには微笑んで優しい手から逃れた。心臓が煩い程に音を立てている。同時に最初の夢で覚えた胸の苦しさと、先程見たばかりの夢で覚えた甘い不安がぶり返して来て、はぶるりと背筋を震わせた。

さん」
「ん」

答えようと顔を上げた途端に、柔らかな熱がの唇を塞いでいた。それが何であるのか瞬間的に判断出来ていたにも関わらず、は振り切ること等せずに甘受する自分を嘲笑った。何と言うことは無い、人肌に安堵を覚えた子供の様なずるさが何物をも優先したのである。そうとは知らない真田は何を思っているのか、一度重ね合わせた後はただを抱き締めるに留めた。

「……そうやって抵抗しないでいると、つけこみますよ」
「うん」
「本気ですよ」

囁き声にすら安堵して、は子供の様に頷いた。これが夢ではないことを知りたかった。あるいは、とはいつか齧った夢診断のことを思い出して首筋に噛み付く真田をそのままにした。朧げな記憶が確かであるならば、水、それも大量の水は欲求不満を意味しているらしい。確かに精神的に満たされては居ないのだろう。心から満ち足りたことなど、もう何年も無かったことだ。ぼんやりと考えて居ると、不満気な顔の真田がこちらを睨んでいた。

「どうした?」
「どうした、じゃないでしょう。具合でも悪いんじゃないですか?熱は無いみたいですけど」
「……つけこむんじゃなかったのか?」

まだるっこしい自分の唇を舌で舐めると、面白いくらいに真田の喉が嚥下する。そうして何人もの人間が自分を通り過ぎて行ったのだ。掴まなかったのは自分だったが、結局違うと切ったのは大概相手である。思い出しながらそうか、とは妙な納得をしていた。最初の夢の内容は強ち間違っても居なかったのだ。では、彼はどうだろう。半ば期待する心地で見詰めると、はじっと返事を待った。




 諦観が凪いだ海の様に静かにたゆたっていた。半ば閉じられたの瞳を覗き込んだ真田はだがしかし、その奥底に潜む人間性をどうにかして引っ張り出せないものだろうかと思案していた。例えば、あの驚かせた一瞬であるとか、今日海に投げ込んだ時であるとかに見られた様なものである。それは恐らく殆どの人間が目にしたことの無いものだろうし、ひょっとすると自身忘れつつあるものなのかもしれなかった。

 目の色とは別にの仕草は実に蠱惑的で、台詞同容に真田を誘っているかのようであった。だが、結局それは自分に対してのものではないと真田は結論付けた。精神干渉が出来なくとも、今のの精神状態が不安定であることくらいは誰にでも解る。それを誤摩化す為には傍に居た自分を騙しているだけの話なのだ。

 勿論、こんなことはある意味絶好のチャンスなのだろう。普段の突っぱねる様なの態度からは_____近頃はやや緩くなって来た様にも感じられるが_____ありえない展開である。真田はため息を吐くと首を振った。

「_____止めておきます」
「なんでだ?」

面白そうに唇を歪めるとは睫毛を瞬かせた。そうやって何人を絡めとり、彼の下を去らせて行ったのだろう。蜘蛛の巣の横糸にかろうじて乗ったまま、真田は咽ぶる様な色香から逃れる様にのパジャマのボタンをかけた。

「俺は、他の誰かと同じになんてなりたくない。今手を出したら、きっとさんは気にも留めないんでしょう?それじゃ、意味が無い」
「我が侭だな」
「狡いんですよ」

ふ、と緩んだの頬に口づけを落とすと驚いた様に目が丸くなる。投げ打つ様に自分の身は差し出すくせに、こんなところは辺に初心な様子であるのが微笑ましい。きっちりとボタンを止めてやり、真田はするりとの横に潜り込んだ。

「で、これはどういうつもり何だ?」
「何って、一緒に寝るだけですよ」
「寝るって、お前な……ああもう、解ったよ」

観念した様に横たわったに身を寄せたが、矢張り撥ね除けられることは無かった。ただ先程の諦観とは異なった、暖かい視線を感じる。その度に真田がひょっとすると、とほの明るいものを覚えていることを彼は知っているのだろうか。

 ぴたりとくっつけたの体からは海の様な水音が流れている。あるいは血潮なのかもしれないが、真田はただそれに安堵を覚えた。ゆったりとしたの寝息を聞きながら、真田は夢を共有出来るだろうかと瞳を閉じた。

 遠くたゆたう漣が静かに響いていた。

〆.

後書き>>
 タイトルは谷川俊太郎さんの詩より。ストレスからか、奇妙な夢を連続して見たのを切欠に書き綴りました。妙なものでごめんなさい。そして実はエロンヌにしようと思って失敗した代物だとかいう……矢張り大人が子供に、と思うのがいけないのか。頑張れ真田、大人まであと二年だ!(何)

最後まで読んでくださり、有り難う御座居ました!