DREAM NOVEL
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限りなく何かをし
限りなく何もしない






 昨日の疲れが溜まっていたのか、海へと繰り出した子供たちの声をは寝床で聞いていた。横で寝ていた真田は何時も通りに早起きらしく、当然のように群れの中に混じって騒いでいる。正直に言えば、うっかり自分の弱さを曝け出してしまった後であっただけに、は顔をあわせることが無くて良かったとほっと安堵した。

 本当に、うっかりとしか形容しようが無い。矢張り自分はどうかしていたのだ、と首を振るとはうんと伸びをして起き上がった。あるいは、昨晩上映された映像が自分の中で昔を思い出させたからかもしれなかった。まるで儀式のように決まりきった動きで顔を洗い、髭を剃り、歯を磨く。そうすると日常のテンポの中に不安は紛れ込んでいって、いつか気にならなくなるものだ。

 少なくともそう自分に言い聞かせると、は窓の外の暑さに閉口しながら服を着替え、階下に佇んでいた男に向かって一礼した。

「お早う御座います、桐条さん」
「お早う________君」

の声に振り向いた男は渋い声で返すと僅かに微笑んだ。隻眼であることが余計にダンディズムを際立たせている彼こそ、桐条美鶴の父親であり、桐条グループの当主である桐条武治である。自分を待つように動かぬ当主の横に並ぶと、は改めて口を開いた。

「その分だと、ひょっとしなくとも覚えてらっしゃっいましたか」
「……消息不明と聞いていたが、また戻ってきていたのか」

問いかけを無視した武治の言葉に頷くと、はそれとなく相手の姿を観察した。遥か昔に出会ったばかりの頃は、まだ精悍な青年であった彼も今では一児の父親であるだけあり、顔に年輪のようにして時間が刻まれている。同じように自分にも等しくあるだろうことを思って顔を顰めると、は武治の口から葉巻の煙が吐き出されるのを見守った。

「出奔していた間は、何をして居たんだ」
「さあ。あちこちふらふらしていただけです」
「そうか。無事ならば良い」

さして興味も無いのか深く尋ねずに頷くと、武治は用事が済んだと言うように歩き始め、五歩ほど歩いたところでぴたりと足を止めた。

「和也君と連絡を取っているのか」
「……いいえ」

一呼吸置いて返すと、はばくばくと高鳴る心臓を服の上からぎゅっと押さえた。通り行くメイドが心配そうな目を此方に向けるのが見えたが、それに返す余裕さえもは失っていた。

「彼は君を探しているぞ」
「でしょうね。ですが、黙っていてくださるんでしょう?」
「いつかは気付く」

相変わらず諾とも否とも答えずに言い切ると、今度こそ武治は歩み去っていった。何をするでもなくそれを見送り、はそっと汗でぬめる掌を開いた。

「解って居たさ」

開いた掌の指先は透き通り、薄く磨きぬかれた床石を見せていた。




 最後に、と紹介された成人男性を見た時、アイギスは不可解なものを見るように小首を傾げた。それは、と名乗った彼が他の仲間と比べ、飛びぬけて年を取っていたことが原因ではなく、もっと感覚的なものである。統計処理を続ける脳の回路の音を聞きながら、アイギスはマニュアル通りにの言葉に答えた。

さん。私を呼ぶ際に、”君”は不要です」
「いや、他の人にも同じ様に呼んでいるから意味は無いよ。ああ、意味が無いならそれこそ無意味だな」

困ったように呟く彼のそれは矢張り人間である。だが何故こうも彼からは存在の希薄を感じるのだろうか、とアイギスは自分の感覚を冷静に分析した。例えばこれはそう、シャドウを相手にしている時に近い感覚だった。さながら陽炎の様なの存在は、物質的に存在しているにも関わらず余りに揺らいでいるのである。それは妙なことで、恐らく報告したところで誰も理解し得ないだろう。彼には警戒が必要だ。

「解ったよ。君の事はアイギスと呼ぼう。これでいいかい」
「了解であります」
「ちょっと待った」

頷いて会話を打ち切ろうとしたところで、横合いからいきなり真田が飛び込んできた。何が不満であるのか大層険しい表情を見せる真田に、が俄に唇をへの字に曲げた。欠伸で無くとも反応は連鎖するのだろうか。真田と比較しても朧なの感覚に確信を深めながらもアイギスは事態を見守った。

さん。今、アイギスのことを呼び捨てにしましたよね」
「ああ。そうだな」
「……俺のことは何て呼んでましたっけ」
「真田君、だろ」

確かには真田のことをそう呼んでいる。それは他の面子に対しても同じ事で、大人以外に対して基本的には苗字に君付けすることで統一しているらしかった。それはひょっとすれば年齢の垣根というものが関係しているのかもしれないが、真田はその処遇に対して不満を持っているらしく、ぴんと眉尻を上げるといきり立った。

「俺も”君”はいりません。大体、好い加減名前で呼んでくれませんか」
「嫌だ」

殆ど反射的に答え、はしまったと顔を歪めた。真田の表情が益々険しくなる。拒絶されたことが余程納得できなかったのだろう。だがそれ以上に何故彼が要求したのかということにアイギスは興味を持った。人間の行動には何某かの理由が存在する。プログラムにはマズローの欲求段階が例示的に組み込まれていた。ならば、真田のこの要求は社会的欲求に分類されるだろうか。暫しの間を開け、先に口を開いたのはだった。

「……悪い。今のは子供っぽ過ぎた。別に深い意味は無いんだよ。ああ、確かに、アイギスのことは呼び捨てにするってのにおかしいな」
「それで、俺のことを何と呼んでくれるんですか」
「”真田”」

何か神聖なものを口にするように、ほんの少し声を落としては呼ぶと、照れた様に地面に目を落とした。温度感知での体温が上昇していることから、アイギスは彼の顔がその僅かに見える耳同様に赤く染まっていることを悟った。

「今は、それが精一杯だ」
「解りました」

先程とは打って変わって朗らかな声音を出すと真田は嬉しそうに頷いた。何故、こうも嬉しいのだろう。名前というものが自分が思う以上に何か深い意味を持っているのだ、と認識しながらもアイギスは矢張り不可解な思いを抱いていた。名前とは、所詮識別の対象でしかない。アイギスが真田ではない、ただそれだけの意味の筈である。だが彼らのこの僅かな遣り取りにはそれ以上の意味が込められているように判じられた。

「どうしたんだい、アイギス。何か気になることでもあったかい?」
「はい。さんを興味深い対象と認識しました」
「なんで俺なんだよ」

面白くも無いだろう、と真っ赤にさせた顔を上げるとは幾月と真田を交互に見比べた。幾月がおかしそうに眼を細める。事前にインプットされた情報に寄れば、は幾月と高校時代同級生だったというから、恐らく親しみを込めて何か考えているのだろうと結論づけ、アイギスは黙って二人の遣り取りを見守ることにした。

「いや、は大分変わってるからね。さすがアイギス、目の付け所が良いよ。ほら、高校の頃だって散々校内一の変人だって騒がれてたじゃない」
「それを言うなら幾月、お前の駄洒落の寒さも昔から騒がれてたぞ。年月が人を変えるってのにも限度があるらしいな」

不思議と言えば不思議なのだが、幾月がを親しげに名前で呼ぶのに対し、は頓着せずに苗字で呼び捨てるのみだった。その呼び方すらも真田に対する様な、何か意思が込められたものではない。一見すれば実に親しげに見えるにも関わらず、温度差を感じることに気付いて益々アイギスは名前の奥深さに瞠目した。アイギスと同様に耳を傾けている当の真田はその点には気付いていないようで、ただ不快そうに親しげな遣り取りを見つめている。

「酷いなぁ。変わらないんじゃなくて、時代が僕に追いついていないってだけさ。そう言うは可愛くなくなったんじゃない?昔は僕のことだって修ちゃんって呼んでくれていたのに」
「……それを呼ぶのは俺じゃない」
「え?」

奇妙な物言いに間抜けな音が漏れる。違和感は誰に対しても等しく与えられたにも関わらず、それを与えた当事者は何事も無かったかのように無視すると、何か遠いものを思い出すように瞳を眇めた。まるで射られたかのように狭められた黒目の中に光の小さな点が瞬き、引き込まれるようにアイギスは瞳を合わせた。途端、次々と見覚えの無い場面が走馬灯のようにまざまざと脳裏に浮かんでは消え、その速さは光の様に頭を突き抜けていった。大破した車、瀕死の少年と死んだ母親、騒ぎ立てた新聞記事、病院、検査、見知らぬ大人、ペルソナ、実験、失敗、アイデンティティの崩壊誰がどうして何か何が何をどこへ

「アイギス!」
「っ」

真田の声にはっと現実に返れば、ショートするかのように回路が熱くなっていた。温度差からか水滴が頬を伝う感触に、まるで汗のようだとアイギスは驚いた。を見遣れば、既に先ほどの様な目はしておらず、ただ何か痛みを堪えるような様子で心臓の辺りを押さえていた。の額を水滴が伝っている。自分と同じだ、と思いながらアイギスはゆっくりと回路を冷ました。少し時間がかかるが滞りなく復帰できるだろう。心配そうに幾月が様子を伺うと、一旦帰ろうと促した。

「了解であります」
「またな、アイギス」
「はい」

痛ましそうなの胸の上に置かれたままの手に触れると、驚いたようにの目が見開かれた。心臓の音がの手を通して響く。確かに彼は生きているのだった。

「大丈夫であります」
「そうだな」

意味合いが伝わったのか、は頷くとアイギスの手の上にもう片方の手を載せた。薄い冷たい手だった。




 アイギスが去った後、は不貞腐れた様子の真田に顔を向けた。自分のことを名前で呼んで欲しいと訴えた勢いは既に無く、ただの子供がそこに居ることが微笑ましくて、は後ろから強引に抱き込んだ。

「っ、急に何するんですか」
「俺がしたいからじゃ駄目か、”真田”」

狡いと解りながらも耳元で魔法の呪文を囁けば、解りやすくも真田の眉が困ったように下がり、口元が歪む。笑いを堪えているのだろう。は真田の不可解でありながらも真っ直ぐな行動が好きだったが、こうした素直な行動も矢張り自分に無いものだけに好ましく感じていた。自分がそれを段々と剥がして失ってしまったのが何時であるのかすら、思い出せなくなることをまだ彼は知らないのだ。出来れば一生知らずに済めば幸せだろうか、と考えては小首を傾げた。

 どんな生き方が最も生き易いか等、一度も生き切ったことのないに解ることではないし、は真田でもないのだから答え等ある訳が無かった。あれば誰よりも自分が知りたかった。何度失敗しても学習することも無く、失敗し続けた人生はどんな下手な絵よりも意味を持たなかった。失敗しただけ何もしないよりも意味があると言ったのは誰だろうか。それが誰であっても、何もしないほうがましだということがあることを知らないだけだとは言ってやりたくて仕方が無かった。

 だから予防線を張り、魔法の呪文を囁き罠を巡らし、逃げに逃げて自分を守って最後にはその自分も捨てて全てを諦めて無傷を誇っては生きていた。もし真田が今振り向けば、の顔が泣きそうに歪んでいることを見ることができただろう。悪夢に魘された昨晩同様、醒めることの無い現実にが霞みの様に何かを掴もうともがいている事を悟っただろう。だがはそれを許さないよう強く真田を抱き抱えていた。

「……なぁ、俺のことを本当は何て呼びたかったんだ?」
「それはつまり、言っても呼ばせてくれないという意味ですか」
「さあ」

再び狡い手を使って返すと、は誰か来ないだろうかと辺りを伺った。時間が遅いためだろうか、各自の部屋に入ってしまったらしく子供たちの姿は無く、同様に使用人達の姿も無かった。影時間が近いのだ、と壁にかかった時計で判断するとはゆっくりと掌を滑らせて真田の心臓の上を撫でた。少し速い拍動が伝わり、は自分から手を出したのはこれが初めてなのだと今更のように眉を上げた。

「””」
「あ、」

熱を帯びた物言いに、は思わず滑らせていた手を引いた。だがそれはすぐさま真田の手に捕らえられ、緩んだ拘束を縫って真田の体勢がくるりと反転する。咄嗟に余った手で顔を覆ったものの、隠しきれて居ないことは一目瞭然だった。それでも真っ直ぐに自分を射抜く目から逃れたくて、は無理矢理顔を背けた。真田の舌が獲物を捕らえたかのようにぺろりとその薄桃色の唇を舐める様が変に生々しくて恥ずかしくてたまらなかった。

「俺が本気で呼ぶだなんて思いも寄らなかった、っていう顔ですね」
「ちがう」
「違いませんよ。俺は何時だって貴方の名前をこんな風に呼んでいたんです」

熱が近い。強引に顔を覆っていた手を引き剥がされ、は自分の瞳に張った水の膜が零れ出そうになるのを辛うじて堪えた。真田の白い掌が頬を撫でる。昨晩と言い、すっかり逆転した立ち位置には困惑しながらも不思議と悪い気はしないでいた。ただ、与えられたその温かさや優しさが去っていく寂しさを覚えたくは無くて何も感じない振りだけをして甘受した。

「大丈夫ですよ」
「何が、だよ」

痞える様にして軽口を叩いたのは僅かな大人としての矜持だった。アイギスが自分に対して励ましの言葉を言ったのは理解できたし、相手が相手であるだけに素直に受け止めることも出来るというものである。だが、真田に対して素直に認めることはまるで自分の弱さの全てを見せ付けるようで耐えられなかった。

 質問に答えず真田は黙って頬を撫でていた手でを抱き寄せた。傾いだ体に僅かな身長差が埋まる。あと少しもすればそう高くも無い自分の身長等追い越されてしまうのだろうとは僅かに目元を笑ませた。

「何時か呼んでくれるんでしょう?俺のことも」

、ともう一度呼ばれては再び心臓の辺りが騒がしくなるのを覚えた。まるで初めて恋をしたかの様な騒がしさを叱咤すると、はそっと真田の背中に腕を回した。

「さあ、な」

狡さを滲ませたそれはだがしかし熱く、は綺麗な弧を描いた真田の唇からそっと目を逸らせて二人の様に重なる時計の針に目を遣った。


〆.

後書き>>
 漸く屋久島終了です。こ、ここまでが長かった……!アイギスを出すことが出来てほっとしています。やっぱり可愛いな、アイギス。ついで気付けばアグレッシブな真田の攻勢に甘い匂いが漂う様になってきて自分でも驚いています。い、何時の間に……!

最後まで読んでくださり、有難う御座いました!