うすかわいちまい、ぺりりとむけば、
うらのかわ
地を走り、水中を泳いで空を飛ぶ。いまだに、人はこの最後の一つだけを自らの力でなしえることができないままだ。できないからこそなのか、空を飛ぶことは時に自由の象徴であり神に近いものの象徴とされている。天使の羽が鳥そのものであることは、鳥への畏敬の現れではないだろうか?鳥は空を飛び、歌い、時に地を跳ねる。どんなに小さかろうとも殆どの鳥類は飛ぶ機能を持つ。
「大きいわねえ」
「全くですね」
時の政府から支給された、巨大な鳩を前にしてオネエにして審神者であるは、近侍のへし切長谷部とともに、間抜けな声を漏らした。尚、現在では自ら刀剣から人型へと化生させた刀剣男士達の嫁にして神の一人である。その経緯はごちゃごちゃと複雑なのだが、ここでは割愛しておこう。とまれ、庭に鎮座する鳩なのである。相も変わらず政府とは気ままで強引だ。溜め息をつきながらも、は頭の高さが丁度自分と同じ身頃の巨大な鳩が、自慢げに首からぶら下げた伝書を読んだ。
「何何、『審神者諸氏、日々お勤めご苦労である。君たちのお陰で歴史は少しずつ以前のものに戻されていることは違いない。さて、とりわけ犬馬の労を厭わず働く、前線部隊の諸氏にこの度は支援物資を送る。遠征・遠方偵察に出かけた者を、素早く行き来させることのできる優れた乗り物である。GPS機能がついているので、複数部隊を出かけさせた後で、順々に迎えに行かせることも可能だ。君たちの任務に少しでも役立つことを祈る。草々』」
なるほど、役には立ちそうである。が頭を撫でてやると、鳩はくうくうと啼いて嬉しそうにした。心配なのは食費なのだが、案の定糧秣は自ら調達せよとの無責任なお達しである。幸い貯蔵がいくらかあるものの、生産量を拡大しなければ難しそうだ。どの区画の生産量を伸ばそうか、否この鳩の鳩小屋をどこに置くべきか、厩舎では馬が怯えるだろう、などとが考えていると、横に並んでいた長谷部が良いことを思いついた、とでもいうように顔をほころばせた。
「伝書鳩ならぬ、でりばりい鳩というやつなのですな」
「長谷部君は可愛いわね。今の、もう一回言って頂戴」
「えっ、あ、主命とあらば!”伝書鳩ならぬ、でりばりい鳩というやつなのですな”」
「うんうん」
この長谷部は人の身になって大分経つものの、未だにカタカナ言葉の発音が覚束ない。それでもいくらかは覚え始めているのだが、こうしてあからさまにひらがなの発音をされてしまうと心をつかまれてしまう。普段は男士達が、主であるに雛のように慕い、ついて回っているのだが、もまた、男士達に惹かれているのだ。尤も、最近が思うのは、かっこいいというよりも、愛らしさに胸を掴まれるような、そんな感覚である。
「、おやつができたからおいで。君の好きな白玉きなこを作ったよ。……長谷部君には寒天だ」
とんとん、と規則正しい足音と共に現れ出たのは、タスキ掛けをした歌仙兼定であった。いつでも花が周りに咲いているような、雅やかな出で立ちである。どうやら長谷部が気に喰わないらしく、じろりと見遣ると、実に子供のような意地悪を宣言した。
「おい歌仙っ!俺は別にダイエットなどしていないと言ったろう!」
「歌仙君、ありがとう。長谷部君、貴方には私の白玉を少しあげるわ。代わりに寒天、少しくれる?」
「主命とあらば、喜んで。先日していただいた、”あーん”をお願い致します」
「それは状況次第ね」
他の者にはけして見せない、甘えた仕草が愛らしい。とはいえ、十分成人した大人の見目をしているのだが、にしてみれば皆愛らしくて仕方がないのだった。さて、同輩の甘えを許すような歌仙ではない。つっかけを履いて庭へと降り立つと、のてをぎゅっと引っ張ってそのまま抱え上げた。流石本性は刀剣、大人一人を抱え上げる等朝飯前なのだ。
「歌仙っ!貴様、ずるいぞ!」
「長谷部君は鳩の世話をするといい。君も僕も役得があるんだ、それでいいだろう」
「……よろしくね、長谷部君」
「主命とあらば!」
どうにか丸く納めるべく、頼めば二つ返事で長谷部が折れた。扱いやすいといえば扱いやすい夫だとは思う。その一方で、は長谷部が他人に騙されやしないかとひどく恐ろしくなってしまった。歌仙に抱えられながらううん、と唸っていると、ごん、と歌仙が額を思い切りぶつけてくる。痛みに顔を顰めると、存外石頭の歌仙がむすくれた表情を見せた。
「僕が目の前にいると言うのに、他人のことで頭を悩ませるというのはいただけないね。どうせ、長谷部君のことを心配していたんだろうけど、君が心配するほどのことではないよ。君にはけして見せないだろうけど、長谷部君はーー僕達もそうだけれどもーー主君を違えることはない。君以外にはけして懐かないんだ、安心してくれ」
「そう言うけど、歌仙君、随分前は胸の大きい女の子をものすごくよく観てたわよね」
「い?っ」
「私にはないから、気になったら言って頂戴ね」
ないものを求めるのは致し方がないとは思う。は不貞を許すわけではないが、成り行きで自分に縛られた(勿論、男士達は自ら望んでしているのだと宣う)故、多少の融通は聞かせなければと考えていた。の見立てでは、歌仙は胸の大きい女性が好みだろう。自分の氏神に頼めば、自分の見目を変えることもできるが、今のところそのつもりはない。と、なれば他所に目を向けることは自然な流れとして受け止めよう、というのがの考えだった。親友の唐梨勇夫にも言われたことなのだが、きりきりと制限をすると、まま相手は逃げるらしい。余裕を持って接することが第一、という親友の助言を胸に、は誰が適任だろうかとつらつらと考え始めた。
「……胸なんかなくたって、僕の一番も、主も君だ」
「あらあら」
「そうでなければ、ここにはいないだろう?信じてくれないのかい」
「ふふ、私って愛されてるのね」
「もちろんさ」
笑う歌仙は美しい。蕩けるような笑顔に、はしばし、自分の浅薄さを呪った。彼らのなんと純粋なことか!とはいえ、可能であれば、全く異なる形で出会いたいものだ、とも思う。主と僕の関係でなくとも、彼らは自分を想ってくれるだろうか。残酷な発想なのだが、は一つだけ確かに言えることがある。「自分」は、彼らを想うだろう。それほどまでに惹かれて止まないものが、表面上の美しさ以外で生じているのだ。
「僕の心を痛ませた分、君には一つ、お願いを聞いてもらおうか」
「良いわよ。何かしら」
普段ならば大人らしい、冷静な物言いをする歌仙にしては珍しい。さては茶器か花器か香炉か、某か気になるものがあるのだろう。小遣いを与えてはいるものの、それを逸脱する可能性は大いにあり得た。果たして自分のへそくりで足りるだろうか、と思い返していると、歌仙は意外なことを申し出た。
「あの鳩とやらに、一緒に乗って欲しい。勿論、二人きりでだよ」
「……それって、デートのお誘いかしら」
「そのつもりだ」
雅な誘いだろう、と胸を張る歌仙がおかしくて、は小さく笑った。矢張り彼らは皆愛らしい。良いわよ、と二つ返事すると、歌仙が会心の笑みを見せた。
獣は怒り狂っていた。獣には使命がある。本来ならば自然のままに住み暮らす筈だったのだが、よくわからぬ面々に取っ捕まって言うことを聞かねばならなくなったのだ。業を乗り越えてゆけば願いを叶えて進ぜよう、などと言われても、そんなことよりもさっさと郷里に帰らせて欲しかった。だがこの真っ当な申し立てはすぐさまに却下され、未だ叶わぬままである。故に獣は今日も仕事をしている。
先日、獣はとうとう職場を変えることまで申し付けられた。実に厄介である。自分の評価をどのように行うつもりなのか、という問いかけには、こちらで全て監視・把握するので安心せよとのことであった。実に信用ならない。そもそも使命を帯びてから、一体何れ程の時が流れたのかを獣は知らない。郷里に帰った所で、自分の親類縁者が行きている保証は最早なかった。獣は長生きをしすぎた。実に酷な話である。
さて、新しい職場だが、広々とした快適な場所である。主がぷいと笛を吹けば、それに従って遠くに向かった兵を連れ戻すというのが仕事だった。自分の身体は大きいものだから、人型をした付喪神など、幾人ものせて運ぶことができるのだ。何より自分は、見目を裏切る程に早いと仲間内でも評判だったのだ。奇妙な言葉遣いの主は、表面上は違和感があるものの、芯は優しく信じるに足る人物である。少なくとも、自分が住む世にとっては悪くはなさそうだったので、それで十分と言えた。
今、獣の主はただ一人である。時の政府に認められた審神者・だ。だから彼の言うことならば聞こうと思う。それと、短刀という種類の子供の姿形をした面々と遊ぶのは悪くはない。だが、大きい人間はお断りだ。遊んでやる義理もないし、言うことを聞いたからといってどうということもない。何せ自分は使命を帯びた立派な鳩である。余計なことをする謂れは無いのだ。
「故にお断りする」
「やれやれ、君はなかなか頑固だね。いいじゃないか、少しくらい。それに、なんの気負いなく空を飛ぶというのも楽しいものだと思うよ」
「自分一人であればな、歌仙兼定殿」
獣こと、鳩丸伝次郎はきゅっとくちばしを硬く閉じた。目の前に佇む男が怒っていることくらい、伝次郎でもよく解る。そもそも人と意思疎通を図るという意味では、自分の方が歌仙よりも余程ベテランなのだ。謹んで敬っていただきたい。どういうわけだか、この歌仙は自分に切々と頼み事をしてくるのである。曰く、夜の星空を見るために、と自分を乗せて欲しい、というなんとも甘ったるいものだった。残念な話だが、伝次郎は夜目が利かないのでそもそも無理な話である。断った所、そうであるならば昼間に少しの遠出でも、と来た。これに反論したのはである。
「昼間は遠征の子を呼ぶかもしれないでしょう。そうしたらどうするの?」
「だが、僕は君と……鳩君、君も口添えしてくれないか。僕は純粋に必要だと感じて言っているんだ」
結局、歌仙の子供染みた物言いに、は呆れてどこかへ行ってしまった。どうやら二人は逢瀬の約束を交わしていたらしいのだが、特別感を演出するための手段が奪われてしまってご破産という運びになりそうである。伝次郎との交渉を何度か試みた結果、けんもほろろに突き返された歌仙は、大きく肩を落として溜め息をついた。伝次郎には色恋沙汰など解らないし、ましてやひとでなしの恋など理解できそうにもない。そもそも彼らは夫婦であるというし、事情が込み入りすぎているように思われた。だとしても、伝次郎は不思議に思う。何故こうもこの男は落胆するのだろうか?
歌仙兼定は、鳩の目から見ても美しい部類に入るように思う。鳥であれば最も褒めそやされる色合いが美しく、何より声が良い。に乞われて何やら歌っているのを小耳に挟んだが、中々悪くなかった。かといってに嫌われているかと言えば、勿論そうではない。伝次郎は実際目にしたことはないが、腕も立つので重宝されているのだという。言うことなしではないか。それに、先だって目にしたように、おやつなどを作って主を癒してもいる。伝次郎からしてみれば、さして悔やみ落胆する要素はかけらもない。その旨を素直に伝えると、歌仙はそうだろうね、と唇を歪めた。ぞっとする程暗い目で、伝次郎は初めて歌仙が嫉妬というものに身を焦がしているのだと知った。
「知っての通り、僕はにとって”たくさんの夫のうちの一人”なんだ。勿論は優しいからね、僕達を均等に特別扱いしてくれている。だが、どうだい?の夫は日増しに増えるのに、は増えないんだ、当然僕が触れられるのも僅か、独占できるのもほんの僅かになるばかりだ。僕はいっそを攫ってどこか遠くに行きたいよ。どうして彼は他の奴に笑う?他の奴にも笑うんだ?どうしたら、」
喘ぎ声を漏らすと、歌仙はぎゅっと自分の胸元を掴んだ。衣がよじれ、かざりにつけていた椿がぐらりと均衡を失う。あ、と思う頃にはまるで敵の首のように椿がぼとりと地面に落ちた。驚くことだが綺麗好きの歌仙は、それを拾おうともしない。もっと難しい何かと対峙しているらしく、額には深い谷間が生じている。伝次郎は致し方なく椿をくちばしの先で捕まえると、歌仙に渡してやった。
「ありがとう。醜いことを聞かせてしまったね。忘れてくれないか?他の奴に知られたら恥ずかしい」
「……御身が殿を愛しているという、それだけだ。恥ずかしくはない。他の者も、似たり寄ったりなことを言っていた」
「他の男士も、かい?」
「うむ」
実は伝次郎、このような繰り言を聞くのは初めてではなかった。前職の折から聞いているため、愛執と嫉妬については実によく知っていると言える。また、歌仙が自分に持ちかけて来る前は、他の男士が似たようにして自分を使ってをどこかへ攫おうとしていた。皆考えることは一つであり、という主は実に罪作りである。誰しもを特別なものとして愛しても、愛される側同士で衝突が発生することは歴史が物語っている。ましてや共に暮らしているのだから混乱は相当なものなのだ。過去自分が見聞きしたものを交えて、歌仙が思う程に重篤な話ではなく、皆ある程度行き過ぎればありうるし、このような異常事態であれば尚更だと伝えたところ、どうやら歌仙も落ち着きを取り戻したらしい。伝次郎から受け取った椿を胸元に着け直すと、ふう、といつものように雅やかで穏やかな表情に戻った。
「君は優しい奴なんだな」
「鳩だ」
「うん、君は鳩だ。……もし、良かったら、僕の話を一つ聞いてくれないか」
「構わぬ」
頷くと、伝次郎はちらと人知を越えた視界の向こうで主の姿を見かけた。どうやら、歌仙は知らないようだが、不穏な気配に気づいたがどこからか様子見をしているらしい。このあたり、付喪神と天津神が生み出した神とは能力が異なるということか、歌仙はいっかな気づいていないらしかった。伝次郎の頭を撫でながら、歌仙は少し迷い、幾度か唇を蠢かした後で、ようやっと声を発した。
「僕がまだ刀だった頃の主にね、細川忠興という人がいたんだ。ー僕は刀だったけど、僕がどう使われたのかは覚えているよー忠興にはとても綺麗な妻がいてね、見る者の目を奪わずにはいられないという人だった。だからだろうね、忠興はいつも恐れていた。権力者である自分の目を盗んで、誰かが妻を誑かさないか、攫わないか、はたまた妻が気を変えないかと気が気ではない。だから、言いがかりのようにして、嫉妬をぶつけた相手を殺したことなどざらだ」
例えば、庭を見ていた妻に見とれていた(と忠興が思い込んだ)男はすぐさま首を落とされてしまった。その首を妻の前に転がしたが、この頃には妻も異常な夫に慣れていたのか、なんら気にも止めずに食事を続けたという。歌仙は一部始終を見ていた。元より刀とは人を害するための道具である。いずれにしたって血腥い。故に驚くことはさしてないのだが、歌仙は妄執のために使われたという事実が頭に着いて離れず、ひどく恐れているようだった。
「僕は、自分がああなってしまうのは嫌だ」
あんな風になってしまったら、あんな風に他の男士達を皆殺しにしたらば、きっとは二度と自分を見ないだろう。他の者を殺すことよりも何よりも、今の自分はに見向きもされなくなることが恐ろしい、という歌仙は実にひとでなしだった。付喪神だから当然だ。だが、伝次郎からしてみれば、仮にも共同生活を営むとなったのだから譲歩せざるを得ないことも学んでいただきたいという気持ちである。勿論歌仙は知っているし理解している。ただ心が拒みたいと訴える、そんな時がままあるというだけだ。
「ならば、たまに吐き出せば良い」
「どうやって?」
「私が聞こう。他の男士にも、にも言えないのであろう?さあらばこそあれ、だ」
「伝次郎君」
きらりと眼を輝かせる様は実に子供のように純粋だった。この中にどす黒い思いが詰まっているかと思うと不思議でならない。友人の鵺だの獏だのが聞けば、喜んで食べに行くだろう。そのうち声をかけて置こうと心に決めると、伝次郎は重々しく頷いてやった。
「ありがとう!ではこの友情のためにも是非君の背中を貸してくれないか」
「却下だ」
それはそれ、これはこれなのだった。
〆.
あとがき>>
遠征呼び戻し鳩はまだ使ったことがありません。大事にしまったままですが、一体どういう仕組みなのかと思い、思った末に書きました。短めですが、初めて歌仙をメインに据えて書けたことが何よりも嬉しいです。初めての刀だった上に、細川親子(幽斎様と忠興)が好きなので思い入れもありました。刀だから、物騒であってもおかしくないし、何より”ひとでなし”なのだなあと改めて考えた末のものです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!