DREAM NOVEL
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傷だらけの人生に、得られたものは少しばかりの同情と負け惜しみ。


警告を信ずるうた


 マーブルチョコの袋を引っくり返したような様相に、歪曲した現実が物理的に存在している。タルタロスに踏み入れた瞬間、の頭に浮かんだのはそんな馬鹿げた想像だった。

外界とは完全に別世界のようであり、今日の様にしとどに降った雨で蒸すような暑さもこの箱庭には無関係であるらしかった。中嶋に誘われる様にしてエントランスの大階段の前に立つと、無限に広がるかのような高みに吸い込まれるような錯覚を覚えた。

「今日はまず、初めてだからさんと……美鶴先輩、お願いできますか?」
「ああ。勿論だ」

列の中から抜け出すように一歩踏み出した桐条に、は宜しくと言いながら何処か残念に思っている自分に気付いて苦笑した。本来的な意味においては、誰と組もうが誰と行こうが関係の無い話なのである。そもそも、自身がそうしたことに気を取られるような人間ではない。

不可解なこの感情の源である真田をちらと見遣れば、頑張れとでも言うようなポーズが送り返された。同様に気付いたのか伊織もエールを送ってくれている___________まだ、仲間になって僅かな日数しか経っていないにも関わらず、だ。

安易に勝ち得た信用に、は真田と初めて出会った時同様、子供たちの持つ純粋さへ危うげな不安と微笑ましさを感じて口の端を上げた。かつて彼らと同じ道を通り、ここまで育ちあがったに言わせれば、大人という混濁した生き物を容易に信じることは必ずしも間違いではないが、正しいことではないと言えた。

勿論子供だからといってずるさを持っていないわけではない。だが裏切られた時の傷つきやすさは矢張り子供の方が上だろう。その時にこそ、大人が手を差し伸べるべきだが大概はもう手遅れなのだった。彼らは何処まで歪まずに居られるのだろう。考えながら転送装置に触れると、をかき消すように別の場所へと運んでいった。




 腹の辺りが落ち着かない。中嶋達が内部へと入っていって以降、何度も思ったことを繰り返すと真田は腹の辺りを撫でた。今日の夕飯は何時も通り海牛の牛丼だった。他に特にこれといって悪いものを食べた記憶も無い。そうとなればこの落ち着かなさは矢張り精神的なものからくるのだろう。試合前にも感じたことの無い不気味な感覚に真田が性根を据えて考えようとしたところ、階段に腰掛けていた伊織が堪りかねた様に声をかけてきた。

「どうしたんです?真田さん。さっきからぐるぐる歩いてますけど、何か心配ごとッスか?」
「いや、別にそういう訳ではないと思うんだが。……そんなに歩き回っていたのか?」

ぎょっとして思わず山岸を見遣れば、控えめながらも頷かれる。そんな控えめな態度が寧ろ、極普通に肯定されるよりも生々しくて真田は天を仰いで額に手を当てた。吹き抜けの天井が、恐らくは最上階までだろうが、まるで気が遠くなりそうなほどに突き抜けている。先が見えない。

この何処かに今は居るのだ、と唐突に具体的な思いが降ってくるようにして真田の脳裏に浮かび上がった。途端先程までの落ち着かなさは焦燥感に取って代わり、重みは更に増す。断片的に初めてであった時の飄然としたの姿が、寮に訪れた際のの様子が、そして先程内部へと入っていったの表情がザッピング映像の様に脳を掻き乱していった。

頭痛にも近い物を覚えるも、真田はそれが何故起こるのか、否そもそもこの感情を何と名付けたら良いのか解らずに居た。ただ、気分が悪い。一言にしてしまえばきっとそんな簡単な言葉なのだろう。

「やっぱり具合でも悪いんじゃないスか?何かあって風邪でも引いたら大変だし、早めに寮に帰って休む、ってのもアリッスよ」
「そうですね、今日はさんを連れて来ることが目的でしたし……無理をしても仕方がありませんよ」
「いや、大丈夫だ」

可愛い後輩二人に心配され、真田は苦笑して断った。健康という意味では申し分ないし、山岸は解っているだろうが絶好調なのである。が物慣れたならば今まで探索していた階層からアイテムを回収しようと中嶋とも話していた程であった。そこで引き下がるようならば情けないというものだろう。にも関わらずどんどんと重みを増してゆく気持ちの悪さに真田が辟易し始めた頃、漸く中嶋達が帰還した。

「どうしたんだ、皆。何かあったのか?」
「あ、美鶴先輩。いや、真田さんがちょっと具合が悪そうだって話してたところなんスよ」
「そうなのか?」

初戦の緊張感は何処へやら、意気揚々と武器を収めたが心配そうに此方に近寄ってくる。自分が彼の居ない間にこんなにも__________こんなにも気分の悪い思いをしていたというのに、がいたって楽しげで居たということが妙に面白くなく、真田は思わず顔を顰めた。だがその反面先程まで腹に居座っていたものは綺麗に霧散しており、嘘のような軽さでそこにあった。

「痛いところは?眩暈とかあるか?気分は?」
「それじゃ医者みたいッスよ、さん。風花、何かわかったか?」
「ううん。ここに来る時と変わりはないみたい。なんだろう……気分的な問題、かもしれないけど」
「大丈夫だ、と言ったろう。……平気です」

子供を心配するように伸びてきたの手を避けると、あっさりとそれは引っ込められていった。然程心配しているわけでもないのだろう。そんな穿った考えをする自分を真田は忌々しく感じた。別段、他人の心配を期待しているわけではない。自分を哀れむことな考えたこともなかった。軽くなった筈の内臓器官は再び重みを増し、気分の悪さが再び舞い戻ってくる。へんな甘ったるさが込み上げて来る口の中が気持ち悪くて、真田は何度も唾を飲み込んだ。

一方、手を引っ込めたは少し考えるように上を見上げると、場違いなほどに明るい声で中嶋に声をかけていた。

「……中嶋君、俺、今日はもう疲れたから帰らせてもらうわ。悪いな」
「わかりました。でも、一人でも大丈夫なんですか?」
「いや。実はあんまり自信が無くてな……真田君」
「なんです?」
「絶好調のところ悪いんだが、寮まで送ってくれないか?なあ、頼む」

頼む、というところに自棄に力を入れて言うと、はついで他の面々に侘びを入れていた。自信が無いなど、そんな馬鹿げた話もないだろう。何故ならはかれこれ半年もの間、飄然と影時間の散歩を繰り返していたのだ。ひょっとすると、自分よりも慣れている部分があるやも知れないほどである。

嘘だと言い放つことは実に簡単なことだったし、気が乗らないと断るのも全て真田の自由で、何を選んでもどう答えても(勿論、言い方の問題は残るが)状況は大して悪化しないだろう。だがそんな真田の逡巡を越え、真田の口は自然と答えを導き出していた。

「わかりました、帰りましょう」
「それじゃあ先輩、お願いしますね」

誰もが自分の対面を慮ってくれているのだ、という一事が胸に痛すぎて、真田はただぎこちなく頷くことしかできなかった。




 タルタロスを出た後、真田との間にはこれといった会話はなく、ただ淡々と目的地へと向かう足音ばかりが響いていた。人よりも自負心が高い真田のことである。ひょっとしなくとも気分を害しているのだろうと断じては敢えて何も口にしなかった。

当然の様に、一人で帰れない等と可愛らしいことを言ったのは詭弁に過ぎなかった。ただその場で必要とされるだろう判断をしたに過ぎない。だがそのやり方を当人が気に入る気に入らないは別の話だった、そういうことである。結局暫くの沈黙の間にが考えたのは、影時間と言っても天候の様な自然に左右される面はあるのだということだった。

昨晩降った俄か雨の跡が泥濘になってそこここに残されている。影になった泥濘は聊かシャドウの姿に似ても居た。

「……さん」

不意に思考の帳を開くようにして真田が立ち止まった。釣られるようにしてが立ち止まると、丁度雲が流れて月が隠れ、再び薄気味悪い闇が世界を覆った。影時間の終わりが近いのだ。

「さっきのあれは嘘ですね」
「ああ」

嘘を吐いたところで看過されることは解っていたので、あっさりと答えるとは再び足を動かした。真田の横を素通りすると、今度は逆の立ち居地になった真田が息を呑む気配がする。小さく深呼吸すると、はゆっくりと動く雲を眺めた。余計なお世話だという怒りを受け流す準備は既に出来ていた。

こんなことにばかり慣れているというのも自分が情けなくなってしまうのだが、実際は他人に罵倒される程度のこと等平気だった。多少、多少ならば、だが__________物理的な抗議にすら慣れている。だから、怒りでも何でもなく、ただ淡々とした言葉が返ってきたことには寧ろ度肝を抜かれもして居た。

「何故そんな嘘なんかを?」
「……そうだな、」

振り向けば真田が何を思い、何を考えてこんなことを言ったのかは歴然としている筈だった。だが真っ直ぐな真田の目に打たれることが恐ろしくて、代わりには解らない程度に足を速めた。そうして気付けば彼との間の距離がとんでもなく離れてしまっていれば良いと願っている。にとって人付き合いとは近寄りたくもあり、ついで恐ろしくもある扱いがたい代物であった。

あるいは追いかけて欲しいと思っているのだろうか。変らぬ歩調で続く真田の足音に奇妙な焦燥感を抱いては自嘲するように唇を歪めた。

「お前と歩いてみたかったから、かな」

馬鹿らしい理由だった。本当の答え以外で思いつけた理由がそれしかなかったことに寧ろ絶望すら覚える。揶揄か侮蔑か、ともかく何か反応を返して欲しくては道の向こうを見遣った。寮まであと、半分の行程と言った所だろう。その全てを重苦しい沈黙で塗り固めるのは少々気が引ける話だった。真田の返事はない。比重で言えば確かに沈黙は金だという思いが頭を過った。

「……まあ、俺に言われても嬉しくないか。悪かったな」
「待ってください」

いっそのこと全てを冗句にしてしまいたくて、足早に去ろうとしたの腕に不意に衝撃が走る。何事だろうかとぎこちなく頭を動かせば、初めて出会ったあの日の様に必死な真田の瞳とぶつかっては思わず息を呑んだ。

「俺と歩いてみたかったんでしょう。だったら、先に行かないでくれませんか」
「、嫌じゃないのか」
「何がですか?」
「いや、俺はてっきり」

嫌われているものだと思っていた、と言い掛けては口を噤んだ。自分は軽蔑も侮蔑も嫌悪も、はたまた飛んでくる拳にも慣れている。だから、そういったものが他人から向かってくることばかりを覚悟してきた。反対に言ってしまえば、こんな風に自分を掴む手も迎え入れる言葉も優しさも温かみもは知らないのだった。あることは知ってはいる、だがそれが自分に与えられることなど__________正直、未知であるからこそ恐ろしい。

来る者は拒まず、さりとて追わずの精神は体よく自分を守り続けているだけの話で、寧ろ与えようとする手を断ち切ってしまったことすらしばしばである。今、こうして身近に感じる真田の体温とて、振り切ってしまえば簡単な話だった。にも関わらず振り切らないのは真田に言い様もない面白さを、かつては抱いていた生きがいの様な生の輝きを、はたまた仲間という共同体意識を持っているからだろうか。

「……別に、嫌じゃない」

不思議と嬉しそうなその真田の呟きは何故だかの耳に警鐘のように響いた。今、まだ柔らかく繋がれているこの腕の向こうにある温度を自分に繋いだままにしてしまったらば、もうここからは逃げられないとでも言うような脅しにすらそれは聞こえていた。引き摺られるようにして並んで歩く機械的な自分の足の動きを呆然と眺めると、は何故だか自分が大いなる過ちを犯したような心地になって踏み込んだ未知の領域をそこに重ね合わせた。

ひょっとすると自分は最早引き返せない場所に来てしまったのだろうか。恐ろしさと嬉しさが入り混じった感情を胸に抱いたまま、は真田の旋毛を見下ろした。

宇宙のような渦がそこにはあった。


〆.

後書き>>
 鈍い人同士でぐるぐるしているのも割合に好きだったりなんだり。(え)並んで歩く。
タイトルは引き続き谷川俊太郎さんから。

最後まで読んでくださり、有難う御座いました!