DERAM NOVEL
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新しいものを寿ぎましょう、いずれ老いては失われる、その儚さを愛おしみましょう


明日の夜明け


 新しいもの、というのはいつだって緊張を伴っている。とりわけ、今の生活を乱しうるものーー今の生活に深くかかわり合いのあるものであれば尚更だ。和泉守兼定はキュッと唇を弾き結ぶと、門扉からこちらを真っすぐに見てくる人物を見遣った。

「兼さん!いたんだね!僕、僕だよ堀川国広。解る?解るよね」
「おう。解ってるよ、国広。元気そうだな」
「うん!」

飛び出して来てポンポンと早口で話されるも、和泉守はどうにかついて行った。そこは江戸者、早口くらいでは圧されはしない。が、実際の所はヒヤヒヤしていた。この目の前で跳ねている好青年は堀川国広、紛れもなく脇差から顕現した付喪神である。堀川は昔の持ち主の下、互いに相棒として認め合う間柄ではあったが、このように人として並び立ち、言葉を交わすようになるとは全く思ってもいなかった。

「ここには僕の兄弟もいるって聞いてたけど、やっぱり兼さんがいるっていうのは良いなあ。僕、ここに来て良かったよ」
「そいつは良かった。に感謝するんだな」
「そうだね」

、というのがこの屋敷の主であり、和泉守や堀川の主である。本来は堀川の後に続いて顔を出すかと思っていたのだが、どうやら堀川にかまけている間にどこかに行ってしまったらしかった。少々、微妙な心地である。何故ならば、というのは審神者として自分達を付喪神へと昇華させたと同じくして、和泉守たち既にいる刀剣男士達にとっては妻でもあるからだった。堀川がそのあたりをどう処理したかはよく解らない。ひょっとすると、まだ何も知らないのかもしれない。

 とるのもとりあえず、玄関先で煩いのもなんだろうと思い、和泉守は堀川を案内してやることにした。屋敷は広大にも程があるので、最低限必要な場所だけ教え、あとはその場にいる面々を順繰りに紹介して行った。とりわけ喜ばれたのは、堀川の兄弟と言える(だが到底似ているとは思われない)山姥切国広と、矢張り昔の持ち主のもとで傍近くにいた、加州清光と長曽禰虎徹である。なるほど、主が刀剣を集めれば集める程、縁があるものもあつまるという仕組みだった。後で昔の話をしよう、と約束しながら、兼定は頬を緩めた。今夜は楽しい宴会になりそうだ。何より和泉守は宴会が好きで、ひょんなことから和解した、睦奥宗光とはさかんに飲んでは暴れてしまっている。後から主に心配と罰を受けるのはつらいのだが、どうにも止められない。親戚筋にあたる歌仙兼定からも、つい先日おしかりの言葉を頂いたばかりだ。

「そう言えばさ、兼さん”結婚”したんだよね」
「あ、ああ。聞いてたのか」
「顕現した後、燭台切さんが教えてくれたよ。歩き方とか、教えてくれるついでに」

和泉守が気になる話題を切り出して来たのは、堀川の方だった。当初は余り生活に関する訓練を受けるものがなかったのだが、近頃では刀剣男士が増え行くことに慣れた主が、人型としての生活のいろはを教える課程を設けたのである。どうやら、堀川の世話役は燭台切光忠だったらしい。丁寧にこまごまと教える燭台切の姿勢は、堀川に丁度良かっただろう。課程の中で、今自分はどういう立ち位置で顕現しているのか、を教えられたのだという。

「僕にはよく解らないんだけど、主さんが良い人なら良いかなあ、って思ったんだよね。でも、兼さんの普段の世話は僕がしたいな」
「国広はどうするつもりなんだ?」

何故か寒気を覚える提案をさりげなくずらすように、和泉守は堀川に尋ねた。この屋敷に来た刀剣男士には四つの道がある。一つ目は、この場に残って主の手足として働く道。二つ目は、それに加えて主と縁を結び、伴侶としても生きる道。これは和泉守含め、現在この屋敷に存在する刀剣男士、全員が当てはまる。三つ目は、この場を去り、が手配した神社やら組織やらに向かい、切り拓く道。そして最後は、顕現を解消して刀解を申し出る道だ。どれも、一通りの課程が終わった所で選べる旨伝えられる。選ぶまで、刀剣男士には何の仕事も与えられない。ただいることだけを許される。望めば手伝うこともできるし、近侍の真似事もできるが、唯一戦場だけは出ることが許されない。人殺しの道具として産まれたものになんと無慈悲な、と思われるかもしれないが、今の和泉守にはよく解る。人の形をとった状態で戦働きをする方法は、慣れが無い限りなかなか難しい。いきなり飛び出れば傷つくばかりで、それは誰も望まないことだろう。

「僕はここに残る。それだけは決めてあるよ。ただ、主さんと、っていうのはまだ解らないや。ね、主さんが”人じゃない”って本当?」
「ああ。は人でなしになったんだーー俺達のために」
「ふうん」

堀川は面白くなさそうな返事をしたが、和泉守には重要なことである。そう、主であるは”かつて”人だった。人は脆い。ましてや平和な時代を長く過ごした人に、いきなり戦えと命じた所で無理がある。その無理のせいで、あわやという嵌めになったのは今でもまざまざと思い起こされる。少々込み入った経緯を経た上で、今の主は人でなしーー即ち神に変じた。尚、まだ何を司る神なのかは決まっておらず、地霊のようなものね、という本人のコメントがおかしかった。どうやら、神の世界も不景気らしく、仕事が無いのだという。

 そんなの最大の特徴は、と言えば見場だろう。至って平凡で取り柄のない、中年男性でーーオネエである。そういう性質があることを、和泉守は初めて知った。人ではないので、和泉守にこれというこだわりはない。第一慕うに慕っていたのだから、結婚は歓迎事項である。初夜を獲得できなかったことはひどく口惜しい。(初夜を獲得したのはへし切長谷部だった)後々文献等で学んだ、”夫婦”とは異なる気もするが、今の生活が楽しいものだから特に気にはしない。しかし、堀川には面白くないらしかった。

「……こういう言い方ってさ、悪いかもしれないんだけど、僕は心配なんだよ。兼さんって他の人を余り見ないうちに決めたんでしょ?本当に主さんで良いのか、考えたことある?」
「ない」
「不安じゃないの?騙されてるかもしれないんだよ」

不安ではある。嘘はつけない。だが、同じ問いかけをもしていた。それも含めて納得済みである。実際、この結婚は永劫に誓われたものではない。本当に大事だと思えば、他所に行くことは仕方がないとは言う。その旨を素直に伝えると、堀川がその青い目を、ぎょっとする程大きく開いた。

「変な人だね!こりゃあ一筋縄じゃいかないや。……僕はね、兼さん。主さんが兼さんに相応しくないって解ったら、それ相応のことをするよ」
「剣呑だな」
「兼さんのことだからさ。僕のことだからじゃないよ」

阿呆だと思ったが、和泉守はただ押し黙った。堀川国広は、何やらどうにも恐ろしい。触らぬ神に祟りなし、ここは黙って見守ることで許して欲しい、と思いながらも和泉守はただ祈った。どうか、の身に危険が及ぶようなことだけにはなりませんように、と。




 目の端に、見覚えのあるジャージが横切ったのを機に、はすっと自室に下がった。自分の家にいながらにして、かくれんぼでもなしに姿を隠すなどは初めての出来事である。別段何か悪いことをした訳でも何でも無いのだが、やり難い。原因はジャージのぬしである堀川国広だ。堀川が、中々一筋縄では行かない青年である、ということは直に知れた。和泉守兼定の後ろを付いて回ってばかりいるのは良いのだが、ともかく顔を合わせれば、所謂”兼さんチェック”が入るのである。

「主さんは、兼さんと僕の前の主について、どれくらい知ってる?」
「兼さんは何が好きなのかなあ。ねえ、教えてよ」
「兼さんの髪の毛の艶がくすんで来た気がするんだ。シャンプーとコンディショナー、どれが良いのか選び直さないかい」

等、思い出せば枚挙に遑がない。悪い子ではないと思う。よく家の手伝いもするし、最初は覚束なかったが、コツを掴んだ今では戦場でもよく活躍している。このところ、夜戦も増えて来たので、小回りが利く脇差の堀川は重宝するのだ。の親友である、審神者の唐梨勇夫からの評価も高い。好青年である。ただ、こと和泉守兼定に関わるとなると狂っている、としか言いようがない。大事な人である、というのは解るのだが、にはのペースというものがあった。ここまで悩んだのは初めてかもしれない。

「どうしたんだい。こそこそするなんて、君らしくもないよ、
「歌仙君」

開いた扉に戦けば、茶を載せた盆を片手にした歌仙兼定の姿があった。今日は手抜きだと、珍しくもジャージ姿である。普段の着物を洗いに出したばかりなのだ。洋装をすることは珍しかったので、は素直に綺麗だなあと喜んだ。こと、歌仙兼定は雅である。いかなる格好であろうとも雅であるとは面白くも少々、羨ましくもあった。ぼんやりしているうちにおやつの時間になってしまったのか、と置かれた菓子皿を見れば羽二重餅である。先日行商人が来ていたことは知っていたが、どうやら買い入れたらしい。ふわふわとした餅のきめ細かな生地が、まさに絹織物の羽二重と合致する。美しい白に朱塗りの楊枝がよく映えた。横に並んだ歌仙も共に口に入れて顔をほころばせている。ふわりと香るのは柚子で、どうやら風味付けに歌仙が一手間加えたらしい。季節が定かではないこの屋敷で、冬を感じさせる一品に出会えたことを、は素直に感謝した。

「美味しいわね。歌仙君が入れたお茶に良く合うわ」
「そうだね。……少しは気分が晴れたかい?」
「かもしれないわ」
「小姑の出現に骨を折る、っていうのは流石に僕も想像していなかったよ。あの和泉守にああも執着する子がいるとはね」

兄貴風を吹かせているからありそうなものだけど、と歌仙は笑った。そういえば代こそ大きく隔たりがあるが、歌仙は和泉守の兄筋にあたる。多少は思う所があるのだろう。和泉守は堀川をどう思っているのだろうか。このところ、堀川を避けているために、自ずと和泉守の顔も見ていない。カレンダーを見遣り、は顔を顰めた。明日は和泉守が近侍の日である。誰かと交換させようか、と嘆息していると、歌仙に軽く睨まれた。

「だめだよ。逃げちゃだめだ。どうせその後は堀川が近侍だろう。遅かれ早かれいつか来る。それに、君に会えなくて和泉守が寂しがってたよ?君は主で、妻なんだ。解るかい」
「解るけど」

誰しもそうかもしれないが、は試されることが嫌いだ。堀川の前に出ると、何かと試されているような気分になってしまう。自分は彼らの主として相応しいのか、妻として相応しいのか、云々。自分の側にいることは和泉守が選んだことであり、が望んだことでもあるから、堀川が仮にそれを否としても無意味だ。それくらいのことは解っている。だが、心のどこかにある不安でどうにも二の足を踏んでしまう。

「君がそういう態度を取ると、堀川も不安になるよ。酷なようだが、君は彼の主でもあるからね」
「うん」

堀川が自分に懐く懐かないはさておき、ここに残って部下として働くことを決意したことは事実だ。信頼関係は絶対に必要だった。そうでなければ、いざという時に互いに困ることになるだろう。ましてや、婚姻関係なしにここに残る刀剣男士は初めてだったものだから、今後のことも考えて練習と割り切るべきかもしれない。まだまだ戦力の増強を図る必要はある。いずれ君には一個師団を持ってもらうことになるだろう、と中央政府から告げられたことを思い出し、は頭が痛くなって来た。

「……頑張ってみるわ。ありがとう、歌仙君」
「礼は夜に返してくれれば良いよ」
「もう」

涼やかな様子をしている癖に、歌仙はなかなかのむっつりスケベという奴なのだ。手の甲に口付けられて顔を真っ赤にしながら、は自分はまだまだだと嘆息した。こればかりはちっとも慣れるということがない。男士達の方がこの点においては順応性が高い。なし崩し的に頷くと、歌仙が蕩けるような笑顔で器を片付けた。




「おはようございます。久しぶりだな、……違うか。おはようございます。よお、寂しかったぜ。……ううん」
「おはよう、兼さん。朝から何を唸ってるの」
「げっ」

早朝。澄み切った青空に浮き足立ち、顔を洗って身だしなみを整えていた和泉守は、背後からかかった声に身体を飛び上がらせた。声の主は解っている。このような声の掛け方をするのは堀川国広、只一人だ。しかし、金魚の糞と言えるかもしれない堀川であるとしても、流石に朝の挨拶を練習している様は見られたくなかった。きまりの悪さに口をもごもごとさせていると、さっさと顔を洗った堀川が、和泉守の髪を梳りにかかる。和泉守がその手をやんわりと避けると、堀川はあからさまに気分を害した様子を見せた。

「どうしたの。いつもやってることなのに」
「ありがとよ。けどな、今日はにやってもらうから良いんだ」
「なんで」
「俺が近侍の日だからだよ。昨日言ったろ」
「……僕は、いつでも兼さんの近侍のようなものだけどね」

何がいけないのだ、とぶうぶうと文句を垂れる。堀川は和泉守程にはを重く見ていない。否、そもそも存在としては恐らく不要なのだ。悪い人間ではないと認識しているものの、主として認識しているかというのはひどく怪しい。自分への執着以上に、に頓着していないことが、和泉守をひどく悩ませていた。婚姻関係を結ぶ必要はないし、愛情を抱く必要もないことは解っている。だが、主を主と認めないものが出てしまえば、それは不協和音を生み出す。いずれ来る新しい刀剣男士にも影響を与えてしまうだろう。それだけは避けなければいけない。過去の主が率いていた部隊のことを思い出し、和泉守はキッと顔に力を入れた。

「なあ、国広。結局、お前はのことをどう思ってるんだ」
「そうだね。悪くはないけど、良くもない気がするなあ。主さんは歳さんと違って、こう、”主”って感じがしないんだよね。……今度、近侍になった時に解るかもしれないいな。今直には決められないよ」
「そうしてくれ。ーー言っておくが、は主だ。それはここにいる限り変わらねえよ。覚えておいてくれ」
「兼さんが望むならそうするよ」

そうじゃない。そうじゃあない、自分で思ってくれなけりゃ意味が無いんだ、と言おうとしたが、結局和泉守は口を噤んだ。これでは堂々巡りだ。堀川は別段悪くはない。ただ、自分と同じように”ひとでなし”であるだけだ。人と同じような心の機微を持ちきれていない。自分と違うのはまさにそこで、故に事を難しくさせている。歯痛を堪えるような顔で、和泉守は改めて堀川に、今日は付いて回らないでくれ、とやんわりと頼んだ。刀剣男士が増えた今、輪番で自分に近侍が回ってくるのは月に一回か二回、これからはもっと減るだろう。会いもするし話もするが、近侍は矢張り特別な存在だ。この機会を逃すつもりはさらさらなかった。

「わかったよ。遠くから見守ることにするね」
「それもやめろ」

堀川に対し、和泉守は少々格好着けたいという気持ちも持ち合わせていた。兄貴分の顔をしたい。だが一方で、この相棒によって遠ざけられてしまった主に盛大に甘えたいし纏わり付きたくもある。複雑な心境なのだが、堀川には今ひとつ伝わらなかったらしい。嘆息すると、和泉守は壁にかかった時計を見遣って青ざめた。8時を回ってしまっている。はとっくのとうに起き、朝餉についていることだろう。寝起きのを見過ごした衝撃に、和泉守は呆然と口を開けた。

「ほら、兼さん。もうご飯だって燭台切さんが怒ってるよ。行こう」
「おう」

どう申し開きをすれば良いのだろう。は怒らないし気にしない性質だが、和泉守は良心の呵責で胸がきゅうきゅうとしてしまっていた。広い食堂に来ると、食卓と椅子にずらりと面々が並んでいる。は勿論お誕生日席で、昨日の近侍であった歌仙がの左側に、そして右側の席は今日の近侍である和泉守のためにぽっかりと空いていた。朝餉の良い香りが胃を刺激する。堀川と席が離れていることにほっとしながら、和泉守はおずおずと席に着いた。

「お寝坊さんね。よく眠れたかしら?」
「寝坊したんじゃない」
「そう」

が声をかけてきたことは嬉しいのだが、どうにも言葉に刺があるような気がしてならなかった。おまけによそよそしい。今日の朝餉は、和泉守のリクエストでロシアを代表する料理・シーである。圧力鍋で手間ひまかけずにできる上、スープとなればまとめて大量に作ることができることから、料理当番であるへし切長谷部から快諾を得た一品だ。以前に蜂須賀虎徹が大量に作った(彼は実のところ大変鷹揚というか、大雑把な性格なのでいつも作りすぎる傾向にある)キャベツの酢漬けに、じゃがいもやタマネギといった野菜を大量に盛り込み、サワークリームとローリエで味を整えた、健康的なスープである。勿論男士を尊重して牛肉もどかんと豪快に入れてある。圧力鍋で煮込んだ肉は、口の中に入れるとほろほろと蕩けてたまらない。飽きた頃にビーツを加えれば、ボルシチの完成である。残れば明日の副菜として出すということを長谷部が言うのだが、恐らく残らず全て平らげられることだろう。

 酸味のある黒パンをとり、スープに潜らせながら食べる。行儀が悪いと叱られるのだが、この食べ方が一番美味しいように思えるのだから仕方がない。バターをつけただけでも美味しい黒パンの酸味に、スープの甘味が解け合って止められない味わいになるのだ。ちらりと様子を伺えば、はこんな時にでも、パンには薔薇のジャムを塗っていた。これはこれで悪癖なのだが、甘党だから仕方がないということだろう。そもそも、は英国趣味で、朝と言えば紅茶とトースト、食欲があればサンドウィッチを作れば良いというお手軽な男なのである。人間であった期間が長いためか、食欲は旺盛ではないのだ。


「なあに」
「一口くれないか、それ」
「珍しいわね」

隣に座る陸奥守吉行がぴくりと片眉をあげるのが見えるが、会話を交わす機会を失いたくはなかった。薔薇ジャムには興味がない。興味があるのはで、この隙間をどうしたって埋めたいのだ。自分でおやりなさい、と言われるかと思ったが、存外素直にパンが千切って渡される。丁度一口大のそれを受け取らず、和泉守はの手ごと食んだ。瞬間、が怯むがほんの僅かだ。ジャムで甘くなった指を舐め、食んで離す。衆目があるのでそう長くはできない。が、を驚かせるには十分で、ついで周囲の顰蹙を買うには十分すぎる程の効果を齎した。

「ちょっと、朝から見せつけるにも程があるよ!様、俺にも頂戴。俺の方が可愛く食べられるよ」
「加州さんはもっと若い子に譲った方が良いんじゃないかな。僕に頂戴、ね、さん」
「清光も乱も、ブス二人は黙っててくれない?ここは僕が代表するべきだね」
「はあ、信じらんないな。ブスって言う方がブスなんだよ、安定」

そうこうする内に、加州清光・乱藤四郎、大和守安定が三つどもえで争い始める。はと言えば、最早止めることは諦めたらしく、そっと食事を終えて立った。慌てて残りの食事をかきこむと、和泉守も後を追う。背後を見たが、どうやら堀川はあの争いで煙に巻かれているのか気配はない。安心して追いかけると、和泉守はそっと後ろからに抱きついた。

「珍しいわね。貴方がそうやって甘えてくるだなんて、想像もしなかったわ」
「寂しかったからな」

困った時には素直になった方が、物事は簡単なのだと陸奥守宗三が言っていた。確かにそうだと和泉守は思う。多少の勇気は必要だが、断絶よりは余程良い。くちなしの香りが漂い、和泉守は目を細めた。英国趣味なが、唯一和風だと感じ取れるのはこの香だろう。くるりとがこちらに振り返ると、手を伸ばして和泉守の頬を摘んだ。くして傍近くで触れ合うのは本当に久しぶりで、永の別れをしたわけでもなんでもないというのに和泉守は泣きたくなってしまった。

「堀川君がいるから、お見限りかと思ってたわ。……ねえ、和泉守君。もし、貴方の記憶を消して、もう一度最初からやり直せるとしたら、私達今と同じことができるかしら」
「できる」
「本当に?」

ひどい話だと思った。自分を見限るにしたって、そんなやり方はして欲しくはない。殺すなら殺せと思う。忘れたくはないし、この暖かな気持ちをくれたのは紛れもなくだ。堀川は喜ぶかもしれない。保証はないが、和泉守は何度でもこの終の主を選びたかった。嫌だと叫んでも、が望めば全て叶ってしまう。夫婦だなんだと言いながらも、所詮は主従、全ては主の思うがままなのだ。その事実が今は口惜しくてたまらない。どうしたら良いのだろう、嫌だ、どうしたら、と頭の中がぐるぐるしてしまって気持ちが悪かった。必死に手を伸ばしてに正面から抱きつく。少しよろめいたが抱きしめ返し、心の底から安堵した。

「冗談よ。いじめてごめんなさいね。そんなこと、絶対にしないわ」
「ひどい」
「ふふ、必死な貴方が可愛すぎたから」

そんな可愛い貴方が大好きよ、手放したくないくらいに執着してるから、と言われ、和泉守は全身の血がたぎるものを覚えた。の手が、ボサボサだった和泉守の髪の毛に伸び、手にした束に口付ける。まるで自分自身に口付けられたかのように興奮が覚めやらない。まだ朝だというのに、と処理しきれない感情を持て余してしまう。が手を引き、梳ってあげましょうと言われて嬉しくてたまらない。この気持ちを、堀川は解るだろうか。この気持ちを、堀川は自分に対して抱くのだろうか。こんなにも幸福を、輝きを、暖かさを、柔らかさを知ることはあるだろうか。できうるならば知って欲しい。をくれてやるのは惜しいが、共有することにはもう慣れた。

「堀川君が拘る理由も解るわ。貴方の髪って、本当に綺麗よね。ずっと触っていたいくらい」
「そうしてくれよ」
「できないわ」

私がたくさんいれば別だけど、という主はずるいと思う。の部屋にたどり着き、椅子に座らせられる。背後で手際良く、つげの櫛で梳り始めるは、どんな顔をしながら自分の髪を梳っているのだろうと和泉守は思いを巡らせた。自分の背中に目がついていないことが残念でならない。修行を積めばできるのだろうか?今度、万屋のチョウチンアンコウ親爺が来たならば聞いてみようと心に決めた。あの親爺であれば、背中につける目くらいは売っている気がする。堀川に世話をされるのは悪い気がしない。だが、矢張りの元の方がだらしなく気が緩む辺は楽だ。心地の良さに目を細めながら、和泉守はいつしか眠りについていた。




 人の気持ちは解らない。だが、自分にも気持ちがあるのだから、そのもやもやとしたものであることくらいは解る。だが、どうにも人というものは繊細が過ぎるように感じるのだ。人型を得て住まうようになった屋敷で、堀川は首をひねっていた。この屋敷の住民は、どいつもこいつもひとでなしの癖に人臭くてたまらない。和泉守兼定が、あんな風に子供のような真似をする等思いも寄らなかった。勿論自分がそれに嫌悪を抱くことも驚きの対象である。こうした感情のせめぎ合いというべきものは、日々堀川を悩ませていた。最初のうちは皆そうでしたよ、としたり顔の宗三左文字が鬱陶しい。笑顔で払いのけると、食卓から消えてしまった和泉守を探す。きっとあの主を追いかけているのだ。無駄なのに。死なない生き物だとしても、対等な関係に等なり得ようもない、期待を寄せるだけ無駄な相手だと解っているというのに、何故和泉守はあの男を想うのだろう。

 理由を尋ねても、和泉守の返事は常に曖昧だった。暗示でもかけられているのかもしれない。だが、他の男士に聞けばそれなりの具体的な回答をするものもあった。加州等は煩くてたまらず、大和守に頼んで連れ去ってもらった程である。強くもなさそうで、見目もこれといったものもなく、土方歳三等の持つ覇気もない。言霊で自分達を縛っているだけだ、と半ば堀川は侮蔑していた。ただ、和泉守が幸せそうだから、表面上は笑顔を取り繕っていた。この処世術はどこで学んだでもなしに考えついたものである。

「ちょっと、堀川君」
「はい」

庭を横切ろうとすると、洗濯ものを干し始めた燭台切に呼び止められた。隻眼の金色が真っすぐにこちらを見遣り、刺されたように堀川は立ち止まった。何故だろうか、穏やかにも関わらず剣呑なものが感じ取られる。手伝ってよ、と山のような洗濯ものを示されれば、拒絶する謂れはない。諦めると、堀川は笑顔で請け負った。大所帯であるが故に、乾燥機ばかり使う訳にはいかないのだ、と燭台切が零す。最も、この屋敷の四方の庭は、それぞれ季節も天気も異なっているから、慎重に時間さえ選べば干せないことはない。現代の技術様々である。

 皺を伸ばして、こちらは予め台をつるしてからそこに広げて、というように、燭台切は服の素材や形状に合わせて細かな指示を出してくる。当初はこれを主自らがやっていたのだという。それもその筈、刀剣が洗濯の所作など知る由もない。少しずつ教えてもらって、後は自分でも勉強したりしたんだ、という燭台切は、今や家政婦としても一人前と言えそうだった。

「へえ。主さんが洗濯しているところって、なんだか想像できませんね」
「昔は一人で生活してたそうだからね。何でも自分でできないと駄目だ、って言ってたよ。でもね、ここだけの話、僕達と一緒に暮らすために必死に色々覚えたこともあるんだ」
「何です?」
「料理だよ。一人だと、手を抜いたり、量を作らなかったりするから勝手が違うんだって」

美味しいものを食べなかった訳ではないが、と燭台切は言う。外食をしていたと言うのだろう。そういえば、初めて近侍となる日には外界に買い物に行こうと主に誘われていたから、そこで初めて食べる筈だ。外食と手作りの食事は、どちらも人が作ったものの筈だが味が異なるという。どういう意味かは口にして初めて解るだろう。

「君、のことを主だって思ってないだろう?」
「……まだよくわからないですから。仕方ないですよ」
「うん。仕方ないとは思うよーーでも、これだけは覚えておいて欲しい。僕達の主は””だ」

君がその和を乱すのならば、僕達は君を隠密裏に処理することも厭わない。剣呑な台詞に、堀川はあからさまに顔を顰めた。そこまで言う程の価値が、にあるとは思えなかったのだ。人なのに。否、人だったのに。自分と和泉守程の長い付き合いもないというのに。何の歴史もない、あの人間に、一体何れ程の価値があるというのか。ただ、君がどう思うかは自由だ、とも燭台切は言う。多分、もそう言うだろうと、堀川は密かに確信した。あれは縛らない。だから物足りない。もし、が自分を地の底でもどこでも攫って行く程に欲したならば、絶対に自分は応えるだろう。それはまだ心が物のままだからだ。欲されたいと思う。和泉守にも抱くが、それと人に対して思うものは、主に対して願うものは全く異なる。には欲が足りない。だから信用ができない。そう素直に伝えると、燭台切はなるほどと頷いて笑った。

「堀川君は誤解しているね。はああ見えて、ちゃんと欲深い。今頃は和泉守君を独り占めして満足してることだろうね……大丈夫さ、君もいつかはそうなる」
「まさか」

欲しているにも関わらず、反射的に突っぱねてしまい、堀川は自分の反応に狼狽えた。欲されたいと、物としての自分は思う。一方でよく解らぬ者に和泉守が愛でられている等とは考えたくもないし、矢張りまだを認めるわけにはいかないと思うのだ。混乱する堀川の肩をとん、と叩くと燭台切はそのうち解るさ、と当てのないことを言った。

「僕達は物だから、物だったからね。でも、大事にされた分、僕達が大事にすることもできる。君がどうするかは自由だけれども、前向きに考えると良いよ」
「はあ」

人の気持ちは難しい。目の前が真っ暗なのか真っ白なのかも解らず全てが曖昧だ。殺して殺されて白黒つけることもできない。だが、確実に明日へと向かっている。はたと、堀川はTシャツをハンガーにかけながら思い立った。なるほど、自分は楽をしたかったのだ。和泉守を追いかけるというのは簡単で、自分が執着する理由も納得感がある。だが、に対して理由はない。要するに考えて判断しなければいけないという訳で面倒でならない。理解はしたものの、これはこれで受難だろう。

悩む姿を見る燭台切の目がひどく冷たかったことを知らず、堀川はただ溜め息をついていた。


〆.

あとがき>>
 新年明けてどかんと書きました。堀川国広は初めての脇差で長らく共にいたものの、書くのは初めてです。あまりにも兼さんな彼をどう扱ったらいいのか迷い、迷った結果が出ました。別段全員に懐かれるのが現実でもなし、互いに腹に一物あっても良いじゃない、等と思います。かといって殺伐とする訳でもなく、上手く取り繕えている部分と綻んでいる部分で緩急がついているような形です。今回は刀剣男士を多めに登場させられたので、次回以降は複数でちゃんと掛け合いができるように頑張ります……!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!