DREAM NOVEL
  / HOME



もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない


人を愛することの出来ぬ者も


 ポートアイランド駅からそう遠くはない、寂れた地域の一角で雨が静かに降っていた。最も早くに開発されたため、逆に今となっては最も落後した地域となってしまったかつての繁華街は廃墟と寂れたシャッター街で埋め尽くされている。錆の匂いがするのは長年の風雨と無人の結果だった。要するに、見捨てられているということなのだろう。故に、何処の誰とも知らない人間が住み着くには最適の場所と言えた。故にまるで野良犬の様にして身を寄せ合ったタカヤ、ジン、チドリの三人は流れ着いたこの場所を自分達なりに住み心地の良いものに変え、活動の拠点としたのも不思議な事ではないだろう。昭和建築らしい様子を残した、かつて八百屋だった建物の二階から静かに一人雨を眺めていると、不意にタカヤは通りに人間が現れ出たのを認めた。

「御機嫌よう、少年。良い雨だね、そうは思わないかい」
「雨は雨です。良いも悪いも無い」

返答しながら、タカヤは自分自身に対して少々驚いていた。本来ならばこんな見るからに怪しい、この落後した地域に相応しくない燕尾服を確りと着込んだ紳士風の人間等無視するべきだった。勿論知り合いではない。だが男は実に嬉しそうに微笑むと、何度か頷いて優雅に跳躍した。

「っ」
「隣、良いかい」

およそ人間とは思えない跳躍を成し遂げた男は、言うなり勝手に悠々とタカヤの横に上がり込んだ。見れば不思議な事に男は小雨とはいえ、少しも濡れていない。得体の知れぬ不気味さを覚えるも、丁寧に揃えられたスエードの靴が屋根に並ぶ姿は少々滑稽で、タカヤは自然と口元を緩ませていた。

「突然で驚いただろうね、すまない。先日は従兄弟が世話になった様だからどうしても挨拶がしたくてね、つい来てしまったのだよ」

人違いだ、と脊髄反射の様に答えようとしたタカヤは寸での所で空気を押し出すのを留めた。唐突にこの男に見覚えがあるような気がして来たのである。答えようと僅かに開けた口のままでタカヤはもう一度男を観察した。男はタカヤの心のうち等疾うに看過しているかの様に悠然と薄ら笑いを貼り付かせていた。雨が激しさを増す。血流の様な雨音に、タカヤは思考に終止符を打った。

「広原和也さんですね」
「御名答」

褒める口調の割には解って当然だというような傲慢さを滲ませて広原は軽く手を叩いた。何と言う事は無い、何処かで見覚えがあると思ったのも当然で、ジンの調査によれば広原はあのの従兄弟なのだった。広原についても調査は及んでいた筈なのだが、咄嗟に判断できなかったというのは恐らく興味が薄かったからなのだろう。だが、こうして目の当たりにして見れば見る程広原はに瓜二つだった。

 見た目だけではない。雰囲気までもがよく似ているのだ。これではまるでドッペルゲンガーではないか。ドッペルゲンガーに出会うと死ぬという噂を信じている訳ではなかったが、なるほど矢張り嘘なのだとタカヤは妙な納得をした。広原はまぎれも無くのドッペルゲンガーだ、と直感が告げている。証拠がなくともタカヤにはそれで十分だった。

「『ただ生きて腐って死ぬだけの世界に意味等無い』」

だから、かつて自分がに向かってはなった言葉を広原がそっくり真似して呟いた事にも少しも驚くことはなかった。寧ろ知っている方が当然なのだろう。

「意味が無いならば何故君は死なないんだい」
「死んでしまえば、私はこの憎たらしい世の中に復讐する事も出来ませんから」

そのためにならば死んでも良いのだ、と思ってタカヤはふと、自分の身の内に黒い染みが広がるものを覚えた。死んでも良い、とはどういうことだろう。それではまるで生きている事に価値があるかの様では無いか。生きている事に意味等無いと言いながらも、ひょっとすると自分は反社会的な行動を取り、世界の滅亡に拍車をかけることに存在意義を見いだしているのではないだろうか。ならば、とタカヤは恐ろしい結末を目の当たりにしそうで思考を閉じた。広原が大きく開いた矛盾の穴に指を突っ込む事を恐れて身構える。だが、広原はしたり顔で首をすくめてみせただけだった。

「そうなのかい」
「ええ」

気付けば広原の手中では赤が鮮やかなカクテルが踊っていた。ブラッディメアリーという名のカクテルなのだが、洒落た酒を飲む事の無いタカヤにしてみれば酒はただの酒だった。まるで手品の様に取り出したそれに一口口をつけると、広原はほんの少し赤がついて鮮やかになった唇を歪めて、

「君がに興味を抱いたのは何故かな」
「敵の力を削るには、引き抜きやすい対象を選んで引き抜くことも策の内でしょう」
「だが引き抜けなかった、と」

別段感情を込めず、ただ事実を確認する様に頷いて広原はカクテルを飲み干した。グラスの縁に付いた霜の様なものは塩だろうか。少しだけ残ったそれを舐めると矢張り塩だったらしく、広原の顔が塩っぱさに歪む。

「何でまた君は引き抜きやすいと思ったんだろうね」
「さあ」
「理由はある筈だろう。君はに『理解できる筈だ』と言ったのだから」
「引き抜くための詭弁ですよ」

答えながらタカヤは今更の様に何故自分は真面目に会話を続けているのだろうと懐疑した。タカヤにしてみれば無意味な会話だった。有意義で生産的な時間を過ごそうという意志は元より持たないが、それにしたところでこんな会話を続ける理由は何処にも無いのである。淡々とした広原の調子は鼻につくことこそ無かったが、医師のカウンセリングを受けているかのような不快さが拭いきれなかった。思い起こせば、この男はあの呪わしい桐条グループの病院の院長をしているのだった。医師めいた様子であるのも最もだろう。

「ならば別段でなくとも良かった訳だ。だが君はそうしなかった。そこには理由があるというものだろうね。例えば私が君の立場ならば迷わず伊織君を選ぶだろう。彼は年相応に価値観が揺らぎやすく、君の所のチドリ君に興味を抱いていることは君も知る所だ。彼ならば容易に君達の立場に同情しうる。だが、君はそうしなかった」
「何が言いたいんです。生憎回りくどい話につき合える程暇ではありませんが」
「回りくどいのは君だろう。辛抱強いこの私を褒めて欲しいものだ。要するに君は君自身とが等しい存在に感じたのだろう。傷を舐め合えば君の存在に意義があるとでも?あるいは君は自分自身の居場所が欲しかったのかね」
「居場所など」

必要だと思った事は一度としてない。そもそもこの世界に自分の居場所などどこにも無いのだ。必要としないのだから当然だろう。だが、のデータを見た瞬間、これだと直感的に選び取った理由をタカヤははっきりと理解したくなかった。適当に選んだ、その筈ではなかったろうか。一度落後した人間ならばと思ったのか、それとも本当に広原が言う通りなのだろうか。そうだとするならばタカヤは自分自身を許す事は出来なかった。傷を舐め合うのは負け犬の物まねだった。黴びた匂いのする関係等欲しては居ないし、まるで自分が矮小な存在である事を認める事は決して出来ない。

「君の回答はただ否定しているだけで十分な反論ではないね」

広原は何かを思い出す様に少しだけ外に眼を向けた。雨脚は更に強まり、風も加わって横殴りの雨となっていた。現にタカヤの背は濡れ始め、顔にも冷たさを感じる程である。だが矢張り広原はまるで好天機に恵まれているかの様に何の変化も無かった。手元にあった筈のカクテルグラスは疾うに無い。ミッキーマウスの様な白い革手袋を嵌めた指を見ていると、通常ならばあり得ない出来事も信じられそうでタカヤは首を振った。そんなことがありうる筈は無いのだ。

「君の過去は確かに十分同情に値する。君が同情を望むと望まないとに関わらず、私は同情しよう。がそうした様にね。だが君の思想には賛同しかねるな」
「彼らと同じく正義のヒーロー気取りですか。無意味ですね」
「賛同しないのは自由だろう。止めるつもりは無いさ、それもまた自由だ。私は偽善者で偽悪者であっても心底善人ではないからね」

単なる逃げ台詞の様にも取れる台詞を耳にして、タカヤは猛烈な殺意が腹の底から沸き起こるのを覚えた。銃も召還器も全て手の届く所にあることを確認すると、この小煩い存在を葬り去るのは本当に簡単なのだと安堵する。何と言う事は無い、この男を生かしているのは自分なのだ。そう考えてみると生かされてることも知らずに話す広原が滑稽で、生かしておいてやるという寛大さを発揮することは少しも苦ではなくなった。いつでも葬る事が出来るのならば、もう少しの猶予を与えた所で変わりはない。

「……貴方にとって世界とは何なのですか」
「さあ、私は宗教観がないものだから、そのような質問は無意味だな。あるからあり、いるから私がいるのだろう。ならば私はあると思う世界で自分の思うがままに生きるし、行動しよう。それが私にとって自然だからな。世界が何処へ向かうかは正直に言えば関係ないのだよ。それが私にとって良ければ追従するし、悪ければ変えるまでだ」
「……だったら、私の考えだって別に問題はないでしょう。個人の思想に過ぎない点では貴方と少しも変わりない」

意味等無いと思うから壊すのだ。新しい世界なんて欲しくはないから、壊れた世界が欲しいから壊すのだ。全ての世界中の人間が絶望して残酷な現実を知れば良いのだから世界は滅亡してしまえば良いのだ。それが広原のいう世界を変化させることとどう違うというのだろう。だが広原は緩く首を振ると、同時に空に向かって手を振った。途端、雨が止み見る間に晴れ間が広がり行く。唐突に切り開かれた様な青を見せつけられて、タカヤは一体何が起きたのか理解できずに居た。

「雨が降っていると思っていたんだろう」
「どういう意味ですか」
「雨なんか降ってなかったのさ」

あからさまな嘘も良い所だった。現に屋根が濡れている、と思って眼を移したタカヤはあっと小さく叫んで絶句した。屋根どころか道も全てが乾いていた。多分街全体がそうなのだろう。思考が混乱を来す。そういえばもうチドリやジンも帰って良い頃の筈だというのに、人の気配すらしないままだった。気配と言えば、この隣の男の気配もまた居ないかの様に希薄だった。

「解ったろう、君はあると思い込んでいただけなのさ。世界なんてそんなものだ」
「これが貴方のペルソナの能力というわけですか」
「私は夢の様なものさ」

歌う様に口ずさむと広原は歯を見せずに優雅に微笑んだ。

「私がこんなことをしたところで君は変わらないだろうし、世界は向かうべき方向へと進むのだろう。シャドウにしたってペルソナにしたってあやふやなものだからな。君が生きたがっているという事実くらいか、変わらないのは」
「違う!」

衝動のままに立ち上がると、タカヤは迷う事無く召還器を引き抜いた。だが広原は薄ら笑いを貼り付かせたままで、少しも驚かずにタカヤの傍らを指差した。

「ほら少年はそんなあやふやなものを特別なものだと信じて縋る訳だ。君はそれ以外に拠り所が無いと思っているのだろう。だが忠告しておこう」

するりと軟体動物の様に広原が揺れ動いた、かと思うと広原の手に黒光りする銃が握られていた。まぎれも無くタカヤのもので、既にペルソナを何時でも召還できる状態にあるというのにタカヤは底冷えのする恐ろしさを腹の当たりに感じ取っていた。

「殺す時は普通のやり方の方が確実というものだ。こんな風にね」
「やめろ!」

ドン、という破裂音が耳元をつんざく。風穴が空いたのは広原の米神で、彼は笑ったまま倒れた。




 米神が痛い。ゲームセンターの騒音のせいだろうか、とはそっと右の米神を押さえ顔をしかめた。ほんの少しの邪魔のせいで、折角取りかけていたガネーシャ人形がクレーンから外れてぬいぐるみの山に戻る。横で固唾を呑んで見守っていた伊織がばん、とウインドウを叩いて溜め息をついた。

「あーあ、惜しいっスね!あともうちょっとってとこだったのに……サン、どうしたんスか?なんか、この辺赤くなってるみたいっスけど」
「ちっと痛いだけだ。多分、どっか打ったかなんかしたんだろ」

そんな記憶は少しも無かったが、は苦笑いを浮かべて小銭入れを取り出した。なんでもこのガネーシャ人形がどうしても欲しいと伊織が言うので、今日はちょっとした大人のプライドを賭けて取らねばならないのである。実際はこの手合いのゲームにはそれなりの自負があった。昔つき合っていた女達の中には、こうしたくだらない遊びを好む人間も少なくはなかったので、自然と身に付いた特技だった。個人的にはぬいぐるみよりも、ネットオークションで高値が付きやすい限定アイテムや、菓子類が詰まったクレーンゲームの方が有意義の様に感じていたが、価値観は人それぞれというものなのだろう。

「こういうとき、さくっと回復魔法とかで治せたら良いんスけどね」
「あっても治せないさ」

気持ちは解るが、と付け加えるとは今度こそ集中してボタンを押した。狙い通りにクレーンが動き、対象の真上に位置する。他のぬいぐるみとも適度な重なり合い具合で、さして問題も無く取れそうだった。

「え、でも傷とか直ぐに治せるじゃないスか」
「それはどういう時に出来た傷かい」

慎重に次のボタンを押すと、狙い違わずクレーンは不細工なガネーシャ人形をつり上げた。こんなものを伊織が欲しがる理由は全く理解できない。受け取り口から小さな歓声を上げた伊織の様子を見るからに、どうにも当人が欲しい訳ではなさそうだとは見当をつけた。恐らくは好きな女子が欲しがっているのだろう。変わった趣味の少女だな、と勝手に判断するとは伊織の返答を待たずに歩き始めた。ゲームセンターでの用事は終わり、次は隣のCD屋でぶらつく予定だったのだ。慌てて背後から伊織が付いて来る。自動ドアをくぐると、ゲームセンターの雑多な喧噪が集約し、一つの音楽が大音量で流れていた。

 流行の音楽には興味が無いから、は真っ直ぐにインターナショナルコーナーに向かって新譜をチェックし始めた。伊織はいつもならば流行の音楽に始まってゲーム音楽、J-POPにJ-ROCKへと流れるのが常だったが、先程の問いかけが引っかかっていたらしく、今日はの横にぴたりと貼り付いて来ていた。

「さっきの問題なんスけど、それってつまり、ペルソナで治せる傷はシャドウにやられた傷しか治せないってことっスか?」
「ああ、多分な。これは俺の推測に過ぎないんだが」

ケミカルブラザースの新譜で指先が止まり、は迷う事無く抜き出した。クラシックやジャズも好きだが、時にはこうした電子音楽を耳にする事も嫌いではない。何よりも聞いている時の自分が無になりさえすれば後は何でも良かった。伊織は知らないらしく、珍妙な表情でそれは面白いのかというメッセージを顔に描いていた。

「後で貸すよ。……単純に言えば、ペルソナは精神的なもので実際に物としては存在しないだろ。要するに俺たちの心の問題だ。ほら、風邪にかかっても俺たちは医者に行って薬をもらわなけりゃならないし、そうでなくとも休まなけりゃ治らないだろ」
「確かにそうっスね。あれ?じゃあペルソナで治してるあれって結局何なんスか?それもココロの問題?」
「そういうことになるな」

は記憶の底にいつでも浮かぶ、古い論文を思い出していた。の解釈が正しければ、結局シャドウと今自分たちが呼んでいる存在すら人間の精神的な産物に過ぎないのだった。ならばこの戦いは一体何を意味するのだろう、とは恐ろしい結論に至りそうになる自分を踏みとどまらせた。ケミカルブラザースの新譜を掴んでレジへと向かう。マニュアル通りの台詞と無表情で機械的にレジ係が動き、矢張り機械的には金を払った。

 痛みは続いている。それは精神的であっても肉体的であっても同じもので、結局感覚だけは共通するのだろうとは思っていた。だから戦闘不能状態になることは恐ろしくないと考える無謀さから免れる事が出来るのだろう。痛みは何よりも良い教師だった。

「……あいつも感じるのかね」
「え?」
「いや、なんでもない」

首を振ると、は米神の痛みの向こうへと思いを馳せた。人を愛する事ができない眼をした少年は、それでも痛みを知っているのだろうか。あるいは知らないからこそこの世を幻の様なあやふやの様に感じるのだろうか。生きている事は痛みだと誰かが言う。あるいは愛だと誰かが叫ぶ。

「ところで伊織、その人形どうするんだ」
「あ、これっスか?今集めてるんで窓の辺りに並べようと思ってるんですよ。ジャックフロストと渡光器土偶はなんとかゲットできたんですけど、これだけ集まんなくて」
「そうなのか」

眼を丸くすると、は予想が外れた事に笑った。なるほどそれが生きているということなのかもしれなかった。

〆.

後書き>>
 順番が逆になりましたが、補填の話です。哲学もどきに傾いて済みません、趣味です。(きっぱり)今まで表面を撫でるだけだった広原の素顔が少しでも理解できたら良いなあ、と思いつつ書いていました。この話を書いて、漸くタカヤが理解できた様な気がします。伊織は癒し要員だと言って憚らない。タイトルと冒頭文は谷川俊太郎さんの詩からの引用です。

最後まで読んでくださり、有り難うございました!