DREAM NOVEL
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あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと


あい


 が目覚めた、という知らせを真田が受け取ったのは彼の人が生とも死とも解らぬ状態に陥ってから大凡一週間後のことだった。桐条から連絡を受け取ったものの、詳細が告げられぬままである事に不安を抱きながら悶々と授業をこなす。お陰で何も頭に残らなかったばかりか、大学入試を控えている身の上でありながら注意力散漫だ、という注意を教師から受ける始末だった。

 授業から解放され、ようやっと自由の身になったところで、逸る気持ちを抑えながら待ち合わせ場所である校門に向かうと、既に桐条の姿があった。軽く手を挙げると、某かまた考え込んでいたらしく、尊大な腕を組んだポーズのまま軽く頭が下げられる。待とうという気持ちを押し切ろうとする衝動を乗り越えようと、真田は何気ない様子を装っての様子を尋ねた。

「実は私も今朝連絡をもらったばかりで、詳しい事は知らないんだ。お父様が既に面会に向かわれたと伺っているが」
「そうか」

確か話によれば広原、と桐条美鶴の父は昔なじみなのだという。ほんの少々胸の痛みを覚えたものの、真田は軽く頷いて校門で後輩達を待った。




 真田にとって、病院は便利ではあるが好ましくない建物であり、施設である。今日もその事実に変わりないのだが、いつになく舞い上がる様な心地で居る自分を認めずにはいられなかった。何度も通い詰めてすっかり受付の女性と顔見知りとなってしまった通路を通り過ぎ、迷路の様な病院の最奥が見えて来る頃にはもう自分の心臓の鼓動がそのまま衝撃波の様になって鼓膜を揺らしていた。

「失礼します」
「どうぞ」

桐条の声に反応する様に記憶と違わぬ声が応じ、それだけでもう真田の血圧が一挙に上昇する。付き人の様な看護婦が扉を開けると、入れ替わる様にして病室を出て行く。仕切りのカーテンを引くと、そこには二人分の死んでいるのか生きているのか解らない肉体が横たわっているのではなく、たった一人の男が寝台の上で大量の書類に囲まれていた。

 男は、でも広原和也でもない別の人間の様に見え、しかしそのどちらにも見えた。なるほどこれこそが広原なのだ、と真田は漸く納得した。よりもこざっぱりとした洒落たシャツを着、広原和也よりも短く切った上品な髪型をした広原は幾分若返った様にも見える。目の前の書類にサインをすると、男は銀縁の眼鏡を取って少し照れた様な、困った様な顔をしてはにかんだ。

「やあ。こういう時はなんて言ったら良いのかな……お久し振り。それと、初めまして」

何と声をかけたら良いのか解らないのはこちらも同じで、場の空気を読んだかの様に男は続けた。

「広原だ。心配をかけてごめんよ、来てくれて有り難う」
「……本当に、サンなんスよね」
「ああ」

ぽろりと溢れた様な伊織の言葉を拾うと、は大量の書類を少し退け、座ったらどうかと促した。

「どうも仕事がたまっていてな。相変わらず部屋が汚くて悪いね」
「なんだ、あんたそれじゃ元から片付けが出来ないのか」
「出来ないんじゃない、片付け慣れてないってだけだ」

荒垣の不躾な質問に笑って返すと、は寝台から降り立った。が動く度にふわりと懐かしい香りが鼻をくすぐる。が好んで使っていた香水だ、と気付くと真田は涙が出そうになった。

さん」
「うん」

小さく頷くと、は黙ってじっと真田の眼を見詰めた。それは、間違いなくとして真田が知っていた眼だった。深い海の様に底知れないの眼は、かつての諦観が消え失せた為か、より生き生きとした輝きを放っている。吸い込まれそうになる自分を抑えながら、真田は自分の頬が熱くなるのを止められないでいた。

「おかえりなさい、さん」
「ああ」

ほんの少しの頬に朱が走る。照れたように唇を動かすと、は舌で味わう様に言葉を転がした。

「ただいま、皆」

おかえりなさい、と皆口々に声を弾ませて言えば、は顔をくしゃくしゃに歪めて頷いた。そんな顔をされてしまえば抱きしめたくなってしまう、と真田はうずうずする気持ちを抑えて心中舌打ちした。時間はまだこれから先、気が遠くなる程広がっているだろうに、逸る気持ちを抑えられない自分の青さが気恥ずかしかった。

「あの、こんなことを聞くのは失礼なのかもしれないんですけど……今のさんは結局さんと広原和也さんのどちらなんですか?」

物思いに沈む中、飛び込んで来た岳羽の声に真田が顔を上げると、水を打った様に場が静まり返っていた。居合わせる面々の顔を見れば全員知りたがっていた問いかけであることは一目瞭然だった。ざわざわと胸の内が騒ぎ出し、真田は自分もまた知りたかったのだと苦笑した。

同時にそれは知りたくない答えでもあった。確かに真田は今のを未だに好きだと感じているが、もし今のではなく広原和也だとしたら、この気持ちを何処へ持って行くべきか落ち着かなくなってしまうだろう。一同が固唾を呑んで見守る中、はほんの少し眉を上げただけで、すぐさま笑みを浮かべた。

「なかなか鋭い所をつくね、岳羽君。今の俺はそのどちらでもあるんだが__強いて言うならば、」

不意に間を置くと、は真田の方を向いてにやりと笑った。かつて見慣れた仕草に心臓が跳ねる。もし、もしこれで自分が望む答えを得られないとするならば、いっそのこと耳が聞こえなくなってしまえばいいと真田は強く願った。まるでそんな真田の動揺を読み取ったかの様に、は目元に優しさを滲ませると続けた。

だな」

やっぱり、という声が漏れる。道理で掃除が出来ない訳だ、という荒垣の台詞にが冒頭の台詞を繰り返すと笑い声が溢れた。

「じゃあその、広原和也さんは何処へ行ったんですか」
「ここだよ」

天田の無邪気な問いに自分の胸を指差すとはすぐさま首を振り、今度は自分の頭を指差した。

「いや、ここかな。まあ、重要なのは俺の中に居るということだな__君は俺よりも彼の方が良いかい」
「すみません、そういうつもりじゃなかったんですけど」
「はは、冗談だよ」

気にしないでくれ、と言うとは戸惑う天田の肩を叩いて書類の山を示した。

「仕事の処理が遅いって散々言われているもんだから、ちょいと意地悪なことを言ったな。ごめんよ」

てっきりおかざりかと思っていたのだが、と付け加えるとは苦笑し、いつの間に部屋に入って来たらしい看護婦に頭を下げた。

「悪いね。明後日には退院できるから、積もる話はまたにしよう__真田、」
「はい」

個別に呼ばれたのは初めてで、真田は自然と頬が紅潮するのを覚えた。

「少し残ってくれないか。話がしたいんだ」
「俺は構いませんけど、」

勿論答えは肯定に決まっていたが、他の面々の手前躊躇してみせると、心得た様に桐条が頷いた。

「私達も構わないとも。ゆっくり話すと良い。そうだな、皆」
「ええ。でも、あまり独り占めしないでくださいね。さんはまだ本調子じゃないんですから」
「解ってるさ」

山岸の台詞に返すと、安堵した表情で面々が、口々に挨拶を述べて潮の様に引いて行った。要するに自分とのことは概ね知れ渡っていると考えて間違いないのだろう。以前のならば相当に気にした筈だが、ときっかけを生み出した張本人を見れば、至って平然とした様子で扉が閉まるまで手を振っていた。

「さて、と。お前には色々話さないといけないんだが、まずはその___ごめんな」
「何に対しての『ごめん』ですか」

今まで自分に事情を黙っていたことならば、真田は仕方の無いことだと許せた。今回心配をかけたことならば、戻って来てくれたことで全て帳消しできるだろう。ならば何に対する謝罪なのだろうか。ひょっとすると、ひょっとすると彼は生温い自分との関係に最後通牒を突きつけるつもりなのか。そこまでざっと思考がよぎって行ったところで、真田の腹がすうっと冷える。

 だが、はそんな真田の気持ちを知らずか、寝台に腰掛け、はにかむ様に微笑んだ。

「説明しなかったことも、今回のこともあるんだが……それよりも、ずっとはぐらかして言わなかったことに対する謝罪、かな____好きだ」
「え」

予想外の返答に、思わず間抜けな声を漏らすと、真田はまじまじとの顔を見た。冗談を言っている訳ではないことは、すっかり耳まで紅潮した顔で一目瞭然である。確かめる様に手を伸ばすと、真田はの頬を撫でた。暖かく柔らかな感触に、確かに彼が生きているのだということが実感され、真田はつんと鼻の奥が痛んだ。

「おい、何か言ってくれよ。恥ずかしいだろ」
「すみません。嬉しすぎて」

どうしたら良いのか解らなくなってしまったのだ、と素直に告げるとの瞳が丸く見開かれ、ついで勢い良く引き寄せられた。

「ばっかお前、そんなことを言われたら帰したくなくなるだろ」
「別に、帰らなくたって良いですよ。俺はさんと居たい」

元より自分がを好きなのだ。離れていたのであれば尚更その思いは強まるというものだろう。解っていないのはの方だ、と耳元で囁けば、びくりと自分よりも大きな身体が震えた。

「もう二度と離しませんから」
「うん」

小さく返したはひどく愛らしく、真田はこみ上げて来た衝動のままに口付けた。これまで拒まないだけだった口付けに、が積極的に応える。とろけきった瞳にちら、とかつて未遂に終わった行為の記憶が蘇った。男子の本懐を遂げるならば、正しく今ではないだろうか。

「好きだ、
「ぁ」

囁いて体重をかけると、の身体が力なく寝台に沈む。本調子ではないのだ、という山岸の台詞が蘇り、真田ははっとして手を止めた。

「すみません、起きたばかりなのに」
「良いのに」

ふふ、とは真田の頬を摘んで軽く引っ張った。

「お前になら、何されたって良いんだぜ」
「……あまり煽らないでください。退院できなくなったら、困るのはお互い様でしょう」
「それもそうだな」

名残惜しげに身を離すと、半身を引き裂かれた様な痛みを覚える。顔に出ていたのだろう、が困った様に眉を下げると、起き上がって真田の頬に口付けた。

「また明日な、明彦」
「っ」

生まれて初めて下の名前で呼ばれた衝撃は想像以上で、真田は頭を殴られた様に感じた。まるで世界中が歪んでしまったかの様にぐにゃぐにゃに揺れている。ぶるぶると震えてしまう指先が自分でもおかしかった。

 どうしてこうもは、自分を震わす言葉を無造作に投げるのだろう。まるで爆弾ではないか。その癖無邪気そのもののような表情でこちらを見る等、訴えたって足りないくらいだった。必死に自分を叱咤すると、真田はなんとか平静を取り戻しての頬に口付けを返した。

「それじゃ、また」
「ああ」

待ってるよ、という声を背にして廊下に出る。墓場の様に不気味に静まり返った廊下も、薬臭い匂いも何もかもが気にならなかった。蘇るのは先程まで得られていたの感触と匂いばかりで、明日までの僅かな時間に引き離されたことがもどかしくてたまらなかった。思い出を振り切る様に我武者らに足を動かし、エレベーターを乗り継ぎ、真っ暗闇の出口を目指す。夜警にカウンター口で面会バッヂを返すと、ひんやりとした秋の風が頬を撫でた。

「また明日、か」

 明日が、確約された明日があるのだ。あるか解らない明日を待つのではなく、はっきりと眼に見える明日が控えているのである。明日も無事に自分は我慢できるだろうか。贅沢な悩みに溜め息をつくと、真田は病院通りから未だ明かりの灯る恋しい人の部屋を見上げた。

 それはまるで希望の光のようだった。

〆.

後書き>>
 お久し振りとなってしまいました、ようやっと続きです。割合に短めですが、のろのろと続けていた曖昧な関係もまるっと収まりました。この調子で肉彦のアグレッシブさを発動できれば裏も夢ではない。(何)あともう少しだけ続けておしまいになる予定ですので、暫しおつき合い頂ければ幸いです。タイトルと冒頭文は谷川俊太郎さんの詩から引用させて頂きました。

最後まで読んでいただき、有り難うございました!