だれもぼくになんにもおしえてくれない
ひみつ
もし、自分の醜い、見たくも無い部分ばかりが寄せ集まって一人の自分を造り上げ、目の前に現れたとしよう。顔も姿も自分と同じ、自分と同じにやついた笑みと死んだ魚の様に沈んだ眼で、寄り添う様にしてあるとしよう。多分、多くの人間にとって不快な出来事に違いない。ましてや相手にとって、自分もまた同じく碌でもない醜さを持った人間だと解れば発狂したくもなるだろう。
「白は、良い色だ」
白い指先を目一杯太陽に向けて広げた広原は、眩しそうに眼を細めて言った。陽に透かされた指先は紅く染まり、まるで陽の色が映ったかの様だった。芝生の上に立つ広原の高校生らしい、成熟する一歩手前の身体は匂やかであり、は自分もそうだろうかと小首を傾げた。が何も答えずに無関係なことばかりつらつらと考えて居ると、何時もの様に慣れた調子で広原は芝居がかった調子で続ける。
「考えてみなよ、あれは汚される為だけにあるとしか思えないだろう?そうでなければ白なんて意味が無い、凄いと思わないか?自分の色が無くなって初めて意味があるんだ、とんだ自己犠牲じゃないか」
「早口だな」
矢鱈と口数と感嘆符が多い広原を遮ると、は苦笑して消毒薬を振った。先程広原とキャッチボールをした際に、ボールを上手く取り損ねて肘を擦りむいたのだった。広原と全く同じ腕を折り曲げると、は生白い自分の腕に広がる赤に小さく顔を顰めた。思いの外広範囲に及んだ擦り傷は、滅多に生傷を作らなくなったせいか余計に痛い様に感じられる。
そういえば先週共にサイクリングに行った際には、先に走っていた広原が急にブレーキをかけるものだからぶつかって大痣をこしらえたのだった。確認する様にジャージズボンの裾を捲ると、未だ癒えぬ痣が青黒く存在を主張していた。
「自分が怪我をしなくても、自分が怪我をしている様子が見られる、っていうのは、なかなか面白いな」
「俺には理解出来ないね」
「いいや、お前は解ってるだろう。良いんだぞ、お前が望むなら。俺も絶望や苦悩の一つくらいするさ」
「嫌だよ」
多分、広原は業とやっているのだ。先週のブレーキ事件も、今日のキャッチボールも、きっとこれからだって某か仕掛けて来るのだろう。白が好きだというのは成る程そういう意味か、とは漸く納得していた。傷口を見遣れば、痛々しさには唇の端を下げた。こんなものを何度も見たいと思う広原の心持ちは矢張り理解したく無いものだが、ありとあらゆる自分を暴き立てたいという気持ちはも持っていた。
ただそれが、広原はを利用することに向かい、は自分自身で実践しようとしているというだけの違いに過ぎないのだろう。だからこそは痛いことも辛いことも悲しいことも御免だった。ましてやそれを他所へと向ける意気地も無かった。
「お前は意気地がなくて困る」
「違うな」
図星を指す様な広原の物言いに、鼻で笑って返すとは広原と全く同じ形をした手指を陽に翳した。太陽に透かせば見える、血潮を尊んだ歌が一瞬脳裏を過ったが、名前も思い出せないので忘れることにした。
「白は汚れ易いだろ。道を踏み外す方が簡単なんだ」
「嫌にハードルをあげたな」
「期待してるぜ、和也」
「それはどうも」
風の様に穏やかに笑うと、広原は広げていた手指をのそれに絡めた。まるで最初から一つのものであったかの様にぴたりと合わさったそれは、陽に染まった様に紅かった。
そんな遣り取りをしてからもう十年以上経ってしまった気怠い夏の日、ふらりと映画祭りなる催しに足を運んだはスクリーンに映る仲の良い友人達をぼんやりと眺めていた。詰め襟の学生服が初々しい。高校生という響きは矢張りそれだけで青春を彷彿とさせると思うのは自分が年をとったからだろうか。横目でちらりと現役の高校生である真田を見遣れば、疾うに感情移入しているのか、食い入る様に画面に見入っていた。
真田と同じ様に高校生だった頃、広原和也は今と同じ様に気障であったが一人称は俺であったし、何よりまだまともだった。は転校先で孤立しており、校内一の変人の座を唯一の友人である幾月修司と争っていた。一週間に一度、広原の家で遊ぶことと、時折思いついた様に互いの学校で入れ替わるのが二人の共通の楽しみだった。
「誰も気付かないんだよ。お前は友達が少ないかもしれないけれども、俺は違うのにさ」
「そうだな」
夕暮れの帰り道、互いの制服を交換する為に落ち合った廃工場で広原が呟いた。心底落ち込んでいるのもその筈、広原が意中であった可愛らしい同級生が、全く素知らぬ体でに告白して来たからだった。同じ顔をぶら下げているのだから、伝言板の様なものだと割り切れば良いとは白々しく受け入れていたが、夢想家らしい広原には堪え難い出来事であったらしい。
「……俺達が二人で居ることに、意味なんてあるのかな」
「さあ」
ないだろう、と思った様には答えずに、は脱いだカッターシャツを広原に渡した。腹部に大きく裁断されたかの様な傷跡が広がっている。同じく上半身裸となった広原の腹部にも全く同じ傷跡が線を描いていた。それだけではない。広原とは全てが同じだった。顔も、手も、足も、眼に見えるものは全て等しく、声すら等しかった。ただ、そこにもう一つ同じものがあるだけだった。
「和也は白が好きなんだろ」
「好きだな」
「それで良いじゃないか」
それだけでは良く無かったのだ、ということをは大学で知った。敢えて全く別の人間に見える様に振る舞い続けた果てに見えたのは、結局同じだということだけだった。完全に違う人間になる為に支払った全ての犠牲をはありありと覚えている。多分その痛みは、違う形で広原にも残っているのだろう。まるで腹部に広がった傷の様に、とはそっと腹部を撫でた。
スクリーンの中では熱い友情の戦いが繰り広げられ、最近流行のワイヤーアクションで面白い様に人間が宙返りを打っていた。頻りと首の角度を変え乍ら見ている辺り、真田は本気でこの俳優達が動いているのだと思っているのだろう。SFXやCG等という、夢の無い言葉はまだ植え付けられていないらしかった。微笑ましいと思うと同時に、は純粋な気持ちが好きだという自己満足で、真実を明かさないことを選んだ。汚さないことは難しいのだ。
「面白かったですね!シリーズ二作目は余り出来が良く無いかもしれないと言われていましたが……あのアクション、前作を上回る動きでした。あの役者達は一体どんな鍛錬を積んでいるんでしょうね」
「そうだな……パンフレットでは特別なことをしているとは書いてなかったから、多分、精神的なものが大きいんだろうな」
真田はパンフレットを見る主義ではないと言う。は記念も兼ねて買うのが常だったから、先回りする様に何も書いていないと肩を竦めてみせた。ワイヤーアクションやSFXの細かな説明を真田に見せたくは無かった。そんなのエゴの様な行いを知らない真田は、神妙な様子で頷くと瞳を輝かせている。
「なるほど。ブルース・リーですね」
「うん」
橋を渡り乍ら、は丁度真ん中の辺りにぽつねんと置かれた花束を見た。若干カーブがかかっているせいなのか、それとも距離感の掴み難い坂の上がり具合の為なのか、不思議と交通事故の多い場所だった。花束は真新しく、恐らくは今朝にでも置かれたものなのだろう。人工栽培の頼りない菊の花と、百合の花とが季節感も関係無しに揺れていた。
「さん、大丈夫ですか?」
「んー、少し、大丈夫じゃないな」
交通事故、という言葉が脳裏に浮かび上がると同時に腹部が痛み、は無意識の内に腹部を抑えていた。ハンドルをきり損ねた車の中、遠心力に振り回されて大きく揺らいだ感覚と、同時にふわりと気持ちが悪い程に浮かび上がったことが全身を駆け巡る。運転席では、母親が
「さん!」
「っ」
記憶に引きずり込まれる一歩手前で真田の腕がに届いた。十センチ程先でクラクションをけたたましく鳴らし乍らトラックが過ぎて行く。どうやら花束を見ている内に、ふらふらと道路際に寄ってしまっていたらしかった。
「ごめん、有り難うな」
「……前にもありましたよね、こういうこと」
意外にも冷静な声の主は、ちらりともう大分後方となってしまった花束を示した。真田は勘が良い。それが長らくボクシングを嗜んでいるためなのかは解らなかったが、は困ったものだと眉根を寄せた。確かに以前、真田と別の場所で____繁華街だった様にも記憶しているが____同じ様に引き止められたことがあった。矢張り花束がぽつねんと置かれた場所で、は成る程事故が事故を呼ぶとはこういうものなのだと変に感心したものである。
「事故が事故を呼ぶ、っていうのは本当かもな」
「前回も同じことを言ってましたよ」
「『本当は、何かあるんじゃないですか』」
「っ」
素知らぬ体で真田の腕を絡ませたままにすると、は橋を降りた。もう少し歩いてしまえば直に寮に着いてしまうだろう。それが惜しまれて、自然と遠回りする道のりを取った。の意図するところに気付いたらしく、真田の頬が緩む。素直さは美徳だとは瞳を細めた。
「本当は聞きたいけれども、聞かないっていう顔だな」
「別に、そういう訳じゃありませんよ。考えすぎです」
「そうなのか?俺はお前のそういう所が好きなのに」
「さんっ」
真田の瞳がぎらりと光り、真っ直ぐにこちらを向いて来たのをは真摯に受け止めた。ふざけた訳ではない、ということが伝わればそれで充分で、驚いた真田の顔が段々と赤らむのが微笑ましかった。よくよく考えてみれば、が冗談でも直接的に好意を伝えたことはこれが初めてだった。
「あるよ」
努めて軽い調子で続けると、は腹部を擦った。まだ傷口が開いている様な錯覚を覚える。本当に傷ついたのは身体ではなくもっと深い所にあるものなのだろう。
「あるんだ、理由が」
真田が息を呑む。その先に続く言葉の重みを想像しているのだろう。だが、は至って普段通りのシナリオをなぞることを既に決定していた。パンフレットの中身は見せないに越したことはない。
「俺も交通事故にあったんだよ。それだけさ」
「それだけって、十分大事じゃないですか」
「昔の話だよ。大体、今生きてるんだろ」
横に座っていた母親は即死だった。少なくとも、多分そうだろうとは考えて居る。あんな痛みを一瞬でも感じたとすれば、それは例え死んでしまったとしても不憫に思われた。
「生きているから、お前に会えたんだ」
「……」
素直ついでに口を滑らせたことを、は少々後悔した。ぽかりと空いた真田の眼がはっきりと喜びと同時に悲しみを映している。察しの良い彼のことだから、の台詞の言外に何かを感じ取ったのだろう。気付かせるべきではないことを匂わせてしまった自分にが舌打ちしていると、真田がくいとの腕を引いた。
「危なくなっても、俺が居ますから」
「え?」
「さっきみたいに、ちゃんと腕を引きますから。そんな風に何処かに居なくなるみたいに言わないでください」
吸い込まれそうな瞳の色だ、とが思った時には既に口付けられていた。勿論周囲を確認した上でやったのだろうが、相変わらず抜き打ちの様なやり口には眼を白黒させた。一体こんなことを彼はどこで覚えたというのだろう。一瞬そんなことを考えて不快感に眉根を寄せ、は思考そのものを打ち消した。
ワイヤーアクションもSFXも知らず、疑うことなしにありのままの現実を真摯に受け止める様な、こんなにも純粋で未完成の生き物に、懇願される程自分には価値があるというのだろうか。離れ行く唇に、の方から追いかけて再び重なると、真田の瞳が大きく揺らいだ。
もしかしたら、真田は自分が二人居る意味を教えてくれるだろうか。珍しく沸いた仄かな期待に眼を細めると、は視界の端で傾く夕陽を捉えた。まるであの日の血潮の様に赤かった。
〆.
後書き>>
久々に地の文多めで。少しずつですが設定のばらしを始めました。主人公が真田に救われている部分は思うよりも多いのだと密かに考えています。
最後まで読んでくださり、有り難う御座居ました!