全ては貴方の心の中に
影より出でて
夜は、断絶していた。日々は奇妙なまでに不連続で、これが所謂世紀末というものだろうかと思われるほどに不気味な空白を孕んでいた。白河通り沿いにあるアミューズメントホテルの一室で身動きせずに横たわっている男にもそれは等しく訪れる。カチコチという時計の針の音さえ聞こえるほど物静かな空間に身を委ねていた男は、脈を数えるように正確にその数を追っていた。
「……3、2、1」
呟かれた言葉が終わると同時に世界は凍りつき_________ただ自分の心臓の音だけが聞こえる部屋の姿は一変していた。男女を秘事に誘う様に凝らされた室内装飾は血糊と真夜中の病院の色を思わせる不気味な緑に塗り替えられ、男の横に横たわっていた筈の相手に至っては棺桶になって文字通り死んだように横たわっている始末である。ぎょっとする様なそれらの変化に男はさして気にも留めずにベッドから降りると、手馴れた様子で身だしなみを整えて部屋を出た。
ぺらぺらとした如何にも真っ当ではない風の衣服を身につけた男はと言い、見ての通りのこれといった定職につくことも無くふらふらと浮世を漂っている人間である。三十は疾うに超えてしまっていると思われる見た目ではあるものの、人として磨きをかけるよりも人生への諦観が板についてしまった口であった。こうして今日置いてけ堀にしてしまった相手とて決ったこれという人物でもなく、ただ来る者拒まずの精神の結果に過ぎない。にしてみれば、それは路傍の石ほどにも魅力の無い話だった。
「今日も一人、か」
白河通りを抜けポートアイランド駅の方角へと足を運ぶ。不気味なまでに静かで奇妙な世界は、まるでだけを置いていってしまったかのように他者の存在を感じさせなかった。こんな風に奇妙な断絶した時間をが知ったのはもう半年ほど前のことである。話したところで誰もが理解しえないものなのだから、ひょっとすると自分の妄想かもしれないとも思ったこともあるが、こうして出歩けばきちんと元通りの世界でも移動しているのでいくらかは安堵もして居た。
今ではこの奇妙な時間を活用して面倒な関係から抜け出したり、気分転換の散歩などに繰り出す日々である。慣れとは恐ろしいものだ、と薄く笑うとは段々と見えてきた不気味な建物に目を向けた。
「しっかし、変な建物だよな」
それは元の世界ならば月光館学園という大層な名前の学校がある場所の筈であった。だが健全な青少年をはぐくむであろう学び舎は今姿を失せ、代わって螺子くれ曲がったダリの絵のような建物が不気味に聳えている。自宅へと帰る都合上、毎度の様にこの建物の前を通りはするものの、は今一つこの不気味さに慣れることは出来ないで居た。それでいて何処か自分を呼んでいるような気がして、は毎度無視することが出来ずについ、足を止めて聳える塔の頂上を見上げてしまう。入る勇気はもてなかったが、せめてもの可愛らしい好奇心の現われだと思いたかった。
今日も日課を終えたところで、さあ帰ろうかとが元のように目線を落としたところで、ぴたりと同じ二つの目とかち合った。
「……こんばんは、少年」
「、こんばんは」
こんなところで人に、という気持ちが向こうにもあったのだろう。丸く見開かれた目は唯驚きを映し出していた。服装から察するに、恐らくは件の学園の生徒に相違ない。だがそんなことよりも、はこの時間を謳歌する人間が自分以外にも居たことに変に安堵していた。そのためだろう、普段ならばこうして他人に挨拶などまずしないものが、つるりと滑って出てゆく。釣られるように返す少年も戸惑ったままだった。
この時間は何なのか、何時も居るのか、何か他に知っているのか、いやそもそも何者なのかどうなのかといった諸々の質問がの脳裏を掠めては消えてゆく。とうとう終いには質問をしようという気は失せてしまい、は同じく黙りこくっていた少年の脇を通るようにしてすれ違う道を選んだ。
「待ってください」
丁度脇に立つか立たないか、というところで不意に横から声がかかり、は動きを止めた。
「貴方は、いつもこの時間に……いや、この尋ね方はおかしいな……”影時間”を体験しているんですか?」
「”影時間”?」
初めて聞く単語だったが、その言葉は自棄にすんなりとの脳内に収まった。この断絶した時間、不気味な空白、それを”影時間”と呼ぶのならばなるほどその通りのものだった。誰が名付けたかは知らないが、この目の前の少年が名付けたのだとすれば随分と良いセンスをしているものだとは感心した。
「ああ。この時間をそう呼ぶんなら、そうなるな」
「……何時からか、お聞きしても?」
「おいおい、警察の尋問みたいだな、そりゃ」
「す、すみません。つい」
少年らしくすぐさま返された謝辞には思わず頬を緩めた。あるいはこの少年は将来像の一つとして警察官の道を選んでいるのかもしれない。明日のことさえ何も考えていない自分とは大違いだった。
「良いよ。そうだな、今は六月だから__________もう半年にもなるのか」
記憶の中で、この断絶が起きたのは確かに雪がちらつく半年ほど前のことだった。一方少年は大層驚いたらしく、半年も、と小さく口の中で単語を転がしている。
「それじゃ、貴方は平気なんですね」
「平気?そいつは君もだろ、少年。別にただ不気味ってだけで何もない時間じゃねぇか」
「何も、ないわけじゃありませんよ」
不意に瞳を冷やすと少年は丁度電柱の向こうを指差した。単なる影のようにも見えるがそこにはしかし、何かが蠢いているのが見受けられる。ヘドロがもっと硬い体を得て手のようなものが生えるとしたら、丁度そのような形だろうか。確かに、も見たことが無いわけではない。だがそうした不気味なものは何時だって気付けば視界から消えてしまっているのである。それを危険と判断することは恐らく出来ないに違いなかった。
「驚かないんですね。”シャドウ”のことも知ってるんですか?」
「まあ、な」
この時間を影時間と呼ぶのならば、その界隈に生きるものをシャドウと呼ぶのは矢張り当然のように聞こえた。体系化されたそれらのネーミングは矢張り秀逸である。まだ他にもあるのだろうか、と何処か期待すら抱く自分をは笑った。
「”シャドウ”に襲われたことは?」
「無いよ。あいつらは何時の間にか消えてるんだ」
「なるほど」
深々と感心したように頷くと、少年は少し時間をくれないか、と今更のように提案した。
自分は真田明彦と言うのだ、という名乗りから始まった物語は実に壮大な代物だった。影時間のみに存在する、シャドウとその源たる塔・タルタロス。10年前の事件を契機とする一連の無気力症候群の発生と大型シャドウの関連。そして、けなげにも自分とは何の関係も無いそれらに対して果敢に立ち向かってゆく少年達_________ペルソナ使い。能力者だけがシャドウの討伐をすることが出来るのだ、と締めくくって真田はにもその素質があるのだと告げた。
「って、言われてもなぁ。確かにこの時間が妙なことも全部納得できるが、お前さんの言うような力なんて俺には無いぜ」
ペルソナ_________もう一人の自分。あるいは、それこそが人の本性か。何れにせよにはそれを理解することが出来なかった。何故なら今ここにある自分すら把握できていないのである。自分が何を望み、何のために何をし、そしてこれから先をどうしてゆくかも朧ろな様では果たしてそこに”自分”があるのかも疑わしい。恐らく真田は仲間を募っているのだろうし、この時間にめぐり合った自分に対して何らかの期待を抱いているだろうことは想像されたが、矢張りは頷くことなど出来ないで居た。
「それならば、研究所で適正検査を受けることで判明しますから、大丈夫です。確かに、誰しもペルソナを出すことが出来るわけでは在りませんから」
「…………」
「勿論、無理強いはしません。貴方の自由です」
「必死だな」
「え?」
低く笑うと、は真田の子供らしい驚いた表情に目を向けた。恐らく本人は気付いていないのだろう、巡礼者の様な使命感を匂わせた物言いは火傷をすると思えるほどに熱かった。彼が何者で、何を望み何を選び何を行うかには全く把握できなかったが、今自分が何を望むかは唐突に焦がれるようにはっきりとしていた。
「俺の名前も聞かなかったろ?ひょっとすると俺はお前さんの敵かもしれないんだぜ。無用心だな」
「っ」
はっと真田が息を呑むと、途端に纏う雰囲気が変わる。朧ろに浮かび上がるオーラのような存在に、はなるほどこれがペルソナなのだと納得した。ストイックなシルエットの全身に闘気を漲らせている様は生まれながらの戦士のようである。
「冗談だよ。ちょっとからかってみただけだ」
「…………名前を、伺っても?」
「ああ。だ」
まだ警戒心を残した様子の真田の肩を叩くと、見る間に力が抜けてゆく。少しやりすぎたろうか。ほんの少しばかり反省すると、はゆっくりと続けた。
「ま、乗りかかった船だ。よろしく頼むよ、少年」
「少年じゃない」
名乗ったろう、と強い目に見つめられ、は瞬きして見つめ返した。予想外の反撃に思わず笑みがこぼれそうになる。
「そうだったな。悪いな、真田君」
望みのものを与えたにも関わらず、真田は気に入らないとでも言うように僅かに顔を顰めたようだった。その理由もいつかは知るだろうか。久方ぶりに生きがいのような面白さを見つけて踊る胸を抱えると、は先立って歩く真田に大人しくついていった。
実際のところ、研究所での検査というものは想像したほど恐ろしいものではなかった。時間こそかかる代物ではあったし、に多大な精神的ストレスを与えはしたが、自分のペルソナの発現を感じたのは代えがたい経験のように感じられたのである。召喚機という銃に良く似た代物を渡され、検査が全て終わったところで長身の柔らかな男が声をかけてきた。
「やあ。真田君から話は聞いているよ。久しぶりだね、」
「幾月」
傍に寄ってきた男をよくよく見れば、の高校時代の友人であった幾月修司、その人であった。確か研究者になったと聞いていたので、桐条グループの研究員か何かなのだろう。さして驚きもせずにその事実を受け止めていると、逆に幾月の方が感心したような様子で何度も頷いた。
「相変わらず、落ち着いてるんだな。大学に入ってからばらばらになった僕達が、10年前の事件の御蔭で廻りめぐってこうして引き寄せられるだなんて、なかなか運命的だとは思わないのかい?まあ、一々驚く君の姿なんて想像できないけどね」
「さあ、どういうことか考える気も無いだけかもしれないぜ。お前は予定通りに研究者になったのか?良かったな」
「ああ」
高校の頃の彼の夢を覚えていたので何とはなしに言っただけだったが、どういうわけか幾月は眼鏡を曇らせたようだった。夢を叶えた様でいて、存外しがらみなどで苦労をしているのかもしれない。自分だって、と自嘲するとは幾月の肩を叩いた。
「ま、こんなところで立ち話もなんだし_______何処か行くか?」
「そうしたいのは山々なんだけれどもね。実は、僕がここに居るのは君に今後のことを説明しようと思ったからなんだよ」
「説明?」
「ああ。僕は今研究者であると同時に月光館学園の理事長で________特別課外活動部の顧問なんだ」
「お前が?なるほどな」
その奇妙な名前の部活のことについては既に真田に聞いていたので、矢張り何ら疑うことなどせずにはすんなりと事実を飲み込んだ。彼が何故ここに来、わざわざ自分に声をかけたのかも理解できたし、距離が近くにありながらも微妙な余所余所しさを感じさせたのもそのためなのだろう。詳しいことは寮で説明する、という幾月の言葉に頷くとは先程感じた神々しいまでの自分という存在を思い出した。
ペルセポネー。ギリシア神話における女神の一人であり、大神ゼウスと豊穣神デメテルの間の娘にして冥王ハデスの妃である。名は破壊者を意味するということからも興味深いものだと検査を行った研究者はつらつらと述べていた。恐らくは神話に深い傾倒があるのだろう。はさして気にも留めなかったが、男である自分に女神という組み合わせは少々奇妙なもののように感じていた。
「……人は本来両性の性質を併せ持つものだよ。おかしなことじゃないさ。それに、名付けられたからといってペルソナに性別なんか関係ないだろう?」
「そうだな」
ペルソナが出せないという幾月の説明は実に研究者らしく、はそういう問題では無かったのだがと空を見上げた。血のような色をした月が嘲笑うように見下ろしていた。
[NEXT.]
後書き>>
懲りずに見切り発進。(懲りろ)全てはタルンダ先輩への愛が大きい故に……!
原作は少年少女の世界なので、大人のペルソナ使いを入れてみたかったというのも本音です。
まずはスタートまでに。
最後まで読んでくださり、有難う御座いました!