DREAM NOVEL
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あるいは存在しえた道筋の、一つ


贈物


 その日の一月も前になると、慌しく新春セールなどと書かれていた垂れ幕が消え失せ、代わって同じ赤でもピンクめいたり黒ずんでいたりする赤で埋め尽くされた垂れ幕がそこここに飾られ始める。

そうしてその次の日には甘ったるい匂いと秘密と期待とを仄めかせる色とりどりの可愛らしい箱が、ワゴンにショーケースにと所狭しと並べられるのだ。毎年のことながら__________不況も手伝ってだろうか、今年は自棄に早かったようである_________目まぐるしい街の変化には目を廻しそうだった。

実際色の氾濫としか言いようの無い、あの女性たちが楽しげに詰め掛ける一角は物慣れないにとってハレーションを引き起こしそうなほどに忙しかったのだ。勿論、毎年その内のいくつかにはしっかりお相伴に預かっている。最もに本命として渡してくる女性というのはそうそう存在しないため、前置きに”義理”の二文字が付いて廻っていた。

別の二文字が付いた物を受け取ってみたいという気持ちもかつてはあったのだが、今ではそれすら失ってしまっている。と、個体識別すらつかない群集の中から見覚えのある人物が此方に向かって手を振っているのが目に留まった。

さんもいらしてたんですね。何か買うんですか?」
「いや、特に予定は無いな。出来ればもらいたいとは思っているけど」
「そうなんですか?私、てっきりさんも準備なさるのかと思ってました」

興味津々と言った様子で此方を見上げてくるのは岳羽、一方の返答に残念そうな様子を見せるのは山岸である。どうやら両者共にお目当ての人物が居るらしい。それぞれが握った買い物籠には十分すぎるほどに念が込められた材料が詰め込まれていた。ひょっとするとその内のいくつかは自分の口の中に入るのだろうか。実際甘党の部類に入るにすれば嬉しい皮算用である。

「俺が?あげる当てなんて無いよ」
「はい、嘘!」

急に声を上げた岳羽に思わずが目を丸くすると、ちっちと目の前で指を振られた。追い討ちをかけるようにして山岸も首を振る。

「真田先輩とお付き合いなさっているんでしょう?あ、大丈夫です。私もゆかりちゃんも、偏見とかありませんから」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」

何故知られているのか、否、何故そんなにも確信を持っているのか。つ、と冷や汗を掻くとはそ知らぬ体で否定しようと首を振りかけ、全くそれが効果の無いことを直ぐに認めた。彼女達にとって、真田と自分が付き合っているという事実の方が好ましいのである。どういう訳であるかは良く解らなかったが_________揺ぎ無い確信に満ちた四つの目を振り切ることは、に出来る芸当ではなかった。

「_________仮に当てがあるとして、だ。俺が送るなんておかしいんじゃないのか?」
「おかしくなんてありませんよ」

きっと喜ぶと思います、と今度も自信たっぷりに岳羽が頷く。だから何処からその自信は生み出されると言うのだろう。そもそも岳羽があげようと考えている人物と、山岸があげようと考えている人物はひょっとしなくとも同一人物なのではないだろうか。チョコレートではなく血の雨が降りそうなバレンタイン・デーを思うかべると、は心の中で物静かな理解者に合掌した。

「解った。俺も作ろう」
「そうこなくっちゃ!あ、真田先輩はビターチョコベースの方が喜ぶと思いますよ」
「だったらあの辺のものが良いかな、ゆかりちゃん」
「そうね」

どんどんと話が流れてゆく。最早自分が口を挟むどころではないことを悟ると、は大人しく群れの中へと混じりこんだ。




 甘ったるい。ここ数日寮内に満ち満ちた匂いに顔を顰めると、真田は苛苛とした様子で台所を見遣った。高校三年にもなると大学入試が立て込み忙しい時期であるのだが、二年にはまだ先の遠い未来という実感であるらしい。羨ましいと思う半分、憎たらしいと思ってしまう自分を恥じて真田は首を振った。

「あーあ。俺にくれるのかくらい教えてくれたって良いのに!冷たいッスよ、サン。……あ、真田先輩、お疲れ様ッス」
「……お前も懲りないな」
「だって死活問題ッスよ!もらえるかもらえないか、もう義理でも良いから困らない人間になりたいッス」

どうやら懲りずにアタックして締め出しをくらったらしく、伊織がしょんぼりとした様子で居間に現れる。伊織には悪いが、真田には矢張り到底理解し得ない感情であった。2月14日ともなれば雨霰と自分にチョコレートが降り注ぐのは事実ではあるが、此方が欲しいと思わないものを受け取ることに意味などあるだろうか。第一、応えられないものを受け取ると言うのはそれだけ残酷だろう。

以前そんな会話をしたところ、と伊織、それに天田に揃って”それは真田だからなのだ”と諦めたような返答があったのだが、それすら未だに理解しえていない真田であった。

そんなことよりも何よりも今、真田を苛立たせているのは彼是一週間ほどが岳羽と山岸と共に行動しているという一点に尽きていた。様々な障壁を乗り越えた上で晴れて恋人とも呼べる仲になったと言うのに、進展が無いどころか接触も無いという、これでは付き合う以前の状態にも等しいものに陥ってしまっているのである。

桐条に言わせれば、そこを耐えられるかどうかが男の度量を示すのだそうだが、試験に支障こそ無いものの、不安を抱えたままでいるという状況を安穏と受け入れられるほど真田も成熟しては居ない。今でこそに子供と思われたくない一心で抑えているものの、苛立ちは計り知れなかった。

「順平さん、さんが一個ずつ僕達に配ってくれるそうですよ!」
「本当か!よっしゃ、これで今年は零じゃない!」
「本当だ。私にもくれると約束してくれたからな」

台所に寄ってから来たのだろう、天田と桐条が嬉しそうに顔を覗かせる。流石に入学試験があるだけあり、桐条は制作には参加しないらしい。嬉しそうな面々と一転して真田は渋面を酷くすると乱暴にテレビのチャンネルを弄った。何処の局も入試のことか、さもなくばバレンタインのことばかり報じている。何ら事件がないことは何よりなのだが、自分を嘲笑っているような気がして終いに真田は電源を切った。

「全員に、か」
「明彦?」
「なんでもない」

桐条の問いかけに首を振ると、真田は台所を見向きもせずに階上へと上がった。遠巻きに歓声が聞こえる。

自分とがつきあっていることを知っている人間は少ないので、全員に配るというのは当然と言えば当然の対処だろう。恐らく多くの人間はが唯単に興味を持ってチョコレート作りに勤しんでいるくらいにしか思っていないはずだった。実際真田もが態々自分にあげるためにどうこうする人間ではないことを承知している。とはそういう人間なのだ。だからこそ自分が彼の”特別”に居座れているという自信は常に揺らいでいて_____________たまらなく真田を不安にさせるのだった。

どうしたら確信できるのだろう。どうしたら彼は誰でもなく他でもなく自分が選んだのだと思わせることが出来るのだろう。あるいは彼はただ自分を受け入れただけで、それが誰であっても同じ結果を招いたのではないだろうか。

不安はだんだんとどす黒い闇を帯びて行き、絶望にも近い臭いを放ってゆく。首を振ってそれらと階下から立ち上る甘ったるい香とを振り切ると、真田は孤独に部屋に戻った。

そこだけが確かで安全だった。




 味は確かだが見た目はとてつもなくおかしい。それが、の作る料理の総評である。当人は至って平均レベルと称する家事全般において言えることだが、一般的にはどうしようもなく不器用なのだった。それはただブロックチョコレートを溶かし、決った手順で弄れば出来上がってしまう菓子にしてもそうである。

同じく砂糖と塩を間違えるだけでなく、爆発事故まで引き起こす山岸に、料理はまともに作れる(らしい)ものの、菓子は門外漢の岳羽という組み合わせで取り組んでいると言えば、まともなものが出来上がるまでの道のりは正直なところ天竺よりも遠いのではないだろうかと噂されるほどだった。当人達がそうは思っていないところも含めて、である。

故に、2月14日当日、綺麗にラッピングされた箱を前にした達の気持ちはフルマラソンを走りきったような、言いようの無い達成感に満ち溢れたものであった。

「……まさか箱に収まるものが本当に出来るとは思ってなかったな」
「味もばっちりだし」
「見た目だって最高の出来ですよ」

最後のラッピングは器用な岳羽の指導で完璧なものが仕上がっている。ある種、芸術的と言っても良いだろう。互いに互いを見合わせると、達はにこりと満足げな笑みを浮かべた。

「有難う。二人の御蔭で良いものが出来たよ」
「お礼なんて良いですよ。それよりも、真田先輩のところに行ってあげて下さい」
さんが作った分も他の人に配っておきますから」
「……ん、解った」

ここで照れて押し切ったところで矢張り彼女達を頷かせることは出来ないのだろう。ここ一週間で何よりも深くが学んだのは、彼女達が相当に頑固であるらしいということだった。逆らうだけ無駄である。苦笑気味に頷くと、は一番目立たないラッピングの小さな箱を摘んだ。カードも何も添えられていない、ただリボンがかかっただけの茶色の箱である。

台所を出て居間を覗くと、日曜日だと言うのに真田は居なかった。何時も通りに、というよりは只管にチョコレートを待ちわびていたらしい伊織の話に寄れば何処かへ出かけたのだと言う。確かにこのところ試験漬けだったのだから、気分転換も兼ねてなのだろうとは納得した。普段のはこうしたイベント毎に関わらないのが常である。真田が自分達に関係があると考えないのも無理も無かった。ひょっとすると夜まで帰ってこないのかもしれない。

携帯電話で呼び出そうという気持ちは照れの方が勝ってしまって行動に移せなかった。そもそもがこうしてイベントらしいことをするのは初めてのことである。何をすれば良いのかよくわかっていないという形容が正しいだろう。仕方無しに寮を出ると、はチョコレートをポケットに入れて当て所なく街に彷徨い出た。

二月の街は静かだった。まだ昼前であると言うこともあるのかもしれない。犬の散歩をする老夫婦とすれ違ったが、他に出歩く人間も居ない。出かける人間はもっと繁華な町へと向かったのだろうとは勝手に考えた。ポロニアンモールでは何しろ盛大なイベントが執り行われるそうである。クリスマスのイルミネーションのことを頭に思い浮かべると、真田はああしたイベント事に参加したいだろうかとは考えた。

が他人のことを思いやることは少ない。と、言うよりも何かを深く考えると言うことが余り無いのだ。それが楽な生き方であったから、というのが大人気ない情けなくもある理由なのだが、数十年そうした生き方を続けると変える方が逆に難しいだろう。

唯一の例外は真田である。思えば出会った瞬間から彼に捕らわれ、運命と言う運命が狂ってしまったと、あるいは動き出してしまったとしか言い様が無い。だがそのことを真田に伝えたことは無かった。まさか付き合うようになるとは思いも寄らぬ結末である。

足は勝手に長嶋神社へと向かっていた。コロマルを連れてくれば良かったかもしれないと思ったが、苦笑するとは階段を上った。考えても今更のことだろう。

「よ、少年」
さん」

上がりきった先に見えた真田の姿に、が驚くことは無かった。それすらも必然であるように思えるのは彼が唯一の存在だからだろう。綻んでしまいそうになる頬に力を入れると、は業とらしく何気ない振りを装って手を挙げた。

「散歩か?奇遇だな」
「……、そうですね」

一瞬、何か言いかけようとした真田の口が噤まれる。ひょっとしなくとも機嫌が悪いらしい。そういえばまともに口を利くのは久しぶりである。かける言葉を考えあぐねると、結局は黙って座る真田の膝の上に件の箱を置き、横に並んで腰掛けた。

「なんですか、これ」
「聞くなよ。恥ずかしいだろ」
「俺にですか」
「……お前、解って言ってるだろ」
「まさか。解らないから聞いてるだけです」

にこりと真田が微笑む。整った顔立ちには真田の怒りが垣間見えたような気がして顔を引きつらせた。……これだから惚れた弱みというのは嫌なのだ。ちらりと辺りを見渡すと、は誰も居ないことを確認して改めて真田に向き直った。

「今日はバレンタイン・デーだろ。それはだから、その……明彦に、だ」

二人きりの時にしか呼ばない呼び方を使うと、途端に真田の瞳が驚きに見開かれる。ついで、弾丸の様に勢いよく抱きつかれた。

さん!」
「ちょ、だからいきなり抱きつくな!」
「良いじゃないですか、これくらい。誰も気にしませんよ」
「俺が気にする」
「……嫌なんですか?」

すっと低く囁かれた台詞に、は寂しさの様なものを嗅ぎ取って顔を綻ばせた。どうと言うことも無い、つまりこの年下の恋人というのは可愛くて仕方の無い存在なのである。安心させるようにその背中に腕を回すと、はそっとその耳に囁いた。

「好きにしろ」

息を呑む音がする。は不安と喜びを受け止めながら、伝わるだろうかと不器用な自分を笑った。チョコレートというのは所詮口実に過ぎないのであって、所詮自分はなんだって彼にくれてやるつもりなのだ。それが解った暁に、彼は何と返してくれるのだろう。

ホワイト・デーには三倍返しがお約束だ、という岳羽の話を思い返しながらはそっと瞳を閉じた。


〆.

後書き>>
 滑り込んでセニョリータ、と言う訳で久々にイベントものです。2月はペル3の中で描かれていないので、あくまでもIFということでお楽しみください。
なんだか甘甘に仕上がったのは食べ過ぎたチョコレートケーキの罠です。

最後まで読んでくださり、有難う御座いました!