あなたの刃は何かを作り、私の刃は何かを壊す、釣り合いが取れて丁度いい、そうじゃありません?
天と地
初めて見た時に、ああ、出会ってしまったんだなあと訳の解らない感慨が沸き起こった。ついで、それが妙に恥ずかしく突拍子もなかったので目を反らして自分の心からも気をそらした。先方も同じようだったらしく、気まずい表情を浮かべていたが、こちらは少しも目を反らさなかった。それが始まりだった。甘酸っぱいような、落ち着かない、これまでにない感覚は、季節の移り変わりに何ら心を動かさないの心に、確かに春の風を吹き込んだのである。
は鋏である。大事に大事にされた細工用の鋏で、お陰様で付喪神になるに至った。人型をとれるようになってからは、主の身の回りの世話等に勤しむ日々である。幸い、主達はを気味が悪いとも思わずに変わらず大切にし、名前を与えて傍に置き続けてくれていた。主が審神者なる役目を時の政府に授かり、異界に設けられた本丸に移り住むことになった際も、実に当たり前のようには付き従った。所謂小姓のようなもので、見場が中年男性のしょぼくれたそれであるとしても、立派に勤めを果たしている。
「さん!今日の遠征の組は準備万端だぜ。最終チェックをお願いできねえか」
「早いな。今行く」
我に返ると、は和泉守兼定が美しい黒髪を靡かせて自室に駆け込んで来るのに対応した。ついで、思わず先日の出来事を思い返した自分に舌打ちする。長らく暮らすうち、は主が刀剣から付喪神として顕現させ、戦陣を駈けさせる部下とした刀剣男士達のお目付役になっていた。何しろ付喪神として顕現してからが長いし、主のことはよく知っている。幼子の世話にもなれているので、にとって苦はないし、男士達には頼れる先輩のようなものであった。腰を浮かせて馬上門に出ると、ずらりと美しい馬の手綱を引いた、これまた美麗な男士達がぴしりと背筋を正してこちらを見て来た。
「隊長は和泉守。他は陸奥守、長谷部、鶯丸、膝丸、今剣か。全員揃ってるようだし……傷もなし、装備も良さそうだな。ああ、今剣」
「はいっ」
ふと目を留めて、小さな少年に声を掛けると、嬉しそうに天狗のような格好をした今剣がくるくると回る。こうして見れば落ち着きがないただの小さな子供なのだが、戦陣を駈ければよりも遥かに力強い。土台、鋏であるが戦いの道具になどなれる訳も無いのだが、ついそんなことを考えてしまう。はエプロンのポケットをさぐると、小さな守り袋を出し、今剣の首にかけてやった。先程作り上げた手製の守り袋である。
「この前、お前が死にかけて本当に心配だったんだぞ?怪我をするなとは言わないが、無理はしないでくれ。これはせめてものお守りだ」
「ありがとうございます!様、僕、がんばってはやくかえってきますね。そうしたら、うんとほめてください!」
「わかったわかった。和泉守、後は頼んだ。……今剣だけじゃない、皆無事で帰って来てくれな」
「ああ」
意気揚々と馬に乗り、門前に開けた別世界へと男士達が駈けて行く。その煌びやかな行軍を、はいつも通りに少し怖いと思った。あの先には死が待っている。いつどうなるのかは誰にも保証できないのだ。どうしたってあそこに行かねばならないのか、とは刀剣に産まれてしまった彼らを勝手に哀れに思う。だから、少しでも帰って来てもらえるようにと無駄に守り袋などを作ってしまうのだ。
「ふふ、皆のお母さん役は大変だね」
「大変じゃないさ。人の世話を焼くのは好きなんでね」
皮肉とも受け取れる台詞に苦笑すると、は声の主ーー燭台切光忠に振り返った。どうやら厩番をしていたらしく、あちこちが汚れている。袖口にほつれを見かけて、洗濯の前と後と前と、どちらにすべきかとは首をひねった。多分、あの様子では後ででも問題ないだろう。
「それは君が鋏だからかな?今朝、主君に君の本体を見せてもらったよ。とても優雅な形で使い勝手も良さそうだった」
「見ないでくれ。恥ずかしい」
自分の本体を見られた、という衝撃には現実に引き戻された。燭台切を前にすると、どうにも目も気も反らしたくて仕方がない。出会った頃から少しも変わらないのだが、向こうはそうでもないらしい。否、それにしても問題は自分の恥ずかしい本体をまじまじと見られてしまったということである。本体を見られるということは裸身を眺められる程に恥ずかしかった。主は良い。自分を道具として使ってくれている。だが、同じ道具でも優美なものに眺められるというのは溜まらなく恥ずかしかった。恐らく、はどこかで刀剣達に気後れしてしまっているのだろう。
「いいじゃないか、あんなに大事にされているんだから。羨ましいくらいだよ。……さっき、今剣に渡してたのはお守り?」
「照れるから止めてくれ。ああ、お守りだよ。あの子は敵の懐に勢い良く潜り込むんだろう、どうにも生傷が絶えなくてな。心配になったのさ」
「ふうん」
器用なんだね、と燭台切が金色の片目を細める。何やら落ち着かない心地になり、はちらりと先程気になったほつれを見た。
「その服、洗濯をしたら貸してくれないか。ほつれ、直しとくよ」
「これくらいは自分でーーいや、君にお願いしよう。が直してくれたら、お守りの効果もついてきそうだ」
「つかないよ。ジャージにはいらないだろ」
「じゃあ、僕にもお守りを作ってくれる?」
「良いぜ。今剣と同じものでいいか」
不思議そうな表情をする燭台切に、その程度であればさして時間もかけずにできる。禰宜であった審神者の指導を受ければ他の種類を作る事も可能なのだ、と伝えれば、嗚呼、と嬉しそうに破顔した。
「だったら、恋愛成就が良いな。女の子達に人気なんだろう、この前番組で見たんだ」
「へえ」
作るよ、と請け負うと同時に、は奇妙なもやもやとしたものが胸に沸き起こるのを感じて顔を顰めた。ついで、先日万屋に一緒に買い物に行った(正確には燭台切が荷物持ちを申し出て着いて来た)際、散々店の女妖怪達に燭台切が持て囃されていた事などを思い出してしまう。見目良く、気っ風もいいのだから持て囃されてもおかしくはないし、老若男女共に人気の出る人間はそうはいない。ひょっとすると、自分は燭台切に嫉妬しているのだろうか?あんな風に皆に持て囃されたいという思いは取り立てて無い筈だが、恐ろしい程に不快である。厩の掃除に戻るよ、という燭台切の台詞も碌碌聴かぬまま、は渋柿を食んだような顔つきで自室に引き下がった。
中々うまくはいかない。陰気な様子になったに苦笑すると、燭台切は今日も可愛い馬達を世話し始めた。馬は可愛い。人よりも解りやすく実に素直だ。こちらが愛を傾ければ、その分だけ愛を返してくれる。だが人と言うのはまるきり異なるらしい。馬のつやつやとした肌にブラシを滑らせると、燭台切は慣れた手つきで更にそれを磨いて行った。こんな風に、自分はを磨ければ、大切にできれば、と思う。それは初めて出会った時に抱いた思いで、今でも少しも変わる事はない。顕現した際に初めて見たのは審神者なので、刷り込みでも何でもなく啓示であった。一瞬、浮かんだの表情から、彼も同じ事を思ったのだと知れて、燭台切は何よりも嬉しかったものである。
だが、蓋を開けてみればの気持ちは今だ杳として知れない。近寄れば大概やんわりと避けられるし、目すらも合わせたがらない。おまけに話しかければあのように陰気になったり不機嫌になるばかりで、燭台切がの笑顔を見るのはいつだって遠くから、それも他人に向けられるものだけだった。この不満は底知れず、思わず溜め息をつかざるを得ない。
「おいおい光忠、またのことで悩んでいるのか?」
「それ以外にあると思うかい」
「ないな」
きっぱりと言い放つのは、本日の内番の相手である鶴丸国永である。彼とはものであった時代に縁がなかった訳でもないためか、ひとになった今では気安い関係を築き上げていた。最初の一週間程があれこれ世話をしてくれた後、もっぱらひとのことを教えてくれるのは、先にひとになった鶴丸である。例えば、燭台切が悶々と抱くこの気持ちは七夕の二人のようだと定義したのも鶴丸だ。言われてみればなるほどというもので、燭台切は抜き身の刀身に相応しい鞘を見つけたような心地でを求めている。
「どうしたらもっと打ち解けてくれるのかなあ。君じゃないけど、抱きついたりして驚かせたら……だめだ、二度と会ってくれなくなる」
「わからないぜ?もっと普段みたいに自信を持てよ。大体、お前さんはに自分の気持ちを伝えた事はあるのか?」
「持てる訳がないだろう!あんな風にしかめっ面される僕の身にもなってよ。他の子にはあんなに可愛い顔をするくせにひどいじゃないか。この前だって、一緒にいたいってお買い物についていったのに、結局不機嫌だったし!僕が何かしたわけでもないのに、何であんなに避けるのさ」
「うーん、そいつは本当に見込みなしだな。諦めたらどうだ?時間の無駄だぜ」
「嫌だ。そ、それに今日は服を繕ってくれるって言ってくれたし、お守りだって作ってくれるんだから」
そうなのだ。何と言う青天の霹靂か、の方から申し出てくれたのである。だが、お守りを依頼したのは図々しかったのか、は顔を顰めてしまった。否、今剣と同じものならば大丈夫そうだったから、恋愛成就が良いという燭台切の申し出に下心を感じ取ったのだろう。そうともなれば矢張り見込みは無いのか、と燭台切はぐるぐるとする悩みで気持ちが悪くなりそうだった。もし、自分の鞘になって欲しいと頼んだら、彼は顰めるだけでなくどこかに消えてしまうのではないか?そんなことになったらば、自分がどんな行為に及んでしまうのかが燭台切には想像もつかない。ただ、自制がきかずにを傷つける結末を迎えそうで、ただそれが恐ろしかった。
「お前も大概面倒だな。ま、とっかかりがあるっていうんなら、もうちょい頑張っても良いかもしれないが……時間があるからってまごついてると、他の奴に向いちまうぜ、あいつの刃先が」
「それは困る」
確かに時間は無限だ。ものではなく神になったのだから、戦いで折れない限りは無限と言っても良い。の方は折れる心配もない。ふと、燭台切はそこまで考えて眉間に皺を寄せた。の方がひとになってからは随分と長いーー要するに燭台切以外が入り込む隙間は十分すぎる程にあった。その相手が今も彼の懐に潜り込んでいるということはないだろうか?少なくともこの本丸にはいない。しかし、買い物やら主の使いやらで外出の多いのこと、友人もさぞや多いだろう。友人だけという保証はどこにもなかった。
「お守り、効果があるといいんだけどな」
意気地なしだとは解っているものの、他所の神に祈って燭台切は大きなため息を吐いた。恋愛成就の祈願先は勿論だ。何故ってこれは恋で、燭台切には他に相手も考えられない。縁は結ばれていると信じているから、後は確り絡ませるだけだった。
身が入らない。自室で縫い物をしながら、は再度針で指を刺してしまい、痛みに顔を顰めた。ものの癖に、こうして突くときちんと体液が流れ出るのはつくづく不思議である。縫い物についていないことを確認すると、は絆創膏を小机から取り出して貼った。普段であれば、この程度の縫い物などとっくのとうに終えてしまっているし、そもそも針を指に刺すなどという初歩的な過ちは犯さない。疲れているかと言われれば、今日は大したことは何一つとしてしていないから、単純に気がそぞろということなのだろう。
「恋愛成就ねえ」
作りかけているのは、燭台切に頼まれたお守りである。過去にも何度か友人に頼まれて作った事があるので手慣れた物だ。作り上げたらば、然るべき神に願って祝ってもらえばそれで良い。燭台切の瞳のような暖かい黄金色をあしらったお守りは中々良い仕上がりになりそうだった。が、まだ半分もできていないのは気が進まないとでもいうのだろうか。恋愛成就、というのはものにも寄るのだが大概前向きなものを願われているので縫っていて気分が良い。なるほどあの人との間を願っているのか、と微笑ましさすら抱く。つまり燭台切も誰かとのものを願っているのだが、その誰かがさっぱり思い描けない。否、正直に言ってしまえば誰かとの燭台切を想像するのが嫌でたまらないのだ。
自分は狭量だ。他人の幸不幸は所詮他人のもの、あれやこれやと考えるだけ無駄である。だというのに、これではまるで他人の幸福を妬むかのようだった。そんな思いで縫い上げてしまえば呪物になりかねない。は折角縫い合わせた守り袋を解くと、ただの布切れに変えてしまった。何故だか自分の心もばらした、そんな悲しくも空しい気持ちになってしまう。良いではないか、燭台切は確かに良い男なのだ。誰かを愛し、誰かと添うのは良い事である。にもで何かあるかもしれないし、想像もできないけれどもきっと良い事が待っているはずだ。
「なんだろうな」
燭台切に初めて出会った時、どうにもわからぬ欲望が春のように芽吹いた。これが恋なのかをは知らない。知りたくはない。何故って、向こうもきっと同じ事を悟ったろうけれども、なんとも不自然な話なのだ。身体の小さい、華美の一つも感じさせない無骨な道具そのものを体現したは、少なくとも見てくれはただの中年男性のそれである。手先は器用だ、心も八方美人で器用だが、これという深みも引き出しもない。昔つきあった妖怪達には、物足りないと放り出された事もしばしばあった。一方、はで相手に耽溺していた訳ではないので、そうかとあっさりしていたものだから矢張りひとでなしではある。
燭台切には、そんな自分に気づいて欲しくないのだ。要するに格好つけたいのだが、それは燭台切の本領である。彼程になることはできない、ならば彼がこちらに憧憬を抱くなど不可能だ。彼を目の前にするとどうにも自分の矮小さを突きつけられるようで辛い。燭台切は分け隔てなく自分に接して来るものだから尚更だ。ばらした布に鋏を入れて、めちゃめちゃの塵に仕立て上げて漸く満足する。これが、自分だ。自分はこんなものなのだ。
「珍しいな。ここが散らかってるのは初めて見た」
「……部屋に入る時は声をかけてくれ、大倶利伽羅。俺はお前さん達と違って気配に疎いんだ、驚いた拍子にぽっくり逝くかもしれないぜ?」
「声はかけた」
ただあんたの反応がなくて心配になったから、という大倶利伽羅の台詞に、は初めて自分が考え事に没入し過ぎていたのだと悟った。ついで恥ずかしさがこみ上げて来る。紛らわせるように片付けをしながら、は大倶利伽羅に一体何の用事なのかと尋ねた。
「ああ。夕飯の時間になってもあんたが来ないから呼びに来たんだ。具合でも悪いのか?だったら俺がここまで運んでやる」
「悪くないさ。行くよ、勿論。呼んでくれてありがとうな」
「礼には及ばない」
心なし、大倶利伽羅の耳が赤い。慣れないことをしたという自覚があるのかもしれなかったが、はこの青年の不器用さを何よりも愛らしく思った。他の男士と同じく大倶利伽羅も秀麗かつ雄俊であるのだが、大倶利伽羅にはどうにも庇護欲のようなものをかき立てられる。本人にこのことを伝えたならば、相当に嫌な顔をされることだろう。彼は実用品であるだけでなく美術品であり愛玩の対象なのだが、どうにもその評価を嫌う風がある。乱藤四郎のように自分の見目の利用価値を理解し、受け入れ、活用する例は余りない。
食堂につけば、燭台切と物吉貞宗とがきりきりと動いて夕餉を並べていた。他の短刀達も手伝いに回っている。常ならばこの立ち位置はのものだったが、今日はどうにも気が乗らないのでそのまま席に着かせてもらう事にした。あんな風にお守りをめちゃくちゃにしてしまったため、燭台切の思いをも踏みにじってしまったような、そんな背徳感が腹の中を渦巻いている。自分に悪所があることは誰しもあるのだろうが、それをみとめることは実に辛い。
今日はうなぎがとれたからうな重だよ、主はひつまぶしにしてあげたからね、などという丁寧な説明が聞こえる。脂ののったうなぎは日本号と蜻蛉切が勇んでとって来たらしい。どこからかは解らないが脂がのっていて大層美味そうだった。かけられているてらてらとした赤茶のたれは燭台切特製で、ぱらりと振りかける山椒は鶯丸が育てたものである。隅々まで愛情がこもっているのだ。これが美味くないはずもない。
「いただきます」
他の皆と同じく唱和すると、はまず汁物から手を付けた。口の中を整えて純粋にうな重を味わいたかったのだ。出汁の軽やかな、優しく包み込むような味わいに浸ると、奇妙な事に幸せだという実感がこみ上げて来る。幸せというものをは理解していない。快不快は解るのだが、それ以上の奥深い感情というものは抱いていないように思う。これまで出会って来た古い付喪神達は更にひとでなしで、見目は完璧であっても矢張り心は薄っぺらかった。に幾分かの奥行きがあるのは代々使えて来た主によるものだろう。彼らに添うには、何よりも彼らの心を理解せねばならなかった。しかし、理解と体得は別であって、未だは良いか悪いか、くらいしか思っていないのである。
小難しいことは忘れよう。再びうな重に集中すると、僅かに湿らせてある(程よい湿り具合で完璧だ)竹箸で身を僅かに解す。ほんの少しの切れ目から、真っ白い真綿のような身が覗き、匂い立つ生命の煙がほっこりとわき上がる。唾液がこみ上げて来るのを抑えながら、はまずは身だけを掬って口へと運んだ。柔らかな、ぎらついていない、力強さを与えてくれる脂に、ほろほろと崩れて行く身、香ばしい垂れの味わいとで思わず頬が緩む。全身で味わった後に、次は山椒をかけ、そしてご飯を添えるというのがの慣しだった。
「気に入ってくれてみたいで嬉しいよ。君が好きそうなうなぎを選んだんだ」
「んぐっ」
「大丈夫?あ、水、水飲んで!」
不意に横合いから声が響き、は喉へと恙無く降り立とうとしていたうなぎを跳ねさせた。気道に引っかかって噎せる。折角のうなぎが台無しだ!げほげほと噎せながら、は水を渡して来た燭台切を睨んだ。他の誰かであれば問題なかったろうが、この男が声をかけてきたというのが実にまずい。ただでさえ不調法だというのに、彼にこんな姿を見せたくはなかった。燭台切程ではないが、とて恰好をつけたい。ましてや、相手が燭台切であれば尚更である。張り合うつもりはないが、見苦しくないようにありたかった。
背中をさする手の優しさや暖かさを振り切るように立ち直ると、は短く礼を言って距離を置いた。とは言え隣同士の席に座っているのでとるといっても微々たる物である。本来そこには鶴丸が座っていたはずなのだが、見渡せば遥か向こうに座っていた。自分の気のせいだったのかもしれない、と首をひねると、はばつの悪さを隠すように口を開いた。
「あの、お守りなんだが」
「うん」
「恋愛成就のお守りを作る時は、どんな相手にどういう風に思っているのか想像できないと作り難いんだ。良かったら、相手のことを教えてくれないか?」
「うっ」
今度は何故か燭台切が噎せる番だった。口に含んだ水が飛び散らなかったのは彼の挟持でもあるのだろう。目に涙を浮かべる燭台切の背を撫でてやると、どうにも一層ひどくなるようで哀れだった。そんなにも突拍子もない質問だったのか。相手が禁忌の存在であるのかもしれない。男女という見目についてはひとではないし、さして気にする性質ではない。それでも禁忌であるならば、相手が格の甚だ異なる神か、人間か、はたまた審神者のような主であるか、が考えられる。主に懐く燭台切を思い出し、は顔を顰めた。最もありそうな話である。
「……言い辛いなら良い。ただ、そうなると俺の手には余る。普通のを作らせてくれ」
「き、君じゃなきゃだめだ!」
「おいおい、俺は別に専門家でもなんでもないんだ。本気なら尚更俺じゃない方が良いぜ」
「僕は君が作ったお守りが欲しいんだ。他のならいらないよ。その、僕が好きなのは」
自然ににじみ出た嬉しさで、は目を細めた。世の中腐る程に霊験あらたかなお守りがあるというのに、よりにもよって自分のものでなければ欲しくないと、この目の前の伊達男は言うのである。作り手冥利に尽きると言えよう。ついで、は静かに燭台切の台詞の続きを待った。結局彼は誰を想っているのかは重要な問いで、聞かなければならない。だが、不思議な事には同時にその結果を知りたくないと厭わしく感じても居た。相手が誰であるのか等、には本来関係がない。出会ってしまったのは自分だ、と頭の隅を余計な台詞が過る。は振り切るように唾を飲み込んだ。
「僕が好きなのは、その……ねえ、君は、は僕のことが嫌いなのかい」
「は?」
突然刀の切っ先が自分に向いて、はぽかんと口を開けた。燭台切の想い人を尋ねるはずが、何故だか自分の感想を求められている。全く脈絡のない展開で、は心底混乱した。自分が燭台切を嫌いか、という問いの答えは簡単である。むしろ、何故この問いが発せられたのかが解らない程だった。それでも敢えて聞きたいのだ、なんらかの理由があるのだろうとは慌てて言葉を紡いだ。
「嫌いじゃないさ。なんだってそんなことを聞くんだ?もし、誤解させるようなことがあれば申し訳ないんだが」
「嫌いじゃないんだ!」
ぱあっと、満開の花が開いた。そう思わせる程に晴れやかな燭台切の表情に、は拍子抜けしてしまった。この男を自分が一喜一憂させてしまっているというのは実にきまりが悪い。はそんな大層な人物ではないのだ。冷めてしまうのが嫌で、うなぎに再度手を付けると、燭台切がその美しい唇をの耳元に寄せた。
「あのね、僕が好きなのは君なんだ、。これでお守り、作ってもらえるかな」
「冗談」
再度噎せそうになるのを必死で堪えると、はゆっくりと水を飲んだ。囁きが耳に纏わり付いて離れず、火が出るように頬が熱い。ひどい冗談を聞いたせいで、は泣きそうになった。こんな揶揄いを受ける謂れはない。首を振ると、燭台切が本気だよ、とひどく切ない表情で言うものだから、は再度混乱の渦に叩き落とされた。せめてうなぎを食べ終わってからにして欲しい。タレの良い香りも吹っ飛んで、は呆然とした。
これは真剣に考えなければならない問いだ。ついでに言えば引き延ばした所で何か良い方向になるどころか面倒な展開に持って行かれること間違いなしの問いである。運命論者でもなく、情を未だ把握し切れていないためか恋慕に疎いも危険性だけははっきりと理解していた。まず、箸を置く。うなぎから名残惜しい気持ちを引きはがしてグラスの水を飲む。よく冷えているためか、グラスの周りは同様にびっしりと冷たい汗をかいていた。こんなにも情けない状態だというのに、こちらを見つめる燭台切の目は少しも変わらない。あるいは彼がひとでなしであるが所なのかもしれなかったが、は妙に安心した。
「気持ちは有り難いんだが、そういうことを考えた事はないもんだから、はっきりとした返事はできないな。お前さんのことは嫌いじゃないし、その……これからを考えてお守りを作っておくよ。あとはお前次第だ」
「君はずるいなあ。でも、嫌いじゃなくて良かった。……僕、頑張るね」
「お、おお」
何をどう頑張るのかは今ひとつ解らないのだが、はただ頷いた。拒絶する材料は特になく、正直に言えば、この端麗な男が自分に血道を上げるというのは、気まずさから掛け値なしに優越感へと移りつつある。もしかしたら、もしかしたら自分は彼を受け入れる自分を認める自信が産まれるかもしれなかったし、あるいはーーそこでは思考を止め、鼻歌をする燭台切と並んで再度食事へと舞い戻った。今はうなぎである。わずかに冷えてしまったが、とはうなぎに謝りながら箸を運ぶ。矢張り、美味しいものは美味しく、何一つとして裏切ることはなかった。
努力は嫌いではない。それが、必ずいい結果に繋がるだろうという確信があれば尚更だ。燭台切は本来至って前向きな人間であるから、お守りの一件以来俄然本来の輝きを取り戻していた。自分でも恥ずかしく情けなくなる程にものの弾みで告げてしまった想いは、存外に好意的に受け止められている。得れ臭そうにお守りを渡してくれた彼が自分との将来を想像していたのだと思うだけで心が浮き立つのは、誰にでもある真っ当な反応ではないだろうか?
「燭台切、またほつれてるぞ。かっこいいんだから気をつけてくれよ、折角の男前が台無しだ」
「よく気がついたね。ありがとう、気をつけるよ」
「こら、にやにやするな」
日々自分の想いをさりげなく伝えつつ(本当は勿論全身全霊をかけて伝えたいのだが、暑苦しいのは格好が悪いと思ったのだ)、今日もの作業(男士達の装備品のチェックだった、倉庫で二人きりというのが尚の事良い)を手伝うように共に過ごす時間を増やした結果、今では彼の口から褒め言葉を得るに至っている。これまで気づいていなかったのだが、は奇妙な程に他意なく褒めてくれるのだ。頬をつまんでくる指先を掴んで軽く口付けると、一挙にの顔が茹で上がる。以前の燭台切であれば、こんなにも大胆な所業は出来なかっただろう。お守りを持っているせいか、燭台切は今や何も怖いものなどないのであった。
「ごめん、君が直してくれるのが嬉しくて。気をつけるよ」
「意外とそそっかしんだよなあ。なあ、その」
「うん?」
「俺以外にしないでくれよ、こういうことは」
「しないよ」
だから、彼を待つ事も大して苦ではないのだ。殆ど答えは得られたようなものなのだが、燭台切はこのお守りの結果を確と得られるまでは見守る事にしている。助け舟を得たそうにがちらりとこちらを見るのも笑顔で無視だ。ずるいと言われようが、燭台切にも多少の悪戯心はある。自分ばかりが素直に口を開けるようでは物寂しい。待っているよと目で返せば、むうと彼の唇が曲がる。以前であればひどく落胆させた顰め面も、今ではただの恥ずかしさや自己嫌悪から来るものだと知れば実に愛らしい。
「意地悪だな」
「これも君にだけだよ。それに、君も僕にだけだよね」
「……ああ」
おずおずと言った様子で、が誘導されるようにして燭台切の手を掴んで齧る。多分に仕返しのつもりなのだろうが、別の事を想像しているだろうことは表情で丸わかりだ。彼がこんな行動に出るようになるまでは実に時間がかかったものだが、何にしたって良いものは良い。何しろ時間は途方もなくあるのだ、多少待つ等どうとでも良い事だった。
「ねえ、このお守りを作りながら何を想像してたの?」
今一歩、と意地悪に囁く。その答えに今の自分達は近づいているのだろうか。わななく唇がへの字に曲がり、そうして綻ぶ様を、燭台切はただ待った。
〆.
あとがき>>
何やら面映いような、初々しいやり取りが書きたくて、少女漫画を目指して書いていました。少女漫画のヒーローであれば、長谷部か燭台切が典型例としてあげられそうです。長谷部は長谷部でコミカルなものを書けそうでしたが、甘めのものを見たかったので燭台切で書きました。結果:二人乙女な具合です。運命のなんとやら、であっても劇場に流されないもやもやした葛藤なので、おしまいまでもはっきりしないままですが、この先はべったりになるような気がします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!