DREAM NOVEL
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足が一本、続いて二本、


幽霊を斬る話


 しんと静まる丑三つ時、春夏秋冬季節は移ろい虫や花は起伏しする者を変えるが江戸の人は概ね変わらない。この時間まで深く飲む人は概ね千鳥足、前後不覚も分からぬだろう。岡田以蔵は人の一日の巡りを呼吸するように理解していた。以蔵は人斬りだ。指示された人間を、まるで当人の影が裏切ったかのように鮮やかに斬って消し去る。立つ鳥跡を濁さずを守らねば天誅は果たせぬ。

 野呂某という男とその仲間たちを斬りに行ったのは、そんないつもの仕事の場であった。把握していたのはここに三人の男と下女下男が一人ずつ、生き証人を残さぬために皆一様に斬り捨てた。当たり前のように完遂させ、以蔵は顔色ひとつ変えない。一杯酒を嗜んだほどのことのように感じている。だが、妙な気持ち悪さに以蔵は立ち止まっていた。誰かがいる。誰も生きて返してはならないのだから油断はできない。誰が、と一階を探して何も見つからず、仕方なしに二階に上がって以蔵はポカンと口を開けた。着流しの男が湯上りのようなくつろいだ様子で煙草を吸っている。以蔵をチラリと見たが様子を変えない。こちらは返り血を浴びて鉄錆を纏っているというのに、何も変わらない男を以蔵は恐ろしく思った。よほど自分の腕に自信があるのか。いつでも一刀の元に斬り伏せられるよう構えながらジリジリ近づくと、以蔵は常にないことをした。

「おまんは誰じゃ」

呼吸を乱すような問いかけをしたのである。男はキセルを口から離してふわりと煙を漂わせた。

「幽霊かな。だってここには誰もいないんでしょう」
「どこに隠れちょった?」
「最初からここにいたよ」

男はぬけぬけと言って笑った。斬るなら今だ。一歩踏み出せばすぐに済む話だというのに、以蔵は動けなかった。この男の横には以蔵が斬った野呂某の友人が事切れている。男にはそれも関係ないらしい。以蔵にとっては当たり前のことがこの男にも当たり前であるとは思えなかった。肌が異様に青白い。体は痩せ型で、以蔵のように鍛えているとも思われない。顔立ちはこれという特徴はなく、少し困ったように眉が下がっている。町人髷だから市井の人のはずだ。人は見かけによらないと言うが、この幽霊は見たままのように思われた。

「あんたも吸うかい?」
「いらん」

呼吸をことごとく外され、以蔵は嫌になってしまった。早くこの男を斬って帰り、武市半平太に報告がしたい。時折嫌な顔を見せるが、半平太は以蔵を重用してくれている。足軽の出だからと軽んじずにこの腕を頼んでくれているのだ。

「じゃあ出ようかな。この家はしばらくうるさそうだ。新しい家を見つけるとしよう」
「幽霊に家が必要がか」
「誰だって家がある方が安心するさ。あんたの家は広いかな」
「おまんに話す義理はないき、しゃんしゃんいね」
「へえ」

ああやっぱり斬ろう。腹立たしさから以蔵はようやく体を動かした。前へ、更に前へ。だが煙に巻かれたように空気が動いただけで、男は影も形もなかった。

「ゆうれい……」

ぶるりと背筋を震わせた以蔵は、幽霊に会った話を誰にもせず、墓場まで持って行った。




 巡り合わせというものはある。帝都を経てカルデアに召喚された以蔵は、新しい気持ちで生活していた。一つには、マスターである藤丸立香が性格すこぶる爽やかであること、二つには、同じくカルデアに現れた坂本龍馬がいることによる。とりわけ、擽ったさと怒りとが入り混じった気持ちにさせる龍馬をどう取り扱うかで以蔵は悶々としていた。斬り合いは御法度であるために一刀両断することも叶わない。叶ったところで、龍馬は避けもせず甘んじて受け入れるだろう。そんなものは求めていやしないのだ。

一刀両断という単語で過去に起こった不思議なことを以蔵が思い出したのは無理からぬことかもしれない。あの幽霊は結局なんだったのだろうか。伝説や物の怪も跳梁跋扈するカルデアだが、幽霊はまだ見ない。昼食に虹鱒の塩焼きをいただいて満足した以蔵はつらつらと思い出にふけっていた。だからだろう、カルデアで気の緩んだ以蔵は廊下で人にぶつかるという滅多にないことをしたのである。

「すみません、避けきれなくて」
「いんやわしが悪いき、ぼうっとしちょった……おまんは」

謝ってきた男の顔をまじまじと見て以蔵は目を瞬かせた。幽霊だ。髪型も服も異なるが、あの時の幽霊が目の前にいる。男は以蔵が口を詰まらせたのをじっと待っている様子だったが、うんと一つ頷いた。

「私はと申します。職員なのでいちいち名乗らない方がよろしいかと思いましたが、失礼でしたね。カルデアでは雑用全般を担当しています。御用向きの際にはなんなりとお申し付けください」
「ほうか、わしは岡田以蔵じゃ」

どうぞよろしくお願いしますと言っても以蔵の心は夢うつつであった。という男があの時の幽霊であるはずがない。サーヴァントならばともかく、この男は生身の人間らしいからだ。人間は同じ見目のままで長生きすることはできない。

「何もなければあちらの部屋で資材管理をしております。すみません、喋りすぎましたね。あまり目立たない存在ですから、幽霊と呼ばれることも多いので、つい」
「幽霊がか!」
「ただのあだ名ですよ」

キョトンとしたは薄く笑った。その笑顔はまるきりあの幽霊と同じである。自然以蔵の意識はかき乱された。どう話して別れたかはわからない。あの男にまた会うとは思われなかった。申付ける雑用など以蔵にはない。謎を解き明かしたい気持ちはあるが、理由を見つけられないでいた。

 しかし何事も習い性というもので、以蔵は自然についてあれこれ調べるに至った。彼の一日は単調である。朝は6時に起きて7時に朝食をとり、備品の点検をして雑用があれば行う。手が空いている時は清掃も手伝っているらしい。おかげで清掃担当者からの評判はすこぶる良い。昼は皆が出払った頃に残り物を遅くに食べ、たまにおやつを台所の隅で作って食べる。これは意外なことにビリー・ザ・キッドに聞いた。がおやつを分けてくれたのだという。この前は安倍川餅をもらったと聞いた。そうしてまた仕事に戻り、食堂が開いてすぐに夕食を食べて影のように消える。自室にこもってしまうので以降のことはわからない。誰も彼の親しい友人ではない。恋人もいない。残りは個人情報だということで守られており、年齢も出身も経歴もとんとわからなかった。彼が自ら目立たない存在になろうとしていることはわかるが、何故なのかは不明である。

「調べ物は十分ですか」
「ひゃっ」

調べに調べてやはりきっかけはなさそうだと頭を抱え(この様はお竜に散々揶揄された)ながら夕食後、食堂でちびりちびりと酒を飲んでいると、不意に目の前に人が座った。である。にこにこと笑うこの男は少しも気配を感じさせない。ぞっとするほどに 人間らしさがない。ティラミスの入ったカップを持っているところが不釣り合いだった。

「驚かせてしまいましたね。こちらに参りましたのはお竜さんに頼まれたからです。なんでも調べ物に困っていらっしゃるとか。よろしければお手伝いさせてください」
「あんスベタァァ」

お前のことを調べているのだ、とはどうにも言い難かった。これではあの日斬れなかった時と同じである。間合いをどれほど詰めても踏ん切りがつかなかった。だが今はどうだ。今は、今なら斬れるのではないか。

「……幽霊を、探しちう」
「ほお」

揶揄するでもなくは先を促した。それは江戸の頃、丑三つ時の謎の事件、昔と違ってここでは自分の正体を隠す必要もないためいちいち考えないで済むところは有り難い。最後まで話した頃にはの手元のティラミスは全部彼の腹のなかに収まっていた。

「それは不思議なことを体験されましたね。岡田様」
「おん」
「その幽霊はこんな顔でしたろう」

つるりと顔を撫でてが笑う。のっぺらぼうの種明かしのような所作だがしかし、の顔は何も変わらない。あの日から一つも。

「おまん、やっぱり……ッ」
「これも因縁というやつかねえ。まさか覚えているとは律儀な」

目に表情が宿り、一挙にに人間くささが現れた。どうやら馬鹿丁寧な物腰は仕事用だったらしい。相変わらず人の腰を折るのが上手い男だった。

「おまんはまっこと幽霊がか」
「わからないな。なんだかね、いつでもいるんだよ、いつまでもいるんだ。終わりが全く見えなくってね。最近になって大体の人に見えるようになったが昔は滅多に見つかることもなかった。あんたのことは良く覚えているよ。あの頃僕を見たのはあんただけだったからね」
「化けもんちゅうちや。はん、幽霊が聞いて呆れるぜよ。わかったならもうえい」
「その幽霊にビビってたくせに。僕を斬らなくて良いのかい、坊や」

あんたの刀は斬れ味が良さそうだ、とうっとりと目を細めるに以蔵はゾッとした。この男は死んでみたがっている。試しているのだ。おそらくは何回も試してみたがこれという確かな終わりは得られなかったのだろう。その役目を自分に押し付けようとするとは図々しい。舌打ちすると、以蔵は猪口をたん、と机の上に置いてに手を差し出した。

「煙草、くれとうせ」
「どうぞ」

拍子抜けしたの顔がおかしい。いつまでも自分ばかりが掌の上で踊らされるわけにはいかないのだ。は上着の内ポケットに手を入れると、綺麗なシガレットケースを取り出して無造作に以蔵に手渡した。

「全部あげるよ。好きなだけ使ったらケースを返してくれればいい」
「今は紙巻を吸っちょるんか」
「なんでもいいのさ」

火のないところに煙は立たないだろう、とは言う。煙があれば元がある、人がいるのだ。これは彼なりの自己表現なのだと思い当たり、以蔵は物悲しさを覚えた。

「幽霊っちゅうんは、こがなさびしんぼかや。今は誰でも見える言うち、こまりゃあせん、違うがか?」
「他人との付き合いはわからなくてね。吸いに行くかい?」
「おまんくでえいろう」
「あんたの家には入れなかったくせに」

別にこの場で謎解きは全て終わったと去ってもいいのだった。構わないよとは肩をすくめてみせた。幽霊の住む家とはどんなものだろう。子供の頃に幽霊屋敷に忍び込んだようなワクワク感が沸き起こるのを覚えながら、以蔵はゆっくりと幽霊についていった。




 妙な話である。以蔵を部屋に招き入れたは、この珍妙な客を黙って観察した。優れた人斬りだったのは確かで、今もその腕は健在だが、この部屋ではまるで子犬のようだ。武市半平太が犬と形容したのだっけ、とは昔ひそりと聞いたことを思い出す。あの男たちには見えなかった。以蔵も以蔵で、あの日たまたま見えていただけであれきり見えてなかったらしい。捕らえられた牢屋や刑場までわざわざ足を運んだことをは黙っておくことにした。もちろん、他の人間の目にも一様にの姿は映っていない。

幽霊だったらいいなとわからぬ自分は思う。化け物でもいい、自分が何者かを告げたかった。気づいたらば意識を持って気ままに過ごしていたし、多くの人には見えないことも違いない。このカルデアでは神も英雄もわんさといたのでそれとなく尋ねるなどもしたが、が何者であるかは誰にもわからなかった。わからなくてもいいだろう、と最後には必ず言われる。わからぬから惑うのだ。

 だから、以蔵が自分のことを調べ始めたと聞いては密かに期待していたのである。幽霊は枯れ尾花なのか、煙なのか鬼神の類なのか、この男ならば解き明かしてくれるような気がしていた。他力本願この上ない。だが、煙草を吹かす以蔵はどうというつもりもないようで、何もない部屋だとだけ感想を述べた。

「あまり物を持たないようにしてるんだ。引っ越す時に不便だからね」
「引っ越す?ああ、おまんは変わらんやき、誰ぞ不審に思うろうにゃあ。長生きゆうも不便ちや」
「本当にね。せっかく長生きなんだから、骨董品の一つや二つ、とっておけば良かったと今は思うよ。人に見られるようになったら金が入用になるでしょう。とんと財布を持たない主義だから最初は困ったもんだよ」

おまけに金銭というものは時代の移り変わりとともに変わってしまうのだ。世の中の流れをきちんと見極めねばならない。人は大変だ。面白いことには腹が空くし服を着なければ風邪をひく。死なないが病気にかかるし風呂も好きだ。なんにつけても金がかかる。かと言って身元保証がないので真っ当な職業にはなかなかありつけない。今回は長らく世話をしていた学者先生のありがたい後押しによってカルデアに滑り込めたからいいようなものである。

「ここは住み心地が良くて助かる。あんたたちみたいな……サーヴァントだっけ?もいるから、少し変でも誰も気にしないんだ。あんたがここに来たのと、僕を覚えていたのは計算外だったけどね」
「おまんも覚えゆうが」
「あんたは特別だからかな」

幽霊を斬ろうとして斬れなかったから、とわざと笑いを込めて話せば瞬間ひゅんと切っ先が飛んだ。首筋に当たるスレスレのところである。はその妙技に感嘆したものの、ただの脅しかとひどく残念に思った。イライラしながら煙草を吸う以蔵に近づき、はこの男は優しすぎるのだと確信した。この男はだめだ、千年経っても幽霊を斬らないだろう。能力は十分にあるというのに勿体無い。

「趣味がわるいぜよ」
「自分で試しても何もなかったから、他人ならうまくやれるかなと思ってさ。生身の人間やものに殺されようとしてもだめだったから尚更あんたに期待したんだ。以蔵さん、僕の妄執を斬っておくれよ、なあ、煙草でもなんでも全部あげるからさ」
「マスターに、ここで仲間同士の殺し合いは禁じられとる。おまんはカルデアの職員やき、殺せん……けったくそ悪いこと考えんようにな」
「ばれた?」

それならばマスターに嫌がらせをすれば良いではないか、という短絡的な思考は読み取られてしまったらしい。大人しくレオナルド・ダ・ヴィンチなりシャーロック・ホームズなりに調べてもらえという以蔵の台詞に肩を落とすと、は並んで煙草を吸い始めた。一々調子が狂う。この男は絶望に打ちひしがれたのではなかったのか?渇望を満たされずに怨讐をその身に刻んだのではなかったのか?綺麗に落ちた以蔵の生首は体から切り離されても尚涙をこぼしていた。あんなに青く澄んだ空も、蝉時雨も、悲しい涙もは知らない。同時にが思ったのは、これでもう自分を見てくれる人は当面いないのだなという独りよがりな不満だった。という存在はあやふやで、見られて初めて自分自身も存在しているような気持ちになれる。煙草を吸うのはそのためだ。以蔵はを寂しがり屋だと形容したが、実態はもっと悲愴なものである。はここにいることを実感したい。それこそあの時の以蔵のように鮮やかに目に映りたいのだ。こんなことは悪趣味の極みだが、普段であればは臆面もなく言っただろう。しかし、今はどうにも言いにくかった。

「以蔵さん、ついててくれるかい。ほら、誰か一人でも証人がいると向こうも理解しやすいだろう?僕は下手だから」
「えいよ」

多分、何故自分が、であるとか一人で行ってこいなどと反論したかっただろうが、先手を打って穴埋めをしたの敵ではない。投げ出すように頷いてくれた以蔵に、は心の底から感謝した。

「ありがとう」




 レオナルドの工房には仕事の一環として出入りしたことはあるが、自分の用事のために足を踏み入れるのは初めてだった。今日は手が空いているからと可愛らしい女性が先を促す。これがレオナルドとはには信じがたい。資料で見たことがあるが、美しい男性のように記憶している。召喚された英霊は必ずしもそのままの姿ではないというのはこういう意味なのかもしれない。は魔術に疎いので、考えることはここで中断した。簡単に自我が芽生えた時のこと、性質、現状では大体の人間に見えているらしいことなどを説明する。以蔵も自分に会ったことがあるのだ、と言えばレオナルドの横にいた立香が目を丸くした。

「その、自分がどういう生き物なのかを調べていただけないでしょうか」
「人は見かけによらないとはよく言ったものだね。言われてみれば確かに……それじゃあ生き物だと仮定して検査をしてみよう。並行して魔力の検査も行うから、君の求める答えではないかもしれないけれども、これまでよりはわかるはずだよ」
「ありがとうございます!」

思いの外に飲み込みが良い(なにせとんでもないことしかこのカルデアでは起きていないのだ)レオナルドに安堵すると、は検体の提出やら何やらを行うことにした。運が良ければ、君の体を利用して新しい技術が開発されるかもしれないね、というセリフは背筋が凍ったが、隣にいた以蔵がブスくれたようにそんなものは求めていないからさっさと正体だけはっきりさせろと言い始めたので霧散する。多分彼には自分をかばうつもりはないのだろうが、なんらかの痛みを感じたのだろう。

「おまんの体はまっこと面白いにゃあ。人間みたいじゃ」
「本当にねえ」

部屋に戻る道みち、は今更のように自分の体に驚いていた。人払いをして以蔵とレオナルドだけに裸体を見せたのだが、どうやらごく普通の男性と言っていい見た目らしい。体液も全て出る。生まれて初めて自分の精液を見たは驚いたし、ふわふわとした気持ちになったのは面白い経験だった。わからないに容赦なく手を下したのはレオナルドである。見ていた以蔵が興奮していたのは面白い。おそらく胸の大きい人が好きだとか、そういうものなのだろうなとはこれまで見聞きしたことで判断した。あくまで見た目までは真っ当だったのだが、突如として様子を変えるのはレントゲンやCTスキャンの結果である。骨も内臓も構造が無茶苦茶で、なんだか無理やり人間に似せようとしたみたいだね、と首を捻られたのだった。できれば解剖したいという提案は少し待って欲しいと頼み、あとは細胞と血液検査の結果を待つばかりである。人間や、人間が持つものはの皮膚を傷つけることができないが、サーヴァントであれば可能らしかった。これもまた新しい発見である。

「と、いうよりも君は人間と触れ合えないんだね。立香君と握手してごらん」
「本当だ、スカスカしてる!掴めない!」

レオナルドに言われるままに手を出し、は現実に落胆した。前々から時折試したが、やはりいまも生身の人間と触れ合うことは叶わない。見えるけれども触れない、だが確かにそこに質量を伴って存在している。半端に生き物で半端に幽霊だ。わかったことは面白かったが、はわからなかったほうが良かったろうかと思い始めている。人間もどき、自分は一体何になろうというのだろう?どこを目指すものか。

「生き物っていうのはさ、血が出たり細切れになったりしたら死ぬんでしょう。だから嫌になったらやっぱり手伝って欲しいなあ。以蔵さんは上手そうだ。幽霊、斬りたくないかい?」
「自分のことは自分で始末せい」
「手厳しいなあ。なのに、僕の部屋に入るのやめてね」
「付き合ってやったんじゃ。やき、駄賃の一つや二つ、くれとうせ」

ずんずんと勝手に部屋に入る以蔵に天を仰ぐも、は心のどこかで喜んでいた。自分から近づくという発想を持ったことがないので、来る分には面白いしありがたい。自分は人のことをもう少し知りたいのだ。ここに来るまでに世話を焼き世話になった学者先生もなかなか面白かったが、以蔵は随分前に縁があったせいか奇妙な親近感がある。否、親近感というにはあまりにも浮き足立ったものだが、は感情を捨て置いた。部屋に溜め込んでいた煙草を1カートン取り出すと、はそれを以蔵に手渡し、ついでにライターもつけてやる。こうやって火をつけるんだよと教えてやれば、飲み込みの早い以蔵は瞬く間に会得した。彼の部屋には灰皿がないかもしれないので、ポケット灰皿も渡す。人間社会は細かいものが色々あって面白いなと全部袋に入れてやっていると、不意に以蔵が指を掴んできた。

「どうしたの」
「触った感じは人間なんじゃがなあ。けんど、中身は嘘にゃ」

レントゲン写真によれば、指には骨があるようでなかった。人間の指のような硬さを持った肉の形をなしている、というのが正確な表現かもしれない。はこれまで人間の裸を見ても、骨やら内臓やらの細かい構造まで見たことはない。なので正しさなどわかりはしなかった。わかったところで似せられる能力があるとも思えないが。

「そのうち変わるかもしれないね。僕はずっと変わらないつもりでいたけど、本当は変わってたのかも」
「うーん、あん時は脚まで見ちょらん。幽霊ちゅうは脚がにゃあ言うがのう」
「脚ね」

そう言われてしまえば昔はなかったような気がした。なんだかスイスイとあちこち好きなように行けたような気がする。やっぱり自分はどうにか人間に近づこうとしているのではないだろうか。なったところで何がしたいのかさっぱりわからないが、人間になれば昔の以蔵と同じになれるのだと思うと少し嬉しい。以蔵に会ったあの晩、はひどく人間を面白いものだと思うようになったのだ。

「以蔵さんの脚を見せてよ。他の人のものを間近で見たことがないから、僕がどこまで似ているか知りたい」
「べこのかあ。わしは念友を持たん」
「念友は別に良いかな。さっきレオナルドさんがしてくれたみたいなことをするのは好きだと思うけど、そういうものはわからないや。立香君に見せてもらって来るね。部屋、出るときは電気消してよ」
「やめとき、マスターに手を出したらわしもおまんの安全は保証できん」
「触れることができないのに?」

は目を落とすと、以蔵の脚を軽く掴んだ。やはり服越しではわからないが、なんとなく硬いような気がする。筋肉というものだとレオナルドは言って居た。長らく適当に手に入れてきた知識の中に、人体の詳細な中身が入って居なかったことは痛恨の事態である。手を離し、はふと気がついた。そうだ、風呂場に行けば正々堂々と観察できるではないか!自室の風呂に入るばかりでこれは完全な盲点だった。壁掛け時計を見上げれば、入浴にはちょうど良い時刻である。

「すみません、出かけないと間に合わない。煙草を忘れず持って帰ってね」
「どこへ行きゆう」
「風呂場だよ。あそこならたくさんサンプルだっけ、いろんな人の脚も、他の部分も観れるでしょう。もしかしたら誰か側で見るのも許してくれるかも知れない」
「こんべこのかあ!おまんは頭がえいのか悪いのかわからん……おい!」

以蔵に構って居ては時間がダラダラと過ぎるばかりである。はさっと部屋を出ると、ドアを突き抜けてまっすぐずんずんと風呂場に向かっていった。何事か以蔵がわめいていたようだが、彼は放っておいてくれるはずだという得体の知れない自信が、にはある。




 ドアを開けるのではなくまっすぐ突き抜けていったを、以蔵はあんぐりと口を開けて見ていた。サーヴァントであればわかる。皆物理法則を無視した存在だ。だがは結局なんであろう?あちこちスイスイと移動するなどサーヴァントでないのであれば幽霊だ。やたらと青白い彼の指先(ついでに全身も思い出した、全てが青白かった)の感触はなんなのかとゾッとする。風呂場で見た後に彼は自分の体を変容させるだろうか。風呂場で起きるであろう事故や事件を思うと憂鬱になるが、いくら叫んでも戻ってこないに以蔵は放棄することにした。そこまで面倒を見る義理は何処にもない。手持ち無沙汰にの部屋のベッドに寝転がるともらった煙草を吸う。紙巻の良し悪しはわからないが、やたらときつい。頭がクラクラしそうだが悪くない酩酊感だった。静かに時間が流れてゆくのを感じる。

「電気をつけっぱなしはやめて欲しかったのにな……なんでまだここにいるんだ?用はもうないでしょう」
「えらい早いのう。追い出されたがか?」
「いや……逃げてきた」

少し恥ずかしそうにそっぽを向くの髪がまだ濡れているのを見て、流石にそれは先に拭けと以蔵は指摘してやった。は言に従い奥の洗面所に引っ込むと、バスタオルを掴んで戻り、少し考えたあとで適当にぐるぐるとそれを頭に巻いた。面倒だということらしい。涼しい顔をしているように見えてなるほどこれは相当混乱しているのだなと以蔵は今更のように納得した。

「逃げたち、何故じゃ。おまんが見とうゆうことならや」
「風呂場に入って、フェルグスさんに会ったんだ。あの人は筋肉量が多いだろう?女性体との違いを実感するのに丁度良いと思ったんだよ。だから事情を話したんだが、なんだか妙な話になってさ」

フェルグス・マック・ロイとはケルトの英雄である。堂々たる偉丈夫で精力旺盛、袖触れ合うは他生の縁とばかりにあらゆる関わり合いを両手を広げて歓迎する男でもあった。要するに博愛主義とでも言うべきか。幸い以蔵とは特段関わり合いがないのだが、は自ら突撃してしまったらしい。続きを聞けば、もちろん見せることに異存はないが、代わりに見せてはくれないかと頼まれたと言う。もその点は頓着しないのだが、

「人間もどきか幽霊か……いずれにしろまだ味わったことがないな。どうだ、ここは一つ」

あけっぴろげに同衾に誘われ、は慌てて逃げたと言うわけだった。お陰で湯船には少ししか浸かれなかったらしい。

「なんだか怖かったんだよ。多分、口で断ればわかってくれる人なんでしょう?あとで謝らないとね……冗談なんだろうし」
「あん人はてんごを言わんと思うにゃあ。おまんは逃げてえかったろう」
「そうなのか?世の中には変わった人もいるもんだなあ」

話して安堵したのか、はようやっと髪の毛を拭き始めた。ぴょこぴょことやや長めの髪が揺れる。吸いきった煙草を灰皿にぐりぐりと押し付けると、以蔵はなんとはなしにの髪の毛に触れた。絹地のような手触りで、黒は吸い込むように闇色である。はお許しをもらったと思ったのか、以蔵の髪の毛に触れた。壊れ物を扱うように優しい手つきだった。

「柔らかい。本物には初めて触ったけど、こんなに気持ちがいいなら他の人のも触りたいな」
「勘違いされるき、やめとうせ」
「勘違い」

小首を傾げるは人付き合いの経験値が低すぎるのだと以蔵は唸った。人間にとってこうして触れ合うことは親密さを増すものになる。許し、許されている状態だからだ。親しくする気もないのに触らせてほしいという学術的欲求はなかなか理解されないと説明すると、うんと唸ったは目を輝かせた。

「それじゃあ以蔵さんは僕を許してくれているっていうことだよね?触っていいからさ、あんたのことも触らせてよ。以蔵さんは勘違いとかしないだろうし」
「待ち待ち待ち、待ちや!人間の体について知りたかったら、それこそ明日検査結果をもろうたらダ・ヴィンチちゃんに聞くとえい。あん人は詳しいやき、素人が見てわかるよりえいろう」
「なるほど」

それは一番的確だ、と納得するとの行動は早かった。あっさり以蔵から離れ、寝支度を整え始める。早く寝れば早く明日が来ると信じる子供のような性急さで、以蔵は目を丸くした。自分が目の前にいるというのに御構い無しというのもおかしい。

「そういうわけで僕は寝る。もう用はないでしょう。今日はありがとう、以蔵さん。明日からは僕一人で大丈夫だよ。正体がわかったら一番に報告に行くから安心してね」
「お、おん」
「おやすみ。電気は消してね」
「わあっとる」

気押されるようにして部屋を出ながら、以蔵はやっぱり幽霊は面倒臭いしやりにくいと肩を回した。なんだか変に疲れている。




 こんなに待ち遠しい明日は初めてだった。いつもの時間に起きて日課をこなし、は影も残さず速やかにレオナルドの元へと向かった。呼び出す前に訪れた無礼には驚いたようだが、それでもレオナルドは詰ることもなくあっけらかんと答えを述べた。

「君は蜃気楼みたいなものだよ。体液の類も、見た目ばかりで何もなかった。サーヴァントや、これまで見てきた生き物とも全く違う。なんというか、これは想像の話なんだけれども、君は人の思い出が寄り集まったようなものかもしれないね」
「つまり?」
「今の君は幻が実体になろうとしている途中だと考えられる。曖昧な説明しかできなくて悔しいけれど、これ以外に上手い答えが見つからないんだ。これからは、どう変化していくのか見極めるためにも定期的に検査を受けて欲しいな。君もどうなるのか気になるよね?」
「はあ」

枯れ尾花の幽霊と同じではないかとは首を傾げた。ただ、自分が変われる生き物だというのは少しだけ救いである。だからふにゃふにゃと礼を述べた後、は真っ直ぐに以蔵を探しに出かけた。シフト表を見れば、彼は今日手すきのはずである。途中でフェルグスを見かけ、扉を突き抜けて逃げた以外は堅調な足取りだった。今回扉を突き抜けた時は、流石のも自覚した。無機物ならば、触ろうと思えば触れる。持てる。だが無視して仕舞えば無視もできるのだ。半端に存在しているという意味では確かに蜃気楼だろう。

「あ!以蔵さん、以蔵さん」

いくつかの扉をぶち抜き驚きの声を後に残して、ようやっとは以蔵を見つけ出した。ダビデと土方歳三と並んで何やら楽しげに歓談している。手を振って近寄れば、彼らは好みの女性について議論していたらしかった。

「僕はどこを選べと言われれば考えてしまうな。どの場所であっても美点だし、捨てがたい魅力があるものだからね」
「そうか?断然胸が大きい方がいいだろう。わかりやすいしな。岡田はどうだ」
「わしは、」

言おうとしたところにが近づいたのがいけなかったのか、以蔵は口をつぐむとふんと明後日の方を向いた。ダビデと歳三がこちらを見てくるので、はうんと頭をひねってかわりの答えをひねろうとしたがどうにもわからない。なにせ、性愛というものを意識したことがなかったのだ。だが特別な関係であれば、確かに自分はここにいるのだと認めてもらえると思い当たり、は期待を込めて以蔵を見つめた。

「以蔵さんの好みの人って、どんな人?教えてよ」
「どいて、そがなこと聞きゆう。おまんに関係ないちや」
「好みになったら以蔵さんはずっと覚えてくれていると思って」
「は?」
「ほう」
「へえ」

にとっては自明の理を展開しただけなのだが、男たちには別の効果をもたらしたらしい。ダビデと歳三は明らかに面白がっている。一方以蔵はからかわれたと思ったのか、ひどく不機嫌そうだった。

「さっきダ・ヴィンチちゃんに聞いたんだ。僕は変われる生き物らしい。だから教えてもらったらきっと女の子にもなれるし、君の好みにだってなれるんじゃないかと思う。僕は君に興味があるし、覚えてもらえたら嬉しいな」
「待ち、待ち、待ちや!変われる生き物?あのアサシンの男ができる変装の間違いながや」
「間違ってないと思う」
「……つまり、お前は自分を誰かに覚えていて欲しいのか?」
「はい。だって、誰かが覚えてくれたら、僕は自分がいるんだってわかるでしょう。忘れられて、また誰も僕が見えなくなったら、僕は寂しい。本当は終わりがあればそれでも良いけれど、まだ終わりがわからないからね」

理解してもらえることではない。例えるならば、信じる者を失ってしまった神のような気持ちだ。信じられなければ、いないも同然なのである。何よりも他人を必要とすると言うのに、声を上げることすらも無意味だ。歳三の質問に真摯に答えると、今度はダビデが問いかけてきた。以蔵は何も言わない。ただ値踏みをするような目でこちらを見てくるだけだ。

「それで、岡田君に限定するのは何故かな。僕でも土方君でも構わないんじゃないかな?僕としては、君が僕好みになるというのはなかなか魅力的な話なのだけど」
「……以蔵さんは、ずっと僕を覚えててくれたんです。だから、これからも忘れずに覚えていて欲しいのは当然でしょう」
「思った以上に情熱的な話だね。気が変わったら、いつでも声をかけておくれ」
「ありがとうございます」

いい話だな、と返しながらは思った。覚えてくれる人が増えることは悪くない話だ。いつしかサーヴァントは座に帰るのだという。以蔵もどこかに戻るだろう。ならば彼が再び現れるのを待つ間、他の誰かに見てもらった方がいいかもしれない。しばし考えにふけっていると、ぐいと腕を引っ張られた。以蔵が霜の降りたように冷たい目でこちらを見ている。

「しゃんしゃん行くぜよ」
「え?うん」

もしかしたら、彼は好みというものを話すのが気恥ずかしいのかもしれない。ダビデと歳三に頭を下げて、は大人しく以蔵の後についていった。の知らない場所へと向かって行くが、取り立てて驚きはしない。以蔵ならば大丈夫だろうし、自分も大概のことには対応できるような奇妙な自信があった。

「ここは?」
「わしんくじゃ。はよ入り」
「……お初にお目にかかりますう」
「こら」

以蔵のモノマネをしたならば、速やかに頭を叩かれた。さすがは人斬り、動きがまるきり見えなかった。この調子で斬ってくれても構わないのだが、以蔵がを彼の部屋に招き入れようとしていることを加味すれば、未来永劫その日は訪れまい。岡田以蔵がを身内として勘定に入れていることは明白だ。

 思いの外整った部屋には、整然と必要なものが最適な場所に配備されていた。の好みの部屋である。自分以外のものはわかりやすい場所に存在してほしい。カウチソファに腰掛けると、以蔵はにも座るよう促した。こうした所作が一々丁寧で育ちの良さが伺える。こんな男が盲信のままに人を斬るのかとは首を傾げた。人を殺せる能力があるからそれを執行したというだけだという理解のしやすい結論に結びつけ、は考えを放棄する。

「おまん、何を考えちゅう」
「何も。あ!以蔵さんの好みをまだ教えてもらってないから教えてほしいな」
「まっことお前はべこのかあぜよ。わしはをいまの姿で覚えちょる。変わったらもうわからん」
「うーん」

確かにそれは盲点だった。覚え続けていてくれたのは、が意図せずして昔出会った時のままの姿だったからである。ここで姿を変えてしまったらば覚えなおす必要があるのだ。

「以蔵さんには覚えていて欲しかったんだけどな。……あんたに会った後さ、何回かあんたのそばに行ったの気づかなかっただろう?だからここであんたが僕を覚えてくれてて今までで一番嬉しかった。誰かに見て、覚えててもらえて嬉しかったのはこれが初めてなんだ。あんたに好かれたら、ずっと覚えてもらえるし、もっと嬉しいでしょう。……以蔵さん?なんで顔が赤いんだい」
「おまんがおっこうなことを言うんが悪い」

ボソボソと言う以蔵は不可思議だった。確かには得体の知れない生き物だから、信用に値しないのかも知れない。一呼吸すると、はこれまでしまいこんでいた事実をさらけ出す覚悟を決めた。

「信じてないな?じゃあ黙っていたが話すよ。僕はあんたが捕えられたと聞いて牢屋に行った」
「な」
「あんたに話しかけた、牢屋を開けようとしたけれども触れなくて何もできなかった。今思えばあれはまだ実体化が足りてなかったんだろう。僕はあれから先、あんたの最期まで追いかけた、あんたの涙は綺麗だったよ。触りたかったのに」

どうしても触れなかった。以蔵は自分に気づきもしなかった。は幽霊だったから。それでもまた出会えるだなんて奇跡じゃないかい?あの時から、は一層自分という存在を確たるものにしたくなったのだと思う。前よりも煙草を吸ったし、人に話しかけもした。ボツボツと見える人が増えたが、それでも触れることはない。人は去りゆき、長らくを覚えている人は皆自分を化け物だと言った。だから求めていたずっと、はどこにもなかったのだ。安寧の地はどこにもないとただ過ごしていたところに光明の光が射したつもりだったのだが、ただの思い過ごしであったらしい。以蔵は黙っている。

「でも、以蔵さんは幽霊が嫌いだものね。僕が何かもわかったから、もう用はないんでしょう」
「そがなことは言っちょらん」

やはり苛立たしげに舌打ちした以蔵は、手を伸ばしての指を痛いほど握った。このままもげれば正しい人間の姿が転がるだろうか?

「以蔵さん、痛いよ」
「……わしは別に、おまんを嫌いと思いやせん。じゃき、これからも覚えちゃる」
「ありがとう」

そうだ、今は触れるのだとは気がついた。あの頃触れたくてもどうしても触れられなかったものはすぐそこだ。以蔵に向き直ると、は空いた方の手でゆっくりと確かめるように以蔵の頬に触れた。顔の稜線、ふわふわの髪、前髪をかきあげて真あたりにする幼い顔、首筋を少しなぞって、は手を引っ込めた。今触れて、もし転がり落ちたらという恐怖に駆られたのである。以蔵はじっとしていたが、が引っ込めた手を素早く握ると抱き寄せた。

「こんわりことしが。勘違いされゆう言うつろう」
「以蔵さんは勘違いしないんじゃなかったの?」
「勘違いはせん。わしは天才じゃき、うそとまことがわかる男ぜよ。覚悟せい、

太陽のように輝く以蔵の瞳がくにゃりと波打つ。まるで蜃気楼のような美しさで、はただ神託を待った。

「うん」




 以蔵は幽霊を斬った。いまや思い出も妄執も何も持たないふわふわとした生き物は、今日も幻を形に変えて生きている。は相変わらず生き物としてはっきりとしたことはわからないままだが、当人はもう気にしていないらしい。面倒くさい部分は多々残るものの、以蔵もそれで良いと思うようになっていた。幽霊の楽しみ方を知ったとでも言うべきか。幼子のように自分を直向きに求め続ける存在を無碍にできないと情を持ったが運の尽きである。が、以蔵はひょっとすると初めて出会った時にだまくらかされたままではないかという気もしている。なぜなら、以蔵もあの日のことをけして忘れずに今まで抱いてきたのだ。

幽霊は幽霊であることをやめ、という一個の存在として以蔵の隣にいる。幽霊を斬った男は僅かしかいない。なんとも小気味良いではないか。

「おまんは誰じゃ」

今なら、その問いにはなんと答えるだろうか。もらった煙草を燻らせて、以蔵は流れる煙を追った。


〆.

あとがき>>
 幽霊の話が好きです。化け物と呼ばれていた人間と本当の化け物の対峙はもっと好きです。というわけで幽霊のような主人公の話を書いていたら何故か暖かい仕上がりになりました。以蔵さんは身内に甘いというか、身内だと思うと感情の振れ幅が大きくなるのかなあと想像しています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!