昨日よ、再びもう一度
誕生日というものを知ったのは、一体いつのことだろう。日記帳の日付を見、クリーチャー・ピアソンは今更のように月日の流れを実感していた。一年が経つことのなんと早いことか。日々の繰り返しの中に時間はたちまち溶かされて行って、気づけば随分遠くに来てしまっていた。
先日、セルヴェ・ル・ロイの何度目かわからない誕生日を祝い、本人が年齢については重要な手品の種なのだと秘匿した光景が鮮やかに蘇る。去年はどうだったろうか?去年は恥ずかしがったセルヴェが華麗な脱出マジックをウィリアム・エリスをダシにして行ったような記憶があるが、定かではない。あの時のウィリアムは妙に怯えていて可哀想だった。
クリーチャーももちろん祝う側に加わっていた。どう祝うべきかを知ったのはいつなのか、少なくとも社会に出て背伸びを始めた頃には違いない。幼い頃、周囲には特段誕生日を祝う習慣はなく、せいぜいクリスマスに一年を無事に過ごせたと羽目を外すくらいだった。幸い、出生証明書はあるものだから、自分がこの世に転がり出た日は判明している。
だから?今生きている、それ以上に重要な情報などあるだろうか。明日死ぬかもしれないというのに、いつ生まれたかだなんてどうして重要と言えよう。時には強がりを、そして諦めと冷ややかさを添えてクリーチャーは誕生日と距離をとっていた。
富裕層や、所謂『良いご家庭』の類では誕生日、もとい何がしか祝い集う口実が尊ばれていると知り、クリーチャーの中で誕生日というものは俄に意味を持ち始めた。例えば集金活動だって、子供たちの誕生日にささやかなお祝いをしたいと歌えば、財布の紐はグッと開かれやすくなる。実際、披露するために祝ってやることだってした。ケーキ、飾り付け、プレゼント、必要なものは何だって揃えた。それもこれも、今日のため、そして明日生きるため以外の何物でもない。
大体、祝うという意味がわからなかったのだ。他人は役に立つか、役に立つかの二種類でしかなく、当然前者にかける手間はない。だが後者とて似たようなものである。自分の手足に今日もありがとうと感謝する人間がいるだろうか?まさか。
だから、荘園に来てからというものの、クリーチャーにとっては尻がむず痒くなるような出来事があまりにも多く、今日も明日も逃げ出せずにいる。一度『慈善家』として振る舞うと決めたが最後、誕生日から逃げることなど許されはしない。率先して祝うくらいの甲斐甲斐しさを発揮しなければ不審がられてしまう。
ぬいぐるみを作ったり、ケーキを焼いたり、新しい練習具を設たり、おかげさまでクリーチャーの毎日は大忙しである。多分、荘園の外に出ても当たり前のような顔をして慈善家のふりができるに違いない。自然な仕草であれば、今度こそ人々は自分を受け入れてくれるはずだし、受け入れられることに居心地の悪さを感じることもあるまい。
そう、誕生日は他人を祝うだけではない。祝われる日でもあるのだ。
「今年も散々だったな」
パラリとページをめくると、昨日の出来事が走馬灯のように巡り出す。早朝に騒音で叩き起こされ、まごついている間にガンジ・グプタとノートン・キャンベルに抱えられて猫車に押し込まれた。猫車は後で見たところ、可愛らしいヒゲさんとリボンと風船とで飾られていたので、ちょっとした山車のつもりだったのだろう。後部についたロケットに火がつき、勢いよく噴射したところでクリーチャーの目は完全に覚めた。
長い廊下の向こう側でぶつかりそうになったところで壁が跳ねて飛ばされ、さらに館の中を疾走する。落ちたらば怪我をすることは必至で、落ちなくとも大惨事になることは目に見えていた。真っ青になったことだけはよく覚えている――何度も回されるうちに庭に飛び出しても尚、周囲に上がる花火にも気づかなかった。
土の中にめり込むようにして車は止まり、エダ・メスマーとエミールが花冠を頭にかけてくれる。そのまま二人で手と手を取り合って去ってしまったので、彼らとしてはクリーチャーを祝うなど、二人の戯れの一環に過ぎないのだろう。何故だか無性に悔しい気分に陥ったものだ。
「ピアソンさん、早く早く!」
トレイシー・レズニックがマイク・モートンと囃し立てて、大きな箱の中に無理やりクリーチャーを押し込む。それから?それから急に真っ暗な箱が動き出したのだ!服を剥がれ、洗われ、叫び、妙に気持ち良くなってしまって困ったりもしているうちに再び箱から押し出される。外気の冷たさに震え、もしかしたらば裸ではないかと怯えたが、幸いなことに立派な紳士服一式を身につけていた。おそらく、あの箱はトレイシーとルカ・バルサーがここ数日かかわずらっていた発明品に違いない。体の良い実験体というわけだ。実用化した際には多少なりともふんだくらねばなるまい。
去年は庭で回転木馬が回っていたが、今年は空中ブランコが用意されていた。勢いをつけて回るホセ・バーデンが持つグラスから、一滴も酒がこぼれていないことに感嘆したことは覚えている。後で聞いたところでは、船に乗るのとそう変わりはなかったらしい。クリーチャー自身にとっては――どちらも足場が不安定で酒を楽しむどころではなかったし、空中ブランコでは真っ青になってしまった。
デミ・バーボンがシャンパンを浴びせかけ、調子に乗ってもう一発をフレディ・ライリーが浴びせかけてきた。フルレディの方にはマーサ・べハムフィールがそっと手渡してくれたクラッカを盛大に放ったので、まあ相子と言ったところだろう。
ヘレナ・アダムスが近づいてきて、今日のご馳走はフィオナ・ジルマンとパトリシア・ドーヴァルが中心なのだと安心要素を告げてくれる。彼女に触れる時にはいつも以上に慈善家であろうと構えてしまうため、フレディについた悪態を引っ込めるのはなかなか努力を要した。
その後は――その後は、ヘレナが歌い出したのだった。ウィラ・ナイエルがそれに加わり、メリー・プリニウスが唸るような声を奏でる。アニー・レスターの声はこの時初めてまともに聞いたが、カナリアのように自由だった。カヴィン・アユソとマルガレータ・ツェレが空中ブランコを振り回しながら踊る。カート・フランクとナワーブ・サベダーが、モウロの猪とビクター・グランツの犬・ウィックと競争しているのは競馬の真似事だったのかもしれない。人間と動物が競争するというのも変な話なので、もしかしたらこの辺りでクリーチャーは既に酔っていた可能性はある。
酔っていたから、そう、酔っていたから何もかも当たり前のような顔をして受け止められたのだろう。荘園に来てから初めての誕生日は始終緊張してひどく疲れたものだし、二度も三度もくすぐったくて仕方がなかった。祝う!祝われる!恥ずかしいじゃないか、今更そんなものなんて。
そんなあったかいものが、当たり前のように与えられるだなんて夢でなければあり得ない。
「夢だったら何でもありだろうけれどな」
エドガー・ワルデンは君を被写体にはできない、と言って昨日焼いたケーキの絵を描いて寄越してくれた。彼にしてみれば大いに譲歩したと言える。ポピーシードをたっぷり入れたケーキがよほどお気に召したらしい。また作ってやろうかと、慈善家の身分にも関係なしに思う程度に全てが自然だった。
ケーキと言えば、エミリー・ダイアーとイソップ・カールとが大皿に載ったケーキを運んできた。セルヴェの掛け声と同時に大きくはじけ、中からアンドルー・クレスがふくれっつらで出てきたのは矢張り夢だったかもしれない。当初の予定ではエマ・ウッズが飛び出してくるはずだったとか何とか言うが、食べ物を粗末にするのはいただけない。
雲行きが怪しくなったところで、イライ・クラークが何事もなかったかのように誕生日の歌を歌い始めた。先ほどのヘレナの歌とは違い、クリーチャーのためにだけ捧げられた歌である。声は漣のように広がり、全員の口が動いた。たった一人、たった一人のこのクリーチャー・ピアソンのために!
あの瞬間は悪くなかったと、毎度のことながら思う。まるで世界にただ一人の重要人物、クリーチャーを誰もが見とめたのだと胸を張って、安心して立っていられるような気がするのだ。
「生きてて良かったな」
ぽつりとこぼして、クリーチャーは慌てて周囲を見回した。しんと静まり返った部屋には誰の気配もない。ほっと胸を撫で下ろすと、自分のセリフを舌先で転がした。生きてて良かった。そんな風に思えただなんて、以前の自分であれば到底信じられないだろう。生きるのは当たり前なのだ。必至に生き延びようとしたのだから、生きているのは結果に過ぎない。事実に良いも悪いもないだろう。
だが、クリーチャーは祝われたのである。もうそれを、受け入れてしまっても良いのではないか?昨日まで、自分は無事に生きて素晴らしかったのだから。
「……誕生日、おめでとう」
いつかの自分に、これまでの自分に囁いて、クリーチャーは唇の端を歪めた。
来年を楽しみに思ってしまう自分には、まだ慣れないのである。
〆.