ORIGINAL NOVEL
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■本コーナーの始まりに際して

 これまで、世界のありとあらゆる場所で様々な人々やもの、風習などを取り上げてきたL氏。読者諸氏を毎月喜ばせたのはもちろん、並並ならぬご心配をおかけしたことも確かです。しかしながらL氏はこれまでのインタビューでは決して取り組めなかった新たな題材を取り上げたいと訴えてこられました。提示されたのはまさに世の暗部、本来であれば知られてはならない世界のことです。編集部総出で中止を頼みましたが、L氏は消息を断ち、今では定期的に原稿が送られてくるのみです。全て先方には掲載を了承済みとのことでしたので、仕方なく、致し方なく本コーナーを掲載する運びとなりました。読者諸氏はV氏に倣って裏街道を探し回るような真似だけはなさらないよう、心の底から願います。




■裏切り屋

 Aは、一見すると酒場でも開いていそうな陽気な中年男性だ。彼こそが裏切りの専門家だと聞かされたならば誰しも疑うだろう。ツテのツテのツテを辿り、出会った街の隠れた名物パン屋のベンチに並んで話を聞いた。彼は当初私の職業そのものを疑っていたようだが、記事を見せたところ納得してくれたらしい。嬉しいことに私の記事を読んでくれていた、と言うのは余談か。

「裏切りとは、信頼の積み重ねで初めてできるものなんです」Aは言う。「そして、信頼されているからこそ上手に裏切れないという人もいるんですよ。裏切りは鮮やかでなくちゃ」確かにその通りだ。裏切られたにも関わらず、裏切りだと思われなかったらその行為に何の意味があるだろう?馬鹿げている。このため、Aを含んだ裏切りの専門家たちは依頼に従って当人になりすまし、時には信頼を稼ぎ、裏切りを行うのだと言う。「もちろん、何年もかかることもありますよ」それでも成し遂げるのが本物なのだそうだ。例えばイスカリオテのユダ。「彼は話し下手でした」ユダは救世主の信頼を得るべく成り代わってもらい、最後の最後に売り飛ばすところだけ本人が演じたと裏切り屋たちには伝えられている。

 しかし何故裏切るのだろうか?そんな依頼をわざわざする人間がそう多いとも思えない。私の問いに、Aはどれほど多くの報酬を積んででもお願いしたいと引く手数多だと教えてくれた。「物語の中心になりたくてもなれない人の方が殆どでしょう。強い印象を残しながら、うまくいったら自分が中心に成り変われるのは裏切り者だけなんです」たとえそれが誰しもから指をさされるような結果になるとしても構わない。ユダもそんな思いだったのだろうか。彼は裏切ったからこそ人々の記憶に残っているのだという説には頷ける。

物語の中心ーー確かに魅力的だ。「いつでも依頼は受け付けますよ」人好きのする、魅力的な笑顔を浮かべてAが言う。こう言われてしまうと、裏切りが何とも格好の良い煌びやかな一幕を演じる時のように感じてしまうのは、自分が物語の中心ではないからだろうか。裏切り屋は唆すのもうまいらしい。読者の期待を良い意味で裏切ることに限界が訪れたなら考えさせて欲しいものだ。その際に、あなた方が私と彼らとの区別がつくのか、それが私の新たな楽しみになった。




■腕押し暖簾

 腕の街とはふざけた名前だとは思う。どこもかしこも腕の絵が描かれた看板やら暖簾やらがぶらぶら風に揺れている。「うちは一流の腕のための店なんです」Bは柳のように細く柔らかそうな腕をした女性とも男性ともつかない人だ。その伴侶という人も顔を見せてくれたが、顔まで似ているので私は区別することをやめた。「右と左と名乗っています。わかりやすいでしょ」腕は二本で一対ということらしい。

名物の腕に良い酒は、飲んだ瞬間に体が沸騰するのではないかと思うほどに強かった。心なし、私の腕が太くなった気がする。おそらくは気のせいだ。そうでなければ服を買い換えなければならなくなってしまう。Bが笑っている。どうやら私はからかわれたようだ。抗議しようがBは何処吹く風だ。「うちの売り物と同じです。同じでなければ、誰も信用してくれませんよね」

Bの売り物は暖簾で、様々な色、手触りのものを用意している。ちょうど腕がかかる程度の長さになっていて、風に揺れると何とも目に心地良い。「人にああだこうだ言われて嫌になってしまったら、これを家にかけるんです。そうすると何でもどうでもよくなるし、しまいには言っている方が折れてこちらの言いなりになってくれる。便利でしょう」まさに暖簾に腕押しをものにするためのものだ。そうっと腕をかけて、流す。それだけで随分心が軽くなるような気がした。

 腕利きの職人たちが織り上げた暖簾はただ押されるためだけにある。利き腕を駆使し、ただ腕が流れるためだけのものを作り上げているとは不思議な話だ。理由を聞いたところで教えてくれるはずもなく、私は頭を下げて店を出た。風が強い街にふさわしい、良い暖簾がこの街には揃っている。




■事情通り

 先日は腕のための腕による腕の街での話を綴った。今回は事情通による事情通りというやはりふざけた名前の場所が舞台だ。腕利きの職人たちに、一度は是非行ってみると良いと勧められたので向かったのだが、その道のひどいこと!家と家の間に渡してある板を進むだなんて正気の沙汰じゃない。私はよそ者なのにこれで良いのか、不法侵入でいつか訴えられるのではないかと気が気ではなかった。洗濯物をかき分けて歩く経験はもうごめん被りたい。

Cは顔役ということで、よそから来たある意味では事情通の私を喜んで迎えてくれた。Cは様々な事情に通じているのだという。「いつでも世界中のどんなものにでも通じることができますよ。ここはそれを売ってるもんでして」ちなみに雑誌業界と旅行業界についてが私の専門と言って良いので試してみたが、Cはまるで半世紀はいたかのように滑らかに話した。「でも、知らないんですよ。喋っていますがさっぱり」Cは清々しい顔つきで嘯くが、その眼差しは真剣だ。

「事情通なんて言いましてもね、大概は事情が目的じゃないんですよ。話し相手に一目置かれたい、信頼されたい、好意を寄せてもらいたい、出し抜きたい、まあだいたい相手のためにあるような事情ですな。だから、本質的なことなんて知らなくたって良い。問題なく通ぶれるならなんだって良いんです」要するに、ここにある事情通の種類を選んで買うと、にわか事情通になれるという仕組みらしい。これでは私が培ってきた経験の意味がなくなってしまう。

慌てた私の気持ちを読み取るようにCは商売のカラクリを教えてくれた。「良いですか、目的を果たせれば良いんですから、一生その道に通じなくたって良いんですよ。だからここの売り物は賞味期限付き。足りなければ買い足していただく、そういうことです」不便そうにも思えるが、やはり人々は求めてやまないらしい。「誰だって一度きりしかない勝負に勝ちたいならどんな準備だってするべきですよ」私はその後押しをしているだけです、というCはやはりこの道によく通じているのだ。




■箔付け

 どこもかしこも金槌で細かな動きを駆使して叩くような音が響いている。カリヨンを思わせるような音色を奏でていて、不思議と耳に心地いい。事情通から紹介されたのは、板金職人の亜流たちが集まるここ、箔付けの職人集団の住む場所だ。適当な工房の扉を叩くと、薄いガラス板の上で小さなハンマーを振るっていた職人が顔を上げる。「御用かしら?」これまで私が出会ってきたどんな人物よりも綺麗な輝く顔だった。

Dに目的を話すと、なるほど客ではないのかと納得しながら工房を案内してくれた。薄いガラスやがっしりとした厚い木、鉄板など様々なものが台座としてしつらえられており、職人たちが各々ふさわしいハンマーで持って叩いている。不思議なことに叩いているものが何かはわからないーー空虚のように何も見えないのだ。そのくせ職人たちの動きで薄く繊細な代物が出来上がっていることだけはわかる。私の目がおかしいのかとまぶたを擦っていたらばDは笑って教えてくれた。ここで作る箔は人間につけるものなのだ、と。

「事情通さんから話を聞いたならばわかりやすいと思いますが、私たちは本来持っているものを少し輝かせるための箔を作っているんです。事情通で気をひくことができても、そこに重みと深みがなければ効果は長続きしません。うちの箔はどれもとびきり優秀ですからね、これだけでも十二分に価値がありますよ」要するに付加価値をつけるのだと言う。メッキとでも言うべきか。メッキであれば便利だが、いつかはハゲてしまうのではないかと不安に思う。箔の屑を寄せて作ったという寒天ゼリーはひんやりとしていて美味しい。これがゼリーそのものの味の良さなのか、それとも箔がついたから良いと錯覚しているかはよくわからない。

「地金が出てしまうこともあるでしょうね。箔は付けられたもので本体から滲み出るものではありませんから。でも、ご安心ください。私たちは板に就かせることも上手なんです。一歩進んでその役割を気に入ったなら、もう一歩変化をするのも素敵でしょう?」変身しきった人間は見ていて眩しいほどだと言う。まるで別人のようだと。だから、箔付けはあくまでお試しの立ち位置なのだ。「何度でもいらしてください。満足いくまで付け直して差し上げますし、誰にも不思議には思われませんよ」つやつやとしたDの指先を見ながら、私はサンプルを見ているのだと知った。箔の向こうのDはどんな人物だろう。暴きたい欲望を見抜くように、Dはそっと私を工房から出した。




■横の車屋

 雨がひどい日だった。目的地まで連れて行ってくれた車夫は、自分の行ける領分はここまでだから、と雨の中にも関わらず私を置いて帰ってしまって途方にくれてしまう。もう少し優しさがあっても良いのではないか?おそらく車夫たちにも業界ならではの守るべき縄張りがあるとは思う。が、これはいただけない。そんなひどい始まりが、Eの待つ横の車屋だった。

「お待ちしてましたよ」何台もの車、車、車!傘を持ったEがこちらに気づいてくれて本当に良かったと思う。筋骨隆々とした琥珀色の肌を持つEの背後には大量の車があった。正確には、私が乗ってきた四輪車ではなく、大きな台車に近い。小さいものから大きなものまで様々な車が並べられる様は圧巻だろう。多分、私は人生の中で見るべき車の大半をここで見終えた気がする。天井の高い建物に案内されると、そこでは五歳ほどの子供からおそらく七十歳はかたいだろうと思われる車屋たちが体を鍛えていた。「この仕事で大事なものは、技術もですが基礎的な体力なんです。力がなければ何もできませんからね」

 荒々しい物音がしたのでそちらを見ると、ニキビが目立つ十代は中頃の少女が、車を一台思い切り壁にぶつけたところだった。「良い動きでしょう?もう少し丁寧にしなければいけませんが、あの子は良い横の車屋になれると思います」車には、どんなものでも載せることが彼らの誇りであり信条だ。乗せてどこまでも突き通し、どんな無理も道理も自分の通り道にしてしまう。ひどい当たり屋よりも出会いたくない、と私を連れてきてくれた車夫が言っていたことを思い出した。この天災のような力強さを目の当たりにすれば納得である。

 どんなものも載せると言っても限度があるだろう。そう尋ねてみると、Eはすぐさま首を振った。「横車を押す我々に躊躇と不可能の二文字はありません。やり切ると決めたならばどこにでも道を作り出します。お客様は皆何もかもを犠牲にする心算でこちらに依頼してくださいますから、私たちはそれに応えるだけですよ」有無を言わせない語り口は、まさしく歴戦の強者の風格があった。多分、この雨も頼めばすぐに止ませてくれるに違いない。




■袖の手

 読者諸氏には知っている方も多いと思うが、私は半袖シャツ派である。妥協してポロシャツやTシャツといった別素材を身にまとうことはあれども、袖は常に短い。腕に何かがまとわりついた感触が苦手なのだ。上着は肌まで少し距離があるので問題なく羽織れる。私の肘から下はいつも見たままというわけだ。

「問題ないね」街角の掲示板で見かけたFは、私の腕を見るなり言った。先日習った横車式基礎トレーニングのおかげで少し筋肉がついたため、いい腕になったと褒められているのかと嬉しかったが違うらしい。なんとFは袖を作る仕事をしているのである。私の服は袖無しではなく半袖で、これ以上必要ないと説明しても無駄だった。すっかり客に間違われている。約束していた相手がかわいそうだとは思ったが、面白そうなので私は黙っておくことにした。何事も経験だろう。袖くらい失っても問題はない。

 いくつもの素材の異なるカーテンと絨毯が釣り下がって道を塞ぐ横丁を何度も泳ぐように腕こぎしながら歩いてFの仕事場にたどり着いた。表の布は全て袖に使い、おおよそ一年も経てば使い切るのだそうだ。「見えない分も含めて全部だよ。それだけ腕がいいってことさ」ハサミを取り出すと、Fはちょきちょきと見えない空間を切り取り始めた。「袖の下を受け取るには、やっぱり良い袖がなくちゃ。しけたものは受け取りたくないし、受け取ったのがバレるのもだめ。持ち主の腕にちょうど良い袖がどの程度かを見極めるのが大事だよ」悲しいことに、今の所私には受け取る予定がない。私の袖に見えないものを縫い付けたFは随分満足そうだった。

見えない袖が本当に機能するかもわからないのに料金を払うかと思うと恐ろしい。第一私は旅先には貴重品をあまり持ち歩かないのだ。だが、Fはお代はまだいらないのだと当たり前のように胸を張って見せた。「あなたが袖の下を受け取ったら、そこからいくらかがこっちに来るからね。だからどんどんもらってきておくれよ」こう言われてしまうと確かめたくなるのが人情ではないか?けれどもーーもしかしたらーーとんでもない誘惑にまとわりつかれた気がして、私はもう半袖シャツを着るのをやめようと決めた。




■機械式お追従

 空から象の像のかけらが降り注いだことにより、三ヶ月続く組み立て大祭が始まってしまった街から抜け出すため、私は海辺から高原地帯へと移動した。海辺では象は大変貴重なので、全く見たことがないと言う人たちと、遥か昔に見た記憶があると言う人たち、他人から聞いたことがあると言う人たちとで力を合わせて作り出すらしい。ちなみに、私はもちろんよく知っている。が、彼らが作り出すだろう象の方がよほど素晴らしいだろう。そんなわけで、私は完成を見ることなく出かけたのだ。

 高原地帯は祭りの喧騒とは異なる、鳥たちの声で賑やかだった。だが、だんだんと耳をすませていくとどうもおかしい。鳥のさえずりではなく、鳥は見えるのだが人の声がする。それもとても気分が良くなるような調子と音色で、思わずうっとりとしてしまいそうだ。「良い声でしょう。最高の出来ですよ」本物の人間の声に振り返ると、鳥のくちばしのようなマスクをつけた小さな人が立っていた。これが、私とGとの遭遇である。

飛んでいる鳥はGが口笛を吹くと瞬く間に集まり、Gの肩と腕に綺麗に並んだ。見ればどれも精巧なカラクリで出来ていることがわかる。まるで宝石のような色合いで、それでいて本当の鳥のように柔らかだ。Gが一羽の鳥にくちばしを大きく開かせて見せると、驚いたことに人間の舌がべろりと生えている。「人間の言葉は人間しか話せないんでね。人様の耳に届けるためには必要でしょう?」「さすがG様、希代の名工」「はるかかなたの国母様をも喜ばせたお方」Gが一言話すごとに鳥たちが合いの手を入れる。お追従です、とGはニヤリと笑った。

「人間、誰だって認めて欲しいって言う気持ちがあります。恥ずかしいことじゃない、社会に出て誰かと支え合っていくには認められるものがあった方が生き延びやすい。そう言うもんでしょう。けれど、けれども褒めてくれる手合いは少ないし、気分のいい褒め言葉ってものはまた別物だ。だったら、気に入ったことを言ってくれる相手がいた方が気分も楽でね」鳥たちがそうだとおもねるように歌う。一理あるような気がしてくるから不思議なもので、私の肩にひらりと一羽が乗ってこようとするのを慌てて払いのけた。

旅は道連れと言うが、お追従はまだ早い。ひょっとしたら笑っているGも出来のいいカラクリである可能性は捨てがたく、私はちらりと彼の口の中を見た。




■見えない背中

 背中に何か貼り付けられたような気がして、慌てて振り向いてみたのだけれども自分の背中は満足に見ることができない。三面鏡をうまく使わない限りは難しいだろう。世間には狼のように真後ろを向く事ができる人もいるらしいが、寡聞にして私は知らないままだ。ともかく、背中に違和感を覚えたのである。「ふふ、気づいたんだね」私の背中に伸びる影から何かがゆらりと起き上がる。少女のような愛らしさで佇む彼女はIと名乗った。

ひとまず背中のものを取ってくれるように願うと、Iは素直に応じて何かを引き剥がしてくれた。剥がされた瞬間にひどく清々しい気持ちになる。霊感商法の類は信じないが、この目の前の職人にはどうしようもないほどに好奇心が湧いてしまった。Iも、最初からそのつもりだったらしく「最近あちこちで面白い人たちを見つけてるんでしょ。次はいつ来るのかなあって思ってたんだよ」と歓迎の意を示す。驚いたことに、この業界の人々に私は受け入れられているらしい。ありがたいことだ。

「後ろ暗い気持ちとか、暗雲が垂れ込めるとか、モヤモヤした嫌なものってない?私はそのモヤモヤを集めて増やしてるんだ」そして、頼まれれば私にしたように誰かにくっつける事があるのだという。これまで出会った人々と同様に屈託のない真っ当な精神で述べるのみだ。悪いことではないかと聞くほうが無粋な気がしてしまう。私の表情を読み取ったIはでもね、と肩をすくめて見せた。「自分につけて欲しいっていう人も結構いるの」

人はその背に影が伸びるように、全てが明るすぎるとくすみを持ちたくなるのだという。深みをつけようとしているのか、自分の中にすでに生じたモヤモヤを確実にしたいのか、私には想像もできない。「それでね、全部終わるととってもスッキリするんだ。気持ちがいいからやめられないのかもね」私は剥がすのもうまいから、とIがウインクする。夕闇が濃くなり、建物の影と私の影が交わりあった頃ーーIは再び解けるようにして消えた。

東の方に、分厚い黒雲が渦巻いている。今日も大雨になりそうだった。




■虎使い

 国際花剣闘大会の招待状をもらっていたので、別の雑誌の連載記事のために私はむせかえるような花の匂いに包まれていた。会場は赤白緑、黄色に紫といったおなじみのものだけでなく、まだらや格子柄、光の加減で輝きを変えるといった真新しい花でいっぱいだ。もちろん主題は戦うことなので、どの花も固く尖って鋭い。触れようによっては指先がポロリと取れてしまうほどに滑らかで素晴らしい切れ味だ。剣闘士たちは各企業や国の支援を受けて死ぬまで美しい戦いを繰り広げる。最後の一人が積み上げられた花剣の上に前大会の王を下ろしてその役目を終えさせるところは、残酷でありながら目を話すことのできない荘厳さだろう。

 Jは、私の隣で同じように血と花が混じった世界を見ていた観客の一人だ。柔らかな毛皮とゆったりとした真っ白な布に包まれたJの容姿は判然としない。ただ、老若男女のわからない琥珀色の手だけが全てを物語っている。純金の鈍い輝きを放つ装身具が美しい。「これだけ乱暴なことができるのに、虎が必要だなんて変な話さ」指で示された先では、優勝者が前大会の王者を葬り去って金枝冠を頭に戴いたところだった。神々しさすら纏わせた優勝者の向こうに大きな虎が見えた気がする。目をこすってもう一度見ると、やはり私の見間違いだった。老眼だろうか?「虎を見たろう」Jは笑って教えてくれた。自分は虎を飼い慣らし、目的に見合った虎を貸し出しているのだ、と。

「あの人は虎の威を借りたいと言う。だから背中に見えたろう?あるいは欲の少ない人が、誰かの希望か身の程知らずか欲が欲しいと虎の目を持ちたがる。勇気が欲しければ子供を貸してやることもある。誰かを片棒に担がせて、それきり逃さないつもりなら虎の背に乗せてやるのも良い。ちょっとした見世物だ」両手を掲げて見せると、Jが身にまとった毛皮から虎が起き上がる。なるほど、いつでも虎はすぐそばにいるのだった。その虎はどこから手に入れているんですか、と客に聞かれることが多いと言うのも納得だ。いつでも欲しければ借りるよりも買ったほうがお得だろう。

企業秘密なので当然教えてくれなかったが、コツさえつかめばどこからでも入手できるそうだ。虎が?ジャングルからも遠い場所に虎の住処があるとは思えない。私が知っている虎は、檻の向こうのそれだけだから。虎伏す野辺に心当たりはない。「三人の人間がいると言えばいるのさ。狼よりは手に入りやすい」煙に巻かれた心地になったのを見透かされたように湿った音が低く、大きく響く。ちょうど三匹の虎が笑ったような音だと、読者諸氏も認めてくれるだろう。




■黒幕屋

 これまで、普段の生活では決して出会うことのない様々な職種の人々に出会い、彼らと語り合った内容を記載してきた。それだけでも十分刺激的かもしれないが、私は次へ次へと進むごとに何かに導かれているような、終着点が待ち構えているような気がしていつも落ち着かないでいた。間違いなく、私が出会った人々は繋がりを持っている。だが何によって?あるいは誰によって?

「ようやくいらっしゃいましたね。お待ちしておりました」ホテルのロビーで宿泊の手続きをとっていると、コンシェルジュのような服を身につけた人がこちらに近づいてくる。柔らかで、どんな人間でもうっとりするような声が響き、心なしロビーにいる人々が注目しているような気がした。Kは簡単に名乗ると、右手を差し出してくる。握手をするような人々はこれまでいなかったものだから違和感があった。彼らは日向の人間と同列に立とうとすることない。「どうしましたか」Kが笑っている。客たちが私を避難するような目で見ている。ええい、やってみよう。私は冒険に来たのだ。

 瞬間、何が起きたのか私にはわからなかった。吸い付くようなKの手に引き込まれたのは確かだ。午後の柔らかな陽光は嘘のように消え失せ、練り絹のような滑らかな闇が覆っている。まるで舞台に降ろすような真っ黒の幕が降りているのだった。「私の売り物です。どんな人も、ものも中に入れられますよ。応用が効くんです」なるほど、全ての黒幕がここに集っているということらしい。「隠れることが苦手という方は多くいらっしゃいます。ただ隠れるだけでなく、誰かへの影響力を残しておきたい、本当はもっと大物に思われたいだなんて欲望もはみ出さずにしておきたいという方も。隠れるだけならともかく、こちらは気づかれずにやりおおせることは少々難しい」一息にそこまで話すと、Kは審査票を見せてくれた。応募者に対し、どの程度覆うべきかを示したもので、本人が申告した人物像よりも大きいか小さいか、例えば小さいならばもっと膨らませてやる必要があるといったことが書かれている。もちろん全て匿名の、個人が特定できない形で見せてもらった。

自分の人生を採点されるというのはちょっと恥ずかしいし、居心地が悪い。それでも隠れたいという欲望から逃れられないとは因果なものだ。だが思い返せば、自分もまた隠れたいと思っていたような気がする。取材旅行で世界を歩き回り、表通りを歩き飽きて、私を知る人間が随分増えた。それは悪いことではないのだけれども、私がどんな人間であるかが型にはまってしまったようで怖かったのは確かだ。裏通りを歩く人々は私にとって新しい分野になる。

「あなたのものはもう準備できていますよ」Kが取り出してくれたのは、私を覆うにちょうどいいベールだった。そう、私はこの旅を始める前に申し込んでいたのだ。もう随分前で、すっかり忘れていたのだけれど。私が一体どんな黒幕になるのか、多くの人は知ることができないだろう。けれども私は必ずどこかにいる。もしよかったら、黒幕を突き止めるべく頑張ってほしい。お互い、きっと楽しめると約束しよう。

幕はこれで降りる。次はあなた方の番だ。



■本コーナーの終了に際して

 L氏から最後の原稿が送られてきて以来、編集部総出で再び探しに出かけましたが、現在も氏は見つからないままです。読者諸氏への挑戦とも受け取れる最後の記事をご覧になった方々からも多くのお問い合わせをいただいております。実際何がおきたのかは不明ですが、各メディアで流されている憶測に包まれることはL氏の計算通りであるということが編集部の見解です。つきましては、次回からはL氏の望む通り、なんらかの黒幕となったL氏が何について、どこでどのような黒幕になっているかを探るべく、読者諸氏から有志を募りたく思う次第です。編集部からは無鉄砲屋と隅作りに定評のある重箱屋が同行いたします。奮ってご応募ください。