BL NOVEL
  / HOME




大事なものって何ですか


バタフライ・スクランブル


 新しい場所で生活を始め、定住する(文字通りにだ、断じて仮宿暮らしではない)に当たって増えるのは物、だとナワーブ・サベダーは思う。例えば軍役についているような状況だと、決められたものを決められただけ持つことが大前提であって、家族と遊びに出かけるような余暇のものは限りなく省く必要がある。戦っている最中は邪魔になるため、部隊によっては背負子の類は拠点に置くようになるだろう。どうせ移動するのであれば、身軽であるに限る。では、荘園という仮の拠点での暮らしが長引いた場合は?人はそこが生活の場だと錯覚するようになっていくのだ。

「僕の携帯品を知りませんか。あの朱金色のものです」
「見かけてないな。なくしたのか?」

ポーチの階段に腰掛け、ナイフを研いで刃の状態を見るなどしていると、どこか不安げな様子のイライ・クラークが現れ出てナワーブは怪訝そうに顔をしかめた。彼こそは天眼なる先々を見通す目を持つ男である。よって冷静沈着で、目の前の事物から一歩引いたような態度をとることがまま多い。能力を理解するまで、スカした態度だと苦々しく思うこともあったが、その真髄と意味とを読み取れるようになった今は時に尊敬の念すら抱く。世界が一挙に立ち上がって喚くような煩さを感じ取って尚まともに立っていられる人間はそう多くないに違いない。

 イライは落ち着かない様子でフクロウを飛ばすなどしていたが、なんの手がかりも得られなかったそぶりで首を振って見せた。ゆるりと静かに語られる事情によれば、携帯品の整理をしようと自室の棚を見たらば一つだけなかったのだと言う。前回はいつ使ったのかは思い出せず、果たしてゲーム中に落としてしまったのか、何かの間違いが起きたのかは謎のままだ。自分の携帯品の未来を予測したこともなければ自室を監視することなど考えたこともないので、何かを『視よう』としたところで視界は五里霧中である。なべて人とはなんと矮小で辛いことよ。ため息をつくイライを、ナワーブはありきたりな言葉で慰めようとして止めた。なんでも見えてしまったら疲れるだなんて、もうすでに十二分に彼は知り尽くしているだろうから。ここでたむろしても収穫はないと諦めたイライはスッと顔の前に手を組んで他所を見遣り、小首をかしげた。

「エマさんも……マイク君も、どうやら何かなくしたようですね」
「他にも?」
「ええ、それに彼女たち以外も思い当たるものがあるそうです」

イライの目にはどこかにいる彼らの様子が視えているのだろう。手を戻すと、ナワーブを一瞥してうん、と小さくうなずいた。

「いつかはわかりませんが、君も当事者になりますよ」
「嫌なことを言うなよ」
「事実です」

避けがたい未来と言うでしょう、とイライは運命論を気軽にかざす。確かに過去から未来へと広がる膨大な時を見渡せるイライには当たり前に思われることもあるだろう。目の前の土を踏みしめることしか知らないナワーブは運命という存在はあるかもしれないが、全てではないと思いたかった。わかりきった道のりしかないのであれば、努力をする意味など皆無ではないか。例えば、この研いで鋭くなったナイフを振るって誰かを助けようとしよう。ナイフが鋭いか鈍いか関係なく、誰かは助からないのであればナイフを研ぐ意味はない。ではここでナイフを折った場合は?だが運命はいつだって後出しジャンケンが得意だ。つまらないやつめ。

 綺麗に研ぎ終わったので立ち上がると、イライが当たり前のような顔をして隣に並ぶ。それも決まっていたのか?聞くだけ無駄だ。口元に笑みをにじませるイライが、何を覗いているのか聞くだけ無駄である。喉が渇いたのでパントリーに向かうと、飲料の瓶が詰まった箱を開ける。まだ日が高いが、ゲームもないのだし酒を飲むのもまたいい時間の使い方だ。ライト・エールの瓶を見つけ出し一本取り出すと、もう一本をイライに渡す。もちろんまだぬるいのだから、本来であれば冷蔵庫で冷やすべきである。

「僕もこのままで構いませんよ」
「たまにはな」

意図を読み取ったイライが楽しそうに瓶を持って中庭へと向かう。並んで歩きながら、ナワーブはぬるいビールが似合う男のことを思い出していた。特に大きな接点はなかったはずだが、何かと中庭で顔を鉢合わせるようになって以来、共にぬるいビールを飲む仲になったクリーチャー・ピアソンのことである。少し丸くなった背中、くたびれた肩に、死んでいるようでーー冷たい火が灯った瞳。今日もあの茶色い姿はあるだろうかと自然と目がぐるりを見回したが、茶色く褪せた男の姿は見当たらなかった。彼ならば、このライト・エールにオレンジを少しばかり紛れ込ませようなどと考えそうだ。彼は存在するものに何か付け加えるのがうまい男でもあった。ベンチの席はナワーブとイライの為に用意されたかのように空いている。

「ピアソンさんは今少し困ったことになっていますよ」
「なんでだよ」
「緋のように赤いと思われやすいからでしょうね」
「お前ってさ、わかりにくく話してもったいぶるいのが上手いよな」
「未来のことを語るには慎重さが必要ですから」

自分とそう年齢が変わらないだろう青年の人生に何が起きたらば、こんな老練としたセリフを吐くのか。瓶の蓋を巧みに開けると、ぬるい液体を一気飲んでゆく。最後まで飲みきるには勿体無いので、おおよそ半分程度。半分を半分にしながら飲んでいくやり方がナワーブは好きだった。クリーチャーはゆっくりチビチビと舐めるようにして飲む。飲める機会が多くなかった名残らしい。一度染み付いた生活習慣はなかなか拭えないものだと苦笑しながら話していたことを思い出す。あれは彼が見せた数少ない尻尾の一つだった。面白い話だが、見るからに胡散臭い態度を取りつつも『慈善家』という肩書きにふさわしい活動により釣り合いをとっているためか、どこをとっても嘘のような虚ろさが漂うのもクリーチャーの特徴である。ふとした瞬間の、何も感情が映らない瞳を盗み見た時に跳ねた自分の心臓の音を、ナワーブはいまだに鮮明に覚えている。両極端の印象を危ういところで均衡を保つクリーチャーが、困りごとに巻き込まれると言うのはありそうなことのように思われた。さて一体どんなことだろう、とイライが滑らかにライト・エールを飲み干してゆくのを見た。

「来ましたよ」
「んー、あれはダイアー先生か」
「そしてここからが君の物語でもあります。僕は飲み終わったので失礼しますよ。頑張ってください」
「疲れない程度にな」

先回りしたイライの言動にはもう慣れている。手を振って見送るのと入れ違いに、エミリー・ダイアーが小走りに近づいてきた。普段から微かな憂いが漂う(そこがまた魅力だとカヴィン・アユソは力説していた、本当に好みの幅が広い)エミリーだが、今日は本格的に悩みを抱えているらしい。ひょっとすると彼女も何か無くしたのか、と心の準備をしておけば、ちょっと聞いて欲しいのとエミリーが隣に座った。

「実は、荘園でなくし物が発生しているの。私も含めてね。あなたはどう?何かなくしたかしら」
「確かめていないからわからないな。もしかしたらあるかも。さっきイライも携帯品をなくしたって話してたから、確認してみたら俺のもなくなってるかも」
「確認したほうがいいわ。私が知る限り、ほぼ全員なくなってるらしいもの」
「『ほぼ』?」
「ええ」

聞きにくい相手がいるから、とエミリーは一層眉を潜めて見せた。言わずと知れたクリーチャーのことだろう。エミリーとクリーチャーは旧知の仲らしいが、例え彼女であっても、ちょっとしたことで爆発しかねない彼は扱いに注意が必要なのだ。その上どうやら、クリーチャーは犯人ではないかと疑われている節さえある。あの男は他人の気配というものに敏感だ。ナワーブと中庭でビールを飲んでいる際も、さりげなく慎重に話題を選び、こちらの反応に合わせて回答を変えているらしいことは薄々感づいていた。果たしてクリーチャーは犯人たり得るだろうか。案の定というべきか、エミリーは非常に言い出しにくそうにしながらも本題を切り出してきた。

「念のため全員の意見を聞きたいと思っているわ。もしかしたら何かの手違いということもあるかもしれないし。その……クリーチャーには貴方から聞いてもらえないかしら」
「どうして俺に?」
「貴方が一番彼に対して何も思っていなさそうだからよ。それに腕力もあるから、万が一の時も対応できるでしょう?怪我をしたらどちらでも治療するから安心してちょうだい」
「物騒な先生だな」

なんて自分勝手なのだろう!いかにも荘園に住まうにふさわしい人物像だ。みんな欲望を抱えている。そのひりつくような剥き出しの人間性は、時にナワーブを現実に引き戻させて嫌いではなかった。生ぬるい仲良しごっこだけでは、いつか麻痺して外の世界に二度と出られなくなってしまう。荘園は虚構の存在で、中身など何一つないのだからしがみつくのは愚かだ。しかし面白いのは、クリーチャーに対して自分以外は何か含むものを持っているらしいというエミリーの見解だった。エマ・ウッズはクリーチャーに暴力を振るわれたこともあるし、狂おしいまでの執着心に苛まれたのだからわかる。巻き添えになったのはエミリーも同じだ。フレディ・ライリーは労働者階級であることも含めて軽蔑している。身から出た錆で、クリーチャーはどれほど善行を施そうとも彼の行動でちゃらになってしまうのだ。わずかに積み上げたであろう信頼も、たった一つの疑念で綺麗に覆される。エミリーは誰が何を失ったと『思っている』のかを一通り伝えて、これで終わりとばかりに清々とした表情を浮かべた。

「ダイアー先生」
「何かしら、ナワーブ君」

去ろうとする淑女を引き止めると、ナワーブは謎めいた過去が組み合わされた女性の向こうを覗くように見遣った。

「ピアソンさん、昔似たようなことでもしたの?」
「言ったでしょう。貴方に先入観を抱いて欲しくはないのよ」

それが答えだった。




 ない。ない。ない!財布をひっくり返したクリーチャーは、いったい何が起きたのかと目を白黒させて脳みそをかき乱した。荘園に来てからというもの増えゆく一方の所持品の山は今や棚から雪崩込んで床にも散乱している。かろうじて机とベッドの周辺だけが空いている状況で、それほどクリーチャーが荘園での生活になじんだ証拠でもあった。多くは収集した当人すらも見返さない代物である。ジャム瓶の蓋、暗号機の部品、切れた靴紐、皿(誰のものだろう?)、パズルピース、壊れた懐中電灯、しおれた花、日記の切れ端、ナイチンゲールに配られた数々の衣装と携帯品たち。必要な時に必要なものさえ見つかればそれでよかったのだが、いつでも目にしておきたいものはある。エマにもらった(と思い込んでいるだけだ、そんなことは知っている)剪定バサミと、貯めに貯めたコインである。

幸いというべきか、ナイチンゲールから便利な財布をもらっているので、悪魔の持ち物のように底無しのそれに全て収め、気を沈めるために一日一度は取り出して数を数えて暮らしている。少しずつだが着実に貯まっていく富はクリーチャーを確実に幸せにした。人の気持ちなんてあやふやなものが取り巻く世間で、結局信じられるものは手に取れるものだけである。現にこの荘園で自分の下馬評がどうなっているかをクリーチャーは冷静に理解していた。コインは無感情に今日も幸せを数えてくれる。そのはずだったのに、

「何枚……五枚だな。何で、何でだ……昨日より五枚もないだなんておかしいだろう、隠しておいたのに見つかったのか?く、クリーチャーから」

物をとるだなんてとんでもない所業だ。クリーチャーの頭の中に、かつて力弱く奪われるがままだった、あるいは知恵が回らず出し抜かれてばかりだったひどい記憶と気分とがせり上がってきて吐きそうになる。今の自分は一人の立派な男で、社会を騙し尽くすことのできる目端の利く人間でもある。立派な慈善家であって、泥棒やドブネズミという呼び名とは到底かけ離れている。よって、何ものもクリーチャーから奪われることはあってはならないし、あるはずはなかった。戸締りには人一倍気を使い、部屋には誰も入らぬよう気を配っている。荘園で最初から取り付けられた鍵は頼り甲斐がないので、こちらで相当苦労する一品へと差し替えた。さて実際人が出入りしたものかどうかーー散乱した私物に目を通してクリーチャーは低く唸った。自分のせいでまるで判別がつかない。せめて整頓しておいて紙一枚を何かに挟んでおくだとか、そんな銀幕で歌われるような真似をしておけば良かった。

 盗まれた対象がコインとなれば犯人の範囲はひどく広がってしまう。誰だって金が欲しい、なぜってこの恐ろしいゲームに参加する一番の目的は莫大な賞金に決まっているのだ。クリーチャーの懐からコインを拝借していくとはまた随分としょぼくれたやり口だが、人の心には誰しも誘惑を抱えている。そもそも知られないようにしていたはずだが、クリーチャーはひどく混乱してしまった。どんなに慣れ親しもうとも全員と一線を引いて過ごす日々の努力はすっかり水の泡だとでも言うのか?コンコン、と扉がノックされる音が響き、クリーチャーは慌ててジャラジャラとコインをかき集めて財布に収めた。この小さな財布はどういうわけだか何枚飲み込んでも膨らみは最初の姿のままである。考えあぐねて近場の服の中に隠し、慎重に扉へと近づいた。

「誰だ?何か用なのか」
「俺だよ、ナワーブだ。少し話を聞きたいんだけど、良いかな」

クリーチャーの部屋を訪問しようとする人間は珍しい。それがナワーブ・サベダーとなれば嘘のような話だ。ゲーム以外では、中庭でチビチビとぬるいビールを堪能する時以外に意図的に親しんだ覚えもない。多分他にも過ごした時間はあるのだが、クリーチャーの意識に残るようなことはなかった。そんな彼が自分に話があると言う。コインが盗まれたことと言い、この珍事の連続には意味があるように思われた。わかったと声を返し、幾重にも巡らした鍵を一つずつ外して迎え入れると、訪問者は恐る恐る鼻先を部屋に入れてキョロキョロと見回し出す。実に奇妙だ。

「あー……ピアソンさんって物持ちなんだね」
「き、汚いと素直に言ったらどうだ。捨てられないんだ、どうしても」

一度意味を持つと、すぐさま熱は冷えてしまうと言うのに意識して捨てようとは思えない。流石に生ゴミなどカビや匂い、ネズミを寄せる元になりそうなものは意味さえ持たずに捨てていた。無遠慮に立ち入ったナワーブはいったい何の用があると言うのか、ぐるぐると辺りを見回しては手応えがなさそうにふむ、と頷くばかりである。

「確かに、あんたの中では意味がありそうだ。本題を聞こうか。ね、最近なくなったものってある?」
「お前か」
「うわっ」

自分に理解を示してもらったという安堵感もつかの間、自分しか知らないはずの出来事を知る男に瞬間的に怒りがわく。カッとなったままにナワーブに飛びつくと、クリーチャーは床に突き倒すつもりがびくりとも動いていないと気づいて舌打ちした。がっちりと振り上げた腕と空いた腕とが巧みに固められて微動だにできない。

「いきなり跳びかからないでよ。びっくりしたな」
「く、く、クリーチャーのコインを返せ!あれは俺のものだ、どこで知った?どこに持って行ったんだ、は、早く返せ!」
「なるほどね。言っておくけど」
「痛っ」

余裕を持った声さえ疎ましい。グルンと世界が反転し、クリーチャーはふかふかの紅白模様の衣装の上におろされた。すかさず上から足で肩を押さえられ、気分はまるでまな板の上のなんとやらである。こんな風に痛めつけられたのはいつぶりだろう。あの時はどうやって切り抜けた?この男は強い。そうだ、傭兵だったのだから当たり前だ。あんな締まりのない顔でビールを飲んでいるくせに、ゲームでは踊るように素早く美しく動く。あんな風に駆けることができれば気分がいいだろうなあと羨望した自分は全くの愚か者だ。

「俺は取ってないよ、『クリーチャー』」
「じゃ、じゃあ誰が」
「とりあえず、落ち着いて話をしよう」

よいしょ、と解放されるも今度は連行されるが如くベッドの上に座らされた。抵抗を防ぐためなのか、片方の腕を捕まえられたままだが、クリーチャーの方は最早腕力にものを言わせてどうこうしようという気持ちは失せている。無駄なことはしない主義なのだ。クリーチャーの足元に、先ほどのドタバタで転がり出てしまった財布が当たる。慌てて隠そうとベッド下に向かって蹴る様も全てナワーブは黙って静観していた。次は財布以外の隠し場所も考えねばなるまい。

「あんたの隠し貯金には興味がないから。今、荘園でなくし物が起きてる。俺は自分のものを確認してないけど、多分全員だ」
「お、俺はやってないぞ!」
「わかってるよ。……あんた、素のままだと『俺』って言うんだ?ずっとそれでも良いのに」
「違う、お、私は違うんだ」
「なんでも良いよ。ともかく、あんたが思ってる通り、多分疑われてるのはピアソンさんだ。でも違う、そうなんだよね?」
「……私を信じるのか」

とんでもないセリフを聞いたような気がして、クリーチャーは見える方の目を精一杯広げて見遣った。誰かが自分に信じると明言したことが生まれてから一度でもあっただろうか。その場の気まぐれのような言葉は、かえって自然に耳に響いた。聞く側の心臓を殴りつけた青年はさらりと頷くばかりか、とうとうと理由まで述べ立てる。

「ここを見て確信した。なくなったのはみんな、あんたが大事に思ってるものとは違う。聞いてたものは全部目立つものばかりだったし、ごちゃごちゃしてるけどこの部屋にないことくらいはわかる。あれだけ鍵をかけてたんだ、ピアソンさんは自分のものを大事に側にとっておく方だよね。だったらここ以外に隠す可能性は低い。それにあんたがなくしたのは『コイン』だ」

すごく大事にしてるって聞いたことがあるよとナワーブは雨上がりの空のような澄んだ瞳で言う。二階のバルコニーから落ちたと聞いた時には驚いたよと。他人であれば軽蔑する内容を心配する声音で語られることは、ひどくくすぐったかった。にわか探偵は十二分にクリーチャーの心をさらっていって、どうしようかと悩んでいる。何か。何かをここで言わなければ、自分が感じたものを出す瞬間は二度とないような気がして、クリーチャーは懸命にあちこち交錯してゆく思考をかき集めて口を動かした。

「ほ、ほ他の奴は何をなくしたんだ?金目のものなのか」
「……え?」
「別に盗ろうとか考えちゃいないぞ。私には疑いがかけられてるんだろう。だったら犯人を捕まえないと、居心地が悪いからな」

虚をつかれた相手の様子に慌てて畳み掛けながら、クリーチャーはだんだんと理性を取り戻してきた。『慈善家』らしくふる舞えているだろうか。余裕を持って、先回りをするのは自分の方だ。ナワーブはどこかつまらなさそうな顔を見せた気がしたが、皮一枚接いだような真実は一瞬で消え失せてしまう。失われたものたち。エミリーの蛍の羽、フレディの衣装に付けられた金色の葉っぱ、エマの金色のボタンにウィリアムの燃え立つ牛の毛一揃い、挙げだしたらばきりがない。言われるたびに煌びやかな衣装たちが頭に浮かび、クリーチャーは改めてナイチンゲールの商売は幅広いのだと感心した。自分も着たのは一度きりという衣装がちらほらあるくらいだ、他の人々は色々と悩ましいに違いない。記憶の棚の中を漁りながら、ふとクリーチャーは思考を止めた。確かにどれも金目のものではない。極一部だけを盗んでいくなんて記念に集めているのでなければ全くのデタラメで無意味だろう。

「これはただの想像なんだがーーもしかして犯人はキラキラしたものを集めているんじゃないか?」
「……本当だ、どれも目立つとは思っていたけどキラキラしてる、っていうのはぴったりだね。カラスはよく見かけるけど、この部屋から持っていくのは難しいそうだ」
「カラスか。荘園だから、他に何か変わったものがいてもおかしくないが」

何かが思考から欠けている。しかし今わずかに開いた扉を無理矢理こじ開けるより他にない。足元で散らばったコインがチャリン、と音を立てた。キラキラ光るものが大好きなんだろう?気持ちはわからないでもないが、クリーチャーのものを持っていったとなれば話は別だ。

「罠を仕掛けてみるというのはどうだ」
「いいね」

他にいい考えもないんだ、と青年は照れ臭そうにそっぽを向いた。




 厄介な話だ。イライの言葉通りで、ナワーブはどんどんこの問題に引き込まれている。一度自分の部屋を確認しようとクリーチャーを引き連れてゆくと、通り過ぎる他の人間がいよいよ尋問かとでも言うような、面白そうな色を目に浮かべた。高みの見物は楽しいだろうとも!問題を解決しようとする自分を少しは助けて欲しいと思いながらも、ナワーブは誰も『慈善家』ではないことを思い出して苦笑した。中庭を出ても尚間近に意識する男はいくつも自分の知らない顔を持っていて楽しい。もちろんこれもまた他の人間たちは知らないままだ。さい疑と好奇の目だけで見ていたならばもったいない。『私』に『俺』になんと言っても『クリーチャー』!幼さすら感じられるがむしゃらな動きは遠目に見たことがあったが、こんなにも脆いものかと驚きさえした。

 虐げられることに慣れて、虐げることができるとなれば誰かを虐げることが当たり前だと思う、その類の深く暗いぐるりを延々と回っている。良いとも悪いともなく、ありのままの現実だ。部屋がごちゃごちゃしていようとも、クリーチャーが何を大切にしようともどうだって良い。ナワーブは今この時点で面倒ごとに首を突っ込んでいるが、以降はあり得ないだろう。二人は他人なのだ。

自室に招いても尚大人しいクリーチャーを座らせて、衣装やら何やらをひっくり返す。兵役についていた頃の癖でものの整理整頓がきっちりされているので何かがなくなればわかりやすいはずだった。何も気づかなかったのはナワーブ自身に興味がないものだったからだろう。いったいどれなのかと首をひねっていると、クリーチャーが立ち上がってワードローブにかかった一着を指差した。

「この服についてた花飾りがなくなっているな」
「そうだっけ?」
「自分の服くらい覚えていてくれよ。君によく似合ってた」

不意に心臓が跳ねて、奇襲に出くわした時の気持ちが蘇る。後ろからいきなり手を伸ばされたからだろうか?ドギマギする気持ちを放り投げると、示された衣装を検分する。確かに肩口に切り取られたような跡があって、無理矢理持ち去られたことは明白だった。自分がこの服を着たのはいつかも思い出せないと言うのに、クリーチャーが覚えており、尚且つよく似合うなどと感想を述べるなど想定外にもほどがある。他の衣装が無事であることを確認すると、残った中からキラキラと輝くものを探し出してクリーチャーに見せた。

「キラキラね……この金色の籠手とかどうかな?」
「悪くない。私はこれを使うとしよう」
「良いね」

いつの間にか持ち込んでいたらしく、クリーチャーは手のひらからくるりとミラーボールを出して見せた。セルヴェ・ル・ロイに以前手品を習ったんだと誇らしげに言う様は愛嬌がある。手先が器用なので難なく習得したに違いない。セルヴェのあっけにとられた顔を見てみたかった。罠は同じくキラキラしたものが置かれた台所に仕掛けることにした。この世は安全なのだと大手を振って二人して夕食を食べ、目的に向かってきりりとした表情を作る。風呂は早めに済ませ、髪の毛がほんの少し濡れたままであることも気にせず台所に罠を仕掛けた。

「今日は絶対に盗み食いに来るんじゃないぞ」
「俺が毎日出入りしてるとでも思ってるのか?なあ、トレイシー」

念の為出入り禁止にするべく目ぼしい相手に注意をして回れば、アイスクリームを食べたいと話すウィリアム・エリスとトレイシー・レズニックが不満そうに頬を膨らませる。説明を真面目にするのもまどろっこしいと頭を悩ませていると、すっと後ろからクリーチャーがアイスクリームを挟んだウエハースサンドを二人に包んで寄越したので丸く収まった。そうだ、この人は他人をよく見ているのだ。自分に手渡されたアイスクリームがキャラメルジンジャー味であることに気づいて目を見開く。この味が好きだと誰かに言ったことがあっただろうか?

「嫌いだったか?アップルジンジャーの方が好みだったか」
「それも好きだよ。はあ、ピアソンさんどこまで俺のこと知ってるの?なんでそんなに見てるのさ」
「意識して見ていたつもりはないな。見て、覚えるのは得意だから、どこかで君が美味しそうに食べているのを見たんだろう」
「ふうん」

すごいね、と言うこともできたのだが、自分の中に広がった暗いモヤモヤとしたものを消化しきれずにナワーブは話を閉じた。キャラメルジンジャーは程よく生姜が効いていて飽きることなくペロリと平らげたとここに報告しておこう。そうして人を追い払って、台所の隅に二人して伏せる。明かりが、消えた。

視線の先にはナワーブの籠手とクリーチャーのミラーボールがチリリと目立つ。夜の閉じきった館の中で輝く偽物の光はひどく胸を打つものがあった。真夜中の海で、遠くに灯台の明かりを見たならばちょうどこのような気持ちになるのかもしれない。希望?陳腐な言葉を思い浮かべてナワーブはすぐさま打ち消した。

「何か聞こえる」

限りなく囁くよりも柔らかな声に呼応し、速やかにあたりに目を光らせる。ナワーブも大概夜目が効く方だが、クリーチャーの方が上らしい。つくづくこの男は何者なのだろうとまたぞろ興味を惹かれ、いやいやと理性を取り戻す。調子が狂っていけない。探るべく闇の中に耳を澄ます。最初に耳を捕らえたのはズッ、ズッという何か重たいものを引きずる音だ。チャリン、カラカラ、と金属音も続く。子犬のような影はまっすぐに罠に向かっていきーーナワーブは迷わず罠のボタンを押した。

「かかったぞ!」

クリーチャーが快哉の声を上げて明かりをつける。細かな目の金網に引っかかった犯人は猛烈な勢いで抵抗しているらしくガシャンガシャンとうるさい。トレイシー特製の害獣捕獲器は素晴らしい効果を発揮したらしかった。

「……お前だったのか」
「……考えてみれば、ありそうな話だったな」

チュウ!と捕獲器の中でもがく『とんがり鼻』が不満を訴える。とんがり鼻は、金目のものをかぎ当てる能力に優れたネズミによく似たペットで、帽子とお宝がぎっしり詰まった袋を背負っていることが特徴だ。ただの賑やかし要員だと思いきやとんでもない働きを見せてくれていたらしい。ひとまずは無事に事件が終わったことを祝そうとナワーブは臨時の相方をねぎらった。

「ピアソンさん、これで濡れ衣は晴れたね」
「ん、ああ。良かったよ」

どうして嬉しくなさそうなんだろう。気になってしまうからやめてほしい。質問を重ねて、この新しい厄介ごとに首を突っ込んで行きたくなる。抗いがたい欲望を懸命に押さえつけて、とんがり鼻のねぐらを探そうと提案しながら、ナワーブは半ば無意識に罠にかけておいたものをポケットに入れた。




 あの時、クリーチャーは全て見ていた。自分のものが目の前で堂々とかすめ取られていく様を。少しも惜しくもなく恐ろしくもなく、むしろ自分が願っていたかのような心地で全てはゆっくりと動いた。とんがり鼻のねぐらは荘厳なものだった!なくしたと言われていたもの以上に様々なキラキラのかけらが、ガラクタのようにうずたかく積もっていた。声を上げて他の面々も呼び出し、隠されていたもう一つの屋敷の存在に息を飲む様を眺めるのは気分がいい。ついでクリーチャーの方を向いて、気まずそうな表情を浮かべる面々を手を振って許すふりをする。許すも許さないもなく、客観的にありえそうな現実だ、誰に対してだってクリーチャーは気にも留めなかった。

とんがり鼻にはナイチンゲールによる教育が施されることとなり、失くしものは持ち主の元へ、全ては万々歳のまま翌日の素敵な太陽を迎える。朝日の中、失くしたコインを財布の中にしまって、もう一回全部を机の上にばらまく。一、二、三、記憶の中と数がぴったりと出会って安心する。だが、儀式を行ってもどこか心は浮き足立っている。ぐるりと自分の部屋を見回せば、大事な思い出たちが、記憶がとんがり鼻と変わらずゴミのように存在を放つ。拾い上げる価値のない、見捨てたものたちの中に隠した新しい思い出をどうしようかと思えばそれだけで唇の端が上がった。扉がノックされる。

「誰だ?何か用なのか」
「俺だよ、ナワーブだ。少し話を聞きたいんだけど、良いかな」

ガチャン、とどこかで音がする。胸の中に書き留めた言葉が隊列をなして滑り落ちていく。扉の隙間からこぼれた光に、手が虹色に輝く。

「私も君に聞きたいことがあるんだ」

昨日までの自分ならば、こんな躓き石のことなんて見向きもしない。蝶の羽ばたきが遠くに聞こえる。ミラーボールと青く輝く花が投げ交わされ、どうでもいいもののようにそっちのけになる。いく筋もの未来が線を走らせてたった一つに向かって切り取られる。

新しい物語の始まりだった。


〆.


あとがき>>
 少し軽いものを書いてみたいなあと思って考えた時に、ペットに関するものを書いてなかったので書いてみました。名探偵(?)ナワーブと経験豊富な胡散臭いおじさんクリーチャーの組み合わせはありだと思います。表題は二人の出会いは運命というよりも躓きかな、と考えて運命論に対するカオス理論の象徴・蝶から取りました。しかしペットの世話は一体どうなっているんでしょう?そもそも生き物なのかも怪しい彼らの今後を知るのも楽しみにしています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!