さあ一枚、まずは一枚剥いていこう
キャベツ畑でお茶を
卵が焼きあがる匂いがする。わずかに鼻をつくのは育まれるはずであった生命の断末魔か。変貌を遂げ、食物として一列に並ぶのは茶色いキャベツたち。からん、からんと音を立ててトレーが並べられてゆく。湯気が上がり、厨房から食堂へと運ばれたキャベツたちを見る人間の目はどれも優しかった。
「カスタードクリームは?穴を開け始めるわよ」
「できてる!チョコレートはもう溶かした?」
「……直火にかけちゃった」
「あら」
軽口にちょっとした事故にとキャベツを取り巻く環境は騒がしい。甘い香りが渦を巻き、次々と食堂に運ばれてくるのはキャベツの従者だ。カスタードクリーム、チョコレートソース、キャラメルソース、生クリーム、バタークリーム、ドライフルーツ、季節に合わせたジャムたち。陽がその力をいかんなく発揮する頃に緑は鮮やかに色づき、葉の合間には暑さを忘れるための宝石のような果実が実る。酸味の強いレッドカラント、ブルーベリーにラズベリー、ブラックベリーにダークチェリーと枚挙に遑がない。摘み取る側の人間たちも嬉しそうにさえずっている。
「絞り袋の用意もできたよ。それじゃあ、始めようか」
キャベツの周りが十分賑わったところでその場を取り仕切ったのは、美しき淑女たちではなくひょろ長い男性だった。およそキャベツにはふさわしからぬ人物の出現に、キャベツはこの美しい体が害されはしないかとふしゅふしゅ音を立てる。キャベツの体は繊細なのだ、そう乱暴に扱ってもらっては困る。男がつまようじを片手に同胞を持ち上げた時には身を固くしたほどだ。
「そっと優しく。ウィリアム、握り潰すんじゃないぞ。ラグビーボールよりも繊細なんだ」
「了解、ピアソンさん」
たくましい体をした青年が頷くと同時に、ピアソンさんなる人物の手がキャベツにかかる。腹の奥底にちくんと一刺し。開いたかどうかもわからぬわずかな隙間に絞り袋がそっと入り込み、にゅるにゅると空っぽなキャベツの中を満たしていく。カスタードクリームだ!キャベツは歓呼した。他のキャベツたちも次々に手をかけられる。カスタードクリームに生クリームを添えて。あるいは真ん中からナイフを入れてジャムを敷き詰め、生クリームで飾り立てる。頭にチョコレートソースの帽子をかぶったものもいた。おしゃれだ、とキャベツは一層美味しそうになった自らに浮き足立った。はあ、生まれてきてよかった!これでこそキャベツの貴婦人、シュー・ア・ラ・クレームたる所以である。
荘園に住まう人々は、どういう伝手なのか世界のあちらこちらからやってきている。ヨーロッパ大陸、アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジア、そしてオセアニア、ちらと小耳に挟んだくらいしか知らない世界の話は、狂いそうになる日々を日常に揺り戻す良い刺激となっていた。祭りや儀式、服装、歌など様々なものが語られていく中、最も盛り上がるのはやはり食べ物を話題にした時だろう。忘れごとの多い(というよりも忘れたいことを巧みに忘れ去っている、実に戦略的だ)ウィラ・ナイエルが語った福々しい菓子は敗戦続きで荒んだ人々の胸を打った。
「ふわっと広がっていて、見るからに可愛いのよ。キャベツみたいだって言う人もいたわね。一口食べると中から甘い香りととろけた舌触りが追いかけてくるの。焼き上がりの香りはたまらないわよ」
「なんか俺、腹が空いてきた……」
「私も。ねね、それってここで作れないかな?」
ウィラの話によだれを垂らしたウィリアム・エリスに乗っかるのはトレイシー・レズニックだ。この少女はなかなか抜け目がない。二人の目がたどり着く先を見ながら、ナワーブ・サベダーはにやりと笑った。荘園にやってきた当初であれば全く信じられない話だが、最も料理が得意なのは女性ではなく男性、それもクリーチャー・ピアソンという凡そ料理とは縁遠そうな人物である。一つ二つと増えてくる期待の眼差しに気づいたクリーチャーは、そらとぼけて遠くを見遣っていた顔をしかめると、ぽりりと頬をかいた。照れている。クリーチャーは一見他人を拒絶するかのように見えて、他人に頼られるということに自分の存在意義を感じる性質なのだ。ちら、と一瞬こちらに向いた目にうなずいてみせると、クリーチャーは観念したようにわかった、と両手を天に挙げた。
「わかったから!一応聞いたことはある。作り方は調べるとして……こうなったらせっかくだ、全員で作ろう。ウィラ、そのお菓子は中に詰め物をするんだろう?」
「ええ。一人一つでちょうどいい大きさだから、自分の好きなものをいれるのも楽しいと思うわ。私もーー」
ふ、とウィラが遠い過去を見るような目をして振り払う。あれは思い出してはいけない記憶だな、とナワーブは身に覚えのある仕草に痛みを覚えた。忘れたいことに限って、ひょんなことから鮮明に蘇るのが記憶のおかしなことだ。覚えていたいことだけを胸に抱き続けることはどうして許されないのだろう。ともあれクリーチャーの提案は受け入れられ、そうしてキャベツ畑の作成は始まったのである。
西洋菓子というものについて、ナワーブはよく知らない。あえて口にしようと買いに出たことがないからだ。それがどうだ、荘園に来てからというもの良家の子女のように愛と温もりに満ちた糖分を享受している。荘園の主人による気まぐれで成り立つ楽園から去るその日まで、忘れずに抱きしめていたいと思う快さだった。いつかここを去る時、それまでの我慢だと思っていたのはいつまでだったろう。いつかここを去る時、それを思うだけで苦痛になったのは、もう随分と長いような気がする。
きっかけのことはよく覚えている。あれはまだゲームに参加するようになって3回目ほどのことだった。それまでの試合では運良く(今では深く理解できる、あれは本当に運だった)ハンターを翻弄して勝ち抜いたナワーブが、対策を立てて再戦を挑んできた復讐者に殴られ、起死回生後にさらに殴られるという手詰まりの状況で放置されたのである。パペットはあちらこちらをうろつき、湖景村の不気味さを一層際立たせていた。湿った空気が余計に体を蝕むように思う。本物か定かでない湖畔の水が足に浸って気持ちが悪い。なるほど、今まで舞台から姿を消していった他のサバイバーはこんな気持ちだったろうかと赤く染まる水を眺めていた。
「ここにいたのか。ああ、喋らなくていい」
唐突にぺかっと光った灯りに、かすかな意識がもたげる。口を開けばぜぇ、ひゅうぅ、となんとも情けない音が漏れ、視界も真っ赤になったり真っ暗になったり真っ白になったりで安定しない。ちゃぷちゃぷと波をかき分ける足音と、自分を導く優しい手。岩陰まで導かれ、丁寧な治療を施されていくうちにナワーブはだんだんと現実を取り戻していった。言葉少なに、しかしナワーブの意識を保たせるためか軽口を叩いている男は慈善家と名乗る胡散臭い手合いである。気づいた時には心底驚き、ついで見直した。棒切れのような細い手足を侮っていたのは間違いで、慈善家らしい振る舞いだってできるらしい。名前は、そうだ、クリーチャー・ピアソンというのだ。
「ありがとう、ピアソンさん」
「どういたしまして」
さらりと返したクリーチャーが、実は大変驚いていたというのを聞いたのは、もっとずっと後、二人が打ち解けるようになった頃だ。あの頃のナワーブは、誰かに歩み寄るという発想がなかったし、クリーチャーはあえて踏み込もうという意思がなかった。ただ、お互いに生き延びるためには相手をどう活用するか、はずっと考え続けてきたとは思う。観察し、考察し、どうしたらもっと、と思ううちに痛みも喜びも見て取れるようになって、距離は少しずつ縮まった。
クリーチャーはハリボテを作るのが上手だ。もっともらしく振る舞い、ないものをあるように見せかける。セルヴェ・ル・ロイと違うのは、ハナから偽物と宣言するか否かの違いで、メッキが剥がれた時の悲しさは人一倍になる。例えば、彼は慈善家ではなかったし、中産階級に準じた教養ある男でもなければ寛大でもない。意中の女性に手を上げることもためらわず、誰よりも金に魅了されている。暗号機からも部品を盗み取ってゆく様子から多分泥棒だったんだろうな、とそこまで見通してもなおナワーブが彼から離れることはなかった。逆を言えば、クリーチャーだって突き放そうとせずに、雨の日にくたくたに濡れて踏みつけられた新聞紙のような様子でこちらを見ていた。差し伸べた手に気が付いたクリーチャーに対し、ナワーブが応えるような形で結びついた関係はそれこそ永遠に携えたいと願ってやまない。
「これなら、ジャムを入れても楽しめそうだな。エミリー、悪いが在庫を見てきてくれないか」
「ジャムだけで良いのかしら?」
「……ドライフルーツもだ」
「任せてちょうだい。イソップ君、お手伝いをお願い」
「え?はあ、良いですけど」
そんなクリーチャーがメッキを地金に変える日が来ると誰が想像し得ただろう。今のクリーチャーは慈善家でも豊かな男でもなんでもないが、誰かの手を取ることを心の底から自然に行えるようになっている。材料を調べ上げ、試作品を作ってから他の面々に声をかけると、誰もがさして拒否するでもなく従うほどだ。クリーチャーがナワーブに与えたものを、他の人間も享受するというのは少々不公平な気もするが、楽しそうにしている姿は良い。手伝いをしていたエミリー・ダイアーとイソップ・カールが姿を消したのを見計らい、ぎゅっと後ろから抱きつくと、クリーチャーはさりげなく後ろを振り向いてナワーブの頬に口付けた。
「君はまだママが恋しい年頃だったかな。すっかり忘れていたよ」
「”ママ”っていう響きも良いけど、もう少し大人にさせて」
「要望が多い。今はこれで我慢してくれ」
「ちぇ」
今度は額に口付けされて、気分は本当に子供だ。クリーチャーの、たった一人の子供。エミリーから匂わせるように過去のクリーチャーを聞いたが、彼の手をすり抜けていった多くの子供たちよりも今の自分の方が鮮烈に彼に刻み込まれているという確信がある。もし、クリーチャーが彼の欲求を満たすために庇護する存在が必要だというのであれば、ナワーブは喜んでその役割を担おう。そしてクリーチャー・ピアソンという一つの自我を守ってやりたい。あなたのそれは行き過ぎた共依存よ、と小難しいことを専門家が言おうとどうでも良い話だ。
クリーチャーがボウルで生地を作っていく。全く同じ工程を真似してナワーブも手をつけ、さらに追いかけるようにしてたどり着いたイライ・クラークもボウルを取り出して行う。なにせ量が多いので手分けをして作っていかねばならないのだが、ナワーブはいささか不安な様相を呈しつつあった。どう言うわけだかイライの方がさっさとそつなくこなしてクリーチャーに完成度合いを確かめているのだから悔しい。自分にだって、と思えば思うほどに生地は正解から遠のいていく。
「卵をまぶすようにへらを動かすとうまくいきますよ。乱暴にやってもアラが出るだけです」
「わかってるよ」
「もう少し馴染ませた方がいいんじゃないですか?ねえ、ピアソンさん」
「どれ、ちょっと貸してくれ。……こうだな」
結局最後はクリーチャーが手直しをしてできあがり、ナワーブは小さく舌打ちした。イライが布当てごしにでもニヤついていることが苛だたしい。クリーチャーとナワーブの仲を取り持った大功労者であるものの、そのためにからかいの種にしてくることはいただけない。生地を絞り出す段階でもささくれだった気持ちは抜けきらず、絞り袋が弾ける。ああ、とナワーブはクリーチャーに手放しで褒めてもらえない自分に歯噛みした。確かに自分には”ママ”が必要だ。
キャベツ畑に子供がいるんだって!当の子供がそんなことを言い始めたのを、幼少期のクリーチャーは希望をにじませて聞き入っていた。コウノトリ、キャベツ、置き去り、もうなんだって良いから理由が欲しかった年頃のことである。孤児院の子供たちは寄る辺なき立場ゆえに弱く、子供であるため一層か弱かった。生き抜くためには貧しさと困窮極めた子供同士の醜い争い、行く当てのない虚しさと不安との戦いを続けていかねばならず、振り返るだによくやりおおせたと褒めてやりたい気持ちになる。
自分がここにいる理由が欲しかった。未来への手がかりが欲しくて、どこかに自分の本当の親がいて引き取りにきてくれるだとか、自分は貴族のご落胤で身を危うくしたがゆえに孤児院に預けられたのだとか、子供たちはわずかな日常の隙間に未来を委ねていた。誰が一番良い立場に恵まれていたのか?という砂遊びのような虚しいやり取りは度々開かれ、クリーチャーは夢の描き方とその限界を知った。あまりにも世界は未知で、自分には手が届かない存在であることに気づいた現実は実に残酷である。
日々を追いかけても尚、キャベツを見るたびに自分の故郷がありはしないかという思いが過ぎる。あの葉っぱ一枚一枚をむいてやれば、兄弟はいはしないか。自分はここにいる、もう一度やり直させてくれと叫びたくなる。理由を持たない子供たちを何人世話しても、子供たちから理由を奪ってもクリーチャーの故郷はどこにも見当たらない。故郷を作ろうとした試みは、夢を中途半端に描いて終わった。五里霧中の状態で信じられたのは金だけで、荘園に来た時も見えていたのは目の前の世界だけである。
「材料は同じだ。なんなら確かめてみるかい?」
「……でも、味が全然違う」
「味付けも同じだよ」
キャベツを見る目が変わったのは、奇妙にも自分に近づいてくる青年のおかげだった。冬が終わって春になり、仕入れたキャベツの葉が柔らかくなった頃である。クリーチャーが仕掛けた薄っぺらい慈善家の立て看板はいよいよがたついて、エマ・ウッズに手を上げた瞬間を見られてからは周囲の目は凍てつく氷のように冷たい。他人を気にする性質ではないものの、不便さはつきまとう。生き方を変えることは難しく、どうしたものかと考えあぐねていたところ、昼食後に奇妙な問いかけがなされた。
キャベツのスープは、材料もわずかであり特段秘密の工夫をするでもない。それでも微細な変化を嗅ぎ取ったナワーブにクリーチャーは舌を巻いていた。ほんのわずかな、日常的な問いかけに対して他の面々が耳をそばだてていることをひしひしと感じる。荘園に入ったばかりの頃、他人との距離を掴みあぐねた青年は今やすっかり輪の中の友だ。
「時期が変わるとキャベツの味が変わるんだ。寒い中でとれたものと、春になってからとれたものは全く違うんだよ。今はもう春だろう?葉っぱが柔らかくてぐっと甘い味わいのものが出回るのさ」
キャベツさえも変化がある。ただの生活の知識はどういうわけか他の質問を受け付けることになり、一つの何故に他の人間のだからが重なった。そしてとうとうクリーチャーから発された何故にも応えがなされーークリーチャーのキャベツは春へと変化した。キャベツの葉をはいできたナワーブに、やぶれかぶれになりながら自分を好きなのかと尋ねたことは誇らしい。生まれて初めて、誰かの感情を確かめようと思った。強引に奪うのではなく問いかけて、同じ目線で見たいと、見て欲しいと切に願ったのはナワーブだけである。
再び冬が巡ったならば、この甘さを狂おしいほどに求めるようになるだろう。いつか。先々を思って明確に思い悩んだのは人生で初めてかもしれない。始まりがあるように、荘園での生活にはゲームの終了という終わりが待っている。賞金を手に入れる確信はあるが、果たして扉を出た先の道はナワーブの道と交わっているかは定かではない。もう一度尋ねようと思うものの、永遠に春のままでいてほしいと願うのはもっともだろう?
そして季節は初夏にさしかかり、食堂は一列に並んだできたての茶色いキャベツ達ーーシュー皮がずらりと並ぶ。器用なナイフさばきで白鳥を形作り、カスタードクリームと生クリームの二重奏に干したクランベリーを添えたのはカヴィン・アユソで、ならば自分はウサギを作るとセルヴェ・ル・ロイが俄然やる気を出す。こっそりラム酒を織り交ぜたバタークリームを作っていたのはフレディ・ライリーだ。フィオナ・ジルマンがチョコレートソースをかけすぎたシューにアーモンドを散らせばもっと美味しくなるとカート・フランクが口を添える。ウィラはすみれの花の砂糖漬けで着飾った貴婦人のようなシュー・ア・ラ・クレームを作り出した。甘い香りとふわふわとした喜びは、もしこんな世界があればといつしか願ったような眩しさで、クリーチャーの口からはただ感嘆が溢れ出る。以前の自分ならば、どこか遠くの出来事のように見て鼻で笑っただろう。今は、自分がこの中にいるということに居心地の良さを感じさえしている。
「ナワーブ君はどんなのを作ったんだ?」
「内緒。ね、もう食べていいんだよね。だったらあっちに行って食べない?今なら外もそんなに暑くないと思うんだ」
「そいつは魅力的だな」
悪戯げな笑みを浮かべた恋人に連れられるようにして、皿の上に載せた茶色いキャベツたちを庭へ招待する。外に出て、クリーチャーは初めてもうおやつどきを大分過ぎていたことを悟った。傾く陽が美しい。噴水脇のベンチに腰掛けるナワーブの隣に並ぶと、少し緩くなった噴水の音がなんとも心地良かった。このまま肩に頭を乗せて昼寝をしたいところだが、まずは菓子からだろう。このお菓子はね、とても命が短いのよとウィラは言う。翌日には夢を失ったキャベツがすっかり萎んでしまうのだ。
「「いただきます」」
どちらともなしに食前のおまじないを唱えて菓子に手を付ける。ナワーブのものを自分に、クリーチャーのものはナワーブに。渡されたシュー・ア・ラ・クレームは意外にもなんの変哲もなく、素朴さがかえってナワーブらしく微笑ましい。あーんと大きく口を開いてかぶりつくナワーブに倣い、クリーチャーもゆっくり咀嚼を始めた。
最初に感じたのは生クリーム。今回は他の材料も使うことを考慮したので甘さは控えめだ。続いてあとからせり上がってくるのは夏を詰め込んだようなベリー、ベリー、ベリーの波!さまざまな甘酸っぱさが舌の上で踊り、頬の中をくすぐられているような心地になる。さりげないようでいて意表を突き、ついで飽きさせない。少し勢いがついたためか、ぼたりと唇にジャムがつく。菓子から離れて舐めとっていると、不意に横から手が伸びてきてクリーチャーの顎をすくった。
「クリーチャー」
こんな時にだけ、自分の名前を呼ぶのは少しずるいと思う。魔法にかけられたように動けなくなったクリーチャーの額に、頬に、そして唇にとナワーブの口づけが落ちるのをただぼうっと見てるだなんて自分はさぞかしまぬけだろう。けれどもこの魔法は解けてほしくないほどに甘いのだ。離れようとするナワーブを追いかけて一度口付けると、クリーチャーはわざとらしく菓子を食べるのを再開した。うう、とうなり声が横で上がってほくそ笑むくらいは許されたい。
「ひどい!ここでおしまいにするなんてないよ」
「君がせっかく作ってくれたものは美味しいうちに食べておきたくてね……駄目か?」
「ずるい」
でも俺もピアソンさんのを食べたいからね、と気を取り直す変わり身の早さは若さ故か。試作品のビスケット生地を添えた硬めのキャベツはナワーブのお気に召したようで何よりだ。残りの菓子を口に入れ、クリーチャーは指についたクリームをぺろりと舐める。菓子の命は短い。だが、この春は永遠に甘くあってほしい。そのためならば、自分は冬の凍てつく大地をも耕そう。
キャベツ畑には子供が眠っている。寂しく葉に包まれた子供にも甘いひとときがあることを祈って、クリーチャーはナワーブの頬についたクッキーを舐めとってやった。
〆.
あとがき>>
twitterで「#リプきたイラストや写真から妄想SSを送り返す」に、石田さんからどきどきするような甘いひとときの絵を受け取ったので、ピアソンさんの頬についた生クリームのような優しい話を書きました。同じテーマのものであっても、人によって異なる食べ物を作り出すのは性格が出て面白そうで、だからこそ一層儚く貴重だと思います。二人の距離が自然な近しさということもあり、それまでの流れも組み込んだ仕上がりになりました。石田さん、素敵な作品をありがとうございました!
そして最後まで読んでくださり、ありがとうございます!