BL NOVEL
  / HOME




汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ、おおハレルヤ神様!見返りはいかがなさいますか?


人に優しく


 努力は時に的確であれば報われる。ナワーブ・サベダーは自分を信じ、戦場で培った観察力と判断力、そしてウィラ・ナイエルのうがった見方による助言に感謝した。ハレルヤ!神は自分を見捨てなかった。大げさな話ではない。この荘園にいるものであれば誰しも、ナワーブの足の間にクリーチャー・ピアソンがごく普通の光景といった様子で収まっていれば納得するだろう。そう、あのクリーチャーが、である。

 事情を知らない人々のために説明すると、クリーチャーは慈善家の皮を被った泥棒で、だが慈善家らしい振る舞いをしっかりと行う年上のお兄様(おじさんと言いなさいとクリーチャーは眉をハの字にして抗議した)である。痩せ細った体は、服のサイズが微妙に合わなくて緩いのではないかと危ぶまれるほどだが中身はしなやかな猫のように必要最低限の肉が収まっている。抱き心地は良いとはあまり言えないし、若い盛りを過ぎた人の匂いもするがナワーブは気に入っているので大丈夫だった。

手先が器用で、危険なゲームの最中も箱を開けて箱を開けて箱を開けている。注射器を出しておいて、いざという緊急時に使えるようにしておくなどの周到さを見せた時にはウィラがクリーチャーの手を取って礼を述べたものだ。気に食わなかったのでその手は存分に撫でさすり、ぎゅうぎゅうと締め付けたのでクリーチャーは喜びのあまりに泣いていた。肩が震えていたのは感動していたからだろう。ナワーブは彼をしっかりと見守っているのだ。声を大にして叫びたい。

ゲームの最中にナワーブの怪我がもう堪え切れない状態になった頃、自分の代わりにハンターを巧みに翻弄して巻き取っていったことは今でも忘れられない。懐中電灯などという貧弱な道具を馬鹿にしていたが、道具は使いようなのだと思い知らされた。そのくせ恩義せがましいことは一切せず、当たり前だからと実に慈善家らしい口をきくのである。あまたの戦場をくぐり抜けてこの方なかった究極の場での優しさと格好良さにナワーブはぎゅっと胸を掴まれたような気がした。

 だがだからと言って単純に手懐けられたのでも惚れたわけでもなく、ナワーブはクリーチャーが何故そんなことを誰にでもするのかという理由の方に惹かれたのだった。優しさも金や宝石と同じもので、当たり前として与え続ければ価値を失ってしまう。大事なものであることは、それらしく扱わねばならないのだ。マーケティングの戦法よとウィラは言っていた。自分の腕を売っていたナワーブにもわかりやすい話で、安売りは厳禁ということだがクリーチャーは毎日が大安売りである。ウィリアム・エリスがお腹が空いたと呟けばサーモン缶があったぞとサーモンとクリームチーズのサンドイッチが出てくるし、トレイシー・レズニックが機械部品を求めればゲーム中に危険を冒してまで手に入れてくれる。ちょっとした便利屋もどきだ。

カート・フランクやセルヴェ・ル・ロイあたりはクリーチャーと小銭や酒を賭けて遊んでいるが、他に見返りを要求する様は見られない。誰も、クリーチャーが何を望むかを知らなかったし、気づこうともしなかった。蛇口をひねれば出てくる水に何を求めよう?ナワーブは貸しが嫌いだし、理由のない優しさを信じることなど以ての外だ。とりわけ、クリーチャーの目が優しさの向こうで冷たく淀んでいる時には。

 優しくすることで気分が良くなるという理屈はわかりそうだが、彼は違う。ナワーブが何が何でも優しくし返してやろうと試みた結果、思い切り距離を取られて確信できた。この男は自分の身の安全を守ろうとしているのだ。虐げられることに慣れた、故に自衛を心がける人間の習性を垣間見てナワーブの血がざわめいた。エマ・ウッズに半ば暴力的な愛を強いようとしている様を見て阻んだ時には、近づき方を知らない不器用さに頬が緩むのを止められなかった。優しくしてやろう。ナワーブは自分が嗜虐心を持つことを初めて知った。それにはクリーチャーがぴったりだ。

「で、今度は何をしてるの?ピアソンさん」
「懐中電灯に小細工をな。この前ジョゼフが見せてた星空が綺麗だったろ?あれに負けない奴じゃないと煽れないと思ってさ」

今、ナワーブに自主的に寄り添って作業をするクリーチャーは実に自然だ。ミラーボールを取り入れた懐中電灯で照らしたら賑やかだろう、などと笑ってさえいる。ナワーブが距離を詰めた当初とは大違いである。

「まさかここでもゲームが始まったのか?」
「そんなわけないでしょ」

ナワーブが目をつけた瞬間、人の気配に聡いクリーチャーは潮のように引いていった。優しいが、前の二倍は情が薄い。当たり障りがない範疇での接触に留まるので誰も疑わず、ただナワーブがじっとクリーチャーを見るだけだった。ちら、とクリーチャーの義眼ではない、生身の目がこちらを向いてすぐさま泳ぎだす。意識はされているのだ、試みる価値は十分にある。夜中、トイレから出たクリーチャーを真っ暗な廊下で捕まえ掃除用具の詰まったロッカーに詰める。ぎゅうと押しやって自分も入ってから丁重に扉を閉めればそこは暗闇だけだ。クリーチャーの薄い体を掴んで心臓に耳を寄せる。ああ、生きている。ナワーブに翻弄される命は何故だか可愛らしかった。

「ナワーブ君?」
「正解」

小さな声に返して足の間に挟んだ膝を押し上げるとひい、と叫び声が上がる。もう少し脅かして様子を見ようかと思ったのだが、深呼吸一つで心音が戻った。おまけにここでもゲームが、などとふざけたことまで宣う。距離を取られた。さすがは泥棒、逃げることもお手の物である。

「君はこういう趣味なのか」
「少し違う」
「痛っ」

暗闇の中で夜目が利くのはお互い様だ。口付けようとする寸前で避けたクリーチャーの鼻に噛み付くと、抱きすくめた身体全体で跳ね除けようとしてくる。ガタガタと動いたはずみでモップの頭がクリーチャーを直撃した。可哀想に。触って確かめたが、大したものではなさそうだ。ならば良い。大丈夫、大丈夫と抱きしめて頭に口づけしてやると低い唸り声が上がった。

「ピアソンさんに優しくしたいんだ」
「……君も慈善活動を始めたとでも?だったらこれはどういうことなんだ」
「んー?優しくしてるところ。ね、もうドキドキしてくれないの」
「生憎お子様の遊びに付き合うほど暇じゃないんでね。さっさと出してくれないか?明日もゲームなんだ、もう寝たい」
「いいよ。俺、ピアソンさんのこと好きだから」

思わず言って、ナワーブは初めて大当たりを掴んだことを悟った。クリーチャーの顔が強張り、目がいつになく泳ぐ。自分も散々エマに言っておいて何を動揺することがあろうかと嘲弄するのは簡単だが、ナワーブはクリーチャーの頬に口付けて解放してやることにした。小さく縮こまる、片目を失った子供をいたぶるのはどうにも後味が悪い。

 それからというもの、クリーチャーはあからさまにナワーブを避けた。いっそいじましさすら覚える。呼吸を心得たナワーブはすぐさま距離を詰めて、料理を手伝い物を持ち時にクリーチャーを抱え上げ、何よりゲームでは良い連携を見せた。身構えるクリーチャーに好きだよと言いながらキスを送り続け、その目に温かみが宿る様をゆっくりと見守る。思い起こせば本当に気の長い試みだった。自分は我慢強く優しい。そうとも。

「君は一体何が目的なんだ。嫌がらせなら十分にしただろう?」
「じっとして」
「む」

見返りを求めないナワーブに焦れたのはクリーチャーの方で、ウィラにもらったハンドクリームを手に塗ってやっていると真っ赤な顔を膨らませた。もちろん最初から塗りにかかったのではなく、ナワーブは自分が塗ったら多すぎたからと言って分け与える目的でクリーチャーの手を握ったのだ。おかげで身動きの取れなくなったクリーチャーはまたもや罠にはまってしまっている。身体的接触をさりげなく繰り返すことが大事だ、とはウィラからの進言だ。

 阿保のように好きだ、好きだよとクリーチャーに告げていれば、誰だってナワーブがクリーチャーを恋愛目的で好いていると思う。単純なことだ。ナワーブは面白がって遊んでいるにすぎないが、だんだんとクリーチャーが騙され始めてきているのもわかっていた。環境が変わらないならば順応した方が楽なのである。それにクリーチャーは生き抜くためにおそらくいくつもの苦境を乗り越えてきただろう。ナワーブはそれを利用しただけなのだ。

「ピアソンさんは、嫌がらせの方が嬉しい?」
「……嫌がらせは嫌いだ」
「じゃあ違うから嬉しいんだね」
「嫌がらせだろう」
「違うって」
「ゃ、」

逃げ出せるというのに逃げ出さないこと自体が、既にナワーブを受け入れ始めていることに他ならない。両手が埋まっているのに乗じて舌までずるりと入れて唇を貪ると、もの慣れない中年男の目が霞む。指先はぬるぬると互いの手指を擦り合わせ絡み合うように動かしてやっているので大変気分が良い。ぐっと色々なものが持ち上がりかけたところで全て手放すと、クリーチャーが信じられないものを見るような目でこちらを見てきた。

「なんで、」
「嫌なんでしょ?俺はピアソンさんが好きだからね。もうしない」
「本当なんだろうな」
「俺は優しいからね」
「よく言う」

にっと笑ったつもりだろうが、困惑でいっぱいの表情はなかなか良かった。善行は積むものである。しっとりとした自分の手を握ったり開いたりすると、ナワーブは未練ができないうちにさっさとその場を離れた。




「自分でもさ、俺って結構頑張ったと思うよね」
「正直意外だったわ」

クリーチャーと距離をとった翌日の夜、ナワーブはウィラに作ってもらったカクテルドリンクを飲みながら、定期報告と相談を行なっていた。今日は巧みにクリーチャーを避けて会わずに過ごしているためどうにも虚しい。何故ウィラかというと、人に優しくするにもコツがある。がむしゃらに向かっては逃げられるだけだと考えた末にナワーブが選んだ参謀がウィラだった。元々あてにしていたカヴィン・アユソは、女好きだが男を口説く趣味はないと拒否したのである。カートやセルヴェは面白がられるばかりで疑わしいし、他の人間は今ひとつ頼りになりそうになかった。その点ウィラは神秘的な雰囲気も相まって説得力もある。

「あなた、本当にピアソンさんが好きなのね」
「……それを聞くかな」

長々とため息をついてグラスをテーブルに置く。傍目から二人は親密に見えるだろう。そう言えばクリーチャーがウィラとはどうなっているんだと寝ぼけたことを言っていた。あなたが好きだよ、と誤魔化したのだけれどもナワーブは答えを知っている。

「のめり込みすぎたんだと思う。悪くない気分だから良いけどね」
「最初からあなたはハマっていたと思うわよ」
「運命ですね」

うんうん、と頷いたのはウィラにカクテルをせびりにきたイライ・クラークである。占い師であるイライが言うともっともらしいから面白い。運命か。ならば自分で見つけ出したとはなんと幸福だろう。

「ピアソンさんのどの辺りが魅力的なのかなんて、僕には分かる気がしませんね。面白い人ですし、この前作ってくれたドロップスコーンは上出来でしたけど」
「わからなくていい。それに、わからないからいいんだよ」
「あら、随分な惚気ね。それで?次はどうするつもりなの」
「待つ」

ハンターとの駆け引きに似ている。踏み込んでばかりでなく、ぐっと引き付けたところで遠ざかるのだ。ただでさえ目の前のものに夢中なのだから、遠くに行ってしまったらばその空虚を埋めることだけが頭の中をめぐる羽目になる。それに、ナワーブ自身も冷静に考える必要があった。自分はクリーチャーを好きなのか?面白がり甚振り優しくして翻弄するためでなく?客観的な彼の価値は重々承知している。瞼の裏に張り付いたように彼の姿が消えない。しばらく寂しいのは自分の方だ。

「会いたいなあ」
「もう少し頑張りなさいな」
「おかわりください、ウィラさん」

イライは羨ましいほどに自儘だった。昨日までこの手に触れていた、懐中電灯の握りダコのできた手が懐かしい。動かない目を必死に見えるふりをしようとさせる動きはそば近くで初めて見えるものだ。滑らかな舌の上で転がる生意気な口ぶり、年上ぶった、けれども寂しそうな振る舞い、猫のように背を丸めて懐中電灯の手入れをする様、みんな、みんなしばらくお預けである。冷静に考えても答えはわかりきっていた。なんとつらいことか!

「ピアソンさん、」
「飲み過ぎは体の毒だぞ、青年」

何杯目だろうか。寂しい寂しいと言いながらカクテルもやめて延々飲み、イライがボトルを押し付けて僕は寝ますと言ったのは覚えている。ウィラは気づいたらいなかった。今は何時だろう。

「こら、飲まない。君が飲むのはこっちだ」

冷たい水の入ったグラスを渡され、ナワーブはようやっと隣に座る人物を把握した。クリーチャーだった。

「……ロイさんのマジックショーかなんかでも始まったの?」
「それは音が張りそうだな。あいつはあれでがめついんだ」
「嫌だったのに来たんだ」

喉から手が出るほどに欲しいという気持ちをぎゅっと押さえ込み、ナワーブは酔眼を叱咤してクリーチャーを見つめた。風呂上がりらしい、ほのかに紅がさしたクリーチャーはナワーブの目を避けることなく見返してくる。耳まで赤い。きっと彼は、ここに来るまで自分を探していたんだろうとナワーブはイライのように明言した。今日という一日を、彼はどう過ごしたろうか。

「君が本当に優しかったからな」

だから寂しくなったんだ、と花がほころぶようにクリーチャーが笑う。本当に笑いたい時の笑顔は下手くそで、半分泣いているような半端な顔だったが全て特別だった。

「俺が優しくしたら、君も優しくしてくれるかい」
「『慈善家は見返りを求めないもの』じゃなかったっけ」
「君に対しては別さ。……ここだけの話、私は慈善家なんかじゃないんだ」
「ふふ」

そんなことはとうに知っている。とっておきの秘密を告げるクリーチャーを抱きしめると、返事を聞かせてくれと強請られた。どうやらすっかり手懐けるのに成功したらしい。可哀想な人、可愛い人、ずるい人、何という名で呼ぼうとも愛しい人よ、あなたに優しくしてあげたい。

「じゃあ俺の心がどこにあるのか教えて、ピアソンさん」
「どこって、」

きょろり、と泳げる方の目が回る。クリーチャーの手がナワーブの手を掴んで、そっとクリーチャーの心臓のあたりに導いた。あの日のように、彼の心臓は掌の下で高鳴っている。

「ここだろう」
「正解」

これからナワーブは知るだろう。クリーチャーは本当に人生で初めて、誰かに好きと言ってもらえたということを。震えるほどに嬉しくて、その実やはり嘘だと否定し続けた心細さを。セルヴェに冷やかされて真っ赤になり、一人で眠る時にうっかり昼間のやりとりを思い出して体が熱くなったことを。本当はもっと早くに踏み出したくて、機会を見失って途方に暮れていたところで梯子を外された、その絶望を上回る喜びがこれからは約束されている。




「で、君は楽しいのかい」
「もちろん。ね、この後チェイスの練習に付き合ってくれる?」
「うーん」

懐中電灯を弄り終えたクリーチャーが鼻歌を歌う。孤児院で子供達が作ったというどこか物悲しい曲だ。ナワーブの提案に、クリーチャーは振り向いてナワーブにキスをした。全てが自然だ。ここが庭園のベンチで、向こう側でトレイシーがカカシと機械人形を並べて遊んでいる日常風景の中での一幕である。流石は泥棒、虚をつくのが実にうまい。

「本当に君は、チェイスの練習で良いのかな」
「俺の泥棒さんは甘え上手だなあ」
「優しくするのが上手だからな、甘えたくもなる」

さらりと言ってのけるのは年上の余裕と見せかけて虚勢だ。ふるふると震える彼の手指を握って、するすると指の間をなぞってやる。優しくしてあげよう。そうとも。にやついたのがバレたのか、クリーチャーが出来上がったばかりの懐中電灯でこちらを照らしてくる。赤青黄色、色の氾濫で目がチカチカしてしまう。腕の中から逃げ出したクリーチャーが舌を出した。

「優しくできるかな」

うんと伸びをすると、ナワーブは肘当てを作動させた。良い運動になりそうだった。


〆.


あとがき>>
今回も駄目であったがしかし!希望せよ……つい押せ押せ傭兵で書いてしまうのですが、なんやかや泥棒の方からも手は伸ばされるはず!上手に手を伸ばせるかチャレンジをしたかったので、甘い仕上がりになりました。なんやかやちょろくて幸せになって欲しい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!