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汝、孺子と嗤う莫かれ。


 街に手妻を見せる老爺が現れたと聞いた。繰り返しでしかない日々に刺激はぴったりだから、謝必安は早速范無咎を捕まえて繰り出した。意外とお前はそういうのが好きだよな、というからかいの声は無視をしておく。本当は范無咎の方が好きなくせに、この幼馴染は時々大人ぶって見せるのだ。

八字こそ少しずれるものの、数えでは同年齢なのだから兄も弟の礼も義理もない。むしろ、大人ぶることで一層子供に見えるのではないかとも思ったのだけれども、謝必安は今の范無咎で問題ないので黙っている。

「さあさあ皆様の中には西王母様の庭に行かれた方はおられまするかな。いない?嗚呼残念な。あそこはこの世の楽園、一度観たならばもう戻りたくないと思うばかりの美しさですとも。最も私は粗相をしてしまった故、こうして地べたを這い回ってるわけですが」

辻にはわんわんと人が集まっており、朗々とした老爺の声が響いている。ごめんなさい、と言いながら大人たちの隙間を縫い、二人は子供の特権を生かしてなんとか一番前に辿り着いた。茶目っ気のある老爺はやいやい囃す観衆に一礼すると、さっと後ろに控えていた童子を前に出した。丁度謝必安たちと同じ年頃の少年である。

 桃の花が開いたような、どこか柔らかな顔立ちの子供で、将来は横に立つ老爺のようになるとは到底思えない。自分も范無咎もしわしわになるのだろうか?想像しようとして謝必安は失敗した。小うるさそうな老爺になった范無咎の口ぶりくらいしか思い描けなかったのだ。

「さあ八八児、皆様のために西王母様の庭から桃をとっておいで。くれぐれも失礼なことをするでないよ」
「あいわかりました」

澄んだ声で少年が頷くと、老爺がいつの間にか取り出した竹梯子がどんどんと天に向かって延びて行く。とうとう雲の向こうまで突き抜けてしまった頃、少年は猿のようにするすると上へと昇っていった。あの空の向こうに神仙の世界があるのか。ちらりと范無咎を観ると、行ってみたいとでも言うようにキラキラとした眼差しを天に向けている。

 そうしてどれほど時間が経ったろうか。再び少年が元のように梯子から降りてくると、背負った籠に溢れんばかりの桃をとってきていた。えもいわれぬいい香りに、観衆がうっとりとする。

「一口で一年、まるまる食べれば十年は寿命が延びまする。お代はお心次第、さあ食べてくだされ」
「一つくれ!」
「わたしにもちょうだい!五つで他の人の倍以上は出すよ!」
「なら俺はその倍だ!」

桃が配られ、人々が争うように金を渡して桃を食べる。謝必安と范無咎も、なんとか一つ手に入れて二人で割って食べた。これまで食べたどんな桃よりも甘くて深い味わいで、たしかに神仙が食べるものらしい。

「お気に召されましたかな。それではお一方にだけ、西王母様の庭をご覧いただきましょう。――では坊や。行ってみるかな」
「はい!」

老爺が指名したのはあろうことか范無咎だった。よほど熱心に見つめていたのだろう。大人たちが羨ましいとため息をつく中、范無咎はニッと笑って謝必安の肩を叩いた。

「どんなところだったのか、お前の代わりによく見てくるよ。お土産を待っててくれ」
「気をつけてくださいね」
「約束する」

力強く頷くと、范無咎は老爺に導かれるまま竹梯子をせっせと昇っていく。気が遠くなるほどに天は遠く、謝必安は本当に帰ってこれるのだろうかと気が気ではなかった。ひょっとすると好奇心旺盛な范無咎のこと、こんな世の中よりも楽しいと向こうから帰ってこないかもしれない。謝必安の知らない世界で暮らす范無咎なんて、そんなものは絶対に嫌だった。彼にはそばにいてもらわなければならない。もし違うならば、

「キャァッッ!」
「おい、なんだこれは!」

怒号と悲鳴にハッと顔を上げると、空からバラバラと血肉が降り注いできた。生暖かい血が謝必安の額に垂れる。僅かに塩気がある。頭、腕、胴体に脚、そうしたものが鞠のように天から落ちて地面で弾んだ。誰の?もちろん、范無咎だ。びっくりした顔のままで固まった范無咎の頭はまだ生きているかのようで、謝必安は思わず駆け寄った。自分が残酷な願いを祈ったことが神仙に通じてしまったのだろうか?この罰当たり。罰を受けるべきは自分のはずだと言うのに何故彼が負わねばなわなかった!

「これこれ、そう悲しむものではない」

老爺に肩を叩かれ、謝必安は初めて自分が叫び声をあげていたことに気づいた。大衆が哀れみの目をこちらに向けている。見るな、私を見るな、背負うべき罪などどこにもないと言え!

「私もかつては修行を積んだ身。今一度反魂の儀を行うとしよう。少年よ、君の朋友をこの壺に収めなさい。案ずるでない、全てを任せるのだ」

自分の考えなしを帳消しにできるのであればなんでもよかった。謝必安は一にも二にもなく頷いて、八八児が持ってきた子供ほどの大きさの壺に范無咎を収めた。人はこんなにも小さくなる。守られるべきは范無咎だ。地獄の釜のように蓋をしっかりと閉めると、老爺と少年がぶつぶつと何事か祝詞を唱える。まるで歌うような音の上がり下がりに、気づけば皆一様に押し黙っていた。

「戻りなさい、そなたの時間はまだ十二分に残されているはずだ」

ぽんぽん、と最後に老爺が壺の蓋を叩くと、ぱかりと中から蓋が開く。顔をのぞかせたのは天に昇る前と少しも変わらない范無咎で、どこか夢見心地の様子だった。飛び出して抱きつくと、一体なんなんだよと悪態をつかれるが御構い無しだ。拍手喝采の中、皆に見守られて范無咎が壺から出る。

「良かった、良かった君がいてくれて」
「何の話だ?泣くなよ、次は二人で行こうぜ。すごく綺麗だったんだ!どうやって戻ったのか覚えてないけど、何かあったのか?」
「何も」

自分の罪を隠すために謝必安は首を振った。范無咎は何も心配する必要はない。何も考えなくて良い。これから先、彼が心配すべきこともそうでないことも全部全部を自分が考えようと謝必安は決めた。

 老爺はいつの間にか消えている。後にはただ桃の香りだけが残っていた。


〆.