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滋味


 春苦く、夏は青々秋豊か、冬は沈たり。ふと頭をよぎった言葉を噛み砕き、謝必安は唇の端を持ち上げた。先日棗を齧りながら范無咎と語らった内容の総括である。范無咎というこの人生がようやく立ち上がりはじめた頃に出会った友人は、ただ目を向けるだけで気心がしれるようであり、同時に常に新鮮な風を吹かせて彩りを与えてくれる相手だった。范無咎を季節として例えるならば春にして夏だろう。時折見せる気勢は正に燃え盛る炎天とでも呼ぶべき様だ。反対に自分を例えるならば秋か冬だろう。静かで、けれども確実に世に季節を染み込ませる。だがそれも春を待っての強さであり、どこか寂しさを孕んでいた。謝必安はかつて、寂しさなど感じたことがなかった――多分、離れがたいものを知らないままだったのである。言わば、謝必安は春に出会ったのだ。

 さて先日の話だ。うっすらと霜の降りた朝を迎え、戯れに謝必安が皿に並べたのは棗に山査、杏とこの季節には見られない果物たちである。露台に腰掛けて傾けるは一献、たまには甘いものをと蓄えていた季節を出せば、棗を一つ摘んで范無咎はにっこりと笑みを浮かべた。

「干して食べることを思いついた人間はすごいな」
「おや、詩的ですね」
「からかうな、謝必安。俺は本当に感心しているんだ」

ここには春が、夏が、秋が閉じ込められている。瑞々しさとはまた異なり、じっくりと蓄えられた滋味が際立つ。確かに干したものの味は濃い、と謝必安も山査を噛み締めた。甘酸っぱさが口いっぱいに広がり爽やかな心地となる。

「干した肉も美味しいしな。この前、干した海鼠が美味かったと長官に自慢されたよ」
「あれは珍味ですからね。その……見た目は良くありませんけれど」
「気味が悪いか?謝必安にしては珍しいな」
「誰にだって好き嫌いくらいはありますよ」

しれっと言い返すと、謝必安は冬には味がしんしんと降り積もっているのだ、とそれこそ詩情を覚えた。思えば季節の恵みにはそれぞれ味わいの特徴がある。春は苦く、夏は青々とし、秋は豊かに肥えている。春には何が美味しい、ならば夏はと范無咎と数え上げてゆくのは楽しいひと時だった。出会うまでの時間の方が、出会ってからよりもよほど長いというのに既に互いのことなど知り尽くしているような気さえする。

知らないのは例えば、

「人も干したら、美味しいんでしょうか」
「……どうだろうな」

孔子の話にある通り、奨励はされていないが、ごく一部では未だ人肉食の習慣があった。高貴な方の間では赤子を不老長寿のためにと買い取るものがいるらしい。確かに赤子は生命の源と言って良いほどの神聖さと活力がある。ならば時を閉じ込めて干した体はどんな味わいだろう。あくまでも理論的な机上の空論を楽しもうとする謝必安に、范無咎は素直に思案し始めた。

 范無咎はどんな味がするだろう。生にしろ干したにしろ謝必安は未だ知らない。大概の人間は知りようもなければ知りたいとも思わない、具にもつかない考えだということは重々承知していた。散々悩む范無咎を他所に、謝必安は想像の范無咎を喰んで鬼のように笑う。人の道を一歩外れたような考えはだがしかし、思いもよらぬ言葉によって遮られた。

「俺が死んだら、お前が食べれば良い」
「え?」
「そうしたら後で教えてくれ」

自分は謝必安の肉を口にする勇気は持てないだろうから、と范無咎は少し照れ臭そうに帰結した。煙に撒くでもない真っ直ぐな言葉はずぶりと深く謝必安の中を抉る。後は諾と頷く他なかった。




 そして春が訪れ、俄かに世は温もりを抱いて歌い出す。朝靄の中を蕭蕭と降る雨さえ柔らかい。まるで范無咎が傍にいる時のようだ。雨傘を手に取り、謝必安は友と揃いで買った靴を履く。

「さて、探しに行きましょう」

范無咎が川に落ちたのは昨年の冬か、春か、夏か、もう全てが定かではない。あの語らいはつい数日前のようで先月のようでもある。彼は常に謝必安の隣に存在するのであり、今やどこにも見当たらない。門扉を開けてくん、と謝必安は外気を嗅いだ。

春は確かに苦かった。


〆.