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多分それは夢。


真昼の夢


 最近、夢をよく見るようになった。クリーチャー・ピアソンは自分が部品磨きの途中だと気付いて再開しながら、また夢を見ていたのかと淡々と理解した。最初は夜ばかりだと思っていた夢は、今では時間を問わずに訪れるようになっている。ほんのわずかな時間にふっと意識が途切れて映画を見るように過ごして舞い戻る。一人商売で良かったと思うのは、こんなのんびりとした働きぶりであっても叱り飛ばされないところだろう。孤児院を出てゴミ漁りに古物売買を経て修理屋を営むクリーチャーは、過去に手に入れたちょっとした財産を元手に気ままに過ごしていた。

一見順調のように見えるが、もちろん紆余曲折もある。小金ができた時点で小さな孤児院を作ろうと試みたものの、全て無残な結果に終わってしまった。自分は誰かを幸せにするだなんて大層なことは難しいのかもしれない、と及び腰になったのはこの時の経験によるものだろう。ならば小さな幸せを積み上げてどうにか生きられたらば良いし、途中で思いもよらぬ素敵なことがあったらば尚のこと良い。引き取ったタンスの引き出しからギリギリ交換できる当たりくじを見つけたのは幸いだった。つつましやかな生活をする分には十分である。

 だから、夢を見るのかもしれない。昼間でさえもふわりと訪れる夢はどんどんと具体さを増して来ている。あまりにも非現実的な内容でなければどちらが現実か分からなくなってしまうほどだ。荒唐無稽でワクワクして、羨ましくなるくらいに嬉しい時間を思ってクリーチャーはうっとりとした。

 夢の舞台はさる荘園である。見たことのない景色だが、地方には違いない。きっと貴族の誰がしかが屋敷を構えて代々切り盛りしてきたのだ。しかしながら荘園の主人は夢に出ることはついぞなく、登場人物は皆寄せ集められた異邦人達である。貴族社会からは縁遠いクリーチャーだってそうだ。医者や庭師、弁護士、機械技師冒険家に納棺士と聞き覚えがあるものからないものまで彼らの背景は様々である。幾人化は現実で見かけたような容姿をしているあたりが夢の夢たる所以だろう。彼らが集まった理由は、ここで開かれる奇妙なゲームに参加するためだ。聞いたことがあるぞ、と現実に足を置くクリーチャーだけは胃が痛む思いをしている。この手のゲームを貴族共はなんと言ったか――古代ローマの頃にもあったように思う――何にせよ悪趣味な代物には変わりない。多分そのうち誰かが死ぬし、あるいは全員死ぬだろう。甘い話などそう簡単に転がっているはずもなく、ゲームに勝った暁には目玉が飛び出るほど高額な賞金をもらうという約束は眉唾物だった。

夢の中の自分が何を思っているかは謎だが、命あっての物種だと現実のクリーチャーは思う。破れかぶれにでもなっていたのか?整合性が取れないことは夢の常なので、クリーチャーは楽しむためにも思考を放棄した。そう、楽しいのである。同じゲームに参加する住人達は当初こそ怪しげな人間と手を組むだなんて、と腹の探り合いをしていたらしかった(この辺りは夢らしく端折られている)が、仲良く食卓を囲んで催事をこなすほどに共同生活を享受するようになっていた。夢の中でエミリー・ダイアーやフレディ・ライリーと小競り合いするのは楽しかったし、経営しようとした現実の孤児院にいた少女であるエマ・ウッズとはギクシャクしながらもぬるい時間を過ごせた。夢の中の自分は少しままならなくて、片目が見えないことも含めて視界が狭いらしい。夢の中で自暴自棄になって振るった拳の感触は未だに手に残っている。他人を殴るだなんて無意味だ。手が痛くなるばかりでろくなものを得やしない。現実では散々殴られ倒してきた記憶から、やった方が手っ取り早いと思った時でさえうまく力を扱えなかった。道具を使えば話は別だが。

 案の定、夢の中の自分は力の使い方を心得た仲間達に取り押さえられ、鎮めるために殴られることもあるらしかった。その中で最も登場が多かったのはナワーブ・サベダー、遠い東の国から現れた傭兵である。彼は現実に存在しない人物だが、これほど具体的に整った容姿を想像するならばどこかで見かけはしたのだろう。彼の何が良いかと言えば、ただ暴行を取り押さえようという他の人間と違って、彼だけはクリーチャーのためにこんなことはやめてほしいと切に願っているあたりだろう。夢の中の自分は釈然としないようだが、現実の自分はひどく嬉しかった。もう少し喜んだっていいはずだ。何があったか不明であるものの、誰かがこのクリーチャー・ピアソンを想って行動しているのである。現実はひどく孤独だった。ただ、それでも問題はない。

このところは夢に入ると、最初に目に映るのはナワーブになっていた。心配そうな、それでいて嬉しそうな顔。家族がいたならばこんな風だろうか、とも思う。彼の前では、確かに世の中で自分はただ一人の存在なのだと感じられるから不思議だ。夢の中の自分はあまりにも不器用だから、現実の方に出てきて欲しい。そうすればもっと大事にしただろう。感謝も口にすれば、些細な家事や遊びを一緒にしようと声かけすることだってできる。

「サベダー君か」

せめて、夢の中でくらい居心地の良い暖かな住処を手に入れたい。夢の中の自分は、もっと素直になって幸せを享受すれば良いのだ。先ほどの夢の中では、ナワーブが大丈夫かと尋ねながら額に触れてきた。思い出すだけで頬が熱くなる。あの掌の感触は今でもありありと思い出せた。硬くて、がっしりとした手は、自分とはまるで異なる人生を歩んできたことを物語っていた。

 この気持ちをなんと呼ぶべきかは皆目見当もつかないが、自分にとって大切なものであることだけは確かだ。夢の中だけで会える人だなんて言えば随分とロマンチックな話で、クリーチャーは目を細めた。およそ現実には相応しくない。だから良いのだ。




 最近、夢を見ることが多くなった。神経質そうに額をなぞると、ナワーブは隣で心ここに在らずといった様子のクリーチャーをチラリと見遣る。中庭に置かれたベンチは、春の訪を告げる風が頬に当たって心地いい。芝生の青が香った。しかしながらそのどれもが置いてけぼりである。クリーチャーからは普段ちらつく胡散臭さや不安定さ、どう猛さ、その全てが取り払われていてただ虚な顔つきがぶら下がっている。催事で駆けずり回って(新年祝いとかで餃子を作り続けるものだった、素材をゲームで勝ち取るだなんて馬鹿げている)、なんとか終わらせる目処が立ったと話している最中の出来事である。ほんの一瞬、目を離した隙にどこかへ出かけてしまったクリーチャーの思考に舌打ちすると、ナワーブは心底悲しくなった。

「ピアソンさん」
「ん?どうしたんだ、サベダー君。餃子の具に、君の故郷のものを入れるアイデアは良さそうだな……同じものばかりだと飽きるだろうし。包み方にも種類があるんだったな」

パッとスイッチが入ったようにクリーチャーの目に生気が宿る。淀みなく続けられる言葉は、彼の中で空白時間がなかったことにされていることがわかった。返事をしながらもナワーブの胸の内はぐらついて冷や汗が出ている。またか。ほんの少し、1、2分ほどの出来事だが、クリーチャーの時間が止まってしまう現象が始まってもう数ヶ月になる。気づくまでにも時間がかかったろうから(そもそもクリーチャーは興味の範疇外だった)、かなり長い期間になるだろう。エミリー・ダイアーに言わせれば、荘園に来たばかりの頃は常に意識は明確だったそうだ。それがどうしてこんなことになったのか。

「ねえ、ピアソンさん。この前話してた夢ってやつ、まだ見てるの」
「君が気にするのは意外だな。……ああ、いつも多分同じ夢の続きだ」

瞬間クリーチャーの目が懐かしそうに遠くに向けられる。夢。可愛らしい響きは今や不気味な色合いを濃くしていた。空白の時間にクリーチャーが夢を見ているという情報はつい最近になってわかったことである。あまりにも空白の時間が増えて会話がブツ切れになり、何かの病気ではないかとナワーブが無理やりエミリーの元へと連れて行かなければ、今なおわからぬままだったろう。クリーチャーは夢の中で生活を営んでいて、起伏のない当たり前を穏やかな気持ちで過ごしているらしい。いつぞや落ち着くんだ、と謝りながら話してくれた。

「そこではずっと一人なんだ。生活も安定していて、何もなくて。一人で好きなことをしてさ」

穏やかな顔つきからも、クリーチャーがそれなりに夢の生活を気に入っていることがわかった。今でこそ解消されつつあるものの、クリーチャーは社会的には爪弾き者である。見た目だって胡散臭いし、到底自称する『慈善家』には見えやしない。感情表現が乏しくて、恐れや不安さえも怒りにまぶして爆発する姿が、唯一炎のように勢いよく燃え上がるばかりだ。エマ・ウッズとの掛け合いを見た際には、この人は本当に愛することが何かを知っているのだろうかとナワーブは疑い、ついで久方ぶりに哀れみの気持ちを抱いた。多分、この人には色々なものが欠けているのだろう。

 突き放すのは簡単だというのに、結局ナワーブはクリーチャーを観察するという余暇に勤しんだ。環境に慣れたのか周囲の影響からなのか、それとも『慈善家』のふりをすることを思い出したのか、クリーチャーの応答は先ほどのように円滑な人間的なものへと変貌を遂げている。暴力だって減った。ただの憐憫ならばもう安堵して手を離して良い頃合いだろう。ゾッとするような空白さえなければ。

ゲーム中でも、会話中でも、食事中でもいつでも空白は発生しうる。次第にナワーブ以外の人間も気づくようになり、やはり異様だと改めて判断された。発生頻度は高く、食事当番がクリーチャーに回れば相方を任せられた人間はいつでも神経をとがらせている。クリーチャーに面と向かって指摘を試みもした。結果は?本人がまるで意識できないものをどう伝えれば良いだろう。むしろ不安がらせるばかりではないか、と解決策を見出せない他人達は匙を投げた。今では相対する人間が留意するだけである。誰も、クリーチャーの空白を埋めようとはしない。心配はしても、どうにかしてやりたいという気持ちまでは起こりえない。過去のクリーチャーの振る舞いからすれば頷ける。ただ、ナワーブは見捨てられなかった、それだけの話だ。

夢から覚めたクリーチャーの目がどこか物思わしげであることも理由の一つかもしれない。まるでナワーブに出会えて良かったとでも言うような目をしているのだ。彼を気にかけている人物は自分一人なので、可能性は高い。率直に言えば、起きたてのクリーチャーの目が好きだった。目を覚まして、一番に出会えるのが自分であればどんなに良いかとさえ思う。多分、親鳥が雛鳥に感じる心地に近い。あとで餃子を包もうと約束すると、ナワーブはクリーチャーを館に誘って別れた。向かうのは診察室である。遠ざかるクリーチャーの背に心配の種がむくむくと育って駆け寄りたくなるのをぐっと堪えた。何をムキになっているんだ、あんな中年男に。一人でだって生きていけると豪語したのは彼自身であり、実際ここまで一人で育ってきたのだからできるだろう。

「微妙なところね」

ナワーブ以外で唯一、クリーチャーの病状を把握し続けているエミリーに報告ついでの話をすると、けぶるような瞳で医師は唸った。彼女の手元の記録では、目視される限りのクリーチャーの睡眠時間が帯状になってわかるようになっている。めくられているページを戻せば、どんどんとその時間が増え、長くなり、そもそも朝起きることでさえも少しずつ後ろにずれていることが一目瞭然だった。帯は一度も縮まらず、まるで冬に向けた影のように伸びてゆく。

「夢の、何が良いんだろうね」
「……自分が誰か、を忘れたいのかしら」
「どう言う意味?」
「可能性の話よ。私がこうして医者として周りに慕われて、何かと意見を求められることに疲れたとしましょう。医者を辞めたって、みんな医者出会った私のことを覚えてるわよね。一から出直して、みんなに見てもらいたい、感じてもらいたい自分の印象を白紙に戻すのは無理な話だわ」
「自分を知らない人の場所に行かない限り、難しいだろうね」
「そうよ」

奇妙なほどに強く頷くと、エミリーはじっとナワーブの目を見た。あなただってそうでしょう。みんな楽しい仲間達!確かに自分は置き去りにした蛸の足がある。あるいはトカゲの尻尾、今の自分には不要のものだ。いらない部分があまりにも大きかったら?自分を丸ごと捨て去れるのであれば良い手段だろう。仮説が正しければ、クリーチャーには逃げ場ができた。原因は何か不明だが、夢、である。

「クリーチャーの夢の中に、私が出るそうよ。エマやフレディも。どこかで現実は認識しているんでしょうね。ただ、このまま進んで行った時に境目はあやふやになりそうだわ。そうなったら、あの人はどちらを選ぶのかしら」
「……あんたには夢の話をするんだね」
「ほんの少しだけよ」

うっすらと笑う女性の目には優越感が潜んでいる。思えば悪趣味な女だった、とナワーブは当初彼女に抱いた印象を思い出した。他人の不幸を安全な場所から眺める目つきだ。誰だってそうだろうけれども。これ以上の進展はないと諦めて、ナワーブはふと湧いた疑問を口にした。

「ピアソンさんの夢の中に、俺はいるの?」
「さあ。聞いたことはないわね」

背筋がゾクりと震える。あんなにもキラキラした、嬉しそうな目で自分を見るくせに、肝心要の夢の中にナワーブがいないだなんて嘘だ。絶対に間違っている。悪魔の目を見れば自分の不安げな様子が見て取れて、ナワーブは唇を引き結んだ。




 今日は客が多い。常連であるノートン・キャンベルが懐中電灯(彼は夜警をしているのでクリーチャーとは色々な意味で顔なじみなのだ)を置いていった。入れ替わりに来たのは部品集めが趣味のトレイシー・レズニックで、今日は親戚の老人を連れている。気難しそうな老人は見た目通りに交渉が上手く、随分と買い叩かれて苦労した。ようやくお引き取りいただいてからそう間をおかず、写真機の具合が悪くなったと持ち込んできたのはジョゼフで、図々しいことに予約客が来るので先廻しにして欲しいと言ってのける。

「追加料金は弾むよ」
「当たり前だ」

懐中電灯を脇に置きながら、クリーチャーは不思議なほどに手に馴染む代物に小首を傾げた。ゴミ漁りをしていた頃が懐かしいのだろうか。勝手に椅子に腰掛けたジョゼフは手慣れたもので、自分の家のようにお茶を淹れた。使っている欠けた茶器一式がジョゼフの持ち込んだものでなければとうに追い払っていただろう。ため息をついて写真機の具合を確かめにかかると、背後からゆるりと声がかけられた。

「君、今がどんな状況かわかっているのかい」
「お前のおかげで忙しいよ。集中させてくれ」
「僕に背中を向けるだなんて、正気の沙汰じゃない」
「なんの話だ?」
「事実確認さ」

一瞬、世界が色を失う。音がどんどんと間延びしてぼやけ、クリーチャーは頭を振った。また夢だろうか。振り向けば、ジョゼフは涼しい顔で古本をめくっている。確か昔の日記だとかで、屑拾いが暇つぶしにでも読んだらどうかと押し付けてきたものだ。少しだけ読んだ内容を思い出して、クリーチャーはこのところ見る夢に似通った世界だったな、と奇妙な結びつきを感じた。

 今では夢の中の登場人物も非常に賑やかになっていて、現実に訪れる客たちや買い物先の人間といった街そのものを映し始めていた。現実ではあまり関わりを持たず、必要最低限のことしか話さない相手と夢の中で雄弁に語らい、反対に夢の中では寡黙な相手と現実で口を利く。例えばジョゼフは夢の中ではやけに恐ろしかった。今はまるで前時代の人形のような綺麗さで椅子に収まっている。夢と現実の差はどこにあるだろう。確かに言えることは、夢の中にしかナワーブ・サベダーはおらず、自分を個として扱っていると感じられるのもまたナワーブだけという事実である。もし、夢でなくこの現実で彼に出会ったならば、とクリーチャーは想像して首を振った。夢は夢のままで良い。例え現実で顔を合わせる羽目になっても、彼が自分を見る目はまるで違うはずだ。少なからず傷つくだろう自分を守ってやれるのは自分だけだ。よって、クリーチャーは日々判で押したように繰り返しを過ごしている。朝が来ればいつか夜で締め括られるのだ。

写真機がそろそろまともに動きそうだ、という頃になってドアベルがカランカランと鳴る。作業の手を止めてカウンターに寄ると、見覚えのないシルエットが佇んでいた。背格好からすれば若い男性といったところか。深いフードを被っているため顔がよく見えないが、もしかしたら強盗の類かもしれない。きゅ、と胃が痛くなる。金目のものはそう多くはない。背後のジョゼフに助けを求めようとするより先に、青年が距離を詰めてきた。

「見つけた」

慕わしい声が響いた。見つけた?誰が?混乱するクリーチャーを他所にフードが取り去られ、端正な顔立ちが露わになる。きらりと光るとび茶の目、悪戯げな口元にはジャキジャキとした縫い目。ああこれは夢で何度も見た。ナワーブ、ナワーブ・サベダー、まさか本当に実在するだなんて!夢よりも近い距離に、クリーチャーは少し迷って抱きついた。向こうが自分を知っているらしいならば、もしかしたら許されるだろう。じっと待っていると、ナワーブがうーん、と唸ってクリーチャーの頭を撫でた。

「ピアソンさん、俺のことわかる?」
「……ナワーブ・サベダー君、で合っているか?へ、変な話だろうが、君のことを夢でよく見るんだ、」
「夢じゃないよ」

俺はここにいるんだ、とナワーブが繰り返す。一体なんの話だろう?ともあれ、夢の中ではうまくできなかったことをする一大チャンスの到来は、最大限利用するに限る。クリーチャーはナワーブの態度が柔らかいことを良しとして、店の奥へと誘った。どういうわけだかジョゼフは忽然と姿を消している。写真機もなくなっているので、最後の仕上げは自分でできると思って持ち去っていったのか。どれほど追加料金がふんだくれるかを危ぶみながら、ナワーブにジョゼフが座っていた席を勧める。変に思われないだろうか、帰ってしまわないかそればかりが心配で、手にした茶器がカタカタと鳴った。

「良い家だね。居心地が良い」
「ありがとう。君が来ると知っていたら、もっと綺麗に片付けておけば良かった」

男の一人暮らしを体現した部屋をじろじろと見られるのは少々居心地が悪い。淹れ直した茶をナワーブに渡せば、ありがとうと笑顔が返された。夢よりも実物は一層魅力的で、変な気分になってしまう。頬が赤くなってやしないか。中年男が恥じらったところで気味が悪いだけだ、とフレディならばせせら笑うだろう。ナワーブの目がクリーチャーの方を見ている。

「今の君には関係ないかもしれないが、いつかお礼を言いたかったんだ」
「なんの話?」
「夢の話さ」

馬鹿げた話をしている、とクリーチャーは自嘲した。現実では初対面だというのに勝手に捲し立てるなど、あまりにも不躾だ。少し口をつぐんでナワーブに目でお伺いを立てると、どうぞと手で示された。

「夢のことでお礼を言うだなんて馬鹿げた話だと思うよ。聞き流してくれたって良い。ただ、どうしても夢の中ではうまく伝えられないものだから、話しておきたくて」
「うん」
「君が私のことを心配してくれて、本当に嬉しかったんだ。サベダー君がどういうつもりなのかはわからないが……君が私に話しかけてくれて、」

一緒にゲームをした。庭を散歩し、カードゲームでいかさまのやり方を教えた。肉の解体を手伝ってもらい、一緒に焼いた。怪我をした時、病気をした時は互いに看病もし、最近では飽きるほど餃子を包んだ記憶がある。山のように盛られた爆竹を鳴らしたのは痛快だった!誰かとこんな風に思い出を作るほど近かったことは本当にわずかで、おまけにナワーブを介して世界は色づいた。夢の中の自分が羨ましくなるくらい楽しい日々で、今も眠りに落ちたいと願っている。

「ありがとう、サベダー君」
「……夢の中で、うまく話せないって言ってたよね。こんなに素敵なことなら、もっと聞かせてくれても良いのに」

聞かせてよ、というナワーブの目はどこか潤んでいるようだった。驚いたことに、クリーチャーの話をすっかり聞いてくれていたらしい。

「夢で終わりにするのはもったいないよ」

続けられたのは奇妙な台詞だ。夢は夢だ、そうだろう?それとも目の前のナワーブは矢張り現実ではないのだろうか。

「どんなピアソンさんの言葉も俺は聞きたいし、会いたいよ。夢の中の俺は嫌い?」
「随分大胆なことを言うんだな。夢とは大違いだ」
「なら、向こうでも伝えるよ。約束する。ね、『ナワーブ・サベダー』のことは嫌い?」
「……まさか」

寧ろこれほど感謝の意を捧げ、喜び、今もひどく浮き足立つ心地になる相手は好きな部類に入るはずだ。首を振って伝えると、ナワーブは嬉しそうに何度もうなずいた。

「起きて、ピアソンさん。俺と話そう」
「変なやつだな。良いさ、夢を見たら君に話そう」

ふ、と意識が持ち上がる。ああこんなところで眠たくなってしまうだなんて間が悪い。されど眠りは実に甘美でクリーチャーを捕らえて離さず、そのままずるずると深みへと引き摺り込んでいった。




 夢で会えたら、という歯の浮くようなセリフがある。ナワーブは緊張した面持ちで扉の前に立つと、脳裏をかすめた言葉に苦笑した。鼻で笑って聞き流した三文小説は気づけばすぐそばに来ている。人生とは常に物語のようなものだ、そうだろう?クリーチャーの症状に耐えかねたナワーブがたどり着いたのは、この世ならざるものへの問いかけだった。ハンター側の館に出かけるなど全くもって気が違っている。ゴンゴン、と思いドアノックを打ち付ければ、そう間をおかずに扉は開いた。

「珍しい客人だな。どうやって紛れ込んだ?迷子じゃ許されないぞ」

すらりとした姿はおそるべき傘使いの白黒無常だ。今日は黒い方らしい。息を飲むも、ナワーブは頭の中で繰り返していた言葉を吐き出した。

「夢の魔女に用があるんだ。教えて欲しいことがある」

助けて欲しいことが。自分たちを追い詰める側にすがるなど本末転倒だ、とナワーブは苦笑した。ふん、と黒無常が鼻白む。じろじろ眺めまわした後、ハンターは少し退くと奥を指さした。

「行け。お待ちかねだ」
「……どうも」

ハンターには全てお見通しというわけか。肩を竦めて奥へと進む。この館はサバイバーの館の数倍は縦にも横にも広いらしい。どこか少しずつ歪んでいて、目がぐらぐらとする。意地の悪い設計だ。降っているのか登っているのか定かではない道を進むと、チラチラとそこここにハンターの影が視界をよぎる。本当に生活しているのだ――まるで生き物のふりをして。キョロキョロしていると目の前の床から信徒が起き上がり、ナワーブは反射的に身を固くした。

『殴らないわよ。お客様でしょう?おいでなさいな』

頭の中に声なき声が響き渡る。ギクシャクとしながら信徒を見れば、小さく頭を下げられた。背を向けた信徒がこちらを振り向く。どうやらついて来いということらしい。果たして自分は正しいだろうか。こんなところにまで来て、コンコンと眠るクリーチャーを放り出して大丈夫なものか。昼寝にはいささか長い眠りについたクリーチャーの顔を思い出し、ナワーブは唇を噛んだ。あんなにも穏やかな表情を自分は知らない。

天蓋付きの大きなベッドが置かれた部屋に案内されると、信徒が恭しく跪く。そういえば夢のまじょは姿が見えないものだった。たとえハンターの館に来たとて同じらしい。脳みそのシワを撫でられるような、嫌な気分が漂う。声が聞こえた。

『お友達の夢が気になるのね。寝るのが好きならばそれでも良いでしょう』
「良くない」

反射的に答えて、ナワーブは自問した。全くその通りなのだ。ナワーブ以外の誰もがクリーチャーの好きにすれば良いと放逐している。嫌いではなく好きでもない。ただそこにあるだけの人!いいや、あの人は違う。少なくとも、ナワーブにとっては。なんにせよ、確かめるには話をせねばなるまい。問いかけるべき問いを、願いを、くだらない言葉を言って、聞いて、飽きるまで。

『面白いから許してあげる。お話してらっしゃいな。まずはあなたからね、ジョゼフ』
「おい、僕を巻き込むな!」

部屋の隅から信徒がジョゼフを引っ張ってくる。どうやら聞き耳を立てていたらしい。どうするつもりかと思う間も無く、亜空間にジョゼフが消える。ついで自分の手を信徒が引いた。

「行くよ」

自分のいない夢の世界へ。意を決すると夢が体に滑り込む。なるほど甘美だ、とナワーブは目を閉じた。かくも夢と現実の境目は曖昧であったのだ。




 鮮烈な夢だった。いつになくすっきりとした頭で目を覚まし、クリーチャーはありえない存在に気づいてギョッとした。どういうわけかベッドに横たわる自分の側で、ナワーブが丸くなって眠っている。かつてはこんな無防備な姿を晒すことなどありえなかったな、とその背を撫でれば、来訪者はふるりと震えて伸びをした。猫にも似た仕草に小さく笑うと、夢と現実がカチリと嵌る。

「おはよう、ピアソンさん。良く眠れた?」
「おはよう、サベダー君」

とても素敵な夢を見た。着慣れない服を着た時のようにそわそわしてしまう。ナワーブの目と、夢の中のナワーブの目が重なればなおのこと恥ずかしい。だが、自分はずっと思っていたではないか。いつかはこの気持ちを伝えたいと。そうして夢の中の自分が先に進んでしまったことを、クリーチャーは少々後悔していた。夢が指先で解けてボロボロと崩れ落ちてゆく。あんなにいい夢だったのに、やっぱり夢は夢だ。ナワーブの手が導くように掴んできた。がっしりとした、硬い手。

「へ、変な話なんだが」
「うん」
「君に話したいことがあるんだ」

パッと太陽が輝く。ギザギザの縫い目が捩れて開いた。

「俺もだよ」

夢の話をしよう。現実のようで曖昧な、思い通りになる世界を。そのくせ大事な何かが抜け落ちていて、求め続けた別の世界だ。誰かの笑い声が聞こえた気がして振り向くも、昼を過ぎたであろう日差しが柔らかに窓から差し込むばかりである。ずいぶん寝すぎたらしい。大きくあくびをすると、つられてナワーブの唇が開く。

それきり、夢はおしまいになった。


〆.


あとがき>>
 夢と現実の境目は、見ている最中はっきりと意識されない時があるなあ、と思うと、理想と現実も同じようなものではないかと考えた結果です。本当はこうでありたかったものになり続けられたら、それが嘘であっても溺れてしまうことも大いにありうるでしょうし、普段ままならない人間であればなおさらそうなんだろうなあ、とピアソンさんを当てはめていました。どちらが本当に夢なのかは内緒です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!