飲んで忘れりゃ、嗚呼幸せ!
飲み干した夜
治療中の患者か巡礼のように白い服に身を包み、目があっても瞳がない風を装い包帯を顔に巻く。どれも石炭から出る煙で煤けてしまい、擦り切れているため、お世辞にも綺麗とは言い難い。だが、ヤーナムの街にはありふれた姿の一つだ。
シモンは、そんな市民にやつした狩人の一人である。包帯の下の眼光は鋭く、目にしたものはたちまち只ならぬ物々しさを読み取るだろう。この目は獣を見抜く目だ。人の形をした、すでに人ではない獣を見つけ出し、病原を駆除するように狩る。ある意味において、狩人とは都市の医療者でもある。臆病者と呼ばれようと、卑怯と呼ばれようともシモンはこの仕事に意義を見出していた。
「ご苦労だな、シモン。少し食べないか?」
さて今日も仕事は終わり、疲れを癒すためにも何か腹ごしらえを、と思った頃に肩を叩かれた。振り向けば狩人の頂点に座すあのルドウィークである。シモンの少し前に狩人として人々の前に立ったルドウィークは、今や押しも押されもせぬ英雄だった。やつしの身の上としてはあまり目立ちたくはない。周囲を見渡し、シモンは肩をすくめてみせた。
「英雄様がやつしと席を並べて良いものか疑問だな。金の豚亭はどうだ」
「英雄とて人だ。それに、誰もが食べる権利を持つ。私も、君もだ。異論はないとも。あそこのローストダックは最高だ」
育ちの良さが滲み出た発言に、流石のシモンも苦笑しか出ない。ルドウィークは良い意味で楽観的で、高潔で、悪い意味では物を知らない幼稚さがある。時に苛立たせるものの、シモンはルドウィークの前だけを見る様が嫌いではなかった。店に入れば、二人のことをよく知る店主が仏頂面のまま二階を示す。シモンはともかくとしてルドウィークは目立つ。店を騒がしくしたくないという配慮に従い、二人は店の二階に上がった。席についてそう間がないうちにドンドンと乱暴な足音がして巨漢が姿を現わす。両手に抱えたビールジョッキをどんとテーブルの上に置くのはこの店の主人の息子であり、金の豚とも呼ばれるアレシュだ。金の巻き毛と丸々とした腹が見事で、それでいて繊細な手つきは運んで来たビールを少しも溢さずに運びおおせていた。
「ビールはとりあえず8杯分置いておくよ。マリネは父さんから。ルドウィークさんはローストダック、シモンさんはカツレツでいいかな?今日はキノコもたくさん仕入れたばかりだよ」
「ありがとう、アレシュ。それではキノコのソテーもいただこう」
「うけたまわりました!」
年齢の割には子供っぽい仕草で頭を下げると、アレシュが去っていく。シモンにはアレシュが穴のあくほどルドウィークを見つめていたのがわかっていた。英雄を前にしては金の豚も子豚になるしかない。当のルドウィークは慣れたもので、行儀よくナプキンを膝に置くなどしていた。こうしたささやかな仕草に育ちの違いを感じてしまうのは、シモンがあまりにも雑だからだろう。誰もいないのを良いことに頭巾も包帯も取ると、一挙に視界が開けた。
「毎度思うのだが、君は疲れないか?昼はともかく、日が落ちてくれば見るものも見えにくいだろう」
「慣れたから平気さ。仕事に支障はない。今じゃ昼のお天道様を直接見る方が目に痛くてね……憐れまないでくれよ。あんたと俺は仕事が違うし、俺は俺でこの仕事に満足してるんだ、お互い様さ」
「そうでなければ余計に辛いだろう」
心底痛ましそうに宣うルドウィークはどこまでもお人好しだ。異邦の巡礼に騙され、多額の金品を巻き上げられたという噂は本当かもしれない。
「たまには君の狩を間近で見てみたいものだな。弓剣の話を聞いたぞ。私も少し考えるところがある……できれば、君の戦い方を参考にしたい」
あくまでも、ただ真っ直ぐな善意にシモンは目を覆った。あまりにも眩しい善性、これが英雄というものだろうか。街中で獣ばかりを見出すシモンは瞳を抉り出したいほどに耐え難さを覚えた。この光は瞼を閉じたところで遮ることはできない。
「機会があればな。言っておくが、目立たないでくれよ。目立ったら終わりだ」
「約束するとも」
ローストダックの香りが階下から漂い始める。一階ではジョッキが打ち鳴らされ、歌が音に乗る。そこにルドウィークが混じれば大盛況間違いなしだ。シモンはまだ泡の残るジョッキをどんと掴んで中空に掲げた。つられるようにルドウィークも自分のジョッキを掴んで掲げる。
「良い狩と、狩人たちの無事を祈って」
「住民たちの無事もな」
お堅いルドウィークのセリフに笑うと、シモンはガチャンと乱暴にジョッキを当てて中身を飲み干した。なんという生きた心地、生の実感よ!目も、瞳も、人も、獣も最早どうだって良いとこの瞬間は思えた。生きている。
運ばれて来たローストダックを前にしたルドウィークの瞳は、まるで獣のようにギラギラしていた。
〆.