人生には時に『す』が入るもの。
卵のあぶく
スープの味が染み込んだ卵料理、との説明を聞いてクリーチャー・ピアソンの頭に真っ先に浮かんだのはロワイヤルスープだった。いつぞや旧友のエミリー・ダイアーが限定特別ディナーコースが食べたいのにエスコートをしてくれる男性が休んだとかで(本当に存在したのか甚だ疑問だ)、無理矢理連行された高級フレンチレストランの一品である。あの晩餐は凄まじかった!店の内装や客層、給仕たちの様子ともちろん料理、全てがあまりにもこれまで生きてきた世界とは異なるので、無様な真似をせずに取り繕うことで精一杯だったし、覚えているのは比較的わかりやすかったロワイヤルスープくらいである。
ロワイヤルスープです、と出された一品はインゲンやセロリがみじん切りされたコンソメスープに、なめらかな舌触りの甘くないプリンがコロコロとさいの目に切られて浮いていた。上品なものは量が少ないとせせら笑って口に含んだ瞬間、ほんの少しのものだというのに鮮烈な美味しさを感じて思わず目を輝かせたことは特筆すべきである。さてもつくづくあの頃、虚栄に身を染めてなんとか夢を味わい尽くして生き続けようとした頃は様々な贅沢品に囲まれていたものだ。今は、まるで全てが夢だったかのようにぼんやりとしてしまっている。
「スープに角切りにした甘くないプリンを入れる、っていう理解でいいのか?」
「近い。でも、なんだか違う気がする」
明確にわかっていないくせに、違うことだけはわかるらしい本日の依頼人ーーナワーブ・サベダーは眉を八の字にして悩んで見せた。クリーチャーが料理当番の際、その前日一番の成績を上げたサバイバーが献立をリクエストできるという仕組みはいつできたのか、もう随分前になる。何度も繰り返しをし続けると、いくら荘園の主人がせっせと合間に謎の催事を起こそうとも人は倦み疲れるというもので、このままではいけないと奮起させるべく考えた一手だったことだけは確かだ。食事は簡単でわかりやすい。とは言え作り手がクリーチャーでは如何なものかと本人も疑問だったが、太鼓判を押したエミリーのお陰か現在非常に良い結果を生んでいた。
故郷の味や耳にしただけの珍味、素朴な甘味や単純明快に大量の肉を所望するなど、依頼人に応じて内容は様々である。これまで、限られた食材をどうにかやりくりして、ただ空腹を満たせさえすればいいという発想で作り続けてきたクリーチャーにとって、世界中をめぐるかのような料理の広がりには目をみはる思いだった。一度欲望に火がついてしまうと、なかなか消えないという最適な例の一つだろう。そして、些細な遊戯に慣れ親しんでくると捻ったものが所望されるようにもなる。
「ちゃわんむし、っていうらしいんだけど」
「チャワ、ンムシ?聞いたことがない音だな。君の故郷のものか」
「違うよ。駐屯先の日本料理屋で出たんだ。確か風邪をひいててさ」
傭兵時代、アジアのどこかで血で血を洗うような生活を繰り広げていたナワーブは、その日本料理屋が出した滋味溢れる逸品に救われ無事快癒できたということである。東洋には西洋医術では説明のできない、異なる施術方があるらしいとは聞いていたため、クリーチャーは当初は薬餌の類かと思ったのだが当ては外れた。どちらかと言えば立ち位置はチキンスープのようなもので、活力を与えてくれる優しい味だそうである。ロワイヤルスープも似たようなものだが、どうやら卵とスープの配分に差があるらしかった。チャワンムシはプリンのようなものをスープ皿(ちょうどマグカップ程度だという)一杯に埋めており、スプーンを入れて初めて液体が滲み出るそうだ。謎は深まるばかりだが、思い出をたどるナワーブの表情を見るうちに、クリーチャーもぜひ一口食べてみたいと引き込まれたのもまた確かである。
「日本か……なあ、来週作ることにしても良いか?どうせなら試作する回数は少ない方がいい」
「作ってくれるの!」
「約束は約束だ。それに、当てもあるんだ」
ウキウキとし始めたナワーブの肩をポンポンと叩くと、クリーチャーはさてと首をひねった。『当て』はどれほど取引に応じてくれるものやら。
「茶碗蒸しとはまた、懐い言葉を耳にしましたわ。はあ、あの傭兵の坊がねえ」
珍しい人物からの手紙を受け取った美智子は、思いもよらぬ文面が綴られていることに対し、優雅に首を傾げて見せた。ハンターに手紙を送ってくるサバイバーは珍しい。いつぞやカヴィン・アユソが恋文を送ってきたが、きっぱりとした断りの返事を書いて以来ピタリと止まっていた。それがなんの縁もゆかりもないクリーチャーから来たとなれば狐につままれたような心地である。要望はいたって単純で、料理レシピの交換である。しかも美智子がうんと言わぬうちに、ウェルシュケーキのレシピが添えられていた。美味しそうな代物で、教えるくらいは造作もない。茶碗蒸し。依頼されたレシピの名前を転がして、美智子は記憶の扉を開いた。
「……ほんに、懐かしいわあ」
茶碗蒸しのことはよく覚えている。遠い母国にいた頃、母がハレの日に作ってくれたものだ。それは芸の道に入ってからは得られなくなった味であり、旦那衆が様々な珍味の相伴をさせてくれても尚食べたいと願うものだった。あの人々は今頃どうしているだろうか。影すら思い出せないような日々を振り返って、美智子は過去を文字に認めた。必要なものは卵に、鶏肉に、椎茸、かまぼこ、銀杏、みつば、嗚呼友人の家では白い餅が入っていたような気もする。
それに何と言ってもだしだ。チキンスープやコンソメ、果ては金華ハムスープなども出る荘園において、未だ巡り合わない代物である。ならばもちろん自分が作れば良いのだが、クリーチャーに上手く作れるものかどうにも自信がない。なにせ、食べたことのないものを再現するというのは非常に難しいのだ。物事は概ねそうだが、到達点がどれほど具体的に想像されるかによって結果はまるで違う。ならば実際に口にしてみれば良いのだ。
「ほな、そうしまひょ」
自分とて、想像だけの菓子は絵に描いた餅に過ぎない。どうせ交換するのであれば互いに確実なものが得られた方が良いだろう。荘園の主人に必要な素材を頼むべく仕入れ票を書くと、美智子はゲームの日程表を見に出かけた。幸い、ちょうど明後日には出会えそうである。我ながらいい思いつきだと満足げに頷くと、美智子は早速刹那の練習をするべく道場に篭った。
『当て』は外れたかもしれない。無謀な思いつきで、万に一つでもうまくいけばと願った手紙が返ってこなかったことに、クリーチャーは密かに落胆していた。ナワーブの顔を見る度に罪悪感が込み上げてくる。幻の珍獣ハギスを相手にするよりも、東の国の果てまで出かける方がよほど難しい。日々は過ぎ去るうちに希望が失われて当日を迎えてしまうことをクリーチャーは心の底から恐れていた。
そんな中での本日のゲームは聖心病院、相手はーーパトリシア・ドーヴァルが殴られた瞬間の様子からして『当て』こと美智子だった。いっそのこと捨て鉢になって彼女に頼み込むことも考えたが、今はゲームの最中なのである。もし向こうに意思が通じなかったならば仲間たちに最悪の時間を招くことになりかねない。第一、いくらナワーブを喜ばせたいからとは言え(我ながらどうかしているが実際思っているのは事実だ)ハンターに取引をもちかけるなど愚かだ。彼らと交流らしきものを保てると一瞬でも思った自分が馬鹿だった。
舌打ちしながら捕まったパトリシアを助け、懐中電灯で撹乱する。間の悪い事に、パトリシアが逃げた先ではカート・フランクが解読をしていた。ただでさえ厳しい解読判定を乗り越えなければならないカートが一層の苦行を強いられ感電する。あれは誰だって辛いものだ。以前お互いの解読状況を理解しよう!というナイチンゲールの優しい手ほどきを受けたクリーチャーは、冒険家の心情を思いやってため息をついた。事態は悪化の一途をたどる。今日の美智子は刹那の使い方が一皮剥けたような苛烈さだった。一人、二人、三人、ギリギリの立ち回りの中で強制的に館に帰されていく。地下ハッチが開いたことは感知していたが、生憎場所がわからないままだ。信号さえもうまく出し合えなかったことは痛恨の極みだろう。脂汗を流しながらかけずり回るクリーチャーの耳元でヒュオオ、と風の唸りのような音がし、ついで手ひどく殴られた。
子供を攫う商売の人間がいる。どこからかいらない子供を買い取って売るよりも元手がかからなくて丁度いいと、攫っては売り、売り物にならなければ放逐するようなことを生業にするのだ。女性もそうして攫われるなどする。弱い、と思われることはどうしても危険と隣り合わせだ。だから自分は強くあろうとしたし、張りぼてでもなんでも着込んで見せかけることも選んだ。パンパンに膨れ上がった風船は、ほんの少し足取りを間違えただけで割れてしまったのだけれども。少なくとも今の自分は幼い頃とは異なる。
だが、現実はどうだ?機械人形に治療されながら見渡す景色はサバイバー達の館ではなく、なんとハンター達の館である。そう!ゲームに負けた上にクリーチャーは誘拐されたのだ。今まで誰一人としてこんな目にあったことはないに違いない。どうやったら戻れるだろうと思案していると、扉が開いて小さな影がぴょこぴょこ飛んできた。
「わーいクリーチャー!来てくれたんだね!」
「ロビー?」
「ウェルシュケーキ作ってくれるんでしょう?僕、ミンスパイも食べたいなあ。クリーチャーが作ってくれたの、とっても美味しかったの僕、覚えてるんだ」
クフクフ、と笑う少年は頭がなかった。正確には被せられた奇妙なずた袋が口のように開閉し、揺れる。中がどうなっているかなど想像したらば恐ろしくて背筋が震え上がるが、クリーチャーは必死に記憶をかき集めて過去の思い出で打ち消した。彼こそはロビー、連れてこられた子供で、共に過ごしたこともある少年である。治療が終わった頃合いで治療台から降りると、クリーチャーはロビーが差し出す手を握った。もはや自分は虜だ、安全な場所へと出られる方法が見つかるまでは大人しく状況を把握していくべきだろう。
「美智子が教えてくれてから、僕ずっと待ってたんだよ!ねえ、これからも来てくれる?僕、連れてきても良いよね」
「……あー、こういう乱暴なやり方じゃなければな。考えておくよ」
自分がした仕打ちを思い起こしながら、クリーチャーは子供というもののねじくれた純粋さを哀れにも恐ろしいとも感じた。手のひらを滑る冷たく、しっとりとした手は死の香りがする。ペタペタと石の床を叩く足音までもが生気がない。微かに残った幼児性にクリーチャーが優しさを絞り出した瞬間、冷え冷えとした声が隣から漏らされた。
「クリーチャーがもっと小さかったら頭の中に隠せるのになあ。荘園の主人に頼んだら、ちっちゃくしてくれるかな?」
「いやあ、それはどうだろうなあ」
乾いた笑い声を立てた頃にようやっと目標の場所に連れ出されたらしい。クリーチャーの眼前に広がったのは、サバイバーの館よりもだいぶ大きな台所だった。考えてみれば、ハンターは総じてサバイバーより大きいのだから、家具や設備がクリーチャーよりも大きいことは容易に想像される。山と積まれた食材に圧倒されていると、本を片手に椅子に座っていた人物がゆっくりと立ち上がった。
「よういらっしゃったわ、クリーチャーはん。茶碗蒸し、教えてあげますえ。ウェルシュケーキ、教えてくれはるんやろ」
「ああ」
なるほどそういうことか、とようやく全てが腑に落ちた。嗅ぎなれない、だがとてもいい匂いがする。よろしくお願いします、と頭を下げたクリーチャーに、美智子は薄く微笑んでエプロンを手渡した。
「ピアソンさん、ピアソンさん、どうして俺を置いて行ったんだ」
「まだどういう状況かわかっていない内に決めつけるのは早計よ、ナワーブ。荘園の主人にも問い合わせているから、明日の朝もう一度隅々まで探し回りましょう」
「ピアソンさぁぁぁん!」
サバイバーの館に慟哭が響く。マーサ・べハムフィールは小一時間ほど苦労している案件を再度慰めた。ゲーム終了後、いつまで経ってもクリーチャーが帰ってこない事に気づいたナワーブの様子は尋常ではなかった。口には出さないが、彼はそれほどまでに慕っていたのだろう。マーサも何度やきもきしたかもしれない。散々あたりを探し回ったが、クリーチャーは影も形も見当たらない。もしかしたら、いつぞやあったように地下道でさまよっている可能性もある。幸いそちらはノートン・キャンベルが心当たりがあるのだと話して探しに出かけてくれていた。暗い坑道を歩き慣れたノートンならば安心して任せられる。
「こうしているうちにどこかで寒さに震えているかもしれない」
「今はまだ暖かいわ。二ヶ月先なら考えものね」
この手の不安には適当に流してやるということも肝要である。自分がその役割を引き受けたのはだいぶお人好しだったろうかと思いながらマーサは代替案を却下した。イライ・クラークは発言に重みが出てしまうので未来予想関連は不向き、ウィリアム・エリスは有り体に言って嘘をつかない。マーサ以外の女性陣は奇妙な愁嘆場に興味がなく、いたって現実的に結果を待とうという姿勢のようだった。カヴィンとホセ・バーデンは男相手に一々心配していられるかと吐き捨てたし、旧知のフレディ・ライリーやカート、セルヴェ・ル・ロイはクリーチャーならば悠々と戻ってくるだろうと楽観的である。イソップ・カールとモウロはさして状況を把握していないらしく、二人でお花畑のお葬式ごっこを庭で繰り広げていた。
「腹が減って動けなくなってたらどうするんだ」
「んー、ピアソンさんは痩せ気味だけれども、四、五日は保つでしょ」
ふと気配を感じてマーサは戸口を見遣った。いい匂いもする。エントランスホールで待っていてよかったと、心の底から喜んでマーサは片手を上げて見せた。悲痛に苦しむ青年は目下悲しみに夢中で目もくれない。
「コインが落ちてると思って崖から落ちてるかも」
「そんなに軽い男のつもりはなかったんだがな」
「マーサ、知らないのか?先週コインを置いておいたらあの人は……え?」
「遅くなった。ただいま」
ピクニックバスケットを両手に抱えたクリーチャーがニヤリと笑う。五体満足で申し分なし。ナワーブが飛びかかるのを華麗に妨害すると、マーサはクリーチャーを手伝った。渡されたバスケットはズシリと重く、抱えればカチャカチャと器がぶつかり合うような音がする。長らく軍人生活で培った勘から、マーサはこの中にいい土産の気配を察知して唇の端をつり上げた。
「それで、どんな冒険だったのかしら」
「ちょっとした花嫁修行もどきだな」
「まあ」
「いやあ、噂には聞いていたが大変なんだな……君も修行に出されたら、どうか頑張ってくれ。ナワーブ」
「なに、何か手伝わせてよ、ピアソンさん」
「茶碗蒸し、作ってきたぞ」
パッとナワーブの表情が明るくなる。沈んだり飛び上がったり、全く忙しい男だ。それでもクリーチャーもまた嬉しそうな顔をしているのだから、きっと良いことなのだろう。黙っている間に通っているものは確かだというのに、容易に固まらない関係をマーサはつくづく不思議に思っていた。
食堂のテーブルで、満月のような色味の料理が並べられてゆく。茶碗蒸し、それは滋味溢れる慈しみの味だった。
〆.
あとがき>>
野武士さんから、茶碗蒸しのお話を聞いて、思い出もろともいいなあと考えながらもなんだか時間がかかっていました。本に入れられたらなあと思っていたのにうまく収まらなかったので出張ピアソンさん料理修行編の形としています。ハンターの館に、こんな形で遊びに行くのもまた面白いかもしれません。ハンターとサバイバーのわちゃわちゃも好きだなあと改めて実感しました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!