贋作者
他人に化粧を施すということは、その人の顔の特徴を、良さを、悪さを的確に判断し、最も求められた形にするという意味である。美しいことが全ての解ではない。イソップ・カールは積み重ねた経験と天賦の才でもって数多の顔を作り上げてきた。時には腐乱してしまって、元の形が写真や他人の記憶にしかないものさえもあるべき姿に作り上げたことさえある。記憶の通りだ、と葬儀に参加する生きた人間たちは喜んだのだが、事実と一致するかは不明だし、事実など死体にはどうだっていいのである。第一、どうせ埋めてしまうのだ。最大の敬意で彼らを最良の状態へと祀り上げる、それがイソップの仕事と言えよう。
さて、今現在イソップは不思議なほどに死者のいない場所で過ごしていた。毎日血が出るほどに殴られ、傷つけられ、ボロボロになる人が出る。ロケットに縛り付けられて地下や天空遥か高くに打ち上げられる人もいる。外の世界ではいつ死んでいても不思議ではない。イソップが誘い込まれた荘園は奇妙な楽園だった。あまりにもおぞましい。この死んだり生き延びたりはゲームなのだという。平気な顔で今日も人々は参加し、懲りずに痛い目に遭う。
「どうしたの、イソップ。私の顔に何か付いているかしら」
「いいえ」
ウィラ・ナイエルの烟るような目にぶつかり、イソップは慌てて道具の手入れに戻った。次のゲームに向けて待機している間、道具の手入れがてらに盗み見ていたのがバレたらしい。とは言え、造形に魅せられていたわけではなく、次のゲームの最中に作り上げるために観察をしただけだ。一般的にウィラは美人の部類に入る。横に並んだカヴィン・アユソが仕切りと声をかけるのも無関係ではあるまい。
ウィラは優雅な手つきで香水瓶を確認すると、それをふわりとこちらに向けてきたので慌てて避ける。彼女の香水は不思議なことに忘れ去る効能があるので、折角覚えた形を忘れてしまいかねない。ふふ、と笑うウィラはまさしく霧中の人だった。良い香りがする。全ての道具を鞄に収めながら、イソップは見たことのない少女の部屋を頭に浮かべた。大人を真似たドレッサーにはレース編みの手袋がくたりと垂れ下がり、引き出しは花束とハーブでいっぱいだ。それらをすりつぶしたり、オイルを抽出したりと忙しい少女はウィラだろう。いや、もう一人いる。
この不思議な匂いがウィラから漂っているのは間違いなかった。カヴィンは匂いとは無関係で、鼻歌を歌っているトレイシー・レズニックは機械油の匂いがするくらいである。ウィラは忘却させるだけでなく何かを思い出させる匂いでも作ったのか、とイソップはウィラと少女を重ねた。少女たちはどちらもウィラにそっくりで、それでいてどこか違う。顔を作るならどう区別をつけよう。泣きぼくろの位置か、伏せられたまつげの長さか、凹んだえくぼの深さか、些細ながらも出来上がりは大きく異なる。
「……ウィラさん、あなたは兄弟がいましたか?」
「突然ね。いる、いいえ、『いた』だわ。やだ、あなたがお葬式を手伝ってくれたんじゃないでしょう?もしそうだったら、また私が忘れたのね」
「安心してください。僕はご家族のことは知りませんよ。失礼なことを聞いてすみません」
「そうなの」
瞬間、イソップは彼女に言いようのない不安がよぎったのを見て取った。間違いなく死んでしまった、おそらくはウィラの姉妹は彼女に影を落としている。この荘園にいる人間たちにありがちだが、後ろ暗い事情でもあるのかもしれない。だが、ウィラの場合は奇妙に曖昧だった。死んだことを忘れた、あるいはなかったことにしたがっている。思い込もうとして失敗しているのは、自分自身に忘却の香水を吹き付けていることからも明らかだ。罪から逃れようとしているのではない。彼女は堂々とした悪人になれるとイソップは長年の経験(観相学というものがあることをイライ・クラークに聞いた)から判断していた。
ならばなんだ、とますますウィラに被っていく少女の顔を頭の中だけで見る。君の死は不都合だったとでも言うのか?
ゲームは全く惨憺たる有様だった。解読の早いトレイシーが真っ先に狙われ、カヴィンが救い出しだものの攻撃を受けてへたり込んでいる。久方ぶりに出会うジョーカーは唸りを上げて軍需工場を行ったり来たりしており、音が響くたびにイソップは心臓がドキドキと高鳴った。幸い、自分は見つかっていない。あるいは見つかりかけたが、後回しでいいと判断されたのだろう。痛みに強いナワーブ・サベダーほどではないが、イソップもまま面倒な手合いとして最後にとっておかれることも多い。
解読をする視界の向こうで、カヴィンが縛り付けられたのが目に入る。トレイシーは無事に抜け出して解読に勤しんでいるようだが、到底救助には行けまい。ウィラはどこにいるだろう、と思っているとふわりと香水の匂いが漂った。そっと草むらにしゃがんで匂いの元をたどると、人影がカヴィンの様子を伺っている。ウィラだった。
ちらとこちらを向いた彼女を確認したので十分だろう。戻ると跨いで逃げられるものの多い場所に向かう。まだ時間がある。落ち着いて呼吸をして、鞄を開けば魔法のように棺が飛び出した。ウィラが打たれる。すぐさまカヴィンが抜け出し、ウィラは全てを忘れ去った。とはいえ油断はできない。早く作り上げなくては。
今日の服装、髪型、化粧、その全ては目に焼き付いている。刷毛を動かしながら、イソップは目の前の幻影を振り払うのに精一杯だった。彼女はこんな顔をしていたろうか。特徴は全て押さえたはずだ。あとひと刷毛で出来上がるというのに、どうにも自信が持てない。ウィラがまた打たれた。今回は香水が間に合わなかったらしい。つまり、次はもうないということだ。作り上げねば。かつてない事象にイソップの額から汗がにじみ出た。
「きっとこれがあなたなんだね、『ウィラ・ナイエル』」
選び取った幻影を貼り付けて、イソップは仕事を終えた。この場を離れて近くの暗号機を解読せねばならない。時間勝負なのだ。ウィラが打たれた。カヴィンはトレイシーと合流したらしい。あとは、淡々とこの状況を耐え忍ぶ、それだけだ。
「ありがとう、イソップ。さっきは助かったわ」
「どういたしまして」
トレイシーは捕まってしまったものの、結局三人が抜け出せた。今日のゲームは上出来と言えよう。ウィラが満身創痍の状態ながらも礼を述べてくる。彼女は本当に本物だろうか?胸の奥がひやりとする。自分はとんでもない間違いをしでかしたかもしれない。
「次もまたよろしくお願いするわね」
ウィラの甘い声が響く。イソップはどうしても、その顔を正視できなかった。
〆.