Farewell,
お別れにはうってつけの日
長の別れとなりますが、次に再び出会ったならば、二度と離れることはないでしょう。医療教会の象徴と言える白い衣をたなびかせ、ドゥシャンは項垂れる市民に決まり文句を聞かせた。闘病の果てに根負けしてしまった患者の遺体を目の当たりにする瞬間は何よりも辛い。救いを信じて支え続けてきた家族は更に辛い思いをしているだろう。まだ自分は神に及ばないのだ。この、医療教会というものは。
失敗は目標の設定か、方策に問題がある。助かる見込みは本当はないのかもしれない。このところ立て続けに運び込まれる獣の病の罹患者を思い出し、ドゥシャンはぞっとした。実験棟で何人もの人々が努力をしているあれは、本当に意味があるのだろうか。
項垂れて涙を流し、鼻をすする家族から遺体に目を移す。痩せるというよりも引きしぼられて皺だらけになった皮膚、乾いたそれにごわごわとした毛が生えている。口は耳元までパックリと裂けて歪み、表情は怨嗟に満ちていた。到底穏やかとは言えない末路である。最後の理性を失う時の嘆願に従い、ドゥシャンは患者の人間性を守るために手を貸した。家族は、何も知らない。この病の本当に恐ろしい末路は知られずに済んだのだ。
葬儀屋がそろそろ、と家族に話しかけ、遺体は現世と切り離されたものとして取り扱われる。重厚な造りの棺はヤーナムの名物であり、近隣の地方から注文に訪れるものと聞く。何故それが重厚であるかを知れば、喜んで買う人間は減るだろう。
「悲しい出会いはもうたくさん」
棺ががっちりとその蓋を止め、鎖を幾重にも巻くのは中から逃げられないようにするためなのだ。人として納めたものが人ではないものとして抜け出てしまったならば困る。死んだように見えたとしても恐れは消えない。警戒を怠って死人が出てからでは遅いのだ。
市民は無力で、狩人のように割り切ることなどできない。家族が、友人が、恋人が変貌したからとて殺せる人間がいるだろうか?人間だからこそできないのだ、とドゥシャンは信じている。
「またしんみりしているのか、ドゥシャン。血液検査が滞ってると助手が愚痴をこぼしていたよ」
「丁度、君のことを思っていたのですよ」
「私を?面白いことを言う」
家族たちを見送った後のがらんとした病室でぼうっとしていると、戸口に見知った顔がふてくされたような顔つきで立っていた。彼こそはゲールマン、最初の狩人と呼ばれる人間である。かつてはドゥシャンやローレンスと共に机を並べて学んでいたものだが、今ではすっかり武闘派のような佇まいをしている。ただ、静かな湖のような瞳だけはかつての学徒らしい知性の片鱗を残していた。
「君がどうやって狩をするのかと思いまして。君たちの存在は必要ですし、尊敬はします。ですが私にはその精神が信じられない」
「人間だったのを知っている癖に狩ることは殺人狂と同じだと言いたいのかい?それはあんまりじゃあないか」
「知っているのに狩る辛さに耐えることが信じられないと言っているんです」
「は、君は甘いなドゥシャン。デュラ坊やのようだ。違う、違うぞドゥシャン!人だからさ、人だと知っているから狩らねばならんのだ」
その人間性を守るために、獣性から解き放つためには狩が必要なのだとゲールマンは言う。静かな語り口は夕日の沈む穏やかな海のようにひたひたとこちらにその思いを伝えさせた。なんという精神力だろう、とドゥシャンは感嘆した。やはり自分にはできそうもない。自分に葬送する資格はないと改めて感じ入った。
「ならば君は、私も丁寧に狩ってくれるのですね。君が見送ってくれると、信じても良いですか?」
「……その時は、このゲールマンの狩を知るだろう。君の、私の残り少ない同窓生の頼みだ。聞かない理屈はないと思わんかね」
「頼もしい限りだ」
「いつになる」
聡い友人は単刀直入に尋ねてきた。こんな風に議論を交わす時間が好きだったな、とドゥシャンは過去を振り返る。あの頃は余計なことを考えずに済んでいた、あの時に手にした興奮が今さら恐ろしい報復を遂げるとは思いもよらなかった。ローレンスのことを思い出すと今でも頭が痛くなる。
「早くて一ヶ月ですね」
窓辺に立つと、少し歪んだ窓ガラスに自分の目が映り、ドゥシャンは手で顔を覆った。自分の今の瞳のなんと蕩けた様よ!これが禁忌に触れた、神に近づこうとした求道者の末路か?
「わかった。時間を取っておこう。ーードゥシャン」
「ええ」
「君、死を受け入れたまえよ」
「そうあろうと努めます」
一ヶ月後、自分は理性を保つだろうか。人間性を残したまま、人間として去ることができるのか、あるいは獣性のために棺から出て彷徨うだろうか。その道には玄人が必要だ。
どうかその時は良い天気であってほしいと、ドゥシャンは窓の外に広がる赤黒い空を眺めた。
〆.