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風に乗って流れてく


 季節の変わり目、温度の上がり下がりに湿気の上がり下がり、目に見える景色までもがどちらに転んだものか迷って彷徨うような頃になると、人間は体調を崩しやすくなるのだという。人間の体もまた、季節をどう判断して良いものか定まらぬままに流されていくらしい。たぶんにそれは疲労も伴うものであって、ややもすると病を得やすくなる。まあ、長々と話したものだが単純に言えば風邪を引く。だが、ひとでなしでさえも同じ要領を得ているとは思いもよらなかったのだった。黒無常は昨晩から引きずり、ひどくなりつつある現状をひしひしと感じながら朝の階段を降りていた。本来ならば、こんな日は寝て過ごすに限る。果たせるかな、今日はゲームの担当が振り分けられていたのだった。だるい体を引きずって食堂にたどり着くと、朝の一杯を楽しんでいたらしいリッパーが見るも不機嫌な様子でこちらを一瞥してきた。

「ずいぶん今日は調子が悪そうですね。一晩中ガラガラ煩かったのは何をやらかしていたんです?おかげで私まで寝不足ですよ」
「ぜぎがびどがっだんだ」

明らかに普段の声よりも狂った調子の音に、出した当人が一番驚いた。自分はこんな声をしていたろうか?見た目がひとでなしになろうとも、声はまだ人であるつもりだったので、黒無常はにわかに現実を認識できずにいた。目をパチクリと瞬かせていると、リッパーがヘアア、と呆れ返ったような声を出す。

「あなた、風邪を引いているんですか。まさかハンターでもかかるだなんてね。くれぐれも伝染させないでくださいよ?透明になっても咳でばれたら本末転倒です」

お前の場合はそのため息のようなものでバレバレではないのか、と言い返したかったが、結局黒無常は口を閉じるに至った。開いて初めてわかったことに、ひどく喉がイガイガとして苛立って仕方がない。声を出せば咳で大いに噎せこみそうで、やる気は完全に霧散していた。常日頃懐に入れてあるメモ帳を取り出すと(白無常とのやり取りに大いに役立つのだ)、黒無常はサラサラとペンで書き入れ、一枚破ってリッパーに手渡した。ついでに手元の方にも同じような内容を書いて懐にしまっておく。

「なるほど、その様子ではあなたもやりにくそうですからね。承知しました、どうか早めに治してください」

治療法がわかればな、と黒無常は皮肉な笑みを作った。ハンターがかかるような病気に誰が対処できよう?人間とは体の構造からして異なるのだ。だがまあ、まずは休めと言うではないか。幸いにして黒無常は他のハンターとは異なり、表に出ない方法がある。見ることのない相方に申し訳なさを覚えながらも、黒無常はひらりと諸行無常を行なった。




 黒無常が風邪を引いた。ハンターとしてあるまじき出来事故に信じがたいが、どうやら本当であるらしい。懐に眠る書付と合わせてリッパーの説明を受けると、白無常はわなわなと身を震わせた。友よ!会うことのできない親友がどれほど辛い目に遭っているか、想像するだに恐ろしい。休むだけで治るものかも怪しい話で、白無常が下した結論は実に簡潔なものだった。

「リッパー。今日の私のゲームを代わってくれますか」
「あー、私は」
「重ねてお願いいたします」

生前周囲に散々言われた話だが、白無常が丁重にお願いすればするほど圧がかかり、有無を言わさぬ調子になるらしい。リッパーにも有効らしく、モゴモゴと霧を吐きながらも快く頷いてくれた。素晴らしい。持つべきものは理由を知り尽くした仲間である。昨晩用意しておいた包子で朝食をさっさと済ませると(生前の癖というものはなかなか抜けないものだ、食べなくとも良いというのに何か入れないとなればそわそわしてしまう)、白無常はまっすぐ階上にある部屋の一つに突撃した。

「おはようございます、ルキノさん」
「え?あ、ああ」

奇襲戦法はうまくいったらしく、起き抜けは動きがゆったりとした部屋の主人はもそもそとベッドから身を起こした。最近やってきたルキノという魔トカゲを検分し、白無常は多分大丈夫だろうと過去の知識を漁って頷いた。全身を使うことはおそらく荘園の主人に罰されるだろうが、これほど奇跡的な造りをしているのであれば、一部分であろうとも多少の効能はあるという確信がある。機を見るに敏、速やかに近くなり白無常はむんずとルキノの太い尻尾を掴んだ。

「なんだ?いきなり何をする!」
「これも黒無常のためです。ルキノさん、この尻尾を私にくれませんか?いいでしょう、トカゲは確か尻尾がまた生えるんですよね」
「話は見えない上に全く論理的ではないな。私の尻尾がまた生えるかどうかも確証は持てない。よってお断りさせていただこう」
「往生際が悪いですよ」
「流石にこの状況ではね、」

相手もハンターというだけあって力が強い。ギリギリと尻尾を掴むも、容易には抜けそうになかった。その上、ルキノが本格的に抵抗を始めたせいか爪が食い込んで痛い。自分だけならばまだしも、黒無常に影響が出ればことである。蛤カイ酒を作りたかったがどうしたものか、と白無常はいつかの折に范無咎の祖母が持ち出した薬膳酒のことを思い出していた。

『謝家の坊ちゃん、また風邪を引いたんだって?気が足りないのかね。うちの孫が心配してうるさいんだ、これでもお飲み。一発で効くよ』
『ええと』

これ見よがしに取り出されたガラスの瓶の中では、一対のトカゲが漬け込まれていた。蛤カイ酒、というものをチラと小耳にしたことはあっても実物にお目にかかるのは初めてのことである。謝必安は蛇を食べたことがあった、トカゲもあったが酒となればどう転ぶか定かではない。おまけになんだか不気味に見えるのだ。なんとかうまく断ろうとしたが、范無咎の祖母はやはりそれらしく、強引に飲ませて喉が焼けるような思いをする羽目になった。結果は?驚くかな、謝必安は以来風邪知らず、気も陽も補われたのか有り余る元気によって范無咎と肩を並べて武官の門を昇るに至ったのである。あれほどの効能を以ってすれば、ハンターという身になろうとも風邪を追い払ってくれるに違いない。

「騒がしいぞ、我の眠りを妨げるとは何かある」
「ハスター、これはぶっ」

バン、と勢いよく扉が開いたと同時に尻尾に振り回され、白無常はどんと床に転がった。尻尾の主人は速やかに窓から飛び降り、もはや捕まえるのは至難の技である。戻ってきたらばどうにかしようと心に決めると、ふと白無常は恨みがましげに訪問者を見遣って思いついた。ハスター、異国のあるいは異世界の神だというこの生き物であれば、トカゲよりも余程良いのではないか?

「白無常、そなた良からぬことを考えているな」
「まさか。これは立派な善行ですよ」
「やめよ!」

触手がのたうちまわるが気にしない、気に留めてなぞいられないのだ。傘を持って本格的に襲いかかると、白無常は今日一番の働きを見せるべく神に挑んだ。

結果は?黒無常は無事に風邪を治して翌々日のゲームに臨んだとだけ伝えておこう。ハスターの足が一本足りないか二本足りないか、それこそ神のみぞ知る出来事である。


〆.