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その扉を開けてはいけないよ。


秘密の花園


 大きなお屋敷には秘密がある。ナワーブ、あなたは自分のことをいてもいないものと思いなさい。何を聞いても、見ても、あなたは何も聞いていないし見ていないの。人というよりは道具のつもりで働きなさい。そうすればあなたはずっと安全でいられるからね。

ナワーブ・サベダーを郷里から送り出した母は筋金入りのお屋敷付き奉公人で、赴任先での働きを認められて主人の母国にまで連れていかれた人間だった。年齢と病気を理由に代わりにと差し出されたのがナワーブである。船に乗るのも、白人ばかりの場所も初めてで、一応一通り学んだものの、自分の存在が世界から浮いてしまっているかのように落ち着きがない。従僕としての働きは故郷に残された主人の別荘で学んだとはいえ、大都会の様子にはただただ慄くばかりである。馬車を乗り継いで都会から遠ざかった頃にはほっと胸をなでおろした。

「ここだよ。アンバー屋敷さ、頑張ると良い」
「ありがとう」

最後の馬車から降り立ちたどり着いたアンバー屋敷は、夕方の陽光を受けて飴色の輝きを放っていた。異国の建築物について詳しくはないが、ナワーブの目から見ても相当に歴史のある古い建物であることは間違いない。持ってきたトランク二つを両手に持って屋敷への道のりを歩くと、ナワーブは永遠に続くかと思うほどの道のりにため息をついた。とは言え山坂ではないだけマシだろう。なかなかたどり着けないと思いながら歩きに歩き、お屋敷の扉をノックした時には疲労困憊だった。

「お前が新しい従僕か。話は聞いている。トーマス」
「はい」

不審げな目をして取り次いだメイドや従僕のリレーを経て、執事のフレディ・ライリーという取り澄ました様子の男性がナワーブの取り扱いを決めた。母親が一筆を添えた紹介状は申し分なく威力を発揮し、フレディも母のことを覚えているとナワーブに語ってくれた。ここから遠く離れた異邦を語るフレディの目はほんの少しだけ温もりがある。だからと言ってもちろん特別扱いされるわけではないが、自分の居場所は確かにここにあるのだという保証をもらえたような気がして、ナワーブは心の底からほっとした。トーマスと呼ばれたのは不可思議にも目隠し布をした青年で、お仕着せの従僕らしい装いがあまり似合わない。手招きされるままについていくと、狭い階段をいくつも登った先の小さな部屋に案内された。

「ここが君の部屋だ。僕はイライ・クラーク。ここではトーマスと呼ばれている。君はきっとそうだな……ジョンと呼ばれるでしょうね」
「どういう意味だ?」
「ご主人様たちの覚える手間をなくすためですよ」

お抱えの人間が多い屋敷ではよくあることだとイライは説明した。人数が多ければ出入りも多い場合、いちいち新しい人間の前を覚えていてはキリがない。要するに命じたことをやってもらえれば良いのだから、道具には決まった名前さえあれば良いのだ。よって、簡単に記号化された名前が割り当てられ、引き継がれることとなる。ナワーブの名前はこれから告げられるだろうが、今後は表向きーー使用人部屋にいない時ーーはその名前で生きなければならないのだ。自分の名前を剥奪されるような心地ににわかに胸がざわめく。母も同じ気分だったのだろうか?顔を曇らせていると、イライはぽんとナワーブの肩を叩いた。

「大丈夫。君ならきっとできますよ。僕はちょっとした未来が見えるんです」
「気休めをどうもありがとう」
「本当の話ですよ」

胡散臭い物言いをするイライは肩をすくめると、続けて屋敷の構造や時間割などを説明した。建物の構造は外観以上に込み入っており、さながら迷宮だ。主人にいつ呼ばれても問題ないように出入りしなければならない事を考えると、ナワーブは頭を抱えた。ほんとうに自分はやっていけるのだろうか?だがやっていかねばならない。やるしかない。ナワーブが頑張った分だけ故郷の家族が楽をできる。幼い弟妹が教育を受けることも叶うのだ。当面面倒を見てくれるというイライに礼を述べると、目隠し布をした青年はひそり、と最後の忠告をした。

「夜に何かを見ても、絶対に他言してはいけませんよ。秘密は秘密にしなければならないからこそ秘密ですから」
「……何かあるのか?」
「いずれわかります。夕飯を食べましょう。料理番は時間に厳しいんです。けれども、味は保証しますよ」

にこりと口の端を上げると、イライはこちらの名物料理についてあれこれ教えてくれた。使用人の使う階段を下り切ると、専用の食堂が現れる。フレディがホストの席にすでについており、末席を目だけで示した。異邦の祈りが捧げられ、食事が始まる。冷たい料理は、まるでこの国がナワーブを拒絶しているかのようだった。




「ジョン、靴を磨いておいてくれ」
「はい」

ナワーブがようやく仕事と専用の名前に慣れてきた頃、不意に秘密は訪れた。夜になればモグラのように巣穴に戻る途中、明日の朝からのよそ行き用の靴を磨くように頼まれたナワーブは、常と違う道のりで屋敷内を行き来していた。慣れてきたとは言っても、夜の暗さが孕む不気味さには未だに怖気を振るう。物語に出る化け物が暗がりから襲いかかってきそうだ。明日家族にあてて書く手紙のことを考えて恐ろしい想像を振り払うと、ナワーブは曲がるべき廊下を間違えたことに気づいて舌打ちした。どこまで戻れば良いのかーー壁紙の色、窓の配置から推測を立てるも覚束ない。と、湿った啼き声がどこからか響いてナワーブは足を止めた。すすり泣くような、そのくせ変に甘い声が聞こえてくる。

 秘密には手を出してはいけない。頭でわかっていたが好奇心の赴くままにナワーブは動いていた。あるいは恐怖を克服しようという試みかもしれないが、いずれにせよナワーブは迂闊にも飛び込んでしまったのである。厳しい扉の前にたどり着き、ここが主人の長男にあたる男の部屋だと気付いてにわかに現実が頭を揺さぶった。啼き声はこの先からやってきていた。手にじわりと汗が噴き出す。閨の声だ、それも男の声で、長男の声ではない。誰だろう、一体誰がーー鍵穴からそっと覗いてナワーブは息を飲んだ。

「良い格好だな、クリーチャー。お前には似合わないからよく映える」
「ぁ、んんっ、ありが……う、ございまっ、ひぁ」
「他の奴に見せられないのが残念だよ。お前がこんなにいやらしいなんて知ったら、どんな顔をするか見ものだ」

クリーチャー・ピアソン。啼いていたのは、使用人の中でも中堅どころで長男の気に入りとして働く男だった。ややもするとだらしない着方になるナワーブを世話し、まだ慣れないだろうと優しい声とともに導いた先輩である。酒を飲むと調子っぱずれな歌を歌う様には愛嬌があり、ほのかに家族に対するような暖かさをナワーブに与えてくれた、彼が。よりにもよってメイドの衣装を着せられ、長男に奉仕をしている。寝台で長男の上に座り、腰を上下させる姿は異様だった。ざあざあと血脈が蠢き、ナワーブは全身に痺れるような甘さを覚えた。じとりとした目で長男を見るクリーチャーが疎ましい。そんな目で見ないでくれ。見るならば自分を見てくれないか。

 股間が盛り上がっていることに気づき、ナワーブは自分もまた異常だと顔をしかめた。隠微で倒錯めいた世界に発情したのは生まれて初めてで、1秒たりとも目をそらせない。ふ、とクリーチャーが全身をぶるぶると震わせてか細く啼いた。途端に長男が激しく下から突き上げ、一層啼き声が深くなる。ナワーブの股間は痛いほどに盛り上がり、いっそ混ざりたいと思うほどに切なかった。ごくりと喉が鳴る。その瞬間、涙でべしょべしょになった赤い顔が揺さぶられながら確かにナワーブを見た。鍵穴からだからきっとこちらが誰かはわからないだろう。だがナワーブを現実に引き戻すには十分で、極力音を立てずにそっとその場を離れた。使用人の使う階段室のどこからかも湿った音がする。あれは伊達男のセルヴェ・ル・ロイがどこかのお嬢さんと懇ろになっているらしい。ナワーブには全く興味のないことだった。

「はあ」

どうにも目に焼き付いて離れない。なんて素敵な秘密なのだろう!暗がりで自分を慰めるナワーブの頭の中で、メイド姿のクリーチャーが舞っていた。




 大きなお屋敷には秘密がある。一夜明けた朝食の席の場で、ナワーブはチラリとクリーチャーの顔を盗み見た。到底昨晩のおいたがあったとは思えない涼しい顔で神に祈っている。彼の神様はあのような行状を許すのか?あるいは彼は得体の知れない罰を受けでもしているのだろうか。秘密は秘密だ。だと言うのにナワーブの胸はざわめき、暴きたいとわめいていた。啼き声の訳を聞かせてほしい。あの長いメイド服のスカートの中はどうなっていたかを一言一句違えずつぶさに教えて欲しかった。

「ナワーブ」

食後、道具ではなく、一人の人間として見てくれる優しい男の手が伸び、ナワーブの少し曲がった襟を直す。この手を、目を、自分だけに向けてくれたなら。はっきりとした欲望を抱いて、ナワーブは切なくクリーチャーを見つめた。

 秘密は、秘密だ。黙されるからこそ美しく甘い。されど暴きたいという欲望は遥か原初に遡って人を突き動かす。優しい手を柔らかく握り、ナワーブはこの熱が伝わればと願った。

「ありがとう、ピアソンさん」

ほんの少し、クリーチャーの目が開かれる。秘密の扉がこじ開けられる、始まりの音が響いた。


〆.


あとがき>>
 刻は来たれり!メイ泥の波に乗ってがっと想像が巡った分だけ書き綴りました。色物ネタでしかないのでここまでで……多分この後は陰惨なあれこれと救いようのある部分が出来上がって最後にたどり着けると思います。アンダロやゴスフォードパークを観てる人間が書くとこうなるというか、真面目に考えすぎた気がしました。軽率にさせたい欲望はどこへ向かったの?坊ちゃん設定のナワーブも美味しいけれども、もう一つの推しは使用人同士なので今回の設定ができました。お楽しみいただければ幸いです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!