僕にください
僕、ビクター・グランツにとって人とは不審な生き物だ。表面上はニコニコしていても、扉を閉めた途端に怒鳴り散らすような人間を何度も見たことがある。嘘つき、社交辞令、秘密、いくつ乗り越えれば僕は安心して信じられるだろう?どれほど僕が真心を伝えようとしても、向こうが応えてくれているかはわからない。
ぺらぺらとすぐさま消えてしまう音よりも、手紙に綴られる文字たちのなんと重く、確からしいことか!数えきれないほどの手紙を配り、読んで、僕はひどく安心した。だって、僕以外の人間にも真心はどこかにあるということだから。でも、そのどれもが僕に向けられたものではないのだけれど。愛犬にして相棒のウイックが唯一、僕が信じられる友達だった。人間は?せめて一通だけでも、僕に真心を見せてくれないかな、と希望は日々膨らんでいってはちきれそうだった。どうしてあんな嘘つきたちには手紙が届いて、僕には届かないんだろう?毎日郵便列車から袋を受け取り、振り分けてはがっかりしてしまう。
けれどもそんな日々から僕は唐突に解放された。荘園の主人という知らない、けれども僕を知っている人が手紙をくれたのだ。君の手紙を待っている人がいるよ、と親切な手紙には綴られていた。綺麗で、暖かみのある字に勇気をもらって、僕は生まれて初めて列車に乗った。いつもはただ、郵便袋を受け取るだけの列車からの風景は不思議で落ち着かなかったけれども、ウイックは楽しんでいたみたいだ。
そして、僕は荘園に辿り着いた。蔦の絡まる、見るからに上流階級の人々が住んでいるようなお屋敷で、本当に僕がここに少しの間でも住むのかと思うと現実味がなかった。扉を開けた先にいた住人たちに挨拶をするともっと足元がふわふわした。彼らは――やっぱり、本当は何を考えているのかよくわからない。僕に手紙を書いて欲しかった。荘園の主人には日記を書いて欲しいとたのまれたきりで、以降は個人的な手紙を受け取ることはなかった。僕は……僕は毎日手紙を書いているようなものなのに。
外の人たちと同じで、荘園の皆も僕を物静かで無口なのだと思ってあまり干渉してこない。納棺師のイソップ・カール君は僕以上に静かで、なんだかいつもここではない別の場所にいるような心地がした。本当に僕の手紙を必要としている人がここにいるんだろうか?心細さと、参加しなければならないゲームの恐ろしさで頭がおかしくなりそうだった。僕の鞄にいつの間にか入っている、この魔法の手紙たちはいつだって誰かから誰かへと、僕を素通りしてゆく。僕にも!僕にも欲しい、一通だけでも良いから。でも、誰にも言えなかった。
「落ち着けよ、ピアソンさん!」
「お、おお、お前まで馬鹿にするのか!」
「違うって」
ある日の夕方、ハイティーでもしようと食堂に向かったら、突然激しい物音が響いた。がっしりとした太い声はウィリアム・エリスのものだろう。相手はクリーチャー・ピアソン。ウィリアムは一見人が良さそうで、でもわからない。ピアソンさんは得体が知れないけれども、確かに僕に優しかった。ゲームの立ち回りを教えてくれたのも、僕の手紙でこれこれを配ってくれたら嬉しいと言ってくれたのも彼だけだ。そのピアソンさんが?何をしたんだろう。
ウィックを連れて小走りになってたどり着けば、そこではピアソンさんがウィリアムに床に取り押さえられていた。ジタバタともがく様はまるで芋虫で、彼の拳の向こうではエマ・ウッズとエミリー・ダイアーが緊張した様子で佇んでいる。ダイアー先生が促すままにエマは食堂を出て行った。ピアソンさんがうーうー唸っている。なんだか胸が苦しい。
「驚いたでしょう。彼、時々ああなるのよ」
ピアソンさんもウィリアムに引き摺られて何処かへ連れて行かれていった。どうなってしまうんだろう。胸がざわざわする。言葉はどこにもなくて、手がかりは一つもなかった。後に残されたのは、僕と、困った顔をしたダイアー先生だけ。答えが欲しくて、僕は仕方なく尋ねることにした。
「……ええと、どうしてですか」
「エマに執着しているからよ。でも、あの人は思ったままにしか行動できないのね。自分が思った答えをもらえなかったら殴るだなんて、小さな子供でもないのに」
思ったことしかできないんだわ。彼女の台詞は、僕の胸にストンと落ちた。ピアソンさんは素直なのか。僕よりも上手に話せている、他の人たちと変わらず真意の見えない会話をしていると思っていただけに、これは意外だった。なら、彼が僕にくれた優しさは本物だろう。欲しいものが手に入らなくて、殴ることしかできないピアソンさん。コインを見たら危ないことなど無視して怪我をしたピアソンさん。エマに優しくされた日にはご馳走を作るピアソンさん。ダイアー先生が教えてくれたピアソンさんの話を一つ聞くごとに僕はドキドキした。
ピアソンさんの、話が聞きたい。手紙も欲しいけれども、彼の真心を直接聞けるならば手紙でなくても良かった。ダイアー先生の話ぶりから、どうやら他の人たちには敬遠されているようだけれども、僕は素直なピアソンさんの話を全部耳に収めたい。そしてそれを日記に書けば、僕だけの手紙になるはずだ。もしかして、荘園の主人が言っていた、僕の手紙を待っている人とはピアソンさんのことだろうか?だったらとても嬉しい。
僕に全部打ち明けて欲しい。ずっと聞くから。多分、僕は生まれて初めて返事を書くこともできる。僕の真心を見せる時が来たのだ、なんて素敵だろう!
ピアソンさんへ。配る手紙に宛名を書いて、僕はゆっくり返事を待った。
〆.