NOVEL
  / HOME





半身


 まただ。不意に現界に受肉して白無常は顔をしかめた。壁掛け時計が目に入ったので確認すれば、前回白無常として荘園にいた時間からは三時間ほど経過している。ゲームが行われた風ではないし、多分一日は経ってはいないだろう。

近頃、こうした謎の隙間時間がしばしば起こるようになっていた。白無常は黒無常と表裏一体なのだから、自分の記憶がない間は黒無常が活動しているということになる。二人がいつ立場を交代させるかは任意なので、受肉している側からも身の内に眠る魂の側からも切り替えは自由だ。互いに意思の疎通はなく、切り替えようと思った時に切り替わる。つまるところ、切り替わった際に何が起きているのかは互いに全く把握していないすれ違い状態のままなのだ。

 とは言え身の内に眠っている際、白無常の側から敢えて交代を望むことは滅多になかった。状況がわからない中で交代してまでやりたいことが特になかったからである。状況さえわかっていれば、黒無常が辛い目に遭わないように気を使うことがいくらでもできたと思えばなんとも悲しい。

では、何故黒無常はこうも頻繁に交代を強請るのだろう?規則性があるはずだ、と考え深い白無常は推測した。しかし、自分が気づいていることを悟られるわけにはいかないので紙などには記録できない。生前長年共にいたため、隠し場所などすぐにわかってしまう。それでちょっとした不味いものを見つけたこともあったな、と白無常は生前を微笑ましく思い出した。

他のハンターたちに代わりに覚えてもらうというのはなかなか難しい。彼らは黙っている義理も利点もないからだ。むしろ、面白がって黒無常にバラしてしまう可能性すらある。いつぞやの宴会で死因について話した時、素直に語った詳細を丸のまま黒無常に伝えられた時の憤怒は忘れられない。あれは――あれは実に可哀想だった。どんなに悔いても悔やみきれないと日記に綴られた字までもが震えていて、白無常はもう一度存在を抹消できない身の上を呪った。

黒無常も自分に隠したい何事かを行っているのか。なんとしても覚えていなければならない。今は午後四時。覚えておこう。




 荘園にやってきてから、黒無常は荘園の主人が規則正しい生活を好むことを知った。朝昼晩と必要かもわからない食事をキチキチと提供してくれている。たまに美智子やレオ(驚いたが、彼は若い頃には料理人として働いていたらしい)が調理場に立つが、誰も気づかないうちにテーブルの上に並んでいることが常だ。バルクとジョゼフがからくりを突き止めようとして苦労したのだが、それでもやはりわからなかった。荘園の主人は、白黒無常よりも現実的ではない存在らしい。

食材が届けられた場にたまたま居合わせた黒無常は、ふと懐かしい思い出にかられていた。ふっくらとして柔らかな、何層にも重なった甘い生地が美味しい千層糕、ハリネズミの形を模して甘いカスタードクリームを入れた黄包はどこから食べようかと謝必安と悩んだものだ。考えているうちに冷めてしまって、それぞれの母親から叱られたのもいい思い出である。

 今では二人並んで楽しむことはできない。だが、ものならば分かち合うことはできるのではないか?残念ながら生前から厨房に入ったことすらなかったが、美智子とレオは快く手伝うことを請け合ってくれた。練習時間は、おやつ用の食材が届く二時から四時まで。ゲームがあればもちろん中止だ。荘園の主人に頼んで取り寄せてもらったレシピ本(レオに預かってもらっている、これならば自然なので白無常は気づくまい)をめくりながら、ああだこうだと試行錯誤することは実に有意義だった。

聡い白無常のことだから、いつかは不審に思って突き止めようとするだろう。ならば自分はそれを上回る速さで成し遂げるまでのことだ。練習も佳境に入り、黒無常は見事に願ったものを作るに至った。時刻は三時。ちょうどいい頃合いだ。




 懐かしい匂いがする。いきなり切り替わった世界で、白無常は食堂の席に着いていた。美智子とレオが両側に座り、正面にはリッパーが優雅に紅茶を飲んでいる。おやつの時間というところか。そう言えば、自分が必死に見出した交代の規則によると空白時間は全ておやつに関わるものだった。黒無常の狙いはおやつを独り占めすることだったのだろうか?どこか子供っぽさが残る黒無常ならばあり得ないことではない。

「これは……」

だが、目の前の皿を見やって白無常はしばし固まった。これは故郷の食べ物ではないか?キラキラと光る杏に棗、金柑に蓮の実といった果物がもち米のしっとりとしたドーム型の上に宝石のように飾られている。八宝飯、これこそは旧正月にそれこそ范無咎と分け合って食べた好物である。皆が見守る中でスプーンを手に取り、そっと切り分ければ甘い餡が中から溢れ出る。僅かに香るココナッツミルクから、范無咎の母親が作っていた八宝飯のことを思い出した。謝必安の母親が作るものは桂花蜜を使っていたのだ。

「甘い」

口に運んだどっしりとした甘さは、記憶の中に白無常を舞い戻らせた。あと何日で食べられるだろうと范無咎と指折り数えたこと、調理中の母親の目を盗んでつまみ食いをして怒られたこと、ようやく食べられた後は来年が待ち遠しかったこと、ずっとずっと謝必安と范無咎は並んで新年を迎えるだろうと漠然と信じていた日々のことがどんどんと溢れ出し、白無常は自分の体が溶けるかと思った。

「黒無常が、作ってくれたんですね」
「ああ。お前に食べさせたいって練習してたんだ」
「白無常はんに内緒にしたいって言いはってなあ」

散々努力していたのだと皆一様に口を揃えて言う。このための空白の時間であれば納得で、白無常は貧相な自分の想像力に舌打ちした。なんて素敵な半身だろう。そうしてきっと、彼はこれを望んでいる。

「黒無常に、美味しかったと、私が喜んでいたと伝えてください」
「承知しました」

リッパーが手を上げて同意するのを見て、白無常はどろりと本当に我が身を溶かした。世界は真っ暗闇に落ちる。何もない、しかしとてつもなく満足な心地だった。 皿の上には、丁度半分だけの八宝飯が残されていた。


〆.