多生の縁。
袖摺合えば
人が二人出会えば、友となり敵となり伴侶となる。三人集まれば文殊の知恵、四人集まれば囲めぬ場所はなく、五人も集まれば小さな邑を起こすには十分だ。誰となしに集まれば、そこが街と呼ばれるのも時間の問題だろう。夏を唱え鹿を追うような時代から人は同じように生活を営んできた。無常街もまた、そう呼ばれる小さな集まりの一つである。奇妙な名前は諸行無常から来ているとも、古の妖物・白黒無常から採ったのだとも言われている。明るい時分から茶の香りが漂い、楽器の音色が止まることのない、一大歓楽地だ。
ともすれば幇の類が取り仕切りそうなものだが、異国の人間をもスルスルと飲み込み離さない小さな街は、たった二人の青年によって切り盛りされていた。曰く、血滴子。彼らを前にすれば老板連中も形なしと聞く。用意周到、あたかも見えざる手を動かすが如く意のままに人々を弛たせるやり口は見事と言うより他にない。
が、これはあくまでも内情を探りたい良からぬ輩にだけ関係のする話だ。お釈迦様の掌の上で遊んでいる人間にはなんら関係がない。この地の文化に惑わされ、異邦人として住み暮らす夢みがちな者も、土着の人々との間を取り持って益を掠め取るような者にもこの街は住み良い。それで十分だった。かく言うクリーチャー・ピアソンもそんな人間の一人である。
遥か西方の国で生まれ、貧乏にも嫌気がさして一か八かの大博打を打ち、何度か死にそうになりながら流れ着いた無常街は、クリーチャーにとってはさながら大海に落とされた麦穂だった。どうやって生き延びたものかは思い出せない――――気づけば異邦の服がすっかり身に馴染んでしまった。窮屈な寝台でうんと背筋を伸ばすと、クリーチャーは僅かながらに差し込んでいた陽光を取り込むべく窓を押し開けた。
途端、静謐な世界が嘘だったように極彩色が目を穿つ。夜明けを迎えて末期の叫びを残す電光が瞬き、軒先に吊るされた鳥たちが朝を歌う。五色を纏った風車が一斉に吹き流しと共に勢いよく回り、右の窓から弁士の卵が桃園の誓いを語れば、左の扉からは二胡が躓いた猫のような声を奏でる。鼻をくすぐるのは昨晩の名残の香に茶、そして何よりも人々の熱気の源となる菜だ。ジャッジャッ、と油が跳ねる音が口の中によだれを溢れさせた。
久しぶりに焼餅でも買いに出かけようか。巻餅の新作ができたと昨日、プーアールが岩と話していたことを思い出す。季節の変わり目を知らせるかのように、街に並ぶ小吃の類も中身を詰め替えていた。たまには口に四季をのぼらせるのも良いだろう。適当に顔を洗って上かけを掴んで緩く羽織ったところで、空気に混じった他人の気配にクリーチャーは顔をしかめた。
「ナワーブ。そこにいるんだろう」
「あ、ばれた?」
無邪気そうな笑顔と共に、ぴょこんと売り物の屏風裏から飛び出たのは、半ズボンがよく似合うナワーブ・サベダーである。仕立てのいいシャツにズボンに靴、どれをとっても良い家柄の御令息だと大声で歌っているような少年は、古びたものだらけのこの場所におおよそ似つかわしくなかった。何よりもクリーチャー自身がこの少年は異物だと感じている。本来ならば、五つは向こうの街で同輩連中とよろしく学校に通っているような、上流階級の家の人間である。ここはなんの庇護もなく迷い込んで良い場所ではない。
ありえもしない間違いが生じたのはつい先月のこと、出入りしていた茶館から道具を運ぶ途中、クリーチャーが道端で泥だらけの少年に派手に蹴躓いた時である。聞けば叔父に連れられて、無常街が誇る茶館・十三楼に来たは良いものの、飽きて出歩いたらば道に迷ったと言う。傍迷惑な話だが、クリーチャーにはもちろん下心があって少年を助けることに決めた。お坊ちゃんであれば、少し助けただけでなんらかの見返りを期待できる。情けは人の為ならず、というやつだ。
お腹が減ったと言う少年に湯餅を奢り、あちこちに好奇心のまま突っ込んでゆく少年の腕を引っ張りながら雑技を見てようやっと『叔父さん』に引き合わせた時には、クリーチャーの浅い下心はもう遠ざかって、ただただ解放されたい一心だった、というのはいまだに仲間連中の間では物笑いの種である。あのクリーチャーがね!結論から言えば、懐いた少年は悪所通いよろしく店を訪ねるようになってしまった。今ではどう上手くしたものか、勝手に扉を開けて家の中に忍び込んでいる始末だ。
本当に子供だろうか?舌打ちしながら、クリーチャーは今更のようにナワーブを観察した。柔和な顔立ちは、少年と青年の間を彷徨っているように見える。手指まで整えられた清潔感は、やはり育ちの良さだろう。声は甲高く、膝小僧は雪のようにまっさらだ。だが、勘繰ってどうなるだろう、とクリーチャーは早々に疑問を棚にあげた。この自分に取り入ったところで得られるものは何もない。表の街に暮らす人間であれば尚更だ。
「だって、この前食べそびれたからさ。今度作ってくれるって言ってたよね?」
だめかな、と小さな声が続く。これだ。これがいけない。どうして見捨てられた子供のような声を発するのだろう?まるで自分が悪いことをしたように――――もう散々に悪事を尽くしてきたクリーチャーが、だ――――ないはずの良心が痛んで仕方がない。ギリギリと歯を噛み締めると、クリーチャーは街から流れてくる香ばしい匂いに背を向けた。仕方があるまい。
「……教えてやるから、お前も手伝うんだぞ」
「もちろん!」
キラキラとナワーブの目が輝く。瞳に浮かぶ色は春のように華やかで、クリーチャーは先日ナワーブが仲間連中に『スプリング』と呼ばれているらしいことを思い出した。まさに彼にふさわしい。買いに行けないならば作ろうと、少年を追い立ててクリーチャーは厨房に向かった。
思わぬ副産物だ。ナワーブはウキウキとした気分で白い生地をこねていた。本国からの要請で内偵を頼まれた際には随分面倒な案件だと鼻白んでいたものだが、なかなかどうして面白い。クリーチャーの存外細い首筋を眺めると、ナワーブは年齢に似合わぬ老獪な笑みを浮かべた。なんて可愛い人!手のひらで転がせば転がすほどに心地良い。そう、クリーチャーの思惑は大外れで、ナワーブはとっくのとうに成人を迎えた一人前の大人なのだった。
本国の機密情報を、ここ無常街で売り捌く輩がいるらしい。出かけてみれば、どこにでもありそうな街で、どこよりも綺麗な組織図を描いた世界だった。街の中心は十三楼という高級会員制茶館であり、開けば中も至極まともでこれという変わり種はない。強いて言うならば、十三妹なる妓女が伝説的な舞手だと評判が立っているくらいだろうか。だが、機密情報を抱えた人間が吸い寄せられるには役不足だ。他にもっと、住民の生活に深く関わらなければわからないものがあるに違いない。
童顔をいかして、子供のふりをしたのは大正解だとは思う。おかげで根はお人好しのクリーチャー・ピアソンに巡り合うことができたのだ。古道具に貸し道具までこなすクリーチャーはどこにでも出入りをするし、どこからでも人がやってくる。むしろ彼こそが情報を売り捌いているのではないかと疑ったくらいだが、今のところその兆候は見られない。ここはただ便利で居心地の良い場所だ。無常街に足を向ける気安さの半分以上はクリーチャーの存在による。
丸めた生地を綿棒で伸ばし、平らな円を作り出す。ちら、と伺った隣のクリーチャーは鼻歌混じりで生地でで餡を包み始めていた。生まれはおそらくナワーブと同じ国だろうに、最初からこの地に過ごしていたかと思うほどもの慣れた所作だ。週に一度は『遊び』に来るナワーブを、文句を言いつつも相手になる横顔はひどく優しい。謎が全て解けたら、この横顔ともおさらばだ。下手くそな鼻歌に合いの手を入れながら、ナワーブは名残惜しさを感じる自分に気付いてハッとした。まさか。
「ね、ピアソンさん。こんな感じかな?」
「どれどれ」
包子に秘密を包み込む。この秘密は果たして解ける日が来るだろうか。どうか解けないで欲しいと願うと、ナワーブはクリーチャーに秘密を手渡した。
〆.
後書き>>
いつか無常街をテーマにチャイナピアソンさんを書きたいなあと思っていました。このあと二人は二枚のシャツに絡んだ不可思議な事件に出会い、一緒に解くことになる予定……と想像を巡らすのが楽しい世界でした。古道具でぼったくったりなんだりするピアソンさんは生き生きとしている気がします。このスプリング君は本当の姿は探偵ナワーブでもあるので、正体を現した時にはどうなるのかはご想像にお任せします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!