完璧に美しくしっくりとした私のための
家具が環境に依存することは広く知られていることである。人に、部屋に、風に、土に、そう陽光にさえあれらは影響を受けて育つ。良い家具が欲しいと思ったならば、土壌作りから妥協すべきではない。高名な職人であれば、親の親、祖先の祖先にまで遡って厳選した家具を元に新たな家具を生み出す。
何よりもまずは土が大事ということで、良い家具の産地は今や大手企業や富裕層の個人的な工房に占められるようになった。良いトリュフを生み出す土地を買い占める原理と何ら変わることはない。ただ、トリュフよりも家具の方が扱いが難しいというだけだ。
土の次には何を作りたいか地図を描く。人によっては系統ずを描くともいう。私の祖父は数点名品と呼ばれるものを生み出したが、彼は何とも言えないぐにゃぐにゃとした線を書いていたものだ。家具作りのレシピは秘伝のものであるため、作り手だけがわかる方が良いのだろう。私はもちろん読み解けないし、祖父の遺言に従って彼と共に一番愛用していた家具ごと燃やしてやった。灰は、せめて少しでも良い家具が育つようにと我が家の庭に撒いた。多少はこれで歪みが改善されるのではないかと期待している。
例として、私が最初に欲しがった、がっしりとした作業机の話をしよう。この机は既に三世代にも渡って職人が改善に改善を重ねた逸品だった。カシ材と桜材が巧みに混じり合い、マダラ模様を形成していることが一番の特徴で、その触感の滑らかさと真っ平の天板――実は歪みの少ない家具を作り出すことは極めて難しい――は完璧と言って良いほどだった。
最初は小さな丸机と、小学校で利用されるヤンチャで我慢強い机を植えて交配したという。生まれたのは食卓にするには少々小さい丸机で、天板は想像したよりも燻んだ出来だった。仕方がないので思い切って真っ二つにし、当時主流だった三段薬棚を一緒に土に埋めたのだという。棚と机は天と地ほどにも異なるというのに、随分思い切ったものだ。私にはできない、匠の判断と呼ぶべきだろう。
次に生み出されたのは、狙った色合いを持つカシ材の書斎机だった。大きく育ちすぎたというのが職人の感想だったらしい。彼女が求めていたのは、ミシン台程度の大きさだったのである。先代が仕事を彼女に引き継ぎ、机が出来上がるのを待って三十年も経てば、世の流行も当人の望みも大きく変わっても不思議ではない。
ここで、彼女は自宅の庭に生えていた樹齢数百年という桜の大樹に目をつけた。家具同士の交配に、土や与える水、陽光や温度が関係していることは周知の事実である。しかし他の植物のように肥料についてはついぞ目を向けられていなかった。思えば人類はなんと長い月日の間、足踏みをし続けていたのだろう。彼女はためらうことなく大樹を伐り倒し、求める大きさに細分化して書斎机に与えた。次の家具が出来上がったのは、彼女が死ぬ数年前のことだった。
「初めての肥料だから、少しずつ与えることにしたのがいけなかったのかもしれません」
だが、彼女は手探りながらも答えを得ることができた。最高傑作は次代に受け継がれ、秘伝のレシピと共により滑らかさを加えた形で世に躍り出た。それが私の作業机だ。
家具屋で堂々と出されたあの姿と言ったら!関係者だけの事前販売会に参加できたことを、私は生まれて初めて感謝した。それまでは祖父の付き添いで、おもちゃのように右から左へと挨拶され、可愛がられて面倒な目に遭う時間でしかなかったのだ。私にとって、家具はあって当たり前のものに過ぎず、機能が条件に満たされていれば問題なかった。
だが今の私はわかる。私は本当に必要な家具に出会っていなかっただけなのだ。世間では家具を一切持たない主義者もいるが、彼らもまた出会っておらず、『虚無』という名の家具を抱えているだけに過ぎない。人類はもはや家具とは切っても切り離せぬ中になってしまった。住居を転々としようとも、身一つで旅をしようとも、森で、海で、荒野で、そして家の中で私たちは家具を携えている。
私の家具人生はようやく幕を開けた。お目当ての作業机を手に入れてから、私は家業を継ぐ決心を固め、基本の基本である小物入れから手をつけた。竹で編んだ形を考えたのだが、箱ではなく鳥の巣のようなものができてしまい、己の地図の未熟さを恥じいったものである。途中で水やりをサボったことが最大の敗因だろう。
今でも自分への戒めとして、この失敗作を天井から吊り下げている。私の作品を愛する人々は、ブランドの顔だとトンチンカンな評価をしているようだ。所詮、家具の評価は持ち主が決めるもの――私は甘んじてそれを受け入れるのみだ。
このところ私が手をかけているのは、完璧な椅子だ。夢中になるほど美しい稜線を描き、革は(そう、私は革椅子を望んでいる)滑らかでしっとりとしていることだろう。座ればしっくりと私の体に馴染む。包み込んでくれる、温かで優しい私の最後の居場所だ。
地図を描き始めたのは、職人として一人前と認められ、五年は経った頃だろうか。何を作っても理想の椅子が頭から離れず、作らなければ気が済まなくなっていた。木?革?鋼?プラスチック?ゴムで作ることも考えたが、見るも無惨な結果に終わった。極め付けは肥料で、あれこれ最良と呼ばれるものを試した結果、理想からはどんどんと遠ざかってしまう始末だった。
暗澹たる気持ちで挫折しながらも、私の家具は世間でもてはやされ、若くして名工と呼ばれるようにまでなった。家具職人を目指す人間で、私の名前を知らぬものはいないし、どんなパーティだって私のために席を開けてくれている。先日は家具欲しさに拉致まがいで接待を受け、警察沙汰になってしまった程だ。
男女どちらも寄り付いたのは言うまでもない。皆、私の家具で人生が満ち足りたと、欠けたものが見つかったのだと報告してくれる。それがどうした?私の理想は『虚無』だった。私は家具に出会う前に振り出しに戻ってしまっていた。
「悩んでいるそうだな」
「文字通りね」
転機が訪れたのは、陶芸家の道のりを歩んだ友人が工房に遊びに来たことで訪れた。陶芸の道は、家具と同じく険しく、さらに狭い。彼が目指したのは飄々とした見た目に合わず、鉄錆色の禍々しい一品で、好事家の間では化け物だと好評を受けているらしい。私には良さはわからない。彼がいくつかくれたものは、まるで野の花のように野放図に家の中に散らばっている。
通常工房には家族しか入れないものだが、彼には特別に許可していた。同じ物作りをする人間同士(しかも商売敵ではない)話も合えば、彼は私の工房の土から実にいいものを生み出すのだ。この土からどうしてあんな色が生み出されるのか、どうにも理解に苦しむ。唸りながら肥料の配合をする私に、友人は苦笑し肩をすくめて見せた。
「どうしてわかるのか、聞かないのか?せっかく教えてやろうと思っていたのに」
「君はしょっちゅうここに来るだろう。それに、何年の付き合いだと思っている。わかっても不思議はないさ」
「まあそういう材料もあるかもしれないな。……知っているか、土は持ち主を反映するんだ。お前から滲み出たものが土に染み出して、俺の作品に変わっている。俺の作品はお前との合作みたいなものなんだよ」
「初めて聞いたな」
しかし納得のいく話ではあった。家具は環境に依存する。ならばどうして世話をする人間に影響されないことがあろうか。この苦しい思いのような、感情の奔流も染み出していたならば、居心地の良さからは程遠いものが出来上がるのは、火を見るよりも明らかだ。
「俺の知り合いは、自分の好きなものを土に混ぜると言っていたよ」
「へえ」
どうせ飲食物だろうと、私は聞き流す体でいた。それではこれまで肥料として与えていた、植物たちと大差ない。だが、友人の披露した答えはまるで違ったものだった。
「昔好きだったレコードと、アイドルのグッズを粉砕して入れてみたら、夢見たような極彩色の像が出来上がったんだ。去年の万国博覧会で目玉に上がっていた展示品を覚えているか?あれはそいつが他にも色々混ぜ込んで作り上げた、思い出の塊みたいなものらしい」
「それが本当の話なら凄いな」
「信じるには十分だ。同じ陶芸家ならあれが真実かどうかはすぐにわかる」
何もかもを注入した結果なのだと友人は言い切った。無機物を投入するとはなんとも面白そうで、私は快く許可を出した。庭の隅で彼は自分の土地を持ち、何かを埋め――その答えは数年後の品評会で傑作として評価された。彼が上機嫌で結果を報告してきた折、私はおずおずと疑問に抱いていたことを尋ねた。土地を貸したのだ、それくらいは教えてくれてもいいだろう。
「何を埋めたんだ?」
「内緒さ。真似されちゃ困るからね」
彼の言っている意味は同じ物作りをする人間として十分理解できる。だが、友人としては不十分で、私の虚無を埋めるには決定的に不足していた。
その頃には、私は自分の思い出という思い出を土の中にぶちまけていた。初めて使った家具はもちろん、あの失敗作も埋めた。気に入りの食べ物も、写真も本も、それから学生の頃に別れた恋人との手紙だって投入した。ちぎったり灰にしたり、そのまま埋め込んだりとなんでもした。段々と理想に近づいているような気はしている――けれども何かが足りない。何が足りないのか。
「教えてくれ」
何度目かの訪問の後、私はノイローゼ気味になりながら彼に詰め寄った。流石に哀れに思ったのか、自由自在に作品を生み出せるようになった男はゆっくりと秘密の扉を開いた。
「姉貴の骨だ」
彼女の骨は白く、鉄錆色の世界に美しい白線を流し込んだ。あれは彼女だったのか。十年前に死んだ、がっしりとした骨を持つ女性を思い出す。友人はずっと彼女に対して家族以上の並々ならぬ思いと妄執を抱いていたと理解している。凛とした光は彼女にこそ相応しい。
「ありがとう」
私は考えを改めることにした。どうして思いつかなかったのだろう。私は芸術家であり、何よりも家具職人として一流だったはずなのに。こんな単純なことに辿り着けなかったとは情けない。
帰ろうとする彼を呼び止め、昔贈ってくれたやたらと重たい花瓶を投げつける。慌てる男の血が飛び散って、本当の鉄錆色はこれだろうと乾く時を想像した。もう一つ、またひとつ。そもそも陶器に興味がない私が、彼の置いていく作品を全て大事に放置していたのは、きっとこの時のためだったのだろう。友人が慌てて反撃しようとした時にはもう遅く、私は作業机でもって幕を引いた。彼はまだ温かった――そうでなければ困る。私は彼を大事にしてやりたかった。
作品を包む道具で彼を縛り、庭でちょうどいい穴を物色する。次の家具を作ろうと大きく掘って置いて大正解だった。友人を椅子に縛り付け直し、ゆっくりと穴に入れた。理想に届かぬ椅子に彼を座らせることは気が引けたが、これも未来のためだ。丁寧に土を被せ、水を撒いて地ならしをする。三年はかかるだろう。
結果的に、三年では不十分だった。友人だけでは足りないらしい。それでもしっとりとした革椅子は、私の理想への道のりがひらけたことを意味していた。私は精力的に肥料の改善に取り組んだ。元々私には勝手に人が寄ってくる。その中から良い思い出を探す、ただそれだけだ。無駄に長く悩んでしまったが、人生は時に回り道もあるということだろう。生み出された椅子はどんどんと艶めき、飴色はため息が溢れるほどに美しい。他の作品にも良い影響を及ぼしているらしく、結果は上々だ。
「後もう少しだ」
次で私の理想の一作ができるという確信がある。作業机に並べた肥料に、私は物語の終わりを告げた。始まりである友人は手荒く扱ってしまった結果、革椅子に多少傷が残っていたので、毎度説得し十分に理解してもらうようにしている。皆、最後には快く協力を申し出てくれた。
人類は今や、家具とは一心同体である。ならば家具になったとてなんの支障があるだろう。
五年後にはきっと人類の夜明けが告げられる。それは、完璧に美しくしっくりとした私のための家具として、世に残されるに違いない。
〆.