まだ、君に夢中。/おまけ.密やかな贅沢
ロミオとジュリエット、と聞けば思い浮かべられるのは悲運の恋人だが、実はもう一つの意味がある。太陽眩しいヨーロッパのさる国では、それはお国柄を反映した甘やかな食卓の彩りを恋人たちの名で呼ぶのだ。
「甘いのしょっぱいの甘いのしょっぱいの、この繰り返しで食べると手が止まらないだろう?食欲が今一つの奴でも、これにポートワインの一つでもつけてやればいくらでもくれ!って言ってきたものだよ。美味しいな」
滑らかな舌を披露するのはホセ・バーデンで、港でもてはやされた船乗りらしい陽気さで昔語りをしてくれていた。食卓に並ぶのは様々な種類のチーズに、色とりどりのジャム、ドライフルーツ、そしてマデイラワインとポートワインだ。事の発端はウィラが好物のチーズに合うワインを探していると話し始めたことで、フレディやエミリー、セルヴェ・ル・ロイと舌が肥えた面々があれが良いこれが良いと話す内に、そもそもどのチーズが良いのかという論争に向かったのである。
チーズは、チーズだ。乳を発酵させて長らく味わえるようにする、美味しく生活の知恵が詰まった代物である。クリーチャーの人生においては、パンと水にチーズとワインがついたらちょっとした贅沢だという位置付けだ。もちろんチーズは好物だが、違いについてまでは然程意識していない。先日カヴィンたっての希望でハンバーガーを作った際には一悶着が生じた事は記憶に新しい。モッツァレラを入れるべきだと主張するエマ(淡白さが肉の旨味を引き立たせるという理論だ)と、レッドチェダーこそが至高だと胸を張るカヴィン(肉がより力強い味わいに変わり、一気に食べ尽くしたくなるというのが持論だ)の議論は尽きず、結局それぞれ好きなものを挟むように、とクリーチャーが鉄板を譲ってやったのだった。そうなれば好き勝手に始めるのが個性豊かな荘園の住人たちの常で、エミリーはパルメザン、ウィラはブリー、ナワーブはパニールと、一体いつ注文したのか十人十色のチーズを挟んで、クリーチャーは生まれて初めてこれほど多くのチーズが一堂に会する様を目にした。
既に、この時点でチーズは流行の兆しを見せていたのである。オレンジやクリーム、白色の塊たちが削られ切られない日は一日たりとてない。昼下がりの宴を終え、ジャムを補充するべくせっせと追加を作りながら、クリーチャーはかき集めた代物を見て腕を組んだ。可愛らしくも小さな、砂つぶのようなものまで揃ったチーズの塊たちである。食べている内にどうしても生じてしまう所謂『パンの耳』のようなもので、見向きもされずにただクリーチャーだけが気がつき、もったいないと集めていた。食材は全て使い切るのが信条である。もし、あの時食べていたらと後悔する日が来る可能性はいつだって存在するのだ。
「うーん」
チーズを主役にした料理を考えたが、チーズケーキにしても、チーズをかき集めてカリカリのフライにするにしても、何か納得がいかない。もう少し良いものがあるはずだと他の食材の残りを眺めながら考えあぐね、はたとクリーチャーは今朝届いたばかりの卵に目をつけた。
「これだ」
夕食の献立は、このとりこぼされた面々を主役に仕立て上げよう。これもまた、ささやかな慈善活動と言えるのではないか?食材には諸手を挙げて賛成してもらえるような気がする。世に食べられないものなどないと、さるアジアの国では話すそうだが、そこまでとは言えずとも近づけはするだろう。
***
待ちに待った夕飯の時間が近づくことを胃袋が知らせ、ナワーブは意気揚々と台所へと向かった。今晩の担当はクリーチャーだ。誰かの手伝いをすることは吝かではないが、クリーチャーとなれば話は別で、なんとしてでも率先して手伝いたい。共同作業をこなしながらの言外の語りはまるで踊るように軽やかで互いの呼吸を一層掴みやすい。シーツの中では言うまでもないが、何かものを一緒に作り出す過程もまたナワーブのお気に入りだった。多分、砂の城を作るのだってクリーチャーと一緒ならば、寂しくならずに波に崩させるに違いない。
「ピーアソーンさーん。来たよ!」
「いつも通り、君が来るのはちょうど良い時間だな。助かる。手を洗ったら、パンチェッタを細かく切ってくれ」
「了解」
クリーチャーのセリフに、相手も自分の来訪を予感していた音を感じ取ってナワーブはニヤつく頬を抑えられずにいた。手を洗い終えると、いつもの場所から自分のエプロンを取り出して身に着ける。最初の頃には面倒臭いと思っていたのだが、クリーチャーがお揃いのものを買おうと提案してくれたのだ。彼の分は自分が、自分の分は相手が選ぶだなんて最高だろう。案の定浮かれたナワーブはやすやすと思い通りに操作されたのだった。
手に馴染みのあるナイフで置かれたパンチェッタを切り出す。傍らではクリーチャーがパスタを茹で、卵をボウルへパカンパカンと小気味好く割り入れていった。盛り上がった黄身が新鮮さを象徴して美しい。ついで細かいチーズを山のように注ぎいれたが、溶かずにフライパンを温めにかかる。オムレツを作るのかと思っていたばかりに、ナワーブは小首を傾げながらも切ったパンチェッタをフライパンに入れてやった。思えばパスタを茹でているのだから、オムレツのはずもない。思い出したら食べたくなってしまったので、明日の朝は自分がオムレツを作ろうとナワーブは心に決めた。クリーチャーが美味しいと言ってくれる、その顔がとても好きだ。
パンチェッタには白ワインがふりかけられ、ジュウジュウと歓喜の声を上げ始める。パン皿を並べにパトリシア・ドーヴァルが来たので場所を教えてやり、カトラリーと一緒に送り出す。静かに滑り込んできたイソップ・カールは黙ってグラスを持っていった。酒は各自が勝手に選ぶから、必要なのはグラスだけなのだ。今頃酒蔵には人が集っている事だろう。
いよいよパスタが茹で上がり、ナワーブは黙って引き上げにかかった。目だけで問えばクリーチャーがそれで良いと頷く。素早く卵がかき混ぜられる様を横目で見ながら、パスタをフライパンになじませる。それから先は芸術的な動きだった。卵が軽やかにかけられ、じんわりとチーズの香りが匂い立つ。複雑な香りから、ナワーブはこの色とりどりのチーズはこれまで食卓に上がったあらゆるチーズが勢揃いしているのだと気づいて目を輝かせた。パスタ用の皿に息もつかせぬ速さで盛ってゆく。黄金色の優しいソースはパスタを魅力的に飾り立てた。
「すっごく美味しそう。ピアソンさんが考えたの?」
「残念ながら違うな。確かイタリアの……カルボナーラだ。美味しいぞ。何せみんなが選んだチーズだからな」
きっと誰かが、自分の大好きな味を見つけるだろう。自分もまた見つけている、とナワーブはクリーチャーの頬に口付けた。
「こら」
「つまみ食いくらいさせてよ」
好物を我慢するのは辛いものだ。クリーチャーは違うのだろうか?見つめれば、ぐうと唸り声が上がる。
「あとでたくさん食べさせてやるよ」
「やったね」
そして自分もたんと食べてもらおう。おかわりは無限、死ぬまで続けたいと言ったら怒って何もかもなかったことにされてしまうので、密かな野望は胸の中にしまっておく。カルボナーラが快哉を持って食卓に迎え入れられる。ワインについて激論が交わされ、凄腕バーメイドのデミが調停する。結局、人は自分に合ったものを好む。他人がなんと呼ぼうが関係ないのだ。
ナワーブとクリーチャーも、どうして何故か不可思議で、不釣合いで不恰好でねじくれていると思われる可能性があった。だがそれが一体何の足しになるだろう?
答えはいつだって簡単で些細なものだ。ナワーブはまだ、飽きていない。いつまでも夢中で酩酊気分で過ごしている。
まだ、君に夢中なのだ。おそらくこれから先、きっと何度だってそう思う。カルボナーラのおかわりを頼んで、ナワーブは口の端についたソースをペロリと舐めた。
それは病み付きの味わいだった。
〆.
あとがき>>
2020年に出した、二冊目の傭泥本の再録です。初めましての方も、お久しぶりの方もワクワク楽しんでもらえたらな、と思いながら未だ改訂作業を続けています。(ために不備があれば申し訳ありません)
一冊目の傭泥本は食べること、をテーマにしていました。今回は?今回は、食べる物との思い出が焦点となっています。また食べている!食べることが好きで、いっぱい美味しいものを好きなだけ食べる姿が好きなもので……不思議なことに、食事というものは料理そのものだけではなく、場所・人(一緒にいれば)・時間・前後の状況など様々なものが影響して成り立っているように感じられます。喧嘩をしたままで食べる夕飯は気まずくて味がしないかもしれませんし、仲が良い人と楽しい会話をしながら分け合う駄菓子は、一人で食べた時よりもずっと美味しいかもしれません。
ならば、後に特別な関係となる過程で、どんなものを食べて、どんな思い出がそこに付随するんでしょう?マドレーヌの味で一挙に思い出を蘇らせる話がありますが(プルースト現象と呼びます)、後々食べた時に思い出される一皿があることは素敵なものではないかと考えながら書いていました。
あれがまた食べたいね、そういえばこんなこともあの時にはあったよね、と話す日々に、さらに思い出を積み重ねていく一皿。このお話のどこかが、そんな一皿になれたのであれば何よりも嬉しく思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
*注釈:文中ナワーブのセリフ「メロ ハート サダイン サマオ」とは「私の手をいつも掴んでいて」という意味です。ネパールの愛情表現の一つだそうです。