待てない男、待つ男
ナワーブ・サベダーは自身の忍耐力はなかなかのものだと客観的に評価している。傭兵とは何かと耐え忍ぶ生業だからだ。獲物を待つべく、何も起きぬ陣地を延々寝ずに草葉の影にたたずむことも、相手が尻尾を出すまでくだらぬやり取りに終始することも、赤子の手を捻るよりも容易い。待て、は、いつか手に入る葡萄を見上げるだけの話である。辛いも何もない。いずれ手に入るのだから良いではないか。
「待て」
「やだ」
だが、そんな自分にも待てないものがあることを、ナワーブは荘園に来て初めて知った。標的は『慈善家』なる怪しげなものを標榜するクリーチャー・ピアソン。節くれだった細い指がナワーブの視界を揺らし、忍耐を要求してくる。その手を指ごと噛んでやろうかと思いながらも、唸るだけでとどめたのはなけなしの理性の賜物だ。
今すぐにでも飛びかかって、相手を物理的にどうにかするのは簡単な話である。精神的にも恐怖で支配することだってできるだろう。なんだって思い通りにすることは簡単だ――最適な機会を伺い、待つことだって難しいことではない。
にもか関わらず、ナワーブが厨房の入り口に止まっているのは、愛しい人が「待て」をしたからである。愛しい人!そう、運命はナワーブに奇妙な居場所を提供した。柔らかくも煌びやかでもない、意地悪で優しく胡散臭いクリーチャー・ピアソンの恋人という立場である。
どうして光に吸い寄せられる蛾のようにして、彼を追いかけ追い落としたのかは、いまだに自分でもはっきりとは説明できない。ただ、結果に満足していることだけは確かだった。なんであれ、こうして彼の不在を嘆いて突撃するほどに、クリーチャーという存在は今やナワーブの日常に欠かせないものとなっている。
「一回だけだって。ハグして、キスして、そしたら我慢できるから」
「そう言って、一昨日のお茶の時間が二時間遅れたと思ったが、記憶違いだったか?」
「ピアソンさん!」
お茶の時間だなんて、そんなものどうでも良いではないか。目下、クリーチャーが夕飯の支度をしているのは十二分に承知している。ゲームに疲れ切った連中を癒すためにも、定刻通りに仕上がるのは当然だ。だから当初は手伝いを申し出たと言うのに、その役目は既にアニー・レスターが買って出ていた。荘園に来たばかりの彼女は、一刻も早く馴染むべく励んでいるのである。横取りするわけにはいかない。
渋々ながらも受け入れたナワーブが、不足分をちょっとしたスキンシップで補おうと求めるのは自然の流れではないだろうか。否、自分は相当譲歩しているつもりだ――焦がれるほどに待っている。正直なところ、今すぐ襲い掛かりたいほどに飢餓感が頂点に達しようとしていた。
対するクリーチャーは冷静で、ようやく互いに向き合って付き合おうとなった際にはあんなにも情熱的で子供のようにわがままだったことが嘘のようだ。冷めるには些か早すぎるだろう。恨めしげに眺めると、クリーチャーは鍋を見るようにアニーに告げてこちらに向かってきた。
「……君は意外と待てないんだな」
私は恥ずかしいんだ、とこっそり告げるクリーチャーの耳は微かに赤い。見ればまなじりもほんのりと染まっているようで、ナワーブは思わずごくりと息を呑んだ。
凍りついたナワーブの唇を、クリーチャーの指先がそっと撫でる。舌で捕まえようとすれば素早く逃げられ、ナワーブは思わず顔を顰めた。
「これじゃ生殺しだよ」
「私だって我慢しているからな。一人だけ待っているのは不公平だろう?」
「え」
耳を疑い茫然とした瞬間、頬に軽い感触が過ぎる。そうして大きく身を離すと、クリーチャーは照れ臭そうに明後日の方向を見やった。やられた、やられた、なんてこった!
「……夕食の後で、部屋に行く」
待てるか、なんて言われたらば、答えはもう決まっているようなものだ。
「待てるよ」
だって自分は元傭兵なのだ。獲物を待つのは得手である。向こうが来てくれると約束されたらば、それこそ猛獣のような獰猛さを抑えて待ち続けられるだろう。
待つ男を名残惜しげに見送って、ナワーブはすんなりと夜の闇に紛れた。荘園中に夜が満ちるその時が、今から待ち遠しくてならなかった。
〆.