美味礼賛
白黒無常は二人で一つだという。レオは一人で二つを知っていたから、同じようなものだろうと思っていたところ、旧知の仲である一人で二つの方から苦言を呈された。どうやら似ていると思ったのはレオばかりで、全くもって異なるらしい。難しいことを考えるのは苦手なので許してほしいと話すと、一人で二つのリッパーはわかればいいんですよと左手を振ってくれた。
「あなたが素朴で実直で単純なのはよく、わかってます。私ならばね。けれどもこれは繊細な問題ですから、他言しないようにした方が良いですよ」
「わかった」
少し馬鹿にされた気もしたが、リッパーは気のいい奴だから良しとした。二人で一つの見分け方を聞くと、簡単ですよとこれまた鼻を鳴らして教えてくれる。
「白い方が白無常。黒い方が黒無常です。わかりやすいでしょう」
「今はな」
姿が移り変わるなど、ことハンターに関しては日常茶飯事なので気にも留めなかった。リッパーとて霧に紛れて透明になってしまうのだから、一々驚く方が馬鹿げている。レオは姿が変わらないが、もし変わればどう変わりたいだろうと思う姿があった。サバイバーの中で散らつく過去の残影たちの前で歪まぬ自分を、全てが取り返しの付かなくなったあの陽だまりの日々を取り戻した自分を見せたい。悪は悪で、罪は罪でありけして消え失せるものでも許せるものでもない。レオは変わってしまった、それでもなお焦がれるものは炎となって残るのだ。
「で、あなたはまた何を作ってるんです?」
「チョコレートクッキーだ。お前の分もあるぞ」
そう、ここは調理場でありレオは得意の菓子作りの真っ最中だった。菓子作りに関しては一家言あるリッパーが邪魔をしに来たという流れである。せっせと型抜きをして天板に載せるレオを意味ありげに見ると、リッパーはクッキーへ左手のナイフを伸ばした。
「……せびるつもりはなかったんですがね。まさかあなた、あいつらにあげるつもりなんじゃ」
「これでも食べてろ」
「んぐ」
大事な生地に傷をつけられてはたまらない。余ったチョコレートで作っておいたチョコがけナッツを仮面の脇から口に突っ込むと、食べ物を粗末にしないリッパーは仕方がないというように大人しくなった。見透かされた通りで、レオは焼きあがったらこっそりサバイバーたちのいる屋敷に届けてもらうつもりである。取り戻せなかった日にしていたことをほんの少しだけ『再現』しても罪はないではないか。
「そこの……白無常、も食べるか?」
「いえ、お腹は空いていませんから結構です。ちょこれえとくっきい、というのはお菓子でしょうか。酥餅に似てますね」
入り口に佇む影に気付き、レオは恐る恐る声をかけた。白っぽいように見えるので口に出した答えは正解だったらしく、リッパーに負けないキリキリとした細長さを持つ青年は穏やかに返してくれた。しげしげと生地を見る彼のあげた単語はわからなかったが、きっと東の向こうにも同じような食べ物があるのだろう。菓子だよ、と教えながらレオは不意にリサのことを思い出した。たどたどしい発音に、幼かった頃の娘が被る。暖かな、何気ない日々は、目の前にも『二人』にもあったのだろうか。
「良かったら作ってみないか?材料が余ってるんだ。今はちょうど、こういう時期だし……知った奴にか何かあげるのも、悪くない」
「やっぱりあげに行くんですね」
「お前にもだぞ」
「む」
小うるさいことを言うリッパーにチョコがけのナッツをぶつけると、器用に左手の先端で受け止めてもぐもぐとしだす。リッパーは最早分かたれた道など忘れた方が幸せだと当たり前のことを言いたいのだろうが、レオは目をそらす権利も持つのだ。言葉足らずのレオを尻目に、リッパーは戸惑う白無常にバレンタインなる西の風習を説いた。曰く、温もりをもらった相手に対し、感謝の気持ちを伝えるのだと。
「あなたが、教えてくれるなら」
しばらく考え込んだあと、白無常はぽつりと答えた。彼の中に何が過ったのか、ひょっとするととんでもなく残酷なことを告げたかもしれない、などと今更取り返しのつかない不安がレオの顔を曇らせる。
「もちろん」
焼きあがるまでは暇だからな。明るい声を張り上げて、レオは今度も目をそらした。リッパーが腰を上げて頼みもしないというのに手伝い始める。思い起こせばこの男はひどく小粋なのだった。それはもう癪に触るほどに。
「私も暇ですから」
もしかしたら今からでも陽だまりに戻れるかもしれない。そんな錯覚を起こしたレオは、チョコレートを直火にかけようとした白無常の手を止めた。
『黒無常へ』
簡素なメモ書きだった。走り書きと言って良い。世界が反転し、意識が浮上してきた黒無常は眼前に置かれた紙と箱の意味がわからずに首を傾げた。場所は荘園内の自室で、椅子に座っているらしい。メモ書きを手に取りあげて検分し、裏書はないことを確認した。普段日記で見慣れた白無常の手によるものだということはわかる。そして添えられた箱は自分への彼からの贈り物と見て良いだろう。
何かもらうようなことがあったとは思われない。誕生日はまだ先だし、命日も遥か遠く(嫌だと抗議しても、まめな白無常はそれはそれは丁寧に祀るのだ)なので不思議な話だった。菓子類のお裾分けはいつも他の仲間からであって、白無常からではない。まさかこの前板当てをされる瞬間にうっかり入れ替わったことを根に持たれてのことだとすれば弁解はしている、はずだ。日記にきちんと懇切丁寧にわざとではないことを切々と説いたのである。
「よし」
散々唸って考えた挙句、黒無常は思考を放棄した。蓋を開けてみないことには禍福のどちらでもなしに悩むばかりだ。もやもやとしたものを抱え込むのは性に合わない。そうっと箱の蓋を開くと、白と黒の薄い石板のようなものが並んでいるのが目に入る。どれも傘の形をしていて、宿魂の傘に似ていた。甘い香りからするに、およそ食べ物らしからぬこの石板は菓子らしい。一つつまむと、傘たちの下に敷かれた紙になにやら書き物がされていることに気がついた。手の中で溶け始めた傘を慌てて蓋に置くと、べとついていない方の手で傘たちを取り除ける。ぺらりとした薄墨色の紙を引き出せば、そこには見覚えのある字が並んでいた。
『食べてから気づいたでしょうが、私が作ったお菓子です。捨てないでください』
ぽろりと目から鱗が落ちる。なるほどこれは白無常が手ずから作ったものなのだ。悪いことはあるまいと、先ほど溶けてしまった傘を口に含む。実に甘い。黒い傘から苦味と酸味が仄かに混じり合い、口の中で合奏し始める。ここに来てから知るようになった異国の菓子の一つというわけだ。
「おいしいぞ」
食べる前に手紙に気づけたことで出し抜いたような痛快な気分でもあり、同時に一人で楽しむことの侘しさがひたひたと押し寄せるようでもあった。
「おいしいんだ」
范無咎が言えば謝必安はまた作りましょうと喜ぶ。黒無常が何を言っても、白無常は見えてこない。こんなにも優しさが練りこまれたものを作ってくれた人物に伝えたくとも、あるのは虚しさだけだ。卓上のペンを取り、白無常のメッセージの下に書き添える。菓子の傘をつまみ、あるいは細工をしてのんびりと日が落ちるのを眺めた。日が落ちる瞬間、ほんの少しだけ世界は黄金色のなんとも言えない景色を見せる。あの瞬間が何よりも好きで、生前は飽きもせずに見ていたものだ。数を数え、黒無常はゆっくりと目を閉じる。時間だ。
『白無常へ』
走り書きの下にそっけなく書かれた、存外丁寧な字たちは、左右半分ずつに食べられた傘たちと並んで卓上にある。美味しかった。だからあなたにも食べて欲しい。それはなんの日かにも関わらず、単純素朴で自然な心の発露である。
「今度は、あなたの手作りを食べさせてくださいね」
分け合ったチョコレートを口に含んで、白無常は黄金色の世界を堪能した。
〆.