ひょっとしたらこれはもしかして、もしかしなくとも
再会の風
落ち着かない、けれども楽しい変化が起きているように思う。日々を食いつぶすように終わらせてきたエスゲンにとって、この変化はまさに青天の霹靂だった。社長であるマグナイが、突然打ち解けてきたのである。マグナイはエスゲンの下で新人研修を受けた中でもとびきり優秀な人間で、いずれ高みに登るだろうと入社当時から確信していたものだ。残念ながら自分に能力はかけらもないが、他人の能力を値踏みする眼力は高いのではないかとエスゲンは思う。自分が教えみちびいた相手が頂点を極めたというのは少々愉快ですらあった。
以降は当たり前の話で、新人研修から離れたマグナイがエスゲンと関わりを持つことはなく日々は過ぎている。否、過ぎていた。特別に楽しくもなく、悲しくもなく、何もないままいつものように一人でオフィスに残り、夕飯に何を作ろうかと思いながら作業をしていたところ、ふって湧いたようにマグナイが現れのである。現れたのみならず、あろうことかマグナイはエスゲンに仕事の手伝いを申し出た。それも、社長ではなく新人だったマグナイとして。
仕事ができる男は交渉もうまい。社長命令ならまだしも、個人的な後輩のお願いを断れるはずもなかった。そのまま強請られたご褒美を与えたことさえ心地よく、エスゲンはふと、マグナイはさぞやもてるだろうと下世話な想像をしてあわてて打ち消した。
『エスゲン。来週の日曜日の予定を空けておけ』
その日以来、忙しすぎて一介の社員に関わる暇などないはずのマグナイはエスゲンに頻繁にメールを寄越すようになった。さらには時たま以前のように人目につかない場所で労ったり、仕事を手伝ってくれたりもする。あまり面と向かって関わらないのは、その後でエスゲンの立場が難しくなることを危惧してのことだろう。望むべくもない関係だから、エスゲンの側に不服はない。寧ろ、この関係に奇妙な居心地良さを覚えていて、なくなってしまったら寂しいだろうとさえ思っていた。
「予定は空いてるけど、随分強引だなあ」
マグナイの言い方は傲岸不遜そのものだが、理由を説明すれば引く柔軟さがあることをエスゲンは承知していた。ついで、我慢はするだろうが拗ねる様も想像することは容易だ。彼のそんな様は見ていられない。どうにも甘やかしてしまうな、とエスゲンは少し考えて返事をした。
『わかったよ。うちに遊びにでも来るつもりかい?』
先日は子供の頃に食べた菓子の話をしていたから、きっとそれだろう。自分なりの当て推量をしてみたのだが、思いもよらないパスが飛んできた。
『映画に行く。ペアチケットをもらった』
「……そういうものは恋人と行くんじゃないのかい?」
あるいは、目下意中の人であるとか。他にもっとあるだろう、と嘆息しながらエスゲンは諾と伝えた。マグナイは計り知れない。エリートの気持ちなど、所詮エスゲンに理解できるものではないのだ。
久方ぶりの出会いは心に光が差し込んだように浮き立つもので、マグナイはどうしてもそれを掴み続けていたかった。知力も体力も抜きん出てこそ社長の座を勝ち取り守り続けたマグナイが、自分の変化に理由を見出すには然程の時間を要しない。
「エスゲンが欲しいな」
「お前のナーマにか」
「あるいはな」
パートナー経営者であるダイドゥクルに漏らすと、物分かりのいい相手は悪くはない、と頷いて見せた。男を見る目があるダイドゥクルにとっても、エスゲンは良い物件であるらしい。先に言っておいて良かった、と安堵しながら、マグナイは他の誰にも尋ねられない問いを続けた。
「ナーマと休みの日を過ごしたいんだが、何か良い方法はあるか」
「……余輩殿、さてはお前ど」
「余計な話はするな」
「ふ、まあ良いとしよう。映画なんてどうだ?先日往訪先でもらってな」
「女を泣かせたのか。相手も見る目がない」
「どうとでも言え。女には興味がない。結果は教えてくれ」
「承知した。感謝する」
かくて、ダイドゥクルより(正確にはダイドゥクルと出かけられると期待した女性からだ、可哀想に)受け取ったチケットと共にマグナイはスタートダッシュを切った。
エスゲンの予定を空かせるのは簡単だ。少々強引かという思いがよぎらないでもなかったが、この強気こそが部下たちに慕われる理由の一つでもある。ひとまずはこのスタイルを貫こうと攻めることにした。
エスゲンから承諾の返事を受け取った時の達成感と言ったら!簡単かつ確実だとわかっていたにも関わらず、マグナイは嫌な客との接待もご機嫌で終えられるほどに満足していた。これが所謂恋というものなのか。絶対にホルムギャングを成功させようと決めると、マグナイは当日に向けて入念な準備を始めた。
約束の日、マグナイに呼び出されたのは繁華な再会の市である。普段のエスゲンであれば最低限必要な買い物をするだけで素通りしてしまう場所だ。ごく稀に友人と遊ばないわけではないけれど、さして回数は多くない。調べてみれば、マグナイが誘ってくれた映画は流行りのホラー映画ということで、怖いものが苦手なエスゲンは既に冷や汗をかいていた。ひょっとすると、もらったチケットがこの映画だったからこそエスゲンに声をかけたのかもしれない。ホラー映画好きならまだしも、そうではない相手に見せるのは悪手だろう。
「エスゲン!遅いぞ」
「まだ5分前だよ、マグナイ君。いつから来ていたんだい?」
「……つい先程だ。飲み物はどれにする?ポップコーンはミックスを買うつもりだが」
「待たせちゃったみたいだね。ごめんよ、もう少し早く来れば良かった。……ココアがあったらそれにしようかな。マグナイ君は何が良い?私が買って来るよ」
エスゲン自身も時間よりも前に来たとは言え、どう見積もっても30分は前からいたらしいマグナイが可愛くて仕方がない。子供のような拗ね方を見て、エスゲンはひょっとするとマグナイはデートで振られる可能性があるかもしれないな、と唐突に思いついた。交渉ごとが得意な社長にありうべからざることである。どうやらプライベートではまるきり別の顔を見せるらしい。
「ココアならばあった。余輩が買う故、そこで待っていろ」
「せめてお金は折半させてね?」
「……考慮する」
この手のことで、マグナイが一度決めたら折れないことは明白だった。可愛さと強情さに苦笑すると、エスゲンはお願いだよ、と困った顔を見せてみた。特に年上の客に有効な手だが、どうやらマグナイにも有効らしい。ぱっと頬が朱に染まると、わかった、と掠れた声が返された。想定した反応とは少々違うが、問題はないだろう。マグナイを見送ると、エスゲンはちらりとフライヤーで映画の筋書きを見て顔を引きつらせた。
わかりやすい映画だった。驚くことも恐れることもない内容である。冒険者の男性が命を落とし、共に旅をしていた幼馴染の女性が少しずつ狂い、最後には化け物へと変じるという話だ。素朴な見目をしている女性だからこそ、一層不気味さを増している。舞台はまだ見ぬエオルゼアであったから、異国というよりも別世界のファンタジーとして観ることができた。
が、どうやらエスゲンにとってはわかるわからない以前に恐怖の連続であるらしい。女性が男性の生首を抱えて旅を始めた幸せそうな表情でびくつき、墓場での結婚式への招待状が出た時点で小さく悲鳴が漏れる。ちらりと横目で見た限り、どうやら青ざめているらしかった。仮にこれが意中の相手を仕留めるための場だとして、どうすれば成功するというのだろうか。大方ダイドゥクルはこうなることがわかって面白がっていたに違いない。明日会社で締め上げてやろうと決めると、マグナイは少しでも支えになれないかとエスゲンの手に触れた。
突然の感触に驚いたエスゲンがこちらを観る。大丈夫だと伝えたくて、ぽんぽんと軽くて掌を叩いてやれば、ゆっくりと頷かれた。と、瞬間大きな叫び声が画面から襲いかかる。同時に、マグナイも声を上げそうになった。背筋を震わせたエスゲンが、ぎゅっとマグナイの手を握ってきたのだ。これが他人であれば不快なことこの上ないだろう。だが、相手は意中のエスゲンなのである。この機会を逃す手はない。庇護欲を掻き立てられて、マグナイは握りやすいように組み直し、柔らかく握り返してやった。エスゲンに縋り付かれたのは、思えばこれが初めてのことだった。
それきり、映画の内容は覚えていない。マグナイはざらついたエスゲンの掌だけを感じていた。
身も凍るような時間が過ぎ去り、牢獄から解放されたエスゲンはぜいぜいと喘ぎながら両手で顔を覆っていた。そっと背をさするマグナイの手がありがたくも己の身は情けなくれいただけない。年の功などどこにもなく、子供のようにおののく様を見られたというのはたいそう申し訳なかった。
「ごめんよ、私本当に……情けないけれどもこういう映画が苦手なんだ。君がいなかったら絶対に気絶してたよ!気持ち悪かっただろう」
「構わない。苦手だと知らずに連れてきた余輩も悪かったのだからな。よし、気分転換だ。夕餉を取ろう」
「ありがとう、マグナイ君。やさしいね……ところで君、レストランを予約しているんじゃないのかい」
「し、知っていたのか!何故だ?ダイドゥクルか!彼奴め、絶対に許さん」
落ち着いた様子から一変し、見る間に慌て出すマグナイの姿に、エスゲンは先程までの恐怖の一切を忘れた。ただもう、微笑ましさが増すだけである。
「ダイドゥクルさん?いや、彼は関係ないよ。なんとなくそうじゃないかな、って思っただけ」
「……良かろう、二度とこのような失態は見せぬ。エスゲン、寿司は好きか?」
「好きだよ」
アジムの料理は肉類が多いが、ドマへの出張が多いことから、エスゲンにとって寿司は馴染み深かった。ついでに言えば赤身のマグロが一番好きだが、ここアジムではなかなかお目にはかかれない。マグナイが行く店ならばきっと置いてあるだろう。そのマグナイはと言えば、エスゲンの返答にうっと詰まらせて顔を赤らめた。相変わらずマグナイは読めない。エリート云々ではなしに面白い子だな、とエスゲンは微笑んだ。
良い風が吹く。夕方の再会の市は一層賑やかさを増し、ぎこちない変化を重ねる二人を押し流していった。
〆.