NOVEL
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ものごころ


 人の魂は、どこに宿るのだろう。宗教的問いかけにまるで無縁であったトレイシー・レズニックがこの難題にぶつかったのは、不運にも失われた後の姿を見てからのことだった。焼け落ちた家、母と父との思い出が詰まった工房、もの、愛した試作品たち、全てが灰燼となった様はさながら祭りの後のように薄っぺらく、どこか昨日までの賑わいすらも嘘のように思われる。もし、父がいたならばトレイシーは笑っていられたろう。けれども結論父は燃え落ちた。残ったのは、この身に刻まれた父という存在だけだった。

 父はよく話してくれたものだ、トレイシーは父母の血をよく受け継いだ、研究熱心な子だと。だから、トレイシーはすべての時間を研究と実験と改善改革に注いできた。時間も金も何もかもが足りない。何のために作るの、と母ならば聞いたかもしれない。世の中のため?まさか。トレイシーの研究は、結局自分自身にとって楽しいものであり、世間一般がどう思うかだなんて二の次だった。飲食は気がついたら、風呂睡眠はどうしても耐えられなくなったら。部品や材料の買い付けは、父がいた頃から取引していた相手ばかりだったので、火災保険と死亡保険(全く便利なものだ、だがこの損害には焼け石に水だ)でもらった金を充当してただただやりたいことをやりたいようにやった。

機械人形がおぼろげながら形になろうとしたのはこの時で、大量の請求書がポストから溢れ出し、取り立て人がやってきたのもこの時である。それまで当たり前のように手に入れていたものは全て誰かの親切心で出来上がっていた(所謂ツケだ)とはまるでつゆ知らず、教えてくれていたならば良かったのにと思うも今更どうすることもできない。もう一度家が燃えたらどうだろうとも考えたが、今回は火災保険には入っていないので無意味だ。生まれて初めて金策なるものに余計な頭を使う必要が出た瞬間、ポストに新たに放り込まれた一通がどれほどトレイシーの救いとなったか知れない。

 荘園で行われるお金持ちの高等遊戯に付き合えば賞金を手に入れられるのだという。ただ毎日コツコツ金策をするよりもよほどわかりやすく、トレイシーの性にも合っていた。おまけにどうやら相手はトレイシーの機械人形についても聞いたことがあるらしい。何かお手伝いできることがあるかもしれません。慎重な父ならば、きっとよく考えるようにと言っただろう。だがその父は今はもういないのだし、父のためにも自分のためにもいい話には違いないのだ。

 だから、トレイシーは機械人形と手と手を繋いではるばる荘園までやってきた。着いたらば様々なことに驚くことは多かれども、嬉しさの方が大きい。ゲームにさえ真面目に出かければ誰も干渉しては来ず(食事と風呂は感エミリー・ダイアーの指導の元管理されはしたが)、何より潤沢な設備が整った工房ではより進んだ機械人形の製作に成功したのだ。いつかこの子は人間そっくりになれる。のっぺりとした機械人形に顔を描いてやって、トレイシーはたった一人の家族を抱きしめた。冷たくゴツゴツとした表面は、およそ人からは程遠いものだけれども、まだまだ進化の余地があると思えば愛らしい。人間だって猿から進化したと誰かが言っていたではないか。

「君が喋ってくれたらいいな」

あの声で話してほしい。思い出を語るように、思い出を作るように。機械人形の胸のあたりに耳を押し当てると、チクタク、ジジ、と歯車や部品が動き続ける音がする。忙しない動きはだがしかし、生命ではない。ここに魂は宿らないのだ。機械人形の外皮を剥がすと、人間のように作り上げた機械の内臓が懸命に躍動している。イソップ・カールやエミリーに手伝ってもらって、より人間らしく姿を変えたのだ。それでもこれは生きていない。魂は愚か心もない。心がなければ魂もない、が適切な表現か?どうでもいいか、とトレイシーは元どおりに蓋を閉じ、外皮を元どおりに直した。




「ねえ、イソップ。君はゲームの最中じゃなくても『身代わり人形』を作れるかい」
「作れますよ」

まだイソップが荘園にやってきて間もない頃、初めて彼の能力を目の当たりにした衝撃たるや筆舌に尽くしがたいものだった。ゲームの熱が冷めやらぬままに、トレイシーはボロボロになったままでイソップの元へと駆け寄った。棺桶を降したイソップは、カバンから丁寧に埃を払って整えている。トレイシーとは正反対に汚れに気を使っているらしい。だが、そんなことはどうだって良い。今やトレイシーの頭の中は先ほどのゲームで見た光景が焼き付いて離れないでいたのだ。

そもそも、棺桶という普段の生活で見かけぬものに度肝を抜かれたものである。初めてイソップと組むこともあり、流石のトレイシーも相手を見ずにはいられなかった。解読機に向かう道すがら、イソップが徐に棺桶を整え始めたことにギョッとして足を止めると、しーっ、とマスクの前に指先を立てた青年は至って平然と人形に化粧を施し始めたのである。新しいものを見れば探究心がくすぐられるもので、つられて覗き込んだトレイシーは出来上がった代物に心臓が飛び出しそうになった。

「これって、僕、」
「ええ」

さあ解読に行きましょうとイソップが誘う。物言わぬ自分そっくりの人形は、棺桶の中で静かに佇んでいた。これは一体どんな儀式なのだろう?寡黙な青年は説明不要とばかりにそのまま別の解読機へと姿を消した。答えがわかったのは、トレイシーがチェイスに失敗してからである。なんと!自分が地面に倒れてロケットチェアに括り付けられたと思いきや、あの棺桶からするりと抜け出したのだ!何が起きたのかわからず、まるで異なる場所に身を置かれていたことにも目を白黒させていたトレイシーを、イソップが誘ってくれなければ到底現実に戻れなかっただろう。

 これは福音だ!棺桶一つで死は嘘になる。自分が作り出せなかったことが何より悔しいが、答えはここにあったのだ。神様ありがとう!初めて神の名前を叫んだような気がする。いつも胸ポケットに収めている写真を取り出して、トレイシーは恐る恐るイソップに手渡した。

「この人を作ってほしいんだ。サイズは今の僕を基準にしてくれたらちょうどいい」
「いいですよ」

疲れた様子だったが、存外あっさりと頷き、納棺士は仕事を始める。ああ、いよいよだ。やっと、やっと出会える!

「でも、これはただの人形ですからね」

震えるトレイシーに、イソップの忠告は耳に入らなかった。




 結果――何も得ることはなかった。ぬか喜びはひどく心を消耗させたことだけは確かで、研究は再び振り出しに戻る。楽をしてはいけないよ、という父の思し召しかもしれない。まるで人ではないが、動ける機械人形と、まるで人のようであってもただの動かぬものである身代わり人形は、どちらも空っぽの器のようなものだ。どちらも偽物で、本物に必要な唯一のものがどこにもない。いつか、魂を捕まえられる技術ができはしないか?一体いつになれば自分は再びやり直せるだろう。

「父さん」

部屋の隅に置かれた棺桶に向かって声をかけ、トレイシーはぐっと顔を引き締めた。枯れることのない黄色いバラが光る。心優しい青年は、身代わりのできないモノをトレイシーに残してくれたのだ。いつか、これも、それも、あれも人間そっくりになる。目を開けて、目を閉じて。魂も心も宿ったものたちに囲まれて、トレイシーは初めて満足するだろう。壁の時計が四つを知らせる。もうすぐまた、ゲームが始まる。

「行こう」

機械人形の手を取って部屋を出る間際、ちらりともう一度棺桶を振り返った。

誰かの見送る声が、聞こえたような気がした。


〆.