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月が欲しい


 風は秋の匂いを孕んでいる。すうっとした涼しさに、どうしようもない寂しさが漂うのだ。陽の光までもが色を変えて、それが木葉に写って木々を鮮やかに飾り立てる。秋とは、これから続く長く暗く、寒い冬を越えるために力を蓄える時だと、教えてくれているのだ。

 よって、世の人々は秋を祝う。洋の東西を問わず行われるものだと、クリーチャー・ピアソンは荘園にやってきて初めて知った。そもそもそれまでは季節の行事にも興味がなかったのだ。祝い事は稼ぎどき以外の何物でもなく、祭りも祝いも楽しむのは余裕がある人間だけだからである。

荘園は特別だ。ここでは、つまるところ自分はただのクリーチャー・ピアソンだと、そうあって良いのだと肯定してくれる。小さな箱庭では、荘園の主人の掌の上で踊る仲間たちとの生活を如何に楽しみ、泳ぎ切るかだけが求められていた。

 さて、秋である。玄関先に大量に届いた中秋節の祝いに、クリーチャーは小首を傾げて中身を確かめた。飾りにせよとでも言うのか、大小様々な東洋風のランタンに縁起物らしき紙細工が詰まっているのはまだわかる。不可思議なのはそれよりも遥かに大量の菓子箱だ。チョコレート以外の既製品が贈られてくることは珍しく、大概は材料とレシピだけをどんと渡されて四苦八苦する。例えばいつぞや命じられた餃子なるものは、作りはしたものの似て非なるものである感が否めない出来栄えだった。

今回は楽ができそうだ、と箱を開け――クリーチャーはこれは本当に菓子だろうかと箱の蓋をもう一度確かめた。まるで木彫りの置物のような、みっちりとした琥珀色の丸い物体がずらりと並んでいる。微細に形が違うので、おそらく中身も異なるのだろう。絵柄か文字か判別のつかない、異国風の模様を撫でて、クリーチャーはラードの匂いを嗅ぎ取った。食べ物ではあるらしい。

「クリーチャー!」
「っ」

鋭く響いた声に、中身を確認しようと延ばしかけた手を慌てて戻す。見遣ればエミリー・ダイアーが両手を腰に当ててこちらを睨んでいた。

「つまみ食いはだめよ。どうなるかわかったものじゃないわ」
「こ、これはお菓子、なんだな」
「そうよ。去年も食べたの、忘れたの?月餅……ムーンケーキという、東の国のお菓子だそうよ」

去年も食べたのか?あやふやな記憶を探り、ぐるぐると時間を巻き戻す。どうして覚えていないのか、こんなもの食べ物なんかに見えやしないのに……ああそうだ、とクリーチャーはようやっと思い出した。ナワーブ・サベダーが原因だ。

「あれか!去年、サベダー君たちが食べ過ぎて鼻血を出したやつだな」
「正解。あれは凄かったわね」

甘いから仕方がないけど、と言いつつもエミリーの目はしっかりと月餅に向けられている。どうやら彼女もこの菓子の魅力の虜らしい。去年はあまりにもガツガツと食べる連中に慄いて、珍しくも自分は手が伸びなかったのだ。

「……中には何が入ってるんだ?」
「色々よ。豆を潰して甘くしたものとか、黒糖とか、ココナッツとか。私が食べたのは黄身餡だったかしら?ウィラがバラの花のものがあったと言っていたけど、結局私は食べられなかったわね」

なるほど、相当に種類が多いらしい。芸が細かいというのもまた考えものである。肩を竦めると、クリーチャーはにわかにむくりと興味が頭をもたげた。そんなに美味しいと言うならば、全部食べてみたい。一番美味しいものを食べる権利は自分にだってあるはずだし、何よりうまくせしめたらば胸もすく。蠢き出す指先は、長らく眠っていた欲望を孕んでいた。

「ともかく、これはつまみ食いをしないように箱ごとホールに飾るのよ。箱も可愛いでしょ?」
「て、手伝おう」

そうすれば、どこに何があるのか、警備の隙がどこにあるのかも手に取るようにしてわかる。誰よりも早く手に入れなければならない。

中秋節は来週に迫っていた。




 クリーチャーは抜け目がない男だ。と、同時にどこか抜けた部分がある。矛盾しているようだが、人間なんてそんなものだろうとナワーブ・サベダーは思う。だからこんなおじさんにだって愛嬌があるのだ。

「えーと、つまりなんだ、あんたあれを盗もうって考えてるの?やめた方がいいよ」
「散々食べた奴に言われたくはないな。わ、私にだって食べる権利がある」

拗ねたように口を尖らせるクリーチャーに、ナワーブはこの藪から棒な話をどう切り返そうか、と頭上の月を仰ぎ見た。頭が冴え冴えとしてゆく。ほんの少し前までナワーブは気分が良かった。どれほど良いかというと、ゲームで満足のいく結果を出した帰り道、クリーチャーに最高だったな兄弟!など調子が良いことを言ったくらいである。案の定と言うべきか、クリーチャーは親しげに肩を叩いた時点でびっくりして目を白黒させていた。少し馴れ馴れし過ぎたろうか。ついウィリアム・エリスに対するような接し方をした自分をナワーブは恥じた。とは言えクリーチャーとの関係は、お行儀良く振る舞うようなものではないはずである。

 ついはしゃいでしまったのは、もうすぐ中秋節が来るというワクワク感にもよるのだろう。月は好きだ。静かで、完美で、どこか特別に感じる。大概の人間が寝静まっている時間に見る月は、自分にだけ見せる顔をしているような気さえした。この月の向こうで、故郷の誰かも見ているんじゃないかと、そんな期待もしてしまう。

 中でも一年で一番月が綺麗に見える頃、お祭りをするというのはなかなか良い風習だとナワーブはひどく心待ちにしていた。去年初めて知った行事は興奮するには十分で、ウサギよりも早く走って月餅を運び出したことは鮮やかに記憶に残っている。そこにクリーチャーの質問が飛び込んで来たのは、奇妙な偶然だった。

去年十分に楽しめなかった(言外にナワーブたちが暴食したためだと詰られた、否めなくはない)クリーチャーは、今年に一挙に挽回するつもりだと言う。ついては仲良く分け合いっこなど手温く、大事なものをごっそり横から頂こうという寸法らしい。

「要するに盗み食いだろう」
「当然の分前をもらうまでさ」

去年の分を取り返すというクリーチャーの闘志は見当違いで、ナワーブは思わずくすりと笑みをこぼした。これだから困ってしまう。胡散臭くて捻くれて、扱いが難しい年上の男は、付き合いが長くなるにつれてナワーブの温かな部分をくすぐるようになっていた。

「ともかく、やめておいた方がいいよ。俺は忠告したからね?」
「君に聞いた私が間違っていたな。君なら、どれが一番美味しいか知っていると思ったんだが」

まあ見ていろ、と犯罪予告をするクリーチャーは見た目のままのチンケな泥棒めいていて益々おかしい。可愛いと言ったら怒るだろうか。なあ、兄弟。

きゅん、と言い知れないもどかしさが込み上げた胸を押さえると、ナワーブはもう一度思いとどまるように宥めた。勿論、答えは否だった。




 中秋節当日。常に誰かしらでホールは賑やかとなり、あと少しで月餅が食べられると浮き足立つ人間の姿が見かけられる。だが、どんな犯罪も証拠隠滅を図ればないも同然だ、そうだろう?何食わぬ様子で日々人の動きを観察し、品行方正な振る舞いに気を付けていたクリーチャーにとっては完璧な計画をただ遂行すれば良いだけの話だった。ツリー状に重ねた箱の一つ、一際豪華な箱を、空箱とすり替える。吟味に吟味を重ねて目星をつけ、箱の制作に励んだ自分は涙ぐましいほど篤実ではないだろうか。

 鑑識眼のあるナワーブを計画に引き摺り込めなかったのは残念だった。月見が好きだとはにかんだ様子で自分に打ち明け、あまつさえ兄弟などと呼びかけられたことに油断してしまったのかもしれない。犯罪とは一人で貫徹させるべきなのだ。仲間は不確定要素に過ぎない。

ホールに入ると、クリーチャーはランタンに灯りをつけるエマだけであることを確認した。予定通りである。驚かせないように近づくと、クリーチャーは親切そうにゆっくりと声をかけた。

「ウッズさん。ススキの穂が足りないって、パトリシアが話してたぞ」
「そうなの?昨日とっておいたのに変なの。わかったの、ピアソンさん」
「どういたしまして。残りは私がやっておこう」
「ありがとうなの!」

嬉しい、とエマが浮かべる満面の笑みにときめかなくなったのはいつからだろう、とクリーチャーは小首を傾げた。多少揺らいでも、以前ほどには感情が乱高下しない。

「さてと」

用具箱に隠しておいた箱を取り出すと、速やかに目当てのものと取り替える。念のため蓋を開ければ、豪華な包みに入った月餅たちがきらりと光った。今日の獲物にふさわしい。静かに満足すると、犯行を続けるためにさっさと灯りをつけて回る。短い時間で済むように、ランタン飾り自体もクリーチャーが手伝ったのだ。脚立と余った蝋燭、ついで道具箱に見える箱――勿論中にはあの月餅たちが入っている――を携えれば犯罪完了である。

 ポットに茶を入れて、屋根上にでも出て食べるとしよう。中身をいちいち確認するのも面倒だが、仕方あるまい。と、玄関ホールを出たあたりで不審げなエミリーの目にぶつかり、クリーチャーは思わず怯んだ。

「ススキは十分にあったわよ」
「何の話だ?」
「その箱の中身を見せて頂戴」

思えば彼女は初日から自分に目をつけていた。エマを誘導したのは失敗だったと今更のように後悔するももう遅い。小さく舌打ちすると、クリーチャーは一か八かの賭けに出た。

「っ、エミリー大変だ!カートが鼻血を出して倒れてるぞ!」
「なんですって?」

医者の本能からか、エミリーが患者の姿を探し始める。脚立を捨て、余った蝋燭もばらまいて、クリーチャーは一挙に走り出た。罵声が背後から追いかけてくるも、チェイス担当の自分ならば逃げ切れるという自信がある。

「さ、サベダー君!」
「ん?」

途中で見つけたナワーブの腕を引っ張ったのはどうしてだろう。ただ、そうでなければならないと思ったことだけは確かだった。呑気にススキを摘みに行っていたらしいナワーブの手から金色がこぼれ落ちる。

「あ、あんたまさか盗んだのか?」
「ヒヒッ、だ、だったらどうだ」
「待ちなさいこの泥棒!」

エミリーの声ばかりが追いかけてくる。こうなれば一編托生で、クリーチャーはナワーブに片目をつぶって見せた。

「ひ、一人で食べるには多いからな。逃げるぞ、『兄弟』」
「……まったくもう」
「うわっ」

ガッといきなり腰を掴まれると、クリーチャーはナワーブの腕の中にあった。どうやら抱き抱えてくれるらしい。顔が火照り出したが、クリーチャーはまずは逃げてからだと心を落ち着かせた。

「この方が早い。行くぞ、『兄弟』」

これで共犯者だ。分前はたっぷりもらうよ、と言うナワーブにクックと笑って見せて、クリーチャーは戦利品を高く抱え上げた。

天高く雲は晴れ、紺青の空に真丸の月が淡い光を放っている。

季節はまさに、秋だった。


〆.