だって、全部を計算する何て、十本の指じゃあたりないですよね?
貴方の肩
2LDKのアパート、と聞けば何が思い浮かぶだろう。一人暮らしには十分過ぎる部屋、そう例えば小さい子供が一人や二人いそうな、そんな若夫婦が住むに相応しい広さだ。最低でも二人は欲しい。寝ることのないもう一つの部屋に詰める何かを持つには、大概の人の手に余る。だから、小暮雄造(こぐれ ゆうぞう)は空きが出てしまった自分のアパートの一室は、仲の良い2人組に貸そうと決めていた。結婚しているかしていないか、友人なのかビジネスパートナーなのか、どれでも良い。できるだけ長く借りてくれるのであれば、その関係は問わないつもりである。ではどうしよう、と考えた末に、アパートのオーナーである小暮は友人の平間健司(ひらま けんじ)に紹介を頼んだ。
平間健司は、件のアパートからそう遠くはないバーのマスターである。ついでに言えば、小暮のアパート(その名も小暮第一アパート、実にひねりがない)の住人だった。要するに、隣人を選べという依頼で、平間には造作ない話だろう。何せ、丁度この辺で部屋を探している男が二人、客にいるのだ。一人は木更津隆二(きさらづ りゅうじ)、実に洒落気な若人で、職業は小説家。それも名の知れたベストセラーやら連載やらを抱える売れっ子である。見目良く、女に不自由しないとは彼を指すが、今のところ大きなトラブルに巻き込まれた事はない。少々保守的な側面を意味するかのように、真っ黒な髪に白い肌がよく映えている。小説家という職業の割には筋肉質で、ちらりと聞いた話では、ジム通いも趣味の一つらしい。
もう一人は石沢俊樹(いしざわ としき)、こちらは近くのゲイバーのオーナーである。ただ持っているだけで経営自体はまるきり店長に任せていた。住んでいたアパートの老朽化に伴い、改修工事の煩さに耐えるよりは引越をしたいと考えているという。オネエなのだが、くるりと巻いた髪を肩まで伸ばすも化粧気のない石沢は正にただの中年男性だった。口を開けばすぐにわかってしまうものの、黙っていれば取り立てて特徴はない。
外の世界では全くかかわり合いになりそうもないこの二人、よく並んでカウンターに座ることから話が弾む仲になっていたのだった。映画の趣味が一緒だとかで、平日の昼間に揃って出かけた事もあるらしい。自由業の二人だからこそできることだろう。最初は少々引き気味だった木更津も、自然体で接して来る石沢に心を許していったのだった。何より、石沢が付き合う男達(平間も見かけた事がある、木更津よりもずっと彼の方が頻繁に相手を変えているような気がしていた)は、ちゃらちゃらとした生意気な連中ばかりで、年齢と見た目の綺麗さくらいしか木更津に当てはまらない。第一、石沢は少しも木更津に色気を出していないので、確かに男もありとあらゆる女にその気になるのではないのだ、という当たり前の事実に納得したということだった。
「ルームシェア、ですか」
「ああ。一人じゃ駄目だそうだ。前に一人暮らしのやつで苦労したんだとさ」
小暮に相談された翌日、平間はいつものように目の前に並んだ木更津と石沢ににんまりとした。
「ふうん。でもマスター、なんで私と隆二君に教えてくれたの?そりゃ私達は部屋を探してるけど、その」
「俺は構わない。石沢さんの家に泊まったけど、綺麗だったからな」
「へえ」
「人ん家のことをぺらぺら喋らないで頂戴!やだわマスター、お持ち帰りしたんじゃなくて、普通に寝かせただけですからね」
それは事実なのだろう。平間はそれ以上掘り下げる事はしなかった。意外な事に、了承したのは木更津が先で、尻込みする石沢に乗り気である旨を切々と話し始めた。曰く、石沢の家事能力(ただし料理は駄目らしい)は自分に有り難いし、ついでにスケジュール管理もしてもらえたらとても嬉しい、DVDを借り合わなくても一緒に見られる、等というもので、正直な所それは母親に求めるものではないかと頭を抱えさせる内容である。だが、対する石沢には悪くない話であったらしい。仕方がないわね、と言いながらも唇の端をあげているので、内心嬉しいのだろう。
こうして無事に、平間のミッションは終わり、小暮第一アパートの空室問題は解決したのだった。
人が二人、共同生活を営むためにはルールが必要だ。何故って、違う人間であれば違う生活様式というものがあって、しばしばその違いから問題になりかねない。塵の出し方、皿洗いのタイミング、朝起きる時間等々。とはいえ自由業でどうとでもなる生活を送る木更津と石沢が決めたのは、たった一つであった。
「誰もこの家に呼ばない。良いな?」
「良いわよ」
何しろ二人ともベッドをともにする相手には事欠かない。それ相応のことも致す訳であって、お互いが聞こえる場所で行うのは駄目だろうという見解の一致であった。あとは、自然と木更津が食事全般を担当すること、共同スペースの掃除とゴミ出しは石沢が担当すること、だけが決まった。万事目出度くというやつで、木更津はいたく満足した。石沢は地味な、けれども目元だけは妙に華やいで見える(言いように寄っては可愛いのかもしれない)顔をほころばせて笑う。だから問題はないだろう。他人とルームシェアをするなど、恋人でもなければなかった話なので木更津に緊張や不安がないと言えば嘘になるのだが、石沢ならばなんとかやっていけそうに思われた。何しろ石沢の方が恐らく十は年上で、あれこれ世話を焼いてくれる有り難さがある。
「でも驚いたわ。貴方の方から一緒に住もうだなんて言うとは思わなかったもの。怖くないの?」
「そういう偏見は間違いだろう。第一、それだったらあんたの家に泊まったりもしない」
「ふふ、そうね」
実のところ、最初の一回目は酒の勢いがあったものの緊張していたのだ。だが石沢の世話焼きに今ではすっかり慣れてしまった。例えて言えば、実家に帰るような安心感で、料理だけが今ひとつというのが惜しいくらいである。多分、彼はこうしてこれまでの男達をまめまめしく世話をして来たのだろう。自分の話を棚に上げて、木更津は少々奇妙に思えた。石沢と暮らすことを決めたのは自分だが、石沢にはともに暮らしたいと思うような相手は居なかったのだろうか。
「今は居ないわね。ううん、しばらくないんじゃないかしら」
「どうしてだ?」
「ーー隆二君だけに教えてあげる。私ね、男運が悪いの。どいつもこいつもやんちゃな碌でなしよ。だからね、結局は一人なの。この前のはひどかったから、暫くは彼氏を作るのもこりごりだわ」
「悪い。聞かせたい話じゃなかったな」
「良いのよ。一緒に暮らすんだもの、知っておいた方が良いかもしれないでしょ?そう言う隆二君はどうなの、結婚したい子とかいるんじゃない?」
「いや」
こういう言い方は良くない、とわかっているのだが、素直に言えば木更津は当面結婚するつもりはない。小説を書く方が楽しいし、ジムに通う方が楽しいし、石沢と映画を観る方が楽しい。女の子とのデートは勿論好きだしその先も大歓迎なのだが、重い関係は今はまだ受け止める心の準備ができていなかった。だが自分はまだ二十代も半ばである。人生経験を多く積みたいと思っても悪くはないだろう。何しろ全ては小説に反映されるのだーー木更津の書くのは恋愛小説なのである。
「ふうん。問題がなければ良いんじゃない。私も人の事は言えないしね」
「有り難う」
「こちらこそ。一緒に住んでくれて有り難うね。お陰で良いお部屋に住めたわ」
確かに良い部屋だった。リフォームも完璧にされており、前の住民の痕跡は少しも感じ取れない。小暮様々である。賃料は土地柄お手頃で、いい条件がそろい踏みだった。共同スペースとなるリビングやら食堂やらについては、面倒なので石沢に任せた所、小洒落た北欧風のインテリアでまとめてくれたので言うことはない。こういう言い方は悪いだろうが、石沢は木更津にとって、理想的な便利な道具だった。おまけに石沢からは、彼ら同性愛者の恋愛事情も聞く事が出来る。石沢は自分自身の話は滅多にしないが、自分の店で聞いた話等をぽつぽつと木更津に教えてくれた。お返しになるものは小説しかないのだが、幸い石沢は木更津の小説が好きらしい。
「貴方の小説を読んでると、こういう生き方をしたかったなあ、って思うのよね。読んでいる間は夢みたいな生き方を楽しめるから好きよ」
「読み終わったら?」
「寂しいわね、とっても」
そう話す石沢の表情はひどく寂しそうで、木更津が思わず抱きしめてやりたくなる程だった。思わせぶりな行動をしたところで彼には申し訳ないことだから、結局はやめてしまったが。
気が楽だ。家に帰って、お帰りと言われる生活はもう何十年もなかったものだから、石沢は心の底から嬉しく思った。実際のところ、石沢は誰かにずっと傍に居て欲しかったのである。それがパートナーでないということは少し寂しいが、気心の知れた木更津との生活は十分満足のいくものだった。誰かに下心なく信頼され、必要とされる事は自分の価値を認められるに等しい。木更津は律儀な男なので、毎度感謝の念を伝えて来るし、誰よりも先に彼の書き上げた小説を読ませてくれる。一読者として大変名誉なことで、石沢は自慢したくなる気持ちを堪えていた。
「今日は何を観る?映画館に行っても良いし、DVDを観るのも良いわね」
「家にする。途中で寝るかも」
「ああ、昨日締め切りだったものね。お疲れさま。だったらもう寝た方が良いんじゃない?シーツも洗っといたわよ」
「ありがと。でも観たい」
以前はぶっきらぼうだった木更津は、一ヶ月も共に過ごすとすっかり慣れた口調になっていた。元より仲が悪い訳ではないのだが、ぐんと距離が近づいたように思う。こうして甘えて来る程なのだ、家族程度の親しみを持ってくれているのかもしれない。自分に息子が出来たような、そんな心地になって石沢は苦笑した。木更津の目が、眼鏡の奥でしょぼしょぼと瞬いている。そもそも疲れた時くらいしか眼鏡をかけないのだから、さっさと寝た方が良いのだ。二人で選んだ唯一の家具であるソファに木更津を座らせると、石沢は彼が途中で寝ても良いものを選び出した。『ファンタジア』である。
「へえ、あんた、こういうのも観るんだな」
「疲れた時はね。子供の頃、こういうものをよく観てたの」
あの頃、まだ自分は世間と足並みを揃えて生きていた。両親が居て、クラシック音楽好きの彼らはディズニーが提供するこの音楽から着想を得たアニメーションを選んでくれたのだ。何の歌詞もなく、台詞もないアニメーションと音楽は子供の石沢には少し難しかったのだが、段々観て行くうちに自分の頭の中で物語が展開するようになり、ついには大人になった今でも繰り返し観る作品となっていたのだった。初めて観る木更津も、子供の頃と全く同じ様子で観ていたのだがそこは想像力を糧に生きるだけあり、目に興味の輝きを灯している。子供のように楽しむ姿に、石沢は心底愛しさを覚えた。
「こういう、音楽とか匂いとか、台詞がないものから物語を広げるっていうのは良いな」
「匂い?ちょっと、その……変態みたいに聞こえるけど」
「体臭って香りより匂いだと思うけどな」
言うなり、木更津は何の前触れもなしに石沢の肩口に顔を近づけた。咄嗟の出来事に対処ができず、わずかにかかる息に石沢の背筋がぞくぞくと震える。こんなにも傍近くで他人の温もりを感じることは随分なく、木更津の整った顔が傍にあるという事実だけで頭がいっぱいになってしまった。風呂に入ってからそう時間が経っていないものだから臭くはないだろうが、それでも随分と気が引ける。ふんふんと長らく嗅いだ後、木更津は悪びれもせず、良い匂いだ、と口角を上げた。
「良い匂いって、ただの石鹸の匂いでしょ?貴方だって同じじゃない」
「違うよ、あんたの汗が」
言いかけて、木更津は口を噤んだ。踏み入れてはならない領域に入ろうとした事に気づいたのだろう。石沢は無理矢理笑うと、木更津の頭を撫でてやった。疲れているのだ、だからこんなことをしてしまう。さっさと寝た方がお互いのためだろう。傍近くに木更津の体温を感じた時、確かに相手から良い匂いがした記憶をむしり取ると、石沢はそっとDVDの再生を止めた。
「ほら、おこちゃまはもう寝なさい。おっさんももう寝るわね」
「お、おう。おやすみ」
「おやすみなさい」
けれども、結局石沢は自室にこもった後ですぐさま寝付く事は出来なかった。あのほんの少しの接触だけで、どうにも身体がむずむずとしてしまう。この奇妙な同居が楽しすぎて相手を作らずにいたのだけれども、誰か適当に見繕って発散すべきなのかもしれない。石沢は自分でどうしようもない程に解っているのだが、淫蕩である。ひどく若い筈の相手が音を上げてしまった程だ。考えれば考える程にもやもやとしてしまって、石沢は溜め息をついて布団を剥いだ。さっさと終わらせたくてパジャマのズボンとパンツを脱ぐと、僅かに硬くなっている分身が目に入って笑えてしまう。戸棚を漁ってローションを取り出すと、少し考えて結局大人の玩具も手に取った。これにお世話になることも久々だから、少し時間がかかってしまうかもしれない。それでも期待からか、下腹の奥がきゅんと疼いた。
習慣で風呂に入ったら尻の穴も綺麗にしているものだから、指を入れることに躊躇はなかった。ローションを掌に垂らして温める。ぐじゅぐじゅとした音が溜まらずいやらしい。まずは指だ、とベッドに転がって入れやすい体勢を取る。少々間抜けな格好だが、誰が見るでもないのだから構いはしない。皺を伸ばすように菊門をなぞると、貪るようにして指先を突き入れた。
「んっ」
二本めまではすんなりと入り込む。奥の奥には届かないが、そのもどかしさを楽しむように暖かな内臓器官を弄くった。この指先が、と考えた瞬間に木更津の太い指先を思い出して石沢は全身が熱くなるのを覚えた。それだけは駄目だ。この心地良い共同生活に皹を入れるつもりはさらさらない。だが欲望は実に素直で、ジムで鍛え上げられた木更津の身体であるとか(気を許している彼は、風呂上がりにタオルを腰に巻いた程度の格好でうろつくのだ、勿論石沢だって意識していない)、不可抗力で嗅ぎ取ってしまった彼の体臭を思い出して火照ってしまう。観た事はないが、彼はどんな顔をして女を抱くのだろう?彼の性器はどんなものだろうか。背徳感に頭がおかしくなりそうで、小さな喘ぎ声を漏らしながら、石沢はディルドを手にとり、ゆっくりと尻の奥の奥まで詰め込んだ。
「トシ、大丈夫か?」
「ヒッ」
扉の外から響く声に、思わず石沢は震えた。とっくのとうに寝ている筈の木更津が、なんだってそんな場所に居るのだろう。折りが悪いとしか言いようがない。駄目だ、嫌だ、絶対にこんな姿を知られる訳にはいかない。ぐうと身体の奥に玩具を隠すと、散らばった服ごと石沢は布団の中に潜り込んだ。お陰で折角避難しておいた下着が汚れてしまったが致し方ない。呼吸をする度に体内のものを締め上げてしまってたまらず心地良い。上擦る声を抑えると、二度程声をかけてきた木更津にようやっと返事をした。
「大丈夫よ、探し物してたらぶつけちゃっただけ。心配してくれてありがと」
「……入るぞ」
「だ、だめ!」
部屋が汚いだとか、思いつく限りの言い訳を連ねたが、今日の木更津は聞き分けが悪かった。さっさと扉を開けると、ずんずんとこちらに近づいて来る。漂う彼の匂いに、擬似的に抱かれているような心地がして、石沢はきゅんと腹の奥を疼かせた。途端にずれた玩具が腹の奥で暴れ、石沢はどうにもならずに両手で口を塞いだ。そうでもしなければはしたない声がこぼれてしまっていただろう。何も知らない木更津が、心配そうに傍近くで見つめて来ることが堪え難い。疲れていたくせに、あんなにも眠そうにしていたくせに、どうして自分に構って来るのだ、と石沢は呪いたくなった。
「吐き気でもあるのか?トイレに行くなら付き合うぞ」
「い、いい」
いいからやめてくれ、と最後まで言うことができずに石沢は首を振った。本当に勘弁して欲しい。熱でもあるのか、と木更津のあの手が頬に触れて、石沢は今度こそ全身を震わせた。
「ぁ、あ、やぁああ」
「おいっ」
精を放ってしまった上に、あられもない声をあげてしまって、今や石沢は穴があったら入りたい思いだった。今度こそ木更津を誤摩化せないだろう。実際、流石に事態を把握したらしい木更津がすっかり固まってしまっている。何か茶化すだとか、この状況を崩さなければ、と思うのだが、そんな余裕は少しもなかった。荒い息を吐く度にまた体内のものを動かしてしまって余韻に震えてしまう。木更津の喉がゆっくりと動き、そうしてぎこちなくこちらの布団を剥いだ。
「うっわ、やらしい」
「観ないで、おねが、」
「さっきより良い匂いがする」
「ちょっと!」
どういうことだろう。木更津は異性愛者で、自分の事などなんとも思っていなかった筈だ。先程は危うく踏み入りそうだったが留まったし、日常に戻ることは難しくなさそうだった。それがどうして石沢の両脚を開いてまでして観察して来るようになるのだろう。逃げようともがいたところで、年齢でも筋力でも負けている石沢の抵抗などたかが知れている。ぐ、と木更津は掴んだ石沢の脚を更に曲げると、彼の方へと尻孔が見えるように無理な体勢を作った。だらしのない性器やら何もかもが見えてしまい、石沢はいよいよ死にたくなった。彼が好奇心おう盛だということはよくよく承知している。が、自分までも対象に入れられるとは思っても居ない。どうか悪夢であって欲しい、という切なる願いは聞き届けられず、木更津は再度良い匂いがする、と言う始末だった。
「正直、あんたが何であんなチャラい男と付き合ってるのかわかんなかったけど、ようやく解った」
「……どういう想像してんのよ。ぁ、ああんっ」
思いも寄らない心情の吐露に、石沢は混乱を通り越して呆れてしまった。こんな自分で何を思うのか、他人などどうだって良いではないか。しかも木更津は恐ろしい事に、石沢の尻孔に指を突っ込み玩具を取り出してしまったのである。最早玩具の形状が至ってシンプルなものであることに安堵するより他ない。ぽっかりと空いているであろう孔を凝視され、石沢は堪えきれずに涙を零した。どうにも気が昂っていけない、だがこんな未来など誰にも思い描けないだろう。興奮したらしい木更津の息が内股にかかり、あれと疑問を抱くより先に吸い付かれた。これは悪戯を通り越して最早セックスではないだろうか。空いた手は当たり前のように尻孔を出入りしてその感触を楽しんでいる。ここは気軽な観光旅行ではない、などとくだらない考えに逃避しようとしたならばいきなり噛み付かれて悲鳴をあげた。
「反応が見たいんだから、こっちを向けよ。あんたのその表情、ぞくぞくする」
「変態、」
「その変態達に今まで抱かれて来たんだろ?なあ、俺もここに入れたい」
「嫌よ!なんでそんなこと言うの?私達、そんなんじゃないでしょ?」
「あんたが美味しそうだから我慢できないんだ。お願いだよ、俺の初めての男になってくれ」
「ハッ、ひどい言い方ね」
吐き捨てながらも、石沢は既に自分が彼に絆されていることを感じていた。第一、こんなくだらないやり取りの最中も木更津が愛撫の手を止めないせいで、石沢自身も疼いてたまらないのである。初めての男!愛しく(しかし恋愛感情ではこれまでなかったのだ)想う相手にせがまれて、求められて甘やかしたくなる自分は駄目だろうか。毎度のことながら石沢に近寄る男は碌でなしばかりである。木更津とはそういう関係になりたかったのだが、秘密を暴かれた以上もう戻る事は出来まい。
「……好きにすれば」
「トシってさ、なんだかんだ言って俺に甘いよな」
認めてやるのは口惜しくて、石沢はそっぽを向いた。途端に本格的に伸し掛かって来た木更津が額に口付けて来るものだから溜まらない。これまで自分に何の気もなかったことを疑う程のやり口で、石沢は期待してしまう自分を恥じた。木更津が女性に持て囃されるというのは尤もな事だ。精悍な顔つきの木更津が、切羽詰まった様子で自分を求めて来る優越感はたまらない。木更津の下衣がくつろぎ、先程想像したよりも逞しい陰茎が目に入る。同性との行為は初めてだろうに、萎えないのは彼の想像力の生せる技なのかもしれない。ほんの少しだけ躊躇した物の、木更津は遠慮会釈なく突き入れて来た。
大きさについて何か考えるよりも先に、生だという事実に石沢は顔を引きつらせた。久々であることと、この異様な事態に基本動作をすっかり忘れてしまっている。一方ゆっくりと歩を進める木更津はご機嫌なようで、締まって良い、などという不吉な感想を漏らしていた。女性であればうっとりしていただろうが、今の石沢はうんざりする内容でしかない。満足することは結構だが、さっさと終わって欲しいというのもまた本音だ。これは甘やかしであって、石沢が望む行為ではないのである。今となっては疑わしいが、何せ木更津は石沢の好みよりも堅物すぎるのだ。それ以前にできることならばこの後は昨日と同じ関係に戻りたい。
「動くぞ」
「はいはい……ひゃぁっ」
適当にあしらっていると、木更津が舌打ちをして耳を舐めて来た。想定外の箇所への刺激に声をあげると、悪戯が成功した子供のように笑って木更津が動き出す。構って欲しくて愛情めいた行為をするとは年甲斐もなく、石沢は軽く睨むに止めた。幸い、同性同士の行為が初めてであるだけあって、木更津の動きは彼には良くても石沢には今ひとつ物足りない。身体の構造を把握していないのだから当たり前で、自慰にも似た木更津の行為が終わるまで、石沢は短い声だけあげて数を数えていた。生で始めたくせに、木更津がそのまま吐き出してしまい、石沢はこれから先の処理を思って口をへの字に曲げた。
「悪い、中で出した」
「あっそ。気は済んだかしら」
「済んでない」
何でお前はいってないんだ、と木更津は思い切り唇を歪ませた。どうやら行為に夢中になり過ぎたあまり、石沢の様子は目に入らなかったらしい。擦られることも揺さぶられることも悪くはなかったのだが、要所を押さえていなかったのだ。とは言え素直に告げるのも面倒になりそうで、石沢は単純に先程出したばかりだから、と適当に誤摩化した。
「うそだな」
「何がよ」
「あんたの声があんまり良くなかった。気持ち良くなかったんだろ?やり方が悪かったのは解るけどさ」
「どっちでも良いわ。今の私の気持ちとしては、さっさとお風呂に入ってすっきりして寝たいだけよ」
「嫌だ」
努めて当たり障りのない台詞を選んだというのに、却って木更津を刺激してしまったらしい。多分、これまで腕に抱いたどんな女性であっても不満を残すような真似はしなかったのだ。そうしたところが彼の良い律儀さなのだが、今はただ邪魔なだけである。どうにか御機嫌をとるべく、石沢は覆い被さる(文字通りどっしりとした布団が伸し掛かるような状態だ、なにしろ木更津は筋肉質で重い)木更津の頭を撫でたり、背中をぽんぽんと叩いてやったりしたが、効果は全くない。寧ろ機嫌が悪化したのか、ウウ、と獣じみたうめき声をあげると、少しばかり身体を浮かせて新たな大地の開拓にかかった。
「え、ちょっと、もういいでしょ!やめてったら」
「まだあんたの全部を見てない」
「見なくて良いわよ、見せられるものじゃないわ」
筋肉男を撥ね除ける力は少しもなく、するすると石沢のパジャマのボタンは外され、つるりとした胸が露になった。広がった素肌を確かめるように、木更津の大きな掌が石沢の首から真っすぐに身体の中心を撫でる。たったそれだけでもぞくぞくしてしまうのだから妙な話で、正直先程体内で暴れられたよりも心地が良い。前をはだけられ、無い筈の胸を揉むのは普段の行為で相手にそうしているからだろうか。いやらしく動く指先に、石沢は腹の奥底がきゅんと疼くのを覚えた。
「んっ、おい、急に締めるなよ。急かさなくてもまだ続けるからさ」
「わざとじゃない、ってば!あんまりいじんないで、ぁっ、あんっ」
「いじったら何がどう嫌なんだ?さっきより勃ってるぞ」
年齢の割に一々ねちっこい物言いをされ、石沢は心密かに閉口した。普段、他の男であれば鼻で笑うような台詞で、居丈高にあしらうことなど造作もない。だが、今は全ての台詞が身体中に響いていた。首筋を吸われて、噛み付かれたことで、痕が確り残ってしまったのも、他の箇所も舐めたり噛んだり吸われたりしたことも何もかもが石沢の頭を混乱させる。理性で堪えていた淫蕩さが表に出ようとするのを止められない。幸いなのは、未だにどこを突けばいいのか解らない木更津が二回目も(いつの間にか木更津は盛り上がっていた、どこがどう響いたのかは全く解らない)吐精してもなお石沢が達していないことだった。二回もすれば、いくら異様な状況に飲まれた上での行為とは言え止めるだろう。嗜めるように両腕を突っぱねたが、木更津はまたもやうなるばかりだった。
「往生際が悪い男ね。しつこいのは嫌われるわよ?全部見せたし二回もしたんだから良いじゃない」
「あんたを気持ち良くさせたいんだよ。あんたに気持ち良くなってもらって、そうしてるところを見たいんだ」
「隆二君の書く小説みたいな台詞ね」
「俺が書いているからな。でも、あんたは俺の小説が好きなんだろう?」
捨てないで欲しい、とでもいうような縋り付く眼差しに、石沢はぐ、と押し黙った。しかもそんな台詞を吐きながら指先は確りと石沢の乳首を捏ねている。確かに自分はいい加減達したいし、それらしい交わりもしたいと思う。欲望は既にはち切れんばかりで、木更津さえ良ければ本当は全部投げ出してしまいたい程なのだ。体勢を変えて再度木更津が動き出す。若いためなのか何なのか、よくは解らないがすさまじい回復力だった。少しずつ探るように木更津が動く度、接合部分から木更津が吐き出したものが零れ出す。粗相をしてしまったようなこの感触はとてつもなくおぞましく、ついで背徳感を石沢に与えた。木更津の顔が近づく。きれいな顔だ。その双眸が自分だけを見つめて獲物を捕らえようとぎらついた光を灯している。自分と比較するなどという馬鹿げた事を石沢はしない。が、木更津が口付けて来た時には流石に衝撃を覚えた。
セックスをしたのに口付けの方が衝撃が大きいとは何事か、と言われるかもしれないが、石沢にとってはセックスはひどい悪ふざけの範疇に入っていた。一方で口付けはそれなりの関係の人間としかするつもりはない。木更津はどれも一緒くたになっている可能性が高かった。逞しい肩を腕で精一杯突っぱねると、不機嫌な表情を作った木更津の大きな手が石沢の後頭部に回され、先程よりも深く確りと唇が重ね合わされた。甘やかしすぎた、と石沢は今になって心の底から後悔した。入り込んで来た石沢の舌を軽く噛むと、流石に驚いたのか木更津が離れる。途端に空気が大量になだれ込み、石沢は噎せ込んだ。
「噛むなよ。気持ち良くなかったのか?」
「気持ちはいいわよ。ただ、恋人以外とする趣味が無いだけ」
「へえ」
だったら貴重だ、と木更津が笑う。つくづく悪趣味な男だった。この行為が恋愛に基づくものではないことを互いに承知している。その筈だ。しかし、改めてそれを示されると石沢は気分が萎えてしまった。機嫌を取ろうとするかのように木更津が動き始める。
結局その日、石沢が木更津のもので達することはなく、ただ徒労のままに夜は終わった。
記憶力と想像力、好奇心に観察力など、小説を書くにあたってあった方がいいものは多い。人に寄っては異なるかもしれないが、木更津はこの三つを大事にしている。経験しなければ得られない肉迫した筆致は全て木更津自身から、引いては彼と過ごして来た幾人もの(数えるのは止そう、下品になってしまう)人々から産まれた物だ。だから、石沢とうっかり棚から牡丹餅の要領で寝てしまったことは確りと木更津の脳内に刻み込まれているし、細かく見続けた自分の観察力も衰えては居ない。最中、彼がどうすればもっと善く感じるのか考えに考えたのだが、大変口惜しいことに達成することはかなわなかった。自分ばかりが出てしまって、まるで思春期の少年のように恥ずかしい。
木更津は貪欲な好奇心でここまで生きて来た男なので、律儀にここは学ぶべきだという結論に達した。間違った方法で幾度挑戦しても無駄だし、総当たり戦をする程木更津は暇でもなければ根気もない。もっとも、石沢ともう一度寝ることがあるのか、という問いが本来あるのだが、木更津は何の疑いもなく次回があると確信していた。一夜明けた石沢は顰め面をするくらいで、これまでと全く変わりのない対応をしようとしたことに少なからず落胆せざるを得ない。恐らくは彼に影響を与えたかったのだ、と木更津は自己分析をした。だから露骨にも次は頑張るから、と言ってみたのだが、石沢は知らん振りを決め込むばかりである。
紛れもなく、これは彼にとっては悲惨な事故なのだ。許容した行為とは言え、石沢は木更津とそういう関係にはなりたくなかったようである。いつものように洗濯をし、掃除をし、仕事に出かけ、木更津の食事を三食食べる。明日の塵をまとめたら、今週始まる映画はどれが良さそうか、やら、木更津の原稿はどこまで進んだのか、であるやらを話した。余りにも変化がなくて腹立たしいことこの上ない。自分の目の前であんなにも恥じらい、淫らな様を見せた男と同一人物には到底見えなかった。勿論木更津には、石沢に対する恋愛感情は相変わらずない。ただ、彼の気を引きたいだけだ。
「あらぁ、珍し!センセがお店に来るなんて2回目じゃない?」
何事もまずは状況の把握、適切な知識の会得が必要とされる。目標を定めた木更津には迷いはなかった。手近で、かつうってつけの場所は石沢が所有するゲイバーと判じると、木更津はその日の夜に薄暗い扉を開いた。声をかけて来たのはマスターで、小粋な女性に見えるがれっきとした男性である。石沢は来ているのか来ていないのかがさっぱり解らない。この店に来るのは、マスターが言う通り2回目で、前回は興味本位で石沢にくっついてきただけだった。
「トシちゃんにご用事かしら。残念だけど、今日は来てないわよ」
「そうか。その方が都合が良い」
「……悪い顔をしてるわね、貴方。何をご注文かしら」
優しい問いかけに、木更津は正直に答えた。石沢と関係を持った事、彼に奉仕したい事、それにはどういう手管が最も良いのかを知りたい事、その他こまごまとしたこと全てを並び立てると、マスターは引きつった笑顔で首を傾げた。貴方、トシちゃんが好きなの?好きは好きだ。だが、マスターが想定するものではあり得ない。恋人になりたい訳でもないし、勿論セフレでもないのだが、借りは返したいのだ。それは貸したと思われてないし、そうされることを嫌がるからお止しなさい、とマスターは実に尤もなことを言う。それくらいは理性で判断できていたから、木更津は首を振った。
「センセってば、意外と強引よねえ。でもトシちゃんが怪我をするよりはましかしら」
平行線の会話を繰り返した後、とうとうそう言ってマスターは最低限の情報を教えてくれた。要するに、男同士はどういった行為をするのか、である。概ね木更津の行った事は間違っていなかったのだが、人体構造を把握し切れていなかったことが明るみに出た。やり方が正しくないのだから、石沢が快楽に耽ないのは理解できる。自分で認めるには甚だ恥ずかしいものだが、木更津は性技は巧みな方で、互いに満足し切って終えることが常だった。故に石沢に対して一方的な行為をしてしまったことは、恥ずかしくも口惜しくもあり、何よりも後悔している。恐らく石沢は、後悔するならば別の観点から考えて欲しいと言いそうだが、あくまでも木更津にとってどうなのか、という話なので問題はない。
「ただいま」
「おかえんなさい」
十二分に好奇心を満たし、ある程度実戦に向けての心構えもできたところで、木更津は自宅へ舞い戻った。夜も大分遅くなり、流石にもう石沢は帰っているだろうと玄関を見れば、確かに帰って来ているらしい。夕飯の準備はしなかったが、大人なのでどうにかしたに違いない。ただいま、と声をかけて玄関を上がると、風呂場の方から髪の毛を乾かして来たらしい石沢がお帰り、と笑った。これまでと同じ、二人の間に特別なことなど何も起きていないのだという調子で、木更津は心の中で舌打ちした。そうでなければ、石沢が腰にタオルを巻いただけでうろつくなどということはないだろう。
「珍しく酔っぱらってるわね。何か良い事でもあったの?」
「うん」
良い事だ。大して酔っぱらっているわけでもなかったが、木更津は子供のように石沢に近づき、崩れるようにして膝をついて抱きしめた。丁度、彼の腰が木更津の目の前にくる形である。石沢はほんの少し身じろいだものの、仕方がないと呟いて木更津の頭を撫でた。本当に、この男は自分に甘いと木更津はつくづく思う。そんな調子だから悪い男に騙されてしまうのだ。まだ自分であれば、自分であれば裏切らないだろう。自分の思考が脈絡なくなってきたが、木更津は考えていた作戦を展開した。子供のように石沢の腰に顔を押し付け、頬で擦る。掌はただ落ちないように掴んでいるだけだ、という振りをして石沢の尻を揉んだ。石沢が小さく息を飲む音が聞こえる。他意が無いのかあるのか、判断しかねているらしい。タオルごしに、石沢が反応し始めていることを察して木更津は笑った。片手をタオルの中に潜り込ませ、直接尻を撫でると、たまらないのか石沢がぴくぴくと震える。例えば彼が痴漢に遭うとして(滅多にないだろうが)、こんな風にこらえてしまうのだろうか。それとも木更津だから許しているのかーーきっとそうなのだ。木更津は石沢にとって特別だから、こうして隙を見せている。
「ちょっと、隆二君、誰と間違えてるのか知らないけど、ぁんっ、やめて、おねがいぃ」
指先で石沢の孔をなぞり、肛門と柔らかな玉の間を叩いてやると、一層あからさまに石沢が悶えた。散々そこを甚振って、更に前へと手をやるついでに、歯を使って器用にタオルを寛げる。緩くなってしまえば、タオルごときを剥ぐのは簡単な話だ。途端に石沢の、木更津よりは小さな陰茎が硬さを主張して登場した。通常であれば怖気を震うか、興味など持ち得ない場所なのだが、木更津はただ愛らしく思う。自分の愛撫で素直に反応する石沢は可愛い。陰茎を緩く握って、先端に口付けると、石沢が混乱し切って叫んだ。
「だめ、汚いでしょ、いうこと聞いて頂戴!ぅ、あ、だめ、だめぇ」
舌先で突き、舐めたり吸ったりすれば、石沢が半泣きになって木更津の頭を押しやろうとする。そよ風が吹いた程度の抵抗だが、今後の事を考えて、木更津は黙って軽く噛んでやった。根源的な恐怖であるのは石沢も変わりなく、ぴたりと抵抗が止む。その隙に乗じて、木更津は迷う事なく弄んでいた石沢の陰茎を口に含んだ。ゴム管のような弾力性と、ソーセージのような独特の肉感がある。その上に塩気のある不可思議な味わいと生きているものの持つ熱さがあって、木更津は冷静に小説で描写するための最適な表現方法を頭に浮かべた。これまでは自分のものを触る程度でしか把握していなかったので、青天の霹靂だった。緩く噛んで、聞いた通りに舌を絡めたり、頭を前後に移動させて愛撫すれば、拒否していた石沢が喘ぎながら腰を押し付けるまでに変化する。良い傾向だった。彼はきっとこれだけでは満足できないだろう。適当な頃に解放してやると、物足りないのか残念そうな溜め息が石沢の唇から零れる。勿論ここで終わりではない。木更津の唾液だけでなくぬるついた石沢の陰茎を嬲ると、木更津は指先を丁寧に湿らせた。本当は折よくローションでも持っていれば良かったのだが、急に行っているので仕方がない。ずっと膝をついているせいで木更津の膝が痛む。明日は妙な筋肉痛で悩まされそうだ。
適当に濡らしたところで、尻たぶを広げて孔に再度指先を滑らせ、今度は中へと潜り込む。幸いな事に滑らかに滑り込むことが出来た上、どうやら石沢は風呂のついでにここまで綺麗にしているらしいことが解った。慎重に指で内部を探り、時折石沢が抵抗しようとするのに対し、陰茎を軽く噛む事で制していく。そもそも石沢は快楽に弱いのだ。そうに違いない。今日覚えたばかりのことを必死に脳内で再生すると、漸く前立腺らしいものを見つけ出せた。試しに柔らかく押してやると、完全に抵抗を失った石沢が泣きそうな喘ぎ声をあげる。腰を押し付けて来る石沢に笑うと、陰茎に息がかかるのかそれだけでまた喘いだ。面白くてたまらず、木更津はもっと前から知っていれば良かったと、つくづく残念に思った。抜き差しする指を増やしたり、撫で方を変えたり広げたりと散々弄んで、ようやく木更津は石沢から離れた。流石にこの体勢では挿入に至れないからなのだが、逆に石沢の方から抱きついてくる。相手が誰なのか解っていても、欲が勝ってしまったようで、木更津は仕方がなしに、そのまま体勢を変えて肩に担いでやった。ジムで鍛えていることがこんな風に役立つとは思わなかった(何しろ女性相手にすることはない)が、悪くはない。
「なんで、いじわる、ひどい」
「ここでやったらお互い痛いだろ。ちゃんとするから安心してくれ」
「ん」
もじもじする様に笑うと、木更津は少し考えて自分の部屋の扉を開けた。前回は石沢の部屋だったので、今回は気分を変えてみようと思いついたのである。この家に住むことを決めてからの約束で、部屋に入ったのは自分と石沢だけだし、このベッドに寝ていたのは今まで木更津だけだった。一人暮らしをしていた頃は恋人も寝転んでいたベッドに、この親愛なる同居人を転がした背徳感に、木更津はぞくぞくと背筋を震わせた。ベッドの脇からコンドームを取ると、自分の方も準備をする。前回は急であったとはいえ、随分と雑なことをしたと反省していた。合間合間に石沢の胸を愛撫してやって、漸く体勢を整える。期待に濡れた瞳で石沢がこちらを見つめて来るのは、正直に言えば可愛らしくもあり、木更津に多大な満足感を齎した。
「今日はうまくやるから、期待してくれ」
「ふふ」
強がりなのかは解らないが、翻弄されっぱなしだった石沢が小さく笑う。尋ねてしまえばこの流れを断ち切られてしまう予感がして、木更津は押し切るように石沢の唇を貪った。前回の経緯で、彼が恋人でもない相手と口付けをするのを嫌っているのは解っているのだが、どうしてもしたい。柔らかな抵抗をものともせずに石沢の身体を開き、待ちくたびれていた場所へと接合する。自分勝手な感想だが、ここはひどく心地が良い。好きだな、と木更津は石沢の善がる場所を押さえながら彼の声を聞いた。彼の身体だけに夢中になっているわけでもなんでもなく、木更津は石沢に懐いていたし、彼が好きになっていた。石沢も自分に多少の気はあると信じたい。第一、こんなにも良い匂いがするものを他所にやる程木更津はお人好しではないから、全力で振り向かせるつもりだ。石沢にとっては災難かもしれない。明日から彼がここに居なくなってしまうことを、木更津は少しも考えなかった。あり得ない選択肢である。もしそうであれば、とっくのとうに出て行っていただろう。
「トシ、気持ち良いか?」
「ぁ、あ、いい、すごくいい、」
意中の相手にもっとほしいと舌足らずな要望を伝えられて喜ばない程、木更津は冷徹ではなかった。体内の血液が一挙に沸騰したかのようなぐらぐらした興奮のままに与え、口付け、自分もまた好きなように心地良さを得る。蕩けた石沢の顔を見て、木更津は漸く自分が欲しかった物を得た事に満足した。これまでも受け入れられて来たのだから物珍しくはないのだが、石沢に受け入れられているという事実確認は希少なものを手にしている喜びを感じさせる。ごりごりと執拗に攻め立てれば、前回あれ程後ろで達することのなかった石沢が呆気なく果てた。弛緩した状態の石沢の身体を更に揺さぶると、木更津も嘆息しながら果てる。病気の心配やら石沢への配慮やらで今回はコンドームを使用したが、矢張り前回のように生で挿入する方が好みだと改めて思った。
「もう一回したい」
「貴方って、変わり者よね。キスしないなら許してあげる」
「かもな。本当は毎日したいし、キスもしたい。俺はあんたと付き合いたい」
「……セックスとキスのためだけに私と付き合いたいの?」
「まさか。あんたが好きだからだよ」
石沢の顔を見遣れば、困ったように眉が八の字を描いた。この男は自分に弱い。愛しているという言葉は何度も小説に書いて来たのだが、今この場で話すには余りにもくさいように感じて、結局伝えなかった。代わりに何度も困った様子の石沢に口付け、抱きしめる。まだ彼の中に自分が入ったままだから、体勢が変わったことで刺激されたのか、石沢が小さな声をあげた。間違いなく喘ぎ声だった。
身体の反応とはかくも素直なものだ。一方、自分の口から出た言葉が嘘なのか真実なのか、木更津には判断しかねる。確かに石沢は好きだし、この行為は少なくとも現時点においては頂点と行っても良い程に心地が良い。だが、それは石沢に十分なものなのだろうか。石沢だけでなく自分も確かめたくて、木更津は身体を揺すった。たまらず声をあげて石沢が木更津に抱きつく。反射的な行動かもしれないが、木更津は確かに喜んでいた。
「貴方って、ほんっと、ひ、物好き、ねぇっ」
「かもな。で、返事は?」
「……良いわよ」
大事にしてね、と続けられた台詞に、木更津は石沢の男運が悪い事を思い出した。自分は確かに良い男ではない。だが、歴代の誰よりも良い男であることは間違いなかった。現にこれまでの極普通の同棲生活で、木更津は散々石沢を可愛がって来たのである。石沢の鼻梁を噛むと、木更津は当たり前のようにして約束する、とだけ答えた。
二人の他人が共に住む、ということの難しさを平間は感じていた。夫婦であってもなくても、友人であっても難しい。彼の友人にしてアパートのオーナーの小暮が望む、最適な客を平間は紹介した筈だ。気の合う、素っ気ない距離感を維持できる他人同士、という触れ込みである。が、実際にはどういうわけだか事故が起こってしまった。平間の店のバーカウンターに並ぶ石沢と木更津はあからさまに親密な様子を見せている。それが何によるのかが解らない程鈍くはないので、平間は意味有りげに木更津を見遣った。何方かと言えば石沢の方が圧されているようである。平間の視線に気づくと、木更津はおかわりを注文しながら唇の端をあげた。
「聞きたい事があるなら聞いてくださいよ」
「いや、聞かない。惚気を聞く趣味は無いんだ。お前さん達があの部屋に住み続けるなら何だって良いさ」
「マスターらしいわね。そういうところ、好きよ」
「おい」
冗談めかして(しかし真実ではあるだろう、石沢はこうした無邪気なところがある)石沢が放った台詞に、俄に木更津が色めき立つ。石沢は肩をすくめると、カウンターの下で何かをした。何をしたのかは不明だが、木更津の機嫌が良くなったので某かの形でおもねったのだろう。思えば、少々傲岸不遜なところのある木更津に、柔軟な対応ができる石沢は丁度いいのかもしれなかった。
「……まあ、石沢の好みが変わったのは意外だったがな。実際の所は俺にはわからんが」
「あら。ある意味変わってないわよ」
木更津がトイレに立った時を狙い、平間は唯一気になっていた点を尋ねた。木更津が石沢に手を出したのは解る。多分に好奇心からだ。が、それを許容する程甘くするのは石沢の謎である。平間の問いかけに、石沢は小さく笑ってみせた。
「やんちゃで可愛くて、目が離せない子でしょ?私、ずっとそういう子ばかりよ」
「へえ。見た目で選んでいるのかと思っていたら、案外中身の方が重要だった訳だ」
「それでいてイケメンなら一石二鳥だもの」
「お眼鏡に適ったようで何よりだな」
「っ」
静かに戻って来たのだろう、にやついた木更津が後ろから石沢の肩を抱いた。喰えない男である。ただ、この男もどことなく碌でなしのような雰囲気をまとっていた。石沢は口に出さなかったが、付き合いの長い平間は知っている。彼と付き合う男は大概碌でなし、いつかは石沢から巣立って行くものなのだ。石沢の方に引き止めるような根気も欲望も気力もなくなってしまっていることは想像に難くない。木更津がいつまで石沢を手元に置いておきたいと願うのかはわからないが、二人は別れても尚、木更津が別の誰かと同棲を望まない限りはあの部屋で共同生活を営んでいそうで恐ろしかった。石沢がそれを可能にさせるだろうし、木更津も並大抵の神経ではない。
「安心してくれ。俺は碌でなしじゃない」
「随分な自信だな?」
「ああ」
何か、確かな物を作り上げようとする男の目を見て、平間は存外自分の思い描いた将来絵図とは異なるものを見られるかもしれないと期待を抱いた。石沢が同じ思いで、これまで抱けなかった希望を見いだす様が見て取れる。何故、そうしたいと木更津が思ったかは平間には解らない。所詮他人の事だ。木更津の石沢に対する仕草の一つ一つに愛情が込められていて、優しさに平間は羨ましくなった。自分は相手をこんな風に大事にした事があるだろうか。照れる石沢は明らかに幸福に満ちていた。
将来を、幾筋にも別れた可能性を読み解く事は至難の業だ。だから、目の前の僅かに確かな物に人は縋るのだろう。石沢が木更津の肩に頭を載せ、木更津がさりげなく寄り添う。少しは周囲に気を配って欲しい、とどのタイミングで言うのか平間は迷い、結局グラスを拭うに止めた。誰かの幸せを壊す事は平間の仕事ではない。おかわりはいかがですか、と声をかけて、平間はただ微笑んだ。
〆.
あとがき>>
オネエが好きです。中年男性も好きで、うっかり転がってしまうノンケも好きです。その全てを偶発的事故で押し込めないかともやもやしていたら出来ました。好奇心は猫をも殺す、ただ幸せになれたならば良いと思います。この話の後も散々二人は揉めたりするのでしょうが、概ねは緩やかな柔らかい生活を送るでしょう。そんな二人を想像していただければ幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!