落陽
時折、嘘をついている心地になる。今の自分はなりたい自分そのものをやりおおせているはずだというのに、本当を本物だと肯定する際、ほんの少しだけ喉に何かがつっかえるのだ。ひくり、としゃっくりのように震える喉を抑えると、クリーチャー・ピアソンはパタンと書いていた日記を閉じた。
荘園の主人が課したこの『日記を書く』とはなんとまあ不思議なことだろう。これまでの人生でクリーチャーが率先して書き連ねたことは一度としてない。日記を残して一体誰が見るだろう?もし、うっかり重要なことが他人にバレてしまったら?真実とは常に目の前に提示されるだけに済ませておくべきだ。全て陽の下に晒したところで幸せになれるとは誰も約束してくれない。
クリーチャーは慈善家で、懐中電灯を相棒にゲームで走り回り、道具箱を開けては中身を漁る一人のプレイヤーだ。そして、一応は仲間思いで親切心を元に行動することもできる。当初、この役割をこなすのは些か困難だった。憎むべき中産階級、上流階級よりも一層階級意識の強い気取った連中の一人であるフレディ・ライリーやエミリー・ダイアーがいるために神経が尖り、とりわけ後者には過去をほじくり返された心地で落ち着きを失う。さらにはとどめのようにエマ・ウッズが過去から現実へと持ち込まれた。
一体荘園の主人はどういう魔法を使って自分たちを集めたのだろう。フレディの様子からするに、彼は偶然ここに呼び寄せられたのではなく、やはりどこか過去と結びつけるものがあってこそ荘園にいるらしい。
最初にいた四人は、四人が五人に、十人にと増えていっても秘密に蓋をし続けていた。多分、新しく来た連中だって同じ穴の狢だろう。別段、居心地が悪くなるわけでもなし、クリーチャーは淡々と自分を慣らすことに成功した。もともと生き延びるために自分を変節することは得意技である。植物が陽の光を求めて枝葉の向きを変えることと同じだ。根元はきっと変わらないだろう。
しかし、なぜだか不快感が漂って思考を邪魔していた。目玉がゴロゴロとする。トントン、と扉が叩かれ、クリーチャーは速やかに日記を棚にしまい込んだ。十数冊積まれた日記は、いまだにクリーチャー以外に読まれることはない。それでいい。
「ピアソンさん、入ってもいい?」
「もちろん」
静かに響く、若い声にクリーチャーは眉をひそめた。自分はこんなにも柔らかな声で答える生き物だろうか。鍵をかけずにおいた扉が開き、ナワーブ・サベダーが顔を覗かせても尚もやもやとしたものは拭えない。部屋の隅でまとまった埃のように煩わしく、クリーチャーはケホケホと軽く咳をした。途端、年下の恋人は見る間に
眉を八の字に変える。
「また風邪?そんな風にはだけてるから引くんじゃないかな」
「喉に少し引っかかっただけだ。年齢を重ねれば君もいつかわかるさ」
「すぐそうやっておじさんぶる。大して違わないでしょ」
大いに違う、と思いながらもクリーチャーはそれ以上何も言わずにただ両腕を広げた。心配そうな表情をしたナワーブがそれだけで顔を輝かせて抱きついてくる。しっかりと抱きしめながら、回した背中の暖かさを過去と重ねて冷や汗が流れた。自分が良かれと思ってしていたことを悪し様に罵られた日々がありありと思い出される。人でなし、人でなし、人の皮を被った欲望の塊、獣!ただ少しでもうまく生き延びようと思って、それを他人にも分けただけだというのにとんだ褒め言葉だ。誰も助けてくれやしないくせに、文句だけは澄まし顔で述べ立てるのだからたまらない。目の前と同じく変わらぬ現実を追いやるべく、クリーチャーは太陽の方を見た。どうかその光で忘れさせてほしい。
「寝る前に、君の故郷の話を聞かせてくれないか」
「いいよ。……ね、いつかさ」
「ああ」
シャツの合間に手が滑り込んでくる。触れられているのは自分の体だとよくわかっていても尚、どこか自分ではない他人が触れられているような感覚が続いた。本当に自分はナワーブと触れ合っていいものか。今でも戸惑う。あるいは、触れ合いたいという気持ちそのものが疑わしい。クリーチャーは、そんな人間ではなかったのだ。本当に?本当に。これは枝葉だ、本質的には何も変わらない。慈善家で優しいクリーチャーはナワーブに愛されている。ーー彼は、いまだに何も知らない。
「いつか、ピアソンさんのことも聞かせてね」
「それじゃあしばらく内緒にしておいた方が良さそうだ」
「なんでさ」
「知らなかったら、君はずっと気にしてくれるんだろう?」
ずるい、うまい言い方を考えたものだとクリーチャーは自分を笑った。指先でナワーブの唇をなぞり、ギザギザとした縫い跡を軽く引っ掻く。この傷の由来はもう何度目かの逢瀬で語られていた。ナワーブはなんでも話してくれる。多分、全部が本当で問題ないのだろう。では自分は?
別に、悪い事をしたわけではない。自分はずっと正しかった、そう思い続けている。根本が変わらないけれどもより生き抜ける形に変えてみせただけだ。けれどもどうしてこんなにも胸が苦しくなるのか、クリーチャーにはどうしてもわからなかった。いつか、この世が終わる日に、今のクリーチャーがまた別の何かに適合する際に教えてやるだなんてことはあるのだろうか。
寝物語が今日も一つ、追加される。太陽を飲み込んで、クリーチャーはぎゅっと目をつぶった。
〆.