口が綺麗ね
何度も何度も日々を繰り返していると、人はだんだん手を込ませることよりも一周回って単純なものを好むようになるらしい。正確には、良さを改めて味わうことができる余裕が生まれるのだろう。使い古した毛布の柔らかさに安堵し、ボロボロになるまで寄り添うのだ。哀れな死骸と成り果てた毛布の側で、次の拠り所を見出すのか、あるいは絶望の淵に佇むかはさらなるお楽しみである。
かくて荘園の大人たちもまた、子供のような遊びに舞い戻り、わちゃわちゃと酒と水とをかき混ぜていた。
「あー、髭の形が良い、高そうな服を着ている、食事に煩い、手先が器用でイカサマを平気でやる、あとはそうだな」
クリーチャー・ピアソンは指を立てながら懸命に慣れぬ口をきいていた。取り繕う気もないので表情にありありと嫌気が表れて居ることだろう。お遊びとはいえ、セルヴェ・ル・ロイを褒めて満足させることは些か癇に障った。
何しろ一昨日堂々とイカサマカードを仕込まれたことがわかったばかりなのである。バーカウンターにもたれかかって拗ねた口を聞くも、マスターであるデミ・バーボンはしらっとした調子でグラスを磨くばかりだった。
「はい、おしまい。それで褒めてるつもり?ほとんど悪口じゃないか。一点ね」
「おいおい厳しいじゃないかミス・バーボン。いけすかない奴を褒める苦労を労ってくれないのか?ハ、見てろよ。大魔術師先生に私の良さなんてわからないさ」
ちら、と一つ向こうの椅子に座って静かにワイングラスを傾ける男に流し目をくれると、不敵に髭が形を変える。冷静沈着な魔術師が苛立った時に見せるいつもの仕草で、クリーチャーは心の中で舌を出した。
相手の良さを五つ取り上げ、褒め言葉の評価を受けて高い点数を取った方を勝ちとし、負けた人間は相手に一杯奢る。遊びとしては単純で、まるで学期が始まったばかりの教室のような空気感を伴ってさえいる。お互いの良さに目を向ければ『ゲーム』にも良い影響が出るかもしれないと、エダ・メスマーが心理学者らしい発言をしたことがきっかけだ。
今はデミが構えるバーの扉をくぐった人間が順繰りに餌食にかかる仕様となっている。多分、デミが飽きるか耳障りの良い言葉たちが出涸らしのようになるまで続くだろう。
クリーチャーが捕まったのは三度目で、今の所二度目はどうにかやりくりできた(相手が寡黙なアンドルー・クレスと箱入り娘のアニー・レスターだったおかげでもある)ものの、気に食わない人間を褒めるには一杯では釣り合わないと考えていた。否、思い切り誉め殺して赤面させたらばそれこそ一杯食わせたことになるかもしれない。理性はあれこれ囁いてくるが、いっかなやる気は起きなかった。
「言ってくれる。私の番だな……手先が器用で、爪を切る形が綺麗だ」
「っ」
咄嗟に手のひらを握り締めると指先を隠す。一体いつ見られていたのだろう?男の手など自分はまるで記憶にない。金持ちかどうかを手から読み取ることはあっても、爪の形にまで目を凝らすことなどあり得ない。魔術師という職業柄だろうか。眉を顰めるこちらを他所に、セルヴェは澱みなく続けた。
「手先が器用だけじゃないな、舌も良い。料理は素朴だが美味いものを作れる。一度教えたらば直ぐに作れるから、物覚えも良いんだろう。手癖が悪いところは問題だが、今の所は可愛い程度だ。私としては飽きないから構わない」
「おい」
まるで自分の一挙手一投足を開陳していくような物言いに耳が熱くなる。セルヴェが全て分かった上で弄んでいたかのように聞こえるどころか、これではまるで心底自分の良さを理解し、『良い』と思って居るかのようだ。普段褒められ慣れていないだけに何もかもが寝耳に水で、クリーチャーはバーに入り込んだ自分を心の底から呪った。
ヒュウ、とデミが口笛を鳴らす。セルヴェは肩をすくめるとわざとらしい仕草で指折り数えた。
「これで四つか?そうだな最後は……ああ、この男は存外ウブなところがある。からかい甲斐があるな、これで五つだ」
「満点。ピアソンさん、奢りね」
「……はあ」
文句の出ようもない。深々とため息をつくと、クリーチャーは定められたクォーツの口座を開いてデミに残高を差し引かせた。痛くも痒くもない遊びの代金だが、負けた悔しさで口中が苦い。
「魔術師先生は口も器用なことで」
「物は言いようだからな。言っておくが、可愛い物であってもイカサマはイカサマだぞ」
もっともらしい言い方をするセルヴェからは何の感情も読み取れない。指先がくねくねと踊るところからすると、この状況を楽しんではいるようだ。自分用の黒ビールを注文すると、クリーチャーは半目でセルヴェを睨んだ。
「あんたもしてることだろ」
「とんだ言いがかりだな。証拠でもあるのか?」
「ない」
だが間違いようもなくこの男とはイカサマをしている――ガメツイあのノートン・キャンベルとアンドルーとが同じ結論に至ったのだ、間違いない。だがイカサマとはタネを明かして突きつけない限りは成立しないオバケのような物である。悔しいながらも首を振るしかなく、クリーチャーは悔し紛れに黒ビールを一気に飲み干した。泡が髭に張り付いてシュワシュワと音を立てる。
「……拗ねると唇を噛む癖があるんだが、幼く見えるのは可愛いかもしれないな」
「おい」
揶揄するような物言いに舌打ちすると、酔いの漂う瞳が蕩けるようにして視線を絡ませてきた。ひょっとすると本気で言っているのだろうか?まさか。
居心地の悪さに立ち上がると、クリーチャーは乱暴に髭を拭った。これ以上ここに留まっていたら目眩がしそうだ。物は言いようと嘲笑われようとも、耳に傾れ込む言葉はどれもひどく甘い。頬が緩むのは酔いからか、それとも慣れぬ優しさからか。
「一杯の代金に応じて教えてやろう」
ドアノブにゆっくりと手を滑らせると同時に、深く響く声が背を撫でた。そうだ、この声がそもそも耳心地が良いのだ。分かっていながらも口にしなかったことが今は悔やまれる。少しくらいは自分にも言えると示してやれば良かった。
「物は言いようだが、タネはある」
意味は自分で考えると良い。セルヴェは愉快そうに笑ったきり口を閉じた。勝利の美酒に酔いしれているのだろう。唇を歪めると、クリーチャーは波に逆らうようにして声を振り絞った。
「知らない方が楽しいこともあるさ」
知ってしまったらば取り返しのつかないものもあるだろう。手品のカラクリを見抜かれた魔術師は二度と同じ舞台で楽しませることはできない。荘園という舞台であってもそれは同じはずだ。
外に出て扉をきっちりと閉め、吸い込んでいた息を全て吐き出す。騙しようのない現実の空気が、今はただただ必要だった。
〆.