可愛いものは可愛い!
可愛いものは
草原で生きる生き物には皆役割がある。例えばヨルは背に人や物を乗せ、羊は乳や毛、角に肉とその全てをもたらしてくれる。ヒト本位の見方かもしれないが、意義なく存在することなどないというのが幼い頃からマウシが聞かされてきた教えだ。よって、全てのものは等しく尊び丁寧に扱わねばならない。軽んじられるものなど何一つとしてないのだ。
とはいえ、その定義に反するようなものもこの世には存在しうる。珍しく狭量な思考だが、冒険者が小さくて見失いそうな生き物を連れてきた時のマウシの感想は、家畜にするには不向きであり、警邏に使うにはあまりにも力弱くてなんの役に立つのかさっぱりわからないというものだった。あまりにも草原に生きるものたちと、この初めて見るか弱い生き物は趣を異にしている。
「……この動物の肉を食べるのか?皮は余り気持ち良さそうではないけれど」
「違う違う、可愛がるんだよ。豆柴って言うんだ。いてくれるだけで嬉しいのさ」
続けて冒険者は、外の世界には愛玩動物という存在があるのだと説明してくれた。幼い馬や羊にそうした眼差しを投げることはあっても、いつしか成長した頃には存在意義を認識して近しさを失うものだが、この生き物は終生『可愛がられる』という意義を失わないらしい。冒険者の真似をして撫でれば、豆柴はクウと鼻に抜けるような声を出して擦りついてくる。胸がキュンとして、マウシは同じように自分の胸をキュンとさせる存在を思い出して深く頷いた。なるほど、この世には間違いなく可愛さこそが存在意義となる生き物はありうる。撫でる手の止め時を見失いつつなりながら、マウシはこの生き物は実際のところとても可愛いと思う、と同意した。冒険者は嬉しそうに、そうだろうそうだろう、と言う。余程可愛がっているらしい。
豆柴を撫でれば撫でるほど、マウシの脳裏にはエスゲンが思い浮かぶ。エスゲンにこの動物を見せてあげたい。多分エスゲンも豆柴を可愛いと言って喜ぶはずだし、そんなエスゲンは絶対に可愛い。エスゲンを可愛いと、ただいてくれるだけでも良いと言うのは失礼かもしれないけれども、それが草原における彼の存在意義だというのがマウシの本心だった。
いっそのことエスゲンが小さくて、こんな風に持ち運べたらどこにだって一緒にいられる。この草原が窮屈ならば、外の世界を二人で見て回る事も容易だ。今の彼はあれこれ悩みを噴出させて困るばかりだろうが、マウシが全て抱えていけば何も問題はない。
今度、冒険者はこのイヌの兄弟を連れてきてくれるらしい。一緒に育てよう、と言ったらエスゲンさんはどんな顔をするだろうか。その日を思い浮かべながら、マウシは笑って豆柴の柔らかな頭を撫でた。
〆.